2015年6月14日日曜日バイリンガル礼拝音声は、http://youtu.be/k3a1DybHDmk
Ⅱ列王記4:1-7
1預言者のともがらの妻のひとりがエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存知のように、あなたのしもべは、主を恐れておりました。ところが、貸し主が来て、私のふたりの子どもを自分の奴隷にしようとしております。」2エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。あなたには、家にどんなものがあるか、言いなさい。」彼女は答えた。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」3すると、彼は言った。「外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも一つ二つではいけません。4家に入ったなら、あなたと子どもたちといっしょにうしろの戸を閉じなさい。そのすべての器に油をつぎなさい。いっぱいになったものはわきに置きなさい。」5そこで、彼女は彼のもとから去り、子どもたちといっしょにうしろの戸を閉じ、子どもたちが次々に彼女のところに持ってくる器に油をついだ。6器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」子どもが彼女に、「もう器はありません。」と言うと、油は止まった。7彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行って、その油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」
エリシャのともがらが死に、残された妻がエリシャに助けを求めた。彼女は、借金のために子どもたちまで奴隷として取られそうになっていたのです。彼女には、解決不可能な大きな問題がありました。そして、その問題は、すばやく解決されなければなりませんでした。
彼女は、神の人エリシャに助けを求めてきました。しかも、彼女は叫びながら必要をうったえたのです。夫が死んだばかりか、子どもたちまで取り去られそうになり、必死だったのでしょう。
今日は、エリシャとこの女性のやり取りから、私たちに与えられる神様からのメッセージをいただきたいと思います。神様がどんなに豊かなかたであるか、また神様が、どんな状況の中でも必ず、助けを与えてくださることを学んで行きたいと思います。
エリシャは彼女に言いました。
① どんな物があるか? V2 what do you have in the house?
自分からも何かを差し出すこと。
エリシャは、家にどんなものがあるか聞きました。女は、答えました。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」“Your maidservant has nothing in the house but a jar of oil
きっと、この女は、家の中にある物を全て売ってしまったか、借金の形に取られて今つたのでしょう。ただ、日々の食事の用意に使う、油のつぼが一つだけ残っていたのでしょう。
私たちにも、このような状況が無いでしょうか。動かしがたい大きな問題。もう手は尽くしきった。時間が迫る。問題解決のためのものは自分には何も無いと感じるとき。
この女は、神の人のところに行きました。すなわち、解決を神に求めました。
神は、彼女が持っている最後のもの。彼女にとっては、何の役に立たないかのように思えるものを用いられたのです。
一つの油のつぼ。それも、からのつぼでした。とるに足らないものでありました。
神は、このような取るに足らないものを大きく用いることのできる方なのです。
ここで大切なことは、それを神様の前に差し出す。捧げることなのです。神様は、それを聖めて用いてくださいます。
② 器を借りて来なさい。
教会(からの器の集まり)の大切さ
V3 “Go, borrow vessels from everywhere, from all your neighbors—empty vessels; do not gather just a few. 外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも一つ二つではいけません。
女は、からの器一つしか持っていませんでした。エリシャは、同じようなからの器を近所で借りてきなさいといいました。
「この土の器に宝」2コリント4・7~12 とあるように、私たちは、聖書の中で器にたとえられますね。からの器は、何を意味しているでしようか。飢え渇いた心。神様に対してハングリーな人では無いでしょうか。何ももっているものはない、ただ、神様へのハングリーさというような。神様の奇跡を体験するには、それでいいのです。私たちは、しばしば私たちの持っているものや能力で神様の手助けをしようとしますが、神様にとっては、からっぽの器のような人が必要なのです。そして、同じようなからっぽの器が近所から集められたときに、奇跡が起こりました。問題の解決が与えられました。
みなさん、教会の大切さは、ここにあるのではないでしょうか。
神様に飢え渇いた人の集まりのなかに、神様の祝福が満たされる。そして、それぞれの問題が解決されていく。それが教会ではないでしょうか。
あなたに求めがありますか。ハングリーですか。それなら、ここ教会はぴったりの場所です。もしあなたの周りに求めのある人がありますか。ぜひ教会につれて来てあげてください。
③ うしろの戸を閉じなさい。
過去・心の傷からの解放。
V4 you shall shut the door behind you
いよいよ、油が注がれるためのインストラクションです。その一番初めは、うしろの戸を閉じなさい。でした。
油は、何を意味しているでしょうか。聖霊様ですね。聖霊さまの注ぎは、私たちに力を与え、恐れを締め出し、全てを可能にする神の力の注ぎでもあります。エリシャは、注ぐ前にうしろの戸を閉じなさい。と言いました。
うしろとは、何を意味するでしょうか。それは、あなたの過去です。人間は、過去のことをいつまでも恨みに思ったり、傷に思ったりして過去のことを繰り返し瞑想しながら生きています。それか、将来の心配をしていかどちらかであるそうです。 なかなか今その時を神とともに生きている人は少ないそうです。
うしろの戸を閉じるとは、過去の問題に終止符を打つこと。過去の傷から癒されること。です。過去の神々との契約を断ち切ること。過去の罪や罪深いサイクルを断ち切ることです。そうでなければ、せっかくの聖霊の注ぎがあっても、後ろの戸があいていたら祝福がもれてでていってしまうからです。
神の祝福、聖霊の力を満杯に受ける前に、あなたは、過去の問題が片付いているでしょうか。心の傷が癒されているでしょうか。
④ 油を注ぎつづける。
あなたの必要なだけ、神の恵みを受け取る。
V4-6 “There is not another vessel.” So the oil ceased.
油は、からの器がある限り注ぎ続けられました。油は、あなたの必要な分十分にそそがれました。また、あなたが求めた分は満たされました。
あなたがハングリーであればあるだけ、神様は必ず満たされるのです。
あなたは、今神様に対して、「私は、求めの多いものです。」ニーディです。。。と思っているかもしれませんが、神様はあなたを必ずいっぱいまで満たしてくださいます。
心に求めのある人たち、喜んでください。
また、神様に新たに満たされたい方々、神の前にハングリーであり続けましょう。
この女は、エリシャの言葉に従ったおかげで、負債を完済することができ子どもたちをとられることを免れました。
きっと、この女は、それ以上のことを学んだにありません。神には、私たちの想像を超えて私たちを満たす力があることを知ったのです。彼女は、今まで、預言者である夫に霊的にも物質てきにも頼って生きているというライフスタイルでしたが、このときを境に、大きく変革したに違いありません。求めに答えられる奇跡の神と個人的な関係を持つことができたのです。
これこそ、神様の望んでおられることなのです。神は、あなたの個人的な小さい悩みにも、関心をもっておられるのです。それを満たすことであなたに出会いたいと願っておいでなのです。
神のところに行きましょう。神をたずねましょう。神を求めていきましょう。
ぼ
2015年6月7日バイリンガル礼拝メッセージ音声、http://youtu.be/XEiYBI8MxUk
2 列王記 2:6-14
6エリヤは彼に、「ここにとどまっていなさい。主が私をヨルダンへ遣わされたから。」と言った。しかし、彼は言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、ふたりは進んで行った。7 預言者のともがらの五十人が行って、遠く離れて立っていた。ふたりがヨルダン川のほとりにたったとき、8エリヤは自分の外套を取り、それを丸めて水を打った。すると、水は両側に分かれた。それで二人はかわいた土の上を渡った。9渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私は、あなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」すると、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように。」と言った。10エリヤは言った。「あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないならば、そうはならない。」11こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬が現われ、この二人の間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。12エリシャはこれを見て、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち。」と叫んでいたが、彼はもう見えなかった。そこで、彼は自分の着物をつかみ、それを二つに引き裂いた。13 それから、彼はエリヤの身から落ちた外套を拾い上げ、引き返してヨルダン川の岸辺に立った。14彼はエリヤの身から落ちた外套を取って水を打ち、「エリヤの神、主は、どこにおられるのですか。」と言い、彼が再び水を打つと、水が両側に分かれたので、エリシャは渡った。
今日のお話しは、偉大な預言者エリヤからその後継者エリシャにバトンタッチする場面です。エリシャは、ずいぶん前に神様から選ばれて、エリヤの後継者の召しをもらっていました。そして、それをエリヤも知っているし、周りのものも知っていました。
2King2:1主がエリヤをたつまきに乗せて天に上げられるとき、エリヤはエリシャを連れてギルガルから出て行った。And it came to pass, when the Lord was about to take up Elijah into heaven by a whirlwind, that Elijah went with Elisha from Gilgal.
エリヤは、エリシャに付いて来ないようにいいましたが、エリシャは聞きませんでした。そんなことが三回ありましたが、エリシャは決してエリヤから離れようとはしませんでした。
三回目が、先ほど読んだ場面でした。
9節で、エリヤはエリシャに言いました。「私は、あなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」“Ask! What may I do for you, before I am taken away from you?”
そこで、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように。」と言った。“Please let a double portion of your spirit be upon me.”
「二つの分け前」の言葉の意味するところは、長男が父から相続を受け取るための、長子の権利を意味しています。(申命記21:17 But he shall acknowledge the son of the unloved wife as the firstborn by giving him a double portion of all that he has, for he is the beginning of his strength; the right of the firstborn is his.)
すなわち、エリシャは、肉の子どもとしてではなく、エリヤの霊の子どもとして、霊の遺産相続をもとめたのです。エリヤの始めた神様の仕事を全うするために、霊的な遺産をもとめました。
ここで、エリシャを通して、”召し” (神様が天命としてお与えになる使命)に必要なことをおさらいしたいと思います。
エリシャは、①神によって召されました。エリヤを通して。神様からの召しが第一に必要。
②そして、エリヤの下で訓練を受けました。摂理と環境が整うこと。
③エリヤにも、周りの人々にも、エリヤの後継者であると認められていた。
ここまでは、今までも何度もお話ししてきましたね。
そして、今日はもう一つ。エリシャは、 ④ さらに自ら求めた。と言う点です。
エリシャは、エリヤが来るなと言っても、決して離れませんでした。自分の求めているものを得るまでは。聖書の神様は自分から求める人に必ず見つけられます。必ず、与えられます。
エリシャは、召しがあり、人に認められるだけでは満足しませんでした。はっきりとした霊的な遺産を受け取りたかったのです。それは、神様の仕事をしっかりとやるためでした。
神様は、このような人を今日求めておられます。
この霊の二つの分け前をお願いされたエリヤは言いました。
10節 「あなたはむずかしい注文をする。」”You have asked a hard thing.” なぜなら、霊的なものをお与えになるのは、エリヤではなく、神だからでした。
しかし、エリヤは、無理だとは言いませんでした。その代わり、このようなことを言っています。 「 しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないならば、そうはならない。」 Nevertheless, if you see me when I am taken from you, it shall be so for you; but if not, it shall not be so.”
★ If you see….
あなたが見ることができたら。。。。と言いました。
ん? と思いますね。 どうして、それができたら霊的な遺産が願ったとおりにもらえるんだろうか。。。と。
「見る」とは、
to see, look at, inspect, perceive, consider
1. to see
2. to see, perceive
3. to see, have vision
4. to look at, see, regard, look after, see after, learn about, observe, watch, look upon, look out, find out
5. to see, observe, consider, look at, give attention to, discern, distinguish
6. to look at, gaze at
エリシャは、火の戦車が来て、エリヤを天に連れて行くのをとうとう見ました。
皆さん、天に生身の人が上っていくのを見たことがありますか? エリヤは、そのまま天の御国、天国に生きたままのぼっていったんです。まるでエノクです。しかし、彼の場合は目撃者がいませんでした。まるで、イエス様です。なんとも不思議な光景だったことです。肉の世界から霊の世界に移されていく人を肉眼で見るのですから。。。。
私は、こう思うのです。エリシャには、肉と霊の両方を同時に見ることができたのです。今まで肉でしか見なかったものが背後に働く見えない霊の世界を見るようになったのです。そして、それが見えたとき、霊的遺産がエリヤから相続できたのです。
「あなたが見ることができるなら」目に見えない世界を見るには、信仰が伴います。ヘブル11:1 「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」とあるとおりです。エリシャは、信仰を働かせ霊の世界と肉眼で見える世界が一つになるところを見ることができたのです。
もしも、あなたの目の前で起きていることが困難で、どうしていいか分からないことがあっても、あなたの望んでいること、信仰の目をもってみるなら、霊的な世界が見えてくるのです。
ただ、肉眼で見えることをみて判断するのではなく、信仰の目でみることができますように。
もし、見えたら、それは、あなたのものになるからです。
後に、エリシャは、6章 人の霊の目を開かせたり、目をくらませたりしています。召使に対しては「目を開いて、見えるようにしてください」(17節)と祈り、アラムの軍隊に対しては「盲目にしてください」(18節)と祈りました。するとそのようになったのです。霊の目を開く油注ぎが与えられたのです。
★ 後継者として
リーダーの肉の部分ばかりに目をとめるのではなく、背後に働いている神の霊に目が開かれるように。また、私たちは、みなイエス・キリストによって天の相続を受け取る資格があります。キリストを見続けようではありませんか。この夏、しなければならないこと、したらいいようなアイデア、ミニストリーなどたくさんありますが、まず、イエスキリストを見つめましょう。そして、私たちの霊の目が開かれますように。
あなたは、何を見ますか? 霊の世界と肉の世界が一つになるとき、信仰の目でみることができるとき、見たものはあなたのものとなるのです。
ぼ
このようなお話しを二ヶ月前に聞きました。
一人の人がしていることの内容は次のとおり
毎日やってる全てのことのうち。。。
5% 自分にしか出来ないこと
15% 自分と同じ技能を身につけた人にもできる
80% 誰でもができること
例えば、自分にしか出来ないことは、「私」であること。また、私の夫のエリックの「妻」であること。私の母の「娘」であること、などなど。。。また、自分のために食べたり、休んだりすることもですね。。。人が私に代わって歯医者にもいけなければ、トイレにも行けないのと同じです。。。
そして、15%の自分と同じ技能を身につけた人にもできることというのは、牧師のお仕事です。どうしても、自分ひとりでできない時は、例えば、一緒に教会で働いている牧師仲間に誰かのカウンセリングをお願いしたり、日曜日の礼拝メッセージをお願いしたりできます。
残りは、誰でもできること。夕飯をつくったり、洗濯したり。。。。
限りなく、私目線でお話ししていますが、みなさん、分かりますよね。
これを聞いたとき、はっとしたんです。
私にしかできない5%を結構無視していることに!
もちろん、夫の妻であることは、がんばってましたが。。。。特に、自分の体については。。。。
ここ、一、二年、あまりからだがスッキリしなかったんです。特に、体重が増えて、いつも疲れ気味。疲れやすく、家に閉じこもりがちでした。
友達がみんな日本に帰国しちゃったから。。。家を出る機会が少ない。。とか思っていましたが、運動をあまりしていませんでした。
食事は、超健康的な食事をしていましたが、おやつを食べていました。ストレスイーターのようです。ハハ。
ジムのメンバーになりたいと思いつつ、いつも後回しにしていました。お金がかかることも一つの理由です。
そして、このお話しを聞いたとき、もう後回しにしてはダメだ。このままでは、病気になってしまう! と思い、将来のための投資として、まとまった額を払って、二年間のジムのメンバーシップを購入しました。
ジムの体力測定でびっくりしました。私の体力年齢は、自分の実年齢よりも十歳ほど上。がーーーーん。 そして、体脂肪率も、高く。。。これ以上増えると糖尿になりますよと言われました。二重のショックでした。。これが一番こたえたかな。。。。
始めの一ヶ月は、久しぶりの運動で、ひざが痛くなりましたが、今では、すっかり元気になりました。筋肉も付いてきました。
とにかく、去年長めの断食をしたせいか、筋肉が落ちてしまって、苦労しました。
本当に、霊的なことをするにも、体が資本。断食したあとにちゃんと体重だけでなく筋肉のことを考えればよかったです。
筋トレを中心に運動して、二ヶ月で、10キロ近くやせました。結婚当時くらいにはもどったと思います。ほっ。。。
いつも自分以外のために走り回りがちの生き方でしたが、
本当に自分を愛することの大切さを知りました。
また、体の大切さ。。。筋肉の大切さ。あ、やせるには、筋肉をつけると新陳代謝があがってやせるそうです。今まで、カーディオが好きだったんですが、それではやせにくいらしいそうです。(主人と、パーソナルトレーナー談)
あなたにしかできない5%、見直してみませんか?
きっと大切なことが見つかると思います。
私は、近いうちに、新しい服を買いに行こうと思います。
服がぶかぶかです。。。。
ぼ
2015年5月31日日曜日バイリンガル礼拝音声は、http://youtu.be/mKFsC938_dc
「神の国が近づいた」と言われてから、二千年。
神の国は私たちに近いのだろうか。もしかしたら、私たちのマインドセットの神の国の広がり方と、イエス様の意図したところは違うのかもしれない。リバイバルがおき、多くの人々がどっと教会に押し寄せて来たら神の国が来た? 何か多くの人は、そのようなイメージを持つのではないでしょうか。私たちは、西洋の成功的なキリスト教イコール、メガチャーチ、大きなクルセードなどというイメージに縛られているのではないでしょうか。
リバイバルとは、本来、覚醒と言う意味があります。何に対して私たちは、目を覚ますのか、目を開かれる必要があるのでしょうか。
聖書では、天の御国は、からし種のようだとも言われています。小さい種だが、大きく育って鳥が巣をつくるほどになる。また、パン種のようだとも。バンだねは、小さいけれども、粉全体を膨らませます。しかも、しずかに、徐々に。気がついたら何倍もの大きさになっています。また、天の御国は、隠された宝のよう。それを見つけた人は、全てを捨ててもそれを手に入れる。Matthew 13:44 “Again, the kingdom of heaven is like treasure hidden in a field, which a man found and hid; and for joy over it he goes and sells all that he has and buys that field. それほど、魅力がある、人を引き寄せるものであります。
神の国とは、神の統治されている場所をさします。そこに、必ず人は関わりがありますが、大量の人でなければならないとは限りません。あなたの心が神の統治と支配で満たされているのなら、神の国はあなたの只中にあるのではないでしょうか。
また、新約聖書では、私たちの身体は、聖霊の宮であると言っています。
これには、大きな意味があります。イエス様は、どれほど、私たちと、ご自分が一つになることを願い、待ち望んでいたことでしょうか。
イエス様の言葉をいくつか思い出してみよう。
イエス様は言われました。わたしが去っていくことは良いことです。あなたがたに新しい助け主をあたえよう。
ヨハネ17章21節
それは、父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。that they all may be one, as You, Father, are in Me, and I in You; that they also may be one in Us, that the world may believe that You sent Me.
イエス様が、十字架にかけられ、死んで葬られ3日目に蘇り、天に昇られたことで、わたしたち信じるものの内にイエス様の霊、聖霊様が宿られるようになりました。
イエス様の願い、”一つ” が成就しました。
教会のかしらはキリスト。私たちはその器官なのです。私たち教会は、キリストの体です。キリストが頭で私たちはそれぞれからだの器官です。一つになって、働くときに、この世にキリストの姿を現すことが出来るようになるのです。鍵は、「一つ」になること。
また、イエス様は言われました。
あなたがたは互いに愛しあいなさい。これが新しい戒めです。ヨハネ15:12
また、イエス様は言われました。あなたが赦す人を私も赦す。これは、イエス様が私たちとイエス様を一体化して見られているからこそ、そのような言葉を言われたのではないでしょうか。とすれば、私たちが愛する人をイエス様も一緒に愛しているということになります。
私たちの役割といいましょうか。いやそれ以上ですね。私たちの存在がいかに、この世の中で重要かわかりますね。
では、私たちは、愛することを学んだのでしょうか。私たちは、本当に一つなのでしょうか。
今から、実験をして体験してみたいことがあります。
★ Affirmation Circle をしましょう。 アファーメーションとは、肯定形式の表現。ポジティブな言葉で相手を励ます/誉めることです。 この世の中は、ネガティブな言葉で溢れています。しかし、私たちが、このポジティブな言葉をもっていくときに、周りが変わって行きます。
実践
★ 肯定的サークルをしてみていかがでしたか? 聖霊様が活発に働かれていることに気がつきませんでしたか。誰かにどんな言葉をかけようかと考えるとき、その時から私は聖霊様の臨在を感じます。そして、それを語るとき、もっと聖霊様が働かれます。そして、複数の人たちが語っている間、この場所に聖霊様の臨在が溢れます。
私たちが一つになったことを感じませんでしたか? 一つになるということは、アグリーメント、同意することではないのです。キリストの霊によって、自然に一つのことを考えるようになることです。そこには、互いに愛し合い、立てあげあうことがそこに流れる血液のようなものです。
愛し合っている夫婦は、自然に同じことを考え、同じものの好みを持つようななるものです。イエス様は、そのような親密さを通して、ご自身の統治、御国を広げられるのです。
愛することは、アクションです。あなたがアクション、行動をしようとするときには、あなたの決断が必ず必要です。あなたのチョイス、選択にかかってきます。愛することは、神様の霊です。積極的に愛そうとするとき。聖霊の助けがあります。
Proverbs18:21箴言
21 Death and life are in the power of the tongue, And those who love it will eat its fruit. 21 死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。
神の国の法則とは、愛と聖霊です。キリストの体が鍵。まず、あなたがキリストと一つであること。また信じるものの共同体、キリストの体が頭であるキリストと一つであること。
この夏、私たちは、ますます一つになりましょう。時間をとって互いに愛し合いましょう。
私たちがこれにかけて生きているかどうかによって、この地上に神の国が広がるかが決まります。
ぽ
2015年5月24日日曜日バイリンガル礼拝音声は、http://youtu.be/SeG93kIh-78
1列王記19章1-4
1 アハブは、エリヤがしたすべての事と、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととを残らずイゼベルに告げた。
2 すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」
3 彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うために立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、4 自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」
今日の箇所は、預言者エリヤがバアルの神とバアルの預言者たちと直接対決し、大勝利をした直後のできごとでした。聖書を読んで新しい方のために。。。 エリヤは、450人のバアルの預言者たちを相手に、二頭の雄牛を用意し、互いの神に祈り神自身にいけにえに火を付けてもらおうというものだった。エリヤは、自分のいけにえに水をまき火がつきにくいようにまでしました。そして、バアルの預言者たちは、祭壇の周りを踊りまわったり、身体を傷つけたりして祈りましたが、彼らの祭壇には何もおきませんでした。一方エリヤの方のいけにえには、真の神によって火が付きました。民はみな真の神をあがめました。
このような大勝利の後、アハブ王の妻イゼベルによる殺害予告をされるのです。そして、あのように勇敢に何者をも恐れず、真の神に信頼していたエリヤは、恐れて逃げるのです。
エリヤは、立派に大事業を終えたばかりでした。皆さん、私たちは、今日このお話を通して学びたいと思います。私たちは、アンドロイドでも機械でもなく、大いなる真の神を信じているとはいえ、生身の人間なのです。大きなプロジェクトを終えた後はどっとつかれるのです。まして、神の霊によって用いられ、霊的な働きをした後は、なおさら、どっと疲れがでるものです。私も、日曜日の夜は、どっと疲れて夕食をつくる気にならないものです。皆さん方も、神様を信じている神の勇士たちです。神様にあって事業を成した後、また継続的に長く神様のために働くには、どのように養われ、回復していったらいいのでしょうか。聖書に従って、三つの点についてみて生きたいと思います。
① 肉体の養い Nurture Your body
1列王記19章5-8
5 彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい」と言った。
6 彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入ったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。
7 それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから」と言った。
8 そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた
★休息と滋養は、私たちの元気の源
エリヤがイザベルを恐れて逃げたとき、神様は、エリヤを責めませんでした。どうして信仰が無いのかとも言われませんでした。逃げるなとも言われませんでした。神は、天使を送って、エリヤに食事をさせました。そして、エリヤはまた眠り、また起き、天使に食べさせてもらいました。エリヤを選んで用いた神様は、エリヤのことを誰よりもよくご存知でした。エリヤが心身ともに疲れきっていたことを知っていました。また、その余裕のなさから、イザベルを恐れたことも分かっていました。そして、まだエリヤのする仕事があることも知っていました。それゆえ、彼の肉体をまず休ませ、食べさせたのです。そういえば、エリヤは、バアルの神との直接対決のとき、寝ずの対決だったのではないでしょうか。バアルの預言者たちは、夜通し踊り身体を傷つけながら大声で祈っていましたし、それをエリヤは見ていました。
私たちも、体が資本です。体がなければ、私たちは、神のために働くことはできません。いくら、強い心を持っていても、体がなければ、その表現のしようがありません。聖書は、「私たちの身体は、聖霊の宮」であると言っています。
二、三ヶ月ほど前に、栄養学の通訳を頼まれましたが、とても興味深いことを話していました。私たちは、体のためだけに食べているのではなく、脳のためにも食べているということ。良い脂質と良い糖質は脳に必要であると。それらを食べると脳が幸せになり、落ち込みにくくなるというのです。また、一方で、コーヒーなどのカフェインや、砂糖、揚げ物などの油による脂質は、早く脳を幸せにするが、すぐにそれが消えてクラッシュしてしまい、脳を逆に落ち込ませてしまうようです。精神的にも大変栄養は大きな役割をもっているのです。自分の体を休めるなどということは、日本の牧師たちには、二の次にしてしまいがちだと思いますが、何を食べるか、よく睡眠をとり身体を休めるということは、十分霊的なことなのです。
もし体、精神が疲れがちであれば、食生活と睡眠を振り返ってみてはいかがでしょうか。また、体が疲れているとき、判断力が鈍っているのかもしれません。元気なときにはしないような決断や、発言をしてしまうものです。
② たましいの養い Nurturing Soul
1列王記19章9-10
9 彼はそこにあるほら穴に入り、そこで一夜を過ごした。すると、彼への主のことばがあった。主は、「エリヤよ。ここで何をしているのか」と仰せられた。
10 エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らはいのちを取ろうとねらっています。」
★心の傷を吐露するエリヤ
これが彼の隠れた問題であり、彼を徹底的に疲れさせ恐れさせた原因であった。
エリヤは、神に話しかけられ、言いました。「私は熱心に神に仕えてきた」「イスラエルの民は、預言者を剣で殺し、私だけが残りました。今は、私まで殺されそうです。」と、苦々しさいっぱいです。エリヤは、大勝利を取ったのではなかったでしょうか。確かに、イスラエルの民は、真の神をないがしろにし、預言者を殺し、祭壇を壊したかも知れません。しかし、かの大対決で、真の神の勝利により、民は、主をあがめたのではなかったのでしょうか??
エリヤには、心の傷がありました。自分の友達預言者たちがどんどん殺され、自分の一所懸命の働きが本当にしんどく感じ、孤独感を持っていたのです。神様がかえりみてくれるかどうか分からないほど、孤独感に苛まれていたのです。
これが、エリヤのうつ状態の隠れた原因です。
私たちは、心で信じているとおりに自分の人生を持って行きます。エリヤは、この思いを引きずっていたために、逃げ出し、引っ込み、もう自分なんていっそのこと殺して欲しいと言いだします。あんなに大成功を収めた人がです。エリヤは、神様に対して、苦々しい気持ちがあったのです。「どうして?」と言う思い。「この仕事は大変すぎる」と言う思い。神が付いていれば、百人力以上であるにもかかわらず、孤独感、自分で全てを背負わなければいけない気持ちになりました。これは、神様に対しての裁きを持っている人が陥り易い姿です。
神は、あえてエリヤに心のうちを話させました。私たちのたましいの癒しは、ここから来ます。人に話すのでもない、神に知ってもらうときに、私たちのたましいは、満足を得、そして、神からの癒しを受け取ることが出来ます。
今日皆さんにお勧めします。辛いとき、しんどいとき、後ろ向きになるとき、あなたのたましいに癒しが必要です。養いが必要です。ぜひ、神様に心のうちを全部、感情を含めて注ぎだしてください。神は、必ず癒しをもたらしてくださいます。
③ 霊の養い Nurturing Spirit
1列王記19章11-13, 18
11 主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。
12 地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。
13 エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」
18 しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかかめず、バアルに口づけしなかった者である。」
★霊を養うには Nurturing your spirit
神の声を慕い求めること、神の声を聞くこと、神の約束を受け取ること
もう一つ、神様のあって私たちに必要な養いというのは、霊の養いです。霊の養いについては、あまり語られてこなかったのかもしれません。けれども、これが一番大切なことです。どんなにコンピテント有能になっても、物事が上手にできるようになっても、霊的に養われ、満足していなければ、人は迷ってしまうのです。私たちの霊を養うには、ただ一つ、神の声を聞くことです。
エリヤは、主の臨在を感じながら、主を求め続け、神の声を聞こうと神を追いかけました。主は、風の中にも、地震の中にもおられませんでした。火を見たけれども火の中にもおられませんでした。
ここで、何を見るでしょうか。それは、エリヤの注意深く耳を澄まし、目を開き、主をとらえようとする姿です。
まず第一に、この姿勢が必要です。私たちは、一度聞こうとして聞こえなかったらあきらめてしまうのではないでしようか。エリヤは、風の中でもない、地震でも、火でも無いと、主を目を開いて、耳を開いて追いかけ続けたのです。
神様を慕い求めましょう。あなたがその目と耳でとらまえるまで。主は、探すものに見つけられます。愛する者を愛されます。
そして、ついにエリヤは、神のかすかな声を聞きました。神の声は、時々、かすかな声であります。日常、ふとしたときの小さい声であることが多いのです。大きなイベントで神を求めるのもいいですが、日常の何気ないときに主の声を聞いてみてください。
そして、彼はまた心のうちの傷を口にします。私たちは、たましいのレベルの傷とまた更に深い霊的な傷を取り扱われる必要があります。彼にとって、この傷の癒しは、完成します。
主は、また、彼を責めることもなく、とがめることもなく、諭すこともなく、彼の心のうちを聞き、彼を受け入れておられます。
そして、神は、なすべきことを語られ、約束をエリヤにされます。
バアルにひざをかがめない7000人を取ってあると。なんという励ましでしょうか。エリヤは、孤独などではないのです。
みなさん、神の声に耳を傾けましょう。それがあなたの霊を養う方法です。また約束をもらうまで、ひつこく神様に耳を傾け続けようではありませんか。私たちが神の約束を受け取るなら、これ以上強いことはありません。
主は、一度も、エリヤを見捨てたことがなかったのではないでしょうか。しかし、エリヤの側で、勝手に孤独に感じ、もう見捨てられた、死ぬしかないと思ったのではないでしようか。
主によって強められましょう。
体、たましい、霊全てにおいて。この三つの分野がいつも健康で、主によって養われている人は、強いのです。
★人間のエナジーゲージ
1テサロニケ5:23
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
車のガソリンタンクのゲージのようなものを想像して下さい。私たちには、肉体、心/感情、霊の三つのゲージを持っているとしましょう。全てがFull に傾いていなければ、人間という存在は、壊れてしまうのです。走り続けることは出来ません。
★ゲージのバランスチェック 調整
朝起きて、何があなたを引っ張っているでしょうか。
体でしょぅか。 ああ、頭が痛い。足が痛い。だから今日はあれが出来ない、これが出来ない。。。。 体があなたを引っ張って一日を始めます。
心/ 感情? ああ、今日も上司に会いたくない。仕事いやだなぁ。。。起きるなり、いやな人の顔が浮かぶ。 感情があなたを引っ張り、一日を支配します。
霊? 朝起きて、ハレルヤ! 神様に感謝感謝。賛美の歌が湧き上がる。何が起きても揺るがない一日になります。
一日が人生に発展します。私たちは、何に引っ張られて生きているのでしようか。
理想的なのは、霊、心/感情そして体の順番です。 大きくの人は、心・感情が一番、次に体、そして霊が最後に来ています。このバランスでは、エリヤのように疲れきり、死んでしまいたくなってしまうのです。。。
実は、私達がバケーション旅立つ直前に洗礼式がありました。
教会としては約3年ぶりです。
洗礼を受けられた方の、体験談も素晴らしかったです。
聖書の言葉がどんどん彼女の心を変えていったそうです。
感動しました。
人があの手この手で一生懸命説得するように信仰を伝えなくても、
神様の言葉である聖書そのものが力強く人の心を変え、人生を変えるのだと改めて教えられました。
聖書の中に、「神は霊ですから」とも、「聖書の言葉は霊」とも書かれています。
また、「神の言葉は生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心の色々な考えやはかりごとを判別することができます。」べブル書4:12
とある通りですね。
聖書の言葉には不思議な力がありますね。
この洗礼式を通して、私はさらに聖書に親しみ、教えられたいと思いました。
とにかく、素晴らしい洗礼式でした。
感謝ですーーー。
ぼ
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感謝なことに
先週一週間メキシコにバケーションに行ってきました。
ゆっくりするのは久しぶりでした。
本当にリフレッシュされました。
主人もいつも教会の手伝いや、私のケア、自分の仕事に聖書学校と毎日忙しいので、リラックスできたようです。
良かったです!
メキシコ、西の半島カーボに行きましたが
海も綺麗でお天気もよく
人も親切で英語も通じます。
とにかくみなさん陽気でした。
オラ、アミーゴ
と親しく話しかけられます。
バケーションにはピッタリの場所ですね。。。
マンゴーやパイナップルなどのフルーツやタコスがとても美味しかったです。
感謝でいっぱいです。
リフレッシュして、これからも頑張るぞーーーーという気持ちです。
バケーションって大事だなーと思わされました。
ぼ
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2015年5月3日バイリンガル礼拝音声は、http://youtu.be/Fw218LVODTA
先週は、ソロモンの繁栄を通した証しについてお話ししました。今週は、そのソロモンが神様から離れていく様を見て行きたいと思います。このソロモンの罪によって、最終的に国が分裂し、そして、それぞれ敵国に支配されることとなってしまうのです。
①富を多く持ちすぎたための惑わし
1列王記10:14, 15
一年間にソロモンのところに入って来た金の重さは、金の目方で六百六十六タラントであった。15 このほかに、交易商人から得たもの、貿易商人の商いで得たもの、アラビヤのすべての王たち、およびその地の総督たちからのものがあった。The weight of gold that came to Solomon yearly was six hundred and sixty-six talents of gold, 15 besides that from the traveling merchants, from the income of traders, from all the kings of Arabia, and from the governors of the country.
ソロモンのところには、諸外国から金が贈られて来ました。毎年、ざっくりとした計算で言うと、三トン近くの金がやってきていたのです。ソロモンの食器から何から全て金でつくられていました。また、ソロモンは、贈り物の金だけでも三トンあるのに、それに満足せず、まだ、金を購入していたのです。
ソロモンは、その知恵と繁栄によって神を指差し、神を証しし、そして、周りの国々を祝福することが彼の召しであったのではないでしょうか。多大な富を得たソロモンの心はだんだんと鈍っていきました。自分のために富を蓄えるようになって行きました。それは、何を意味しているのでしょうか。それは、富を自分にもたらす、神に信頼するのではなく、富自体に信頼するようになっていったのではないでしょうか。
富があなたの神に成り代わらないための秘訣は、持っているもの、与えられているもので満足し、絶えず感謝することです。感謝は心に満足と幸せをもたらします。心が満ち足りていることこそ、富のわなに落ちない秘訣です。足りない、足りない、もっともっとと思うことがわなの始まりです。
②兵力、力の惑わし
1列王記10:26
ソロモンは戦車と騎兵を集めたが、戦車一千四百台、騎兵一万二千人が彼のもとに集まった。そこで、彼はこれらを戦車の町々に配置し、また、エルサレムの王のもとにも置いた。 And Solomon gathered chariots and horsemen; he had one thousand four hundred chariots and twelve thousand horsemen, whom he stationed in the chariot cities and with the king at Jerusalem.
ソロモンは、戦車と騎兵を集めました。そして、戦車を動かすため、騎兵が乗る馬もたくさんたくさん集めました。ソロモンは、軍事費に大量のお金をつぎこんでいました。これは、何を意味しているでしょうか。ソロモンの父ダビデは、石一つで、敵の大男ゴリアテに勝利したのではなかったのでしょうか。それは、神がダビデについていたからではないでしょうか。
昔も現在も、優秀な軍を持つことは、強い国の条件です。アメリカは、どこの国よりも軍事費を費やしているのではないでしょうか。これは、ある意味、世界の常識とも言えるかもしれません。
しかし、これがソロモンの心を神から遠ざけています。ソロモンは、神よりも、世で言われている力の方を信頼するようになっていったのです。
みなさん、お金があり過ぎるのも問題なのかも知れません。お金があるから、戦車や馬を大量に買うことができ、それで安心しようとする。。。無いほうが、よかったのかも知れません。神を信頼するしかないのですから。。。。しかし、これは、神様からの試験ですよね。無いときもそうですが、あるときこそ、どのようにそれを用いていくのか。。ここに個人の本当の信仰が現れるものです。
③女(性)による惑わし
1列王記11:1-5
ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。2 この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならな い。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離 れなかった。3 彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。
4 ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。5 ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。But King Solomon loved many foreign women, as well as the daughter of Pharaoh: women of the Moabites, Ammonites, Edomites, Sidonians, and Hittites— 2 from the nations of whom the LORD had said to the children of Israel, “You shall not intermarry with them, nor they with you. Surely they will turn away your hearts after their gods.” Solomon clung to these in love. 3 And he had seven hundred wives, princesses, and three hundred concubines; and his wives turned away his heart. 4 For it was so, when Solomon was old, that his wives turned his heart after other gods; and his heart was not loyal to the LORD his God, as was the heart of his father David.
3節に、「その妻たちが彼の心を転じた」とあります。ここで、惑わしの中にいたソロモンの心が決定的に、転じてしまいます。それは、女性によってでした。彼は、そばめをあわせて1000人の女性をはべらせていました。そして、その女性たちは、外国からも多く来ていました。彼女たちは、それぞれに異教の神々をもって来、礼拝したのです。真の神の神殿のそばで、いろいろな異なる礼拝が繰り広げられていたのです。
ソロモンは、この女たちを愛し、この女たちと心一つになることは許しても、神と心一つになることは拒んだのです。
あなたの心の中心に座っているのは誰ですか。神様ですか。それとも、自分ですか。自分が座れば、結局は、欲のおもむくままの生き方となります。どんなに綺麗にとりつくろってもです。
★ 神に立ち返ろうとしなかったソロモン
1列王記11:9-10
主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現れ、10 このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。So the LORD became angry with Solomon, because his heart had turned from the LORD God of Israel, who had appeared to him twice, 10 and had commanded him concerning this thing, that he should not go after other gods; but he did not keep what the LORD had commanded.
ソロモンと、ダビデの違いは、ダビデは、自分の罪が示されたなら、即座に立ち返り悔い改めたことです。ソロモンは、二度も神がじきじきにソロモンに現れたのに、心を変えることはありませんでした。
あなたの心に神様がノックすることがあります。目を覚ましなさいというノックかもしれませんし、開けてください、私を入れてくださいというノックかも知れません。また、コンコンという軽い音かもしれませんし、ドンドンドンと大きなノックかも知れません。。。でも、あなたは、その心の扉を開けますか。それとも聞かなかったふりをするでしょうか。その音を聞いたら、ぜひ開けていただきたいのです。神様が必ず、素晴らしい道に案内してくたれるからです。
★ 神を信頼する生き方のすすめ
新約聖書の中に、ソロモンの名前を引用した次のような言葉があります。
マタイ6: 28-34
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。“So why do you worry about clothing? Consider the lilies of the field, how they grow: they neither toil nor spin; 29 and yet I say to you that even Solomon in all his glory was not arrayed like one of these. 30 Now if God so clothes the grass of the field, which today is, and tomorrow is thrown into the oven, will He not much more clothe you, O you of little faith?31 “Therefore do not worry, saying, ‘What shall we eat?’ or ‘What shall we drink?’ or ‘What shall we wear?’ 32 For after all these things the Gentiles seek. For your heavenly Father knows that you need all these things. 33 But seek first the kingdom of God and His righteousness, and all these things shall be added to you. 34 Therefore do not worry about tomorrow, for tomorrow will worry about its own things. Sufficient for the day is its own trouble.
イエス様は言われます。野のゆりは、働きもしないが、神様が美しく着飾らせてくださっているではないか。きょうあっても、明日は炉に投げ込まれるようなはかない野の草さえこのように装ってくださるのだから、ましてあなたがたによくしてくださらないわけがありましょうか。。。と。あのような栄華を極めてソロモンでさえ、野のゆりのようには着飾っていなかったと。。。。
だから、生活のことで心配するのはやめなさい。と。
働かないものを着飾らせてくださる神に信頼しなさい。そして、神の国とその義とを第一に求めなさい。
V34 明日のことを心配するのではなく、今日、今を神を信頼して、今の一秒をしっかり信仰によって生きなさい。ということです。
そうです。神様が私たちに勧めている生き方は、信仰を持って生きることと、今を生きることなのです。
私たちには、富があるでしょうか、ないでしょうか。世の力に頼りますか、神に頼りますか。神より愛するものがありますか。それら全ては、心配からきていることに気づいてください。
ぼ
2015年4月26日日曜日バイリンガル礼拝音声は、http://youtu.be/cUclrZW1iFg
1列王記10:1-13
ときに、シェバの女王が、主の名に関連してソロモンの名声を伝え聞き、難問をもって彼をためそうとして、やって来た。
2 彼女は、非常に大ぜいの有力者たちを率い、らくだにバルサム油と、非常に多くの金および宝石を載せて、エルサレムにやって来た。彼女はソロモンのところに来ると、心にあったすべてのことを彼に質問した。
3 ソロモンは、彼女のすべての質問を解き明かした。王がわからなくて、彼女に説き明かせなかったことは何一つなかった。
4 シェバの女王は、ソロモンのすべての知恵と、彼が建てた宮殿と、
5 その食卓の料理、列席の家来たち従者たちが仕えている態度とその服装、彼の献酌官たち、および、彼が主の宮でささげた全焼のいけにえを見て、息も止まるばかりであった。
6 彼女は王に言った。「私が国であなたの事績とあなたの知恵とについて聞き及んでおりましたことはほんとうでした。
7 実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、驚いたことに、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています。
8 なんとしあわせなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんとしあわせなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことのできる家来たちは。
9 あなたを喜ばれ、イスラエルの王座にあなたを着かせられたあなたの神、主はほむべきかな。主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義とを行わせられるのです。」
10 彼女は百二十タラントの金と、非常にたくさんのバルサム油と宝石とを王に贈った。シェバの女王がソロモン王に贈ったほどに多くのバルサム油は、二度と入って来なかった。
11 オフィルから金を積んで来たヒラムの船団も、非常に多くのびゃくだんの木材と宝石とをオフィルから運んで来た。
12 王はこのびゃくだんの木材で、主の宮と王宮の柱を造り、歌うたいたちのために、立琴と十弦の琴を作った。今日まで、このようなびゃくだんの木材が入って来たこともなく、だれもこのようなものを見たこともなかった。
13 ソロモン王は、その豊かさに相応したものをシェバの女王に与えたが、それ以外にも、彼女が求めた物は何でもその望みのままに与えた。彼女は、家来たちを連れて、自分の国へ戻って行った。
さて、今日の箇所は、素晴らしい神殿や宮殿を建て、国をよく治め、繁栄したソロモン王のお話しです。ソロモンは、神様の計画の中を歩んでいました。ソロモンは、あまりの知恵の深さとその繁栄に、周りの人々、国々が驚いたほどでした。今日は、外国、シバの女王(現在のアラビア半島のイエメンあたり)がその名声を聞きつけて、わざわざイスラエルに見に来る場面です。
ソロモンの繁栄は、ソロモンの深い知恵の故ですが、この知恵は、どこから来たのでしょうか?
★ ソロモン即位時の主への願い 「知恵をいただくこと。」
1列王記3:11-13
神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、12 今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。13 そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちのなかであなたに並ぶ者はひとりもいないであろう。
★ソロモンの富と繁栄の出所は、神であった。
祈りは聞かれる。何を祈るかが問題。あなたは何を祈りますか。祈りとは、天で起きていることと同意すること。天とあなたが一致するとき、物事が開かれる。ソロモンは、神のみ心、民を正しく裁き、国を治めるために必要な知恵を求めた。その神からの知恵のおかげで、全世界からの注目を集めた。これは、神のみ心であった。
みなさん、あなたの人生の成功は、あなたの祈りの時間から始まるのです。祈りによっ て、あなたの人生が切り開かれるのです。
★ 「主の名に関連して」
1列王10:1 ときに、シェバの女王が、主の名に関連してソロモンの名声を伝え聞き、難問をもって彼をためそうとして、やって来た。Now when the queen of Sheba heard of the fame of Solomon concerning the name of the LORD, she came to test him with hard questions.
イスラエルの周りの国々は、イスラエルの国の素晴らしさに驚愕していた。あまりの知恵の深さとその繁栄ぶりに、これは、人間業ではないと分かった。これは、神に違いないと回りに感じさせていたのである。
シバの女王も、そのうわさを聞きやって来た。一節には、はっきりと、「主の名に関連して」ソロモンの名声を伝え聞き。。。とある。ソロモンに興味を持ったのではなく、ソロモンを用いて国を統めている神に興味をもったのである。
★ 証しとは
シバの女王は、心にある全てのことをソロモンに聞きました。そして、ソロモンが応えられないことは何一つありませんでした。女王は、彼の知恵と、宮殿と、従者たちの服装と態度、主の宮の全焼のいけにえなどをみて息も止まるばかりでした。
V6-9
そして、あなたにつく人たちはなんて幸せなんでしょう。。。。と言い、
最後に、v9
「主はほむべきかな」Blessed be the LORD your Godと主を賛美しています。
神を知らない外国の女王が、神を賛美しだすのです。
みなさん、証しとはこのようなことです。
私たちは、無力無能でいいのです。ただ、私たちの人生に働いている神様の素晴らしさが現れることが証しなのです。
ソロモンは、そのために神に選ばれ、神に用いられたのです。
彼の召しは、全世界に神の素晴らしさを証しすることでした。
あなたの人生の目的はなんでしょうか。あなたは、神につくられました。そして、聖書は、神の似姿に創造されたと書かれています。あなたは、創造主を指差しながら生きているでしょうか。
自分は、知恵がなく無力であるが、神に頼り、祈ることによって、力があたえられ手いるだろうか。祈りが聞かれる奇跡を体験しているだろうか。
全ては、あのソロモンがしたように、一つの祈りから証しの生活が始まるのです。
★ 神の豊かさは、人を祝福するためにある
V13 ソロモン王は、その豊かさに相応したものをシェバの女王に与えたが、それ以外にも、彼女が求めた物は何でもその望みのままに与えた。彼女は、家来たちを連れて、自分の国へ戻って行った。13 Now King Solomon gave the queen of Sheba all she desired, whatever she asked, besides what Solomon had given her according to the royal generosity. So she turned and went to her own country, she and her servants.
わたしは、この箇所を読んで、二匹の魚と五つのパンを思い出しました。イエス様が五千人以上をこの小さな一人の人のお弁当で満たされたとき、みんなが満腹して、なおも12かごにあまりがあった。というお話しです。
神様は、有り余るほどにわたしたちを満たされるのです。その目的は、他の人々を神の富で祝福すること。満たすことです。
ソロモンは、シバの女王が求めたものは何でもその望みのままに与えました。
それは、神から来ている富であることを知っているからでした。ソロモンは、神にあって富をストゥワート管理することを心得ていたのです。
全ては、ひとつの祈りから始まりました。この祈りは、あなたの人生を祝福します。あなたは、神に祝福されます。そして、今度は、あなたが人々を祝福していく責任があたえられるのではないでしょうか。
あなたは神の豊かさに恵まれていますか?
あなたは、今日何をもって人々を祝福しますか?
ぼ
2015年4月19日日曜日バイリンガル礼拝 http://youtu.be/6glP4_PCajU
1列王記8:14-30
14 それから王は振り向いて、イスラエルの全集団を祝福した。イスラエルの全集団は起立していた。
15 彼は言った。「イスラエルの神、主はほむべきかな。主は御口をもって私の父ダビデに語り、御手をもってこれを成し遂げて言われた。
16 『わたしの民イスラエルを、エジプトから連れ出した日からこのかた、わたしはわたしの名を置く宮を建てるために、イスラエルの全部族のうちのどの町をも選ばなかった。わたしはダビデを選び、わたしの民イスラエルの上に立てた。』
17 それで私の父ダビデは、イスラエルの神、主の名のために宮を建てることをいつも心がけていた。
18 ところが、主は、私の父ダビデにこう仰せられた。『あなたは、わたしの名のために宮を建てることを心がけていたために、あなたはよくやった。あなたは確かに、そう心がけていた。
19 しかし、あなたがその宮を建ててはならない。あなたの腰から出るあなたの子どもが、わたしの名のために宮を建てる。』
20 主は、お告げになった約束を果たされたので、私は父ダビデに代わって立ち、主の約束どおりイスラエルの王座に着いた。そして、イスラエルの神、主の名のために、この宮を建て、
21 主の契約が納められている箱のために、そこに一つの場所を設けた。その契約は、主が、私たちの先祖をエジプトの地から連れ出されたときに、彼らと結ばれたものである。」
22 ソロモンはイスラエルの全集団の前で、主の祭壇の前に立ち、両手を天に差し伸べて、
23 言った、「イスラエルの神、主。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と愛とを守られる方です。
24 あなたは、約束されたことを、あなたのしもべ、私の父ダビデのために守られました。それゆえ、あなたは御口をもって語られました。また御手をもって、これを今日のように、成し遂げられました。
25 それで今、イスラエルの神、主よ。あなたのしもべ、私の父ダビデに約束して、『あなたがわたしの前に歩んだように、もしあなたの子孫 がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に着く人が、わたしの前から断たれない』と仰せられたことを、ダビデのため に守ってください。
26 今、イスラエルの神。どうかあなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたみことばが堅く立てられますように。
27 それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。
28 けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、きょう、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。
29 そして、この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。
30 あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天にいまして、これを聞いてください。聞いて、お赦しください。
列王記について ソロモンが、ダビデのあと王権につきます。BC961 そして、今日の箇所は、ソロモンがダビデに与えられた神の神殿を建てるという事業を完成させた場面からです。
ソロモンの神殿というのは、たいそう素晴らしく、大きく、きらびやかであったようです。なかなか、聖書を読んでいてもイメージがつかめにくいかと思いますので、ビデオを見て神殿の内外をみてみたいと思います。
ソロモンの神殿体験ビデオ 五分間 https://www.youtube.com/watch?v=OShPNTaCSsU&index=8&list=PLCg7q92sxkYz7BE5BmWnMtGdm46hr9NrW
★選ばれたダビデ
v16『わたしの民イスラエルを、エジプトから連れ出した日からこのかた、わたしはわたしの名を置く宮を建てるために、イスラエルの全部族のうちのどの町をも選ばなかった。わたしはダビデを選び、わたしの民イスラエルの上に立てた。』16 ‘Since the day that I brought My people Israel out of Egypt, I have chosen no city from any tribe of Israel in which to build a house, that My name might be there; but I chose David to be over My people Israel.’
この神殿建設のビジョンというのは、ソロモン王の父ダビデから始まりました。ダビデは、自分が美しい神殿に住んでいるのに、神が住むところが幕屋では申し訳ないと思ったのです。もっと素敵なところに住んで欲しいと思ったのです。
みなさん、先週、先々週に続いて繰り返します。神は、神を愛する者に見出され、神は神を愛する者を選ばれるのです。ダビデは、神を愛するがゆえに、神殿を建てたいと思ったのです。自分よりも神に良い思いをして欲しかったのです。自分よりも神を高く上げたかったのです。
神には、住む家は必要なかったのですが、このダビデの心を非常に愛されました。
★ダビデの生き方
しかし、ダビデは、戦いで多く血を流しているので、神の聖なる神殿を建てることをゆるされませんでした。その代わり、ダビデの息子にはそれが出来ると神に言われました。だからと言ってダビデは、建てることをやめたのではありません。
V17 それで私の父ダビデは、イスラエルの神、主の名のために宮を建てることをいつも心がけていた。17 Now it was in the heart of my father David to build a temple for the name of the LORD God of Israel.
ダビデは、神殿を建てることは許されなかったが、いつも心がけていたというだけあって、建てる以外のことは、ダビデが生きている間に出来ることはみな整えたのです。
資材をそろえ、金をそろえ、豪華な神殿を建てるための自分に出来る限りのことを尽くしたのです。
それはなぜでしょうか。それは、神を愛していたからです。
神を愛している人は、その行動に神への愛があらわされます。
★ソロモンの祈り
8章を通じてソロモンの公の祈りが続きますが、ソロモンがはじめに祈ったことが二つあります。それは、大変重要なことであります。
① 神の約束のゆるぎなさに基づく祈り
V24-26 24 あなたは、約束されたことを、あなたのしもべ、私の父ダビデのために守られました。それゆえ、あなたは御口をもって語られました。また御手をもって、これを今日のように、成し遂げられました。
25 それで今、イスラエルの神、主よ。あなたのしもべ、私の父ダビデに約束して、『あなたがわたしの前に歩んだように、もしあなたの子孫 がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に着く人が、わたしの前から断たれない』と仰せられたことを、ダビデのため に守ってください。
26 今、イスラエルの神。どうかあなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたみことばが堅く立てられますように。
ソロモンは、神の父に約束されたことが揺るがず、完成されたことに感動をもって祈っています。そして、そのように、続けて神様の誠実さで守られますようにと言う祈りをしています。
みなさんは、神が約束を果たしてくださったと、体験されたことはありますか。その体験をした人は、強いのです。どんなに難しいことがおきても、あの時、約束を守ってくださった誠実な神様が今回の困難にも打ち勝たせてくださると信じ、耐える力を与えてくださるからです。神様の誠実さは、私たちの力であり、よりどころです。ソロモンは、約束を守られる神に信頼をおいています。
まだ、そんな経験の無い人も、ある人も、この誠実な神様に信頼しませんか?
② 神がともにましてくださるようにとの祈り
V27-30 27 それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。
28 けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、きょう、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。
29 そして、この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。
30 あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天にいまして、これを聞いてください。聞いて、お赦しください。
ソロモンは、全人類の願いを声に出して神に祈っています。神は、大きすぎて、いくら人間的に見て豪華で大きな宮でも、神を入れることなどおこがましいことです。しかし、私たちは、その神の生きた臨在に触れたい、そして、私たちの祈りを聞いて欲しい、と思っています。夜も昼も御目を開いて、わたしに目を留めてほしい。すなわち、絶えず、わたしとともにいて、わたしを見守っていて欲しい。ということです。
わたしは、まだ神様をはっきり知らないとき、誰かも分からない、どこかにいる神様によく祈ったものでした。助けて下さい。と。不安なとき、怖い目にあった時、口をついて「神様」と叫んだものです。これが、人間の本当の心の叫びなのではないでしょうか。
この心の渇き、三千年前のこの時も、同じだったのです。そうして、この祈りは、現代ではかなえられているのです。
★ソロモンの祈りの完全な成就 イエス・キリスト
コリント人への第一の手紙第6章19-20節に「あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって。。。」とあります。
新約のわたしたちは、誰でもキリストを自分の救い主と信じるなら、私たちの内側に神様の霊が宿られるのです。すなわち、私たち自身が、文字通り神の宮、神殿となるのです。つまり、昼も夜も常に神がともにいてくださるのです。
どこか遠くにいて、叫ばなければ祈りが聞かれないのでもありません。今、ここに、ともにいてくださるのです。
★新約の私たちの生き方
ダビデは、生きている間、彼の夢であった、神殿をつくる準備をしました。私たちは、ソロモンのように神にお願いしなくても、神を信じたときから、神が住まわれる神殿となっています。
さあ、どのように生きるべきでしょうか。
ロマ12:1
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。beseech you therefore, brethren, by the mercies of God, that you present your bodies a living sacrifice, holy, acceptable to God, which is your reasonable service.
生きた供え物… 生き方を神にささげる。
ダビデは旧約の時代に、神を愛して、神殿建設の資材を集めました。あなたは、どんな生き方をしますか。
ぼ
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