あなたを強める三つの養い ―エリヤを通して学ぶー
5月
26日
1列王記19章1-4
1 アハブは、エリヤがしたすべての事と、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととを残らずイゼベルに告げた。
2 すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」
3 彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うために立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、4 自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」
今日の箇所は、預言者エリヤがバアルの神とバアルの預言者たちと直接対決し、大勝利をした直後のできごとでした。聖書を読んで新しい方のために。。。 エリヤは、450人のバアルの預言者たちを相手に、二頭の雄牛を用意し、互いの神に祈り神自身にいけにえに火を付けてもらおうというものだった。エリヤは、自分のいけにえに水をまき火がつきにくいようにまでしました。そして、バアルの預言者たちは、祭壇の周りを踊りまわったり、身体を傷つけたりして祈りましたが、彼らの祭壇には何もおきませんでした。一方エリヤの方のいけにえには、真の神によって火が付きました。民はみな真の神をあがめました。
このような大勝利の後、アハブ王の妻イゼベルによる殺害予告をされるのです。そして、あのように勇敢に何者をも恐れず、真の神に信頼していたエリヤは、恐れて逃げるのです。
エリヤは、立派に大事業を終えたばかりでした。皆さん、私たちは、今日このお話を通して学びたいと思います。私たちは、アンドロイドでも機械でもなく、大いなる真の神を信じているとはいえ、生身の人間なのです。大きなプロジェクトを終えた後はどっとつかれるのです。まして、神の霊によって用いられ、霊的な働きをした後は、なおさら、どっと疲れがでるものです。私も、日曜日の夜は、どっと疲れて夕食をつくる気にならないものです。皆さん方も、神様を信じている神の勇士たちです。神様にあって事業を成した後、また継続的に長く神様のために働くには、どのように養われ、回復していったらいいのでしょうか。聖書に従って、三つの点についてみて生きたいと思います。
① 肉体の養い Nurture Your body
1列王記19章5-8
5 彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい」と言った。
6 彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入ったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。
7 それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから」と言った。
8 そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた
★休息と滋養は、私たちの元気の源
エリヤがイザベルを恐れて逃げたとき、神様は、エリヤを責めませんでした。どうして信仰が無いのかとも言われませんでした。逃げるなとも言われませんでした。神は、天使を送って、エリヤに食事をさせました。そして、エリヤはまた眠り、また起き、天使に食べさせてもらいました。エリヤを選んで用いた神様は、エリヤのことを誰よりもよくご存知でした。エリヤが心身ともに疲れきっていたことを知っていました。また、その余裕のなさから、イザベルを恐れたことも分かっていました。そして、まだエリヤのする仕事があることも知っていました。それゆえ、彼の肉体をまず休ませ、食べさせたのです。そういえば、エリヤは、バアルの神との直接対決のとき、寝ずの対決だったのではないでしょうか。バアルの預言者たちは、夜通し踊り身体を傷つけながら大声で祈っていましたし、それをエリヤは見ていました。
私たちも、体が資本です。体がなければ、私たちは、神のために働くことはできません。いくら、強い心を持っていても、体がなければ、その表現のしようがありません。聖書は、「私たちの身体は、聖霊の宮」であると言っています。
二、三ヶ月ほど前に、栄養学の通訳を頼まれましたが、とても興味深いことを話していました。私たちは、体のためだけに食べているのではなく、脳のためにも食べているということ。良い脂質と良い糖質は脳に必要であると。それらを食べると脳が幸せになり、落ち込みにくくなるというのです。また、一方で、コーヒーなどのカフェインや、砂糖、揚げ物などの油による脂質は、早く脳を幸せにするが、すぐにそれが消えてクラッシュしてしまい、脳を逆に落ち込ませてしまうようです。精神的にも大変栄養は大きな役割をもっているのです。自分の体を休めるなどということは、日本の牧師たちには、二の次にしてしまいがちだと思いますが、何を食べるか、よく睡眠をとり身体を休めるということは、十分霊的なことなのです。
もし体、精神が疲れがちであれば、食生活と睡眠を振り返ってみてはいかがでしょうか。また、体が疲れているとき、判断力が鈍っているのかもしれません。元気なときにはしないような決断や、発言をしてしまうものです。
② たましいの養い Nurturing Soul
1列王記19章9-10
9 彼はそこにあるほら穴に入り、そこで一夜を過ごした。すると、彼への主のことばがあった。主は、「エリヤよ。ここで何をしているのか」と仰せられた。
10 エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らはいのちを取ろうとねらっています。」
★心の傷を吐露するエリヤ
これが彼の隠れた問題であり、彼を徹底的に疲れさせ恐れさせた原因であった。
エリヤは、神に話しかけられ、言いました。「私は熱心に神に仕えてきた」「イスラエルの民は、預言者を剣で殺し、私だけが残りました。今は、私まで殺されそうです。」と、苦々しさいっぱいです。エリヤは、大勝利を取ったのではなかったでしょうか。確かに、イスラエルの民は、真の神をないがしろにし、預言者を殺し、祭壇を壊したかも知れません。しかし、かの大対決で、真の神の勝利により、民は、主をあがめたのではなかったのでしょうか??
エリヤには、心の傷がありました。自分の友達預言者たちがどんどん殺され、自分の一所懸命の働きが本当にしんどく感じ、孤独感を持っていたのです。神様がかえりみてくれるかどうか分からないほど、孤独感に苛まれていたのです。
これが、エリヤのうつ状態の隠れた原因です。
私たちは、心で信じているとおりに自分の人生を持って行きます。エリヤは、この思いを引きずっていたために、逃げ出し、引っ込み、もう自分なんていっそのこと殺して欲しいと言いだします。あんなに大成功を収めた人がです。エリヤは、神様に対して、苦々しい気持ちがあったのです。「どうして?」と言う思い。「この仕事は大変すぎる」と言う思い。神が付いていれば、百人力以上であるにもかかわらず、孤独感、自分で全てを背負わなければいけない気持ちになりました。これは、神様に対しての裁きを持っている人が陥り易い姿です。
神は、あえてエリヤに心のうちを話させました。私たちのたましいの癒しは、ここから来ます。人に話すのでもない、神に知ってもらうときに、私たちのたましいは、満足を得、そして、神からの癒しを受け取ることが出来ます。
今日皆さんにお勧めします。辛いとき、しんどいとき、後ろ向きになるとき、あなたのたましいに癒しが必要です。養いが必要です。ぜひ、神様に心のうちを全部、感情を含めて注ぎだしてください。神は、必ず癒しをもたらしてくださいます。
③ 霊の養い Nurturing Spirit
1列王記19章11-13, 18
11 主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。
12 地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。
13 エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」
18 しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかかめず、バアルに口づけしなかった者である。」
★霊を養うには Nurturing your spirit
神の声を慕い求めること、神の声を聞くこと、神の約束を受け取ること
もう一つ、神様のあって私たちに必要な養いというのは、霊の養いです。霊の養いについては、あまり語られてこなかったのかもしれません。けれども、これが一番大切なことです。どんなにコンピテント有能になっても、物事が上手にできるようになっても、霊的に養われ、満足していなければ、人は迷ってしまうのです。私たちの霊を養うには、ただ一つ、神の声を聞くことです。
エリヤは、主の臨在を感じながら、主を求め続け、神の声を聞こうと神を追いかけました。主は、風の中にも、地震の中にもおられませんでした。火を見たけれども火の中にもおられませんでした。
ここで、何を見るでしょうか。それは、エリヤの注意深く耳を澄まし、目を開き、主をとらえようとする姿です。
まず第一に、この姿勢が必要です。私たちは、一度聞こうとして聞こえなかったらあきらめてしまうのではないでしようか。エリヤは、風の中でもない、地震でも、火でも無いと、主を目を開いて、耳を開いて追いかけ続けたのです。
神様を慕い求めましょう。あなたがその目と耳でとらまえるまで。主は、探すものに見つけられます。愛する者を愛されます。
そして、ついにエリヤは、神のかすかな声を聞きました。神の声は、時々、かすかな声であります。日常、ふとしたときの小さい声であることが多いのです。大きなイベントで神を求めるのもいいですが、日常の何気ないときに主の声を聞いてみてください。
そして、彼はまた心のうちの傷を口にします。私たちは、たましいのレベルの傷とまた更に深い霊的な傷を取り扱われる必要があります。彼にとって、この傷の癒しは、完成します。
主は、また、彼を責めることもなく、とがめることもなく、諭すこともなく、彼の心のうちを聞き、彼を受け入れておられます。
そして、神は、なすべきことを語られ、約束をエリヤにされます。
バアルにひざをかがめない7000人を取ってあると。なんという励ましでしょうか。エリヤは、孤独などではないのです。
みなさん、神の声に耳を傾けましょう。それがあなたの霊を養う方法です。また約束をもらうまで、ひつこく神様に耳を傾け続けようではありませんか。私たちが神の約束を受け取るなら、これ以上強いことはありません。
主は、一度も、エリヤを見捨てたことがなかったのではないでしょうか。しかし、エリヤの側で、勝手に孤独に感じ、もう見捨てられた、死ぬしかないと思ったのではないでしようか。
主によって強められましょう。
体、たましい、霊全てにおいて。この三つの分野がいつも健康で、主によって養われている人は、強いのです。
★人間のエナジーゲージ
1テサロニケ5:23
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
車のガソリンタンクのゲージのようなものを想像して下さい。私たちには、肉体、心/感情、霊の三つのゲージを持っているとしましょう。全てがFull に傾いていなければ、人間という存在は、壊れてしまうのです。走り続けることは出来ません。
★ゲージのバランスチェック 調整
朝起きて、何があなたを引っ張っているでしょうか。
体でしょぅか。 ああ、頭が痛い。足が痛い。だから今日はあれが出来ない、これが出来ない。。。。 体があなたを引っ張って一日を始めます。
心/ 感情? ああ、今日も上司に会いたくない。仕事いやだなぁ。。。起きるなり、いやな人の顔が浮かぶ。 感情があなたを引っ張り、一日を支配します。
霊? 朝起きて、ハレルヤ! 神様に感謝感謝。賛美の歌が湧き上がる。何が起きても揺るがない一日になります。
一日が人生に発展します。私たちは、何に引っ張られて生きているのでしようか。
理想的なのは、霊、心/感情そして体の順番です。 大きくの人は、心・感情が一番、次に体、そして霊が最後に来ています。このバランスでは、エリヤのように疲れきり、死んでしまいたくなってしまうのです。。。
投稿日 2015-05-26 14:06
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2015-05-27 04:16
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2015-05-27 09:07
ワオ!と言っているユーザー