記事検索

ぼくしのめがね

https://jp.bloguru.com/horizonjapanese

フリースペース

恵みの法則 The law of grace

0 tweet
スレッド
2015年2月8日日曜日バイリンガル礼拝音声は、http://youtu.be/u22jqevk9pE

ヨハネ8章 1-12

1 イエスはオリーブ山に行かれた。2 そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今から決して罪を犯してはなりません。」12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

★敵(悪魔)の策略

6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。6 This they said, testing Him, that they might have something of which to accuse Him.

律法学者とパリサイ人は、何とかして、人気のあり優しく権威に満ちたイエス様の働きをやめさせたかった。イエス様を牢屋にぶち込みたかった。何とかあらを探そうとしていた。そして、彼らは、イエス様をわなに掛けることに決めた。
彼らは、姦淫の現場で女を引きづり出した。不倫の現場に行って、現行犯で女だけを捕まえてきたのだ。当時の律法では、このようなことをするものは、男女両方とも石打の刑で殺されるはずだ。男性は、いったいどこに行ったのだろうか。
今まで、罪人と食事をし、罪を赦し、病人を癒してきたイエス様。病気も罪原因、また汚れているとみなされていた。そのまるで罪に甘く見えるイエス様が今度はなんと言うかと試したのです。
もしも、簡単に赦したら、律法、聖書の教えを軽んじることに、また裁き、目の前で石打の刑にするなら死刑件を持たないのでローマ帝国に対する越権行為となります。どっちに転んでもイエス様を告発できる材料になると考えたのです。
告発するのが、彼らの目的です。
これは、サタンの性質に非常に似ています。サタンは、わたしたちを罪に訴え、罪悪感を持たせ、恥を持たせようとしてきます。そして、自滅に追い込もうとするのです。クリスチャンであっても、恵みの法則を知らないなら、この落とし穴に入ってしまいます。

★罪 

罪の自覚が恵みへの飢え渇きをもたらす。

この女は、不倫の現場で捉えられたため、その辺のものを身にまとい髪は乱れ、なんとも無残な姿で人々の前に座らされていただろう。誰の目にも彼女は罪人である。人の視線が突き刺さる。そして、現行犯だから、石打の刑で死ぬことは決まっている。このような恥を人の前でさらされるならいっそのこと、今殺して欲しいと思ったに違いない。彼女は、自分の罪と直面していた。そして、死を目前にして、どうしてこんな人生をたどるようになってしまったのかと、その罪の原因を見つけていたことだろう。しかし、もはや、救われる余地はなかった。
彼女にとっては、自分の罪への対決・直視が、真の意味で自分自身を知ることであり、恵みのはじめ、恵みの認識の第一歩となったのである。 

★まさかの赦し

V6….しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。This they said, testing Him, that they might have something of which to accuse Him. But Jesus stooped down and wrote on the ground with His finger, as though He did not hear. 7 So when they continued asking Him, He raised Himself up and said to them, “He who is without sin among you, let him throw a stone at her first.” 8 And again He stooped down and wrote on the ground.

イエス様は、指で地面に何か書かれたとあります。ある人は、姦淫の女を責めていてる人たちの罪を一つ一つ書いていたとも言い、ある人は、恵みについて書いていた。。。とも言います。本当は、何を書いていたのでしょうか。イエス様の、このポウズ、一呼吸あいたところに、人々の心に光が当てられたようです。イエス様のおられるところに、臨在のあるところに心に気づきが与えられるものです。being convicted by their conscience

「罪の無いものが最初に、彼女に石を投げなさい。」

この言葉は、この女の心も、責めている人の心も刺し通しました。
一人また一人と、去っていきました。最後にイエス様だけが、残りました。イエス・キリストは完全な神であり、完全な人であります。聖く、罪の犯したことの無い方です。イエス様だけが、この女に石を投げることができたのです。
女は、死の宣告をされ、びくびくしていたでしょう。今石が飛んでくるかと身をすくめていたでしょう。そして、それは、当然のことであったのです。

イエス様と、この女は、二人だけで向き合いました。

私たちは、みな、一度死に死後に裁きを受けることが定められています。(聖書) 生きているときに、彼女のようにイエス様と一対一で向きあうことがなかったとしても、必ず、死後に向き合い、生前の罪に対して申しひらきをしなければならないのです。
しかし、聖書は次のように言っています。

ヨハネ3:16-17
16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 For God so loved the world that he gave his one and only Son, that whoever believes in him shall not perish but have eternal life. 17 For God did not send his Son into the world to condemn the world, but to save the world through him.

イエス様が来られたのは、わたしたちを裁いて滅ぼすために来たのではなく、救うために来られたのです。

★恵みの生活への招き

ところが、イエス様は、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今から決して罪を犯してはなりません。」“Neither do I condemn you; go and sin no more.”

この女は、命を取り戻しました。イエス様と一対一で向き合い、自分の罪を赦していただいたのです。

恵みのdefinition …恵みとは、わたしたちが価しない、全くのプレゼントです。

彼女が生きることは、全くの贈り物なのです。これが、イエス・キリストの与える私たちへの命なのです。私たちは、人生をやり直すことができるのです。私たちは、新しい命をいただいて生きることができるのです。これが、私たちの最大の感謝です。

「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今から決して罪を犯してはなりません。」“Neither do I condemn you; go and sin no more.”

イエス様は、恵みの生活へ招いておられます。あなたの罪は、赦された、だから行って、今度は決して罪を犯さないように。

彼女は、自分の罪を手放すことができた。

彼女は、文字通り肉体の命が救われた。助けられた。そして、もう一つ、心の奥底、霊にも命を取り戻したのです。彼女は、天国につづく永遠の命をいただいたのです。これからは、罪を犯さずに歩んでいこうという新しい恵みの生活に招き入れられました。

みなさん、罪と言うのは、なぜ、やめられないかと言うと、罪を愛しているからやめられないのです。罪を犯すことによって、自分自身への何らかの見返りがあるから、みな罪を犯すのです。どうしても彼女が姦淫の罪をやめられなかった。それは、悲しみ、苦しみ、寂しさ、幼いときのトラウマ、を紛らわすためだったかも知れません。また、何かの復讐心からそれをしていたのかもしれません。罪には、根っこの問題があるのです。それを皆隠したり、紛らわしたりするために罪を犯すのです。そして、そこから離れられなくなる。
しかし、死を目の前に突きつけられたとき、彼女は、罪を手放すことができました。
恵みの生活に招きいれられたのです。

イエスはまた彼らに語って言われた。V12「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」12 Then Jesus spoke to them again, saying, “I am the light of the world. He who follows Me shall not walk in darkness, but have the light of life.”

恵みの生活とは、光の中を歩むことである。死の束縛から解放されたのだから、人生全てをキリストに捧げて生きるという世界。自発的に愛からキリストに従うという人生。罪の奴隷から解放されるが、律法や善悪、決まりごと、宗教の奴隷となり、主人が変わるだけの奴隷ではない。自由の中を歩むことだ。これが恵みの法則。人生丸ごと神様に捧げる。

結婚関係のようなもの。相手を愛しているなら全てのことは正しい。律法のイラストレーション。旅行から帰ってきて、迎えに来た妻にキスをするべきか、ハグだけにするべきか、どこにキスをするべきかなどと悩んでいる人がいたとする。愛して結婚しているのだから、これらに関して悩むことは、全て間違い。愛してすることは、全て正解。また二人の関係の中で育ててきたものがある。その流れでオッケー。
もう、律法に縛られることはなく、死と刑罰を恐れる生活ではない。愛による生活です。

聖書の中に次のような言葉があります。

ロマ5:20-21
20 律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。21 それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。Moreover the law entered that the offense might abound. But where sin abounded, grace abounded much more, 21 so that as sin reigned in death, even so grace might reign through righteousness to eternal life through Jesus Christ our Lord.

ロマ2:4
それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。Or do you despise the riches of His goodness, forbearance, and longsuffering, not knowing that the goodness of God leads you to repentance?

神の優しさがわたしたちを悔い改めに導きます。イエス様は、あなたを裁くために来られませんでした。救うためです。手を広げて待っておられます。

恵みの生活を受け取りましょう。



#ブログ

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
MR職人
MR職人さんからコメント
投稿日 2015-02-10 08:54

何時も我が人生にプラスになる投稿を感謝しています。
一呼吸あいたところに・・議論~論争が白熱した折に・・一呼吸の間は必要ですね・・
恵みとは、わたしたちが値しない全くのプレゼントです・・どの様に解釈すればよいのか迷っています・・

ワオ!と言っているユーザー

bokushi
bokushiさんからコメント
投稿日 2015-02-10 09:09

職人様
いつもありがとうございます。
一呼吸あることで、ずいぶん結果が違ってきますよね。反応するよりも、応答することが大切ですね。
恵みと反対の言葉は、報酬です。報酬は、自分がしたことに対する賃金のようなものです。
自分のやった分だけ報われることです。
それに対して、恵みは、自分が一切努力していないのにいただけるものです。
例えば、いつも職人様のおっしゃる母の愛。これも恵みですね。わたしたちが良い子であるか悪い子であるか分からないけれども、母のお腹に宿ったときから、母というものは子を愛してくれている。なんと言うプレゼントでしょうか。
神の愛こそ、恵みなんです。
義理堅い日本人、わたしも、これを頭だけでなく、心で理解するのにずいぶんかかりました。
恵みを受け取るどころか、そこまでしていただいては、申し訳ないと、辞退することが多いんですよね。。。。
恥とは思わずに、子が親の胸に飛び込むように恵みを受け取ってみなければ、見えてこない世界もあるんですよね。。。。

ワオ!と言っているユーザー

神戸のおいさん
神戸のおいさんさんからコメント
投稿日 2015-02-10 15:43

コメントありがとうございます。
ブログル仲間の一人としてご承認ください。
よろしくお願い致します。

ワオ!と言っているユーザー

bokushi
bokushiさんからコメント
投稿日 2015-02-11 01:24

神戸のおいさんさん
すみません、てっきりもう仲間だと勘違いしていました。
昔阪急沿線に住んでいたもので、とっても親近感です。いつもありがとうございます。

ワオ!と言っているユーザー

ハッピー
悲しい
びっくり