私は、アメリカにいますが、日本のニュースは毎日チェックしています。
日本を知るため、日本のために祈るためです。
最近、残念なニュースがありました。それは、東京都議会で女性議員が質問中、男性議員からひどい野次が飛んだことです。
少子化や不妊治療などについての支援に関する質問でしたが、そこへ、「早く結婚した方がいいんじゃないか」「(子どもを)産めないのか」などという内容の野次でした。また、その野次につられてどっと他議員からの笑い声も聞かれました。
アメリカ生活も長くなってきた私には、本当に驚きすぎて、理解に苦しむ野次でした。
海外から記者たちのコメントに、これが日本社会の女性差別を端的に現しているとあった。
私もそれに同意します。
私は、異文化の中で宣教、牧会しています。日本人、アメリカ人を対称にミニストリーをしています。すると、アメリカ文化、日本文化にキリスト教に相反する文化があることに気づきます。また日本文化をただしていかないと、御国的な考え方がなかなか信徒の心に入らないことを体験しています。
文化と言うものは、人と、歴史が作り上げたものです。良い面もあれば、悪い面もあります。良い面は、その国、国民の長所として大切にすればいいと思いますが、悪い面すなわち神様の真理、ご性質にあわないものは手放したらいいと思います。
ミニストリーの中で真理に対する一番の障害がその人の来た国の文化だったりするのです。
と、すれば、このセクハラ野次問題。私たちクリスチャンにとっても人事ではありません。ただ一人のこころない野次を飛ばした一人の人の問題でもなさそうです。
日本人のものの考え方の根底に流れているものがあるのではないでしょうか。
それが、もしかしたら、信仰に影響してはいないでしょうか。それが、もしかしたら聖書の読み方に影響してはいないでしょうか。それが、牧会に影響していないでしょうか。
聖書の中には、たくさんの信仰の女性たちが出てきます。中でも、新約聖書ではイエス様も、直接大きく賞賛した人たちがいました。高価な香油のつぼを割った女性や、子犬でもテーブルから落ちたパンくずはいただきますと言った信仰ある異邦人女性ではなかったか。
イエス様は、井戸のそばで、サマリヤの女に話しかけたのではなかったか。
それらは、全て、現代の日本以上に女性が低く見られている時代の中での出来事だったのではないですか。
とすれば、イエス様は、私たちのお手本ですから、
私たちもこの世の流れに流されてはいけません。この世に住んでも、この世に属してはいけません。神の御国に属するにふさわしい行動をとって行きたいと思います。
この時代になっても、このような言動を公にする人がいるのか。。。とあきれる野次騒動である一方、日本人クリスチャンとして、神様の前に日本のために悔い改めて祈りたいと思います。
ぼ
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