シー・エス・ルイスの言葉に次のような言葉があります。
“If you look for truth, you may find comfort in the end; if you look for comfort you will not get either comfort or truth only soft soap to begin, and in the end, despair.” ~C. S. Lewis
「もしも、あなたが真理を求めるなら、あなたは最終的に慰めを得るようになるだろう。つまり、もしもあなたが慰めを求めるならば、慰めも真理にもどちらにも到達しないであろう。それは、柔らかくなった石鹸を手でつかもうとし、まるでそれが手からするすると出て行き、結局は手の内に何も残らないのと同じである。」
これは、本当だと思った。私は、若いころ、慰めを必死で探した人間でした。それは、心の傷から来ていました。誰か私をわかって欲しい。誰か私の傷を癒して欲しい。私を受け止めて欲しい。自分を慰めると思われることには何でも手を出したものだった。
お酒を朝まで飲んでみたり、タバコをすってみたり、異性に求めたり、友人関係に求めてみたりした。けれども何一つプラスにならなかった。
そして、クリスチャンになった。
クリスチャンになって、耐えられない試練が何度か来たが、とうとう、もうこれだけは無理だと思ったとき、また、慰めをひたすら求めている自分に気がついた。
それに嫌気がさした時、神様のことばが心に刺さった。
真理とは、諸刃の剣のように鋭い。私の思いや、過去、傷、全て切り分けることができる。
真理に向き合うことは、自分に向き合うことでもある。
そして、真理を愛し、真理に従うときに、癒しと解放を経験した。
真理に向き合うことは、決して簡単なことではない。自分の汚さを目の当たりにするから。
しかし、真理に従う者には、イエス・キリストの恵み、赦し、そこからくる癒しと解放が約束されている。
今日、このシー・エス・ルイスの言葉を目にしたとき。ああ、本当だ。と私の過去を思い出した。
そして、いかに神の真理が素晴らしいか。
それは、鋭い諸刃の剣のようであるが、私たちに蜂蜜のようにも甘い。
この二面がある。
神の真理を恐れ、深入りしたくないという人もいるかもしれない。でも、それは、もしかしたら、自分をあまり見つめたくない。という心理からきているのかもしれない。
神は、信頼するものを決して失望させるかたではない。
神様の真理を求めていこう。
私は、今日そう思った。
ぼ
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投稿日 2014-05-23 20:40
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投稿日 2014-05-24 06:04
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投稿日 2014-05-24 20:04
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投稿日 2014-05-28 02:14
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