この日曜日は、
ブリッジズインターナショナルという、留学生のための働きをしている
ミーガン・タップさんが、ゲストとして教会に来てくださいました。
そして、ご自分の体験から、聖書の言葉を分かち合ってくださいました。
ミーガンさんは、幼いときから、たくさんの人が救われたらいいのにという気持ちを持っていました。
ある日、家の近くをいつも通る韓国人の留学生がいました。
彼女を助けたいと思ったけれども、言葉も通じないし、どのようにしたらいいか分かりませんでした。けれども、勇気をもって、話しかけるうちに、親しくなり、そして、宿題をみてあげるようになりました。時々は、言葉が通じないので、お互い辞書とにらめっこの時もありました。
しかし、この経験が後の決断の助けになります。
大学を終えて進路を決めるときに、神様のために働こうと思いました。
何の経験も無い、何の知識もない、自分が何ができるかもわからないような自分にこんな大役ができるのかと思いました。しかし、次の聖書の言葉が思い出されました。
エレミヤ1:5-10
「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」6 そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」7 すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。8 彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。―主の御告げ―」9 そのとき、主は御手を伸ばして、私の口に触れ、主は私に仰せられた。「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。10 見よ。わたしは、きょう、あなたを諸国の民と王国の上に任命し、あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、あるいはこわし、あるいは建て、また植えさせる。」
まだ、十代であったであろうエレミヤに語られた神の言葉です。
神は、この経験も知識もない、若いエレミヤに、偉い人、王や、祭司のところに行って腐敗を指摘し、彼らを正す言葉を語れと言っているのです。
エレミヤは恐れたに違いないです。
しかし、エレミヤは従いました。
この箇所を読んで、ミーガンさんも神様に従う決心をしました。
聖書の中に次のような言葉があります。
1 コリント 1:27-31
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。31 まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。
自分が立派だから、よい説得力を持つのではなく、自分は何者でもなく、普通の人間であるが、こんな自分だからこそ、神様のなさることが引き立つのだと。
私がしていることを見て、周りの人が、これは神のみわざだとしか言いようがなく、神をあがめるようになる。
そのことのために、毎日主に仕えている、という事でした。
ミーガンさんは、大学を去年卒業し、また結婚したばかりです。
とても初々しい、若さに溢れた素直な方で、聞いている皆さんも、神様のみことばがすーっと心に入ったようでした。
私も、初心に帰らされた思いです。
私ではなく、キリスト。
私は、土くれに過ぎないではないか。できなくて当たり前。
しかし、全てのことを可能にしてくださる神に信頼し、従うときに、神の栄光を見る。
そこにかけてやっていこうじゃないか。
つぶやかず、あきらめず。愚かに見えても、不器用なやり方であっても、
ひたすら、神様に従っていこう。
と思わされました。謙遜にさせられました。
熟練もいい、知恵もいい。
でも、若さから来る情熱と、ひたむきな態度というのも
インパクトがあります。
初心を忘れずに、心新たにやっていきましょう。
みなさんは、どんなパッションを持っていますか。
初心に帰ることはありますか。
みなさんの今日の仕事に祝福がありますように。
ぼ
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