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サマリヤの女の救いA Samaritan Woman's Salvation

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2015年1月18日日曜日礼拝音声は、http://youtu.be/f9L2T8Ejpqg

ヨハネ4章3-30, v39

今日の箇所は、聖書のなかでも有名な個所です。よく、素晴らしいカウンセラーとしてのイエス様の例として引用されたりします。さて、今日は、一人のサマリヤ人の女性がどのようにしてイエス様に出会っていったか見ていきたいと思います。その中で、神様は私たちに語って下さることがたくさんあります。
このサマリヤの女性が、イエス様に出会ってから、三つの覚醒がされ、真の意味で最後にイエス・キリストというお方に出会います。そして、その出会いが、彼女の恥を完全に取り去り、彼女を通して町中がイエス様を信じるほどになっていくのです。

① イエスとの出会い v3-10

主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。4 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。5 それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。7 ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。8 弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。9 そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」―ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。―10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれという者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人を求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」

V4 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。But He needed to go through Samaria

この短い言葉は、多くのことを表しています。そもそも、当時ユダヤ人はサマリや人と付き合いをしなかった。それは、歴史をさかのぼって、アッシリア捕囚Assyrian captivity of Israelの後、北イスラエルと異邦人との混血がすすんだ民族であり、自分たち独自の祭壇をゲリジム山に設け、宗教的にもイスラエルと対立していた。宗教的に混血を嫌うユダヤ人から、邪道perversionとみなされ嫌われていたのです。イエス様とその一行は、近道とは、いえ、サマリヤをと通って行かなければならなかったということなのです。

v7 ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。7 A woman of Samaria came to draw water. Jesus said to her, “Give Me a drink.”

イエス様は、ここで、妙な時間帯に水を汲みに来た一人の女性に話しかけている。当時の文化では、ユダヤ人がサマリヤ人に進んで話しかけることはなかった。また、男性が女性に話しかけることはなかったはずである。また、普通の人が水をくむ時間に来ない人、つまり、何か人の目を気にする必要のある問題のある、ややこしい人と簡単に想像できる、この問題のありそうな女性に話しかけたのです。

★私たちに何を教えているでしょうか。

イエス様は、あなたに個人的にあうために出てこられる。民族を超えて、常識を超えて、宗教を越えて、あなたがどんなに人の目から嫌われていようと、99匹の羊を置いて一匹を探すためにでていく神様。あなたのところへでていってあなたを探す方。
みなさんが今教会に来ているのも、偶然ではない、イエス様があなたに出会おうとしていらっしゃるのです。

この女性に話しかけ、水を求めたイエス様に対して、この女性は、びっくりして、「どうして、サマリヤ人の女のわたしに飲み水をお求めになるのですか。」と聞き返している。するとイエス様は、

10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれという者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人を求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」

と言われました。あなたは、知らないから求めていなだけだけど、知っていいたなら求めている神である、わたしに生ける水を求めたでしょう。。。。と。
私たちが神様を意識しない、イエス様を知らない時から、イエス様の方では、私たちを探して、また遠く離れたどこにいても探して会いに来てくださる。私の場合は、日本にいるとき、どうしようもなく人生に挫折in a setbackを感じていた時、アメリカから一人の青年を海を越えて送って下さり、その人を通してイエス様は、私を探し出してくれました。
あなたにも、そんな経験があるでしょう。まだ、あなたが神様のことなど何も求めていない時に、向こうから近寄ってきてくれた。。。
私たち教会も、イエス様の心をくんで、出ていくもの、誰かを探すものになりたいものです。

② 内なる求めへの覚醒 生ける水 v11-15
11 彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。12 あなたは、私たちの父ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」15 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」

女は、イエス様が言っているのが、自然界の水だと思っていました。バスターダッグが先週霊の目覚めを絵にして書いてくれましたが、霊の世界に目覚めていない時、人は、一生懸命自分の見えている世界で、物事を考え吸収しようと思います。教会に来ると、道徳的ないいお話しが聞ける。とか、ユダヤの世界、またその他のキリスト教的な芸術、文化理解の助けになると考えたりし、教会に来ることに興味を持つ方がよくいらっしゃいます。それは、魂の領域の満たしのみで満足しようとする姿勢です。この世がオファーできるのは、魂の領域までです。霊の領域までは行きません。そして、自分の魂の領域の理解の限界を超えていることに出くわすと、急に教会が嫌いになるということになります。。。

この女は、それ以上のものをデスパレイトに求めていたようです。もう自分の人生は、自分ではどうしようもないと分かっていたと思われます。
人は、心の中にぼっかり穴があいているような感覚を持っている。聖書では、永遠への思いといわれているものだ。人は、毎日それをうめようとして生きている。私も若いときに、自分の将来、自分自身を探そうとしてたくさん小説を読んだり、映画をたくさん見たり、多くの外国を見ようとしたり、もっといい恋人、もっといい仕事についたら満たされるのではないかとも考えた。

この女性も、一生懸命自分を満たすためにあくせくして、疲れていただろう。この女性の場合は、男性に取り付くことで自分自身を満たそうとしてた。男性こそが、自分を満足させると信じているが、ことごとく裏切られていたのだ。そして、その生活に嫌気がさしていたのであろう。

「先生、その水、永遠のいのちへの水をください」と、イエス様にお願いしました。続けて聖書を読み進めると。。。

③ 罪への覚醒 v16-19
16 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」17 女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。18 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」19 女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。

彼女は、はっとしたはずです。イエス様が、ぴしゃりと彼女の問題を預言的に言い切りました。しかも、傷つけない形で。。。彼女は、同棲をいろいろな男性と繰り返していたのです。これは、明らかな罪でした。結婚関係以外の性的な関係は、当時厳しく裁かれました。彼女は、近所でも有名なふしだらimmoralな女でした。彼女の罪のサイクルを明らかにしました。
私たちは、自分の罪のサイクル、何が自分を神様から遠ざけているのか、何が自分にとっての、偽の神、すなわち偶像になっているか分かるまで、成長しません。また魂の癒しもきません。
この女は、イエス様の言葉によって、はっきりとさとったのです。自分は、今まで間違ったものを追いかけて自分を満たそうとしてたということを。。。

④ 宗教と伝統の問題 v20-25
20 私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」21 イエスは彼女に言われた。「私の言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。22 救いはユダヤ人から出るものですから、あなたがたは知らないで礼拝しています。23 しかし真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」25 女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」
 
この女にとって、今すぐにでも欲しい生ける水であるが、心にわだかまりとなっている宗教と伝統の問題をイエス様にぶつけた。サマリヤ人として育ってき、ユダヤ人といつも対立関係にあったのですから、無理もないでしょう。また、こんな宗教問題について対立しているユダヤ人と議論するということは、タブーだったことでしょう。
しかし、イエス様は、その問題をはっきりと示されました。宗教ではない、伝統ではない、理屈や伝統による礼拝ではなく、心から、しんから変えられた人たちが神を礼拝する時が来ていると。場所じゃない、やり方じゃない。神は、霊だから、神を礼拝するものたちも霊によって礼拝しなければいけない。霊が死んでいる状態でなくて生きている状態、すなわち生ける水を飲んだ状態で礼拝するのだ。と。

⑤ イエスとの真の出会い v26-30, 39
26 イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」27 このとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った。しかし、だれも、「何を求めておられるのですか」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか」とも言わなかった。28 女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。29 「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」30 そこへ、彼らは町を出て、イエスのほうへやって来た。

V39 さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。

イエス様は、面と向かって、この女性に、「あなたと話しているこのわたしがそれです。」と答えられた。真の神と面と向かって答えをいただいた、この女性にこれ以上の説明は必要なかった。彼女の心の中には、すでに命の水があふれていた。彼女は、今まで、人目をさけて隠れるようにして生きていたのに、大通りに出て行って、人目をはばからず、みんなにこのイエス様を証しするようになった。
これが、生ける水を受け取った人のしるしです。変えられた人は、過去にもう縛られていません。恥ずかしくないのです。イエス様との真の出会いが、彼女を変えたのです。

私たちは、今どこにいるでしょうか。イエス様にぶつけたい問題があるなら、イエス様に直接聞いたらいいでしょう。イエス様との面と向かっての出会いがあるでしょうか。それを求めてください。あなたは、すでに探しあてられています。見つけられています。あなたにもう語り掛けられているはずです。

“13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」”

生ける水を飲みましょう。受け取りましょう。


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ワオ!と言っているユーザー

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MR職人
MR職人さんからコメント
投稿日 2015-01-20 11:03

昨日はオーム真理教信者の裁判があり細かく説明されていました・・<カルト教団の呪縛が解けない人が増えている>・・
個人の自由??勿論小生は無視して批判もしません。

イエス様に面と向かって聞いたらいいでしょう・脳味噌に焼き付きました・・
疑問~悩み事等を相談したらどの様な回答が戻ってくるのか??60年以上昔の幼少時教会に通っていた記憶が蘇りました。

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bokushi
bokushiさんからコメント
投稿日 2015-01-21 06:51

職人さん、

いつも、しっかり内容を読んでくださって。感激です。

イエス様は、私たちの心のさけびを無視なさいません。
そして、いろいろな形で応えてくださいます。まして、口にだしてお祈りするなら、もちろんです。
私も、神が本当にいるのかいないのか分からないとき、運転しながら、神様に叫んだことがあります。「あなたが本当にいるのなら、私のこのどうしようもない生活から助け出してください。希望を与えてください。」と。
数ヶ月後に、必要があって教会に行き、そこから今に至っています。

神様のお祈りに応えてくださる方法は、いろいろあります。
心に与えられる印象によって。
また、夢や幻。
また心や頭の中に聞こえる声。
また、文字。
また、何気なくみているテレビで流れている湾フレーズが心に突き刺さる。
また、聖書を読んでいて、ある言葉が心に突き刺さる。
人と話していて、その人の口から答えがくる。
などなど。。です。
要は、神様からの応えに心を開いているかどうかが大切です。祈って、祈りっぱなしでは、答えが来ていても気がつきません。

どのようにして、それが神の声、神からの答えか分かるかというのは、それは、神のご人格を知ることに限ります。
神のご人格が今よく分からなければ、分かっている人に尋ねてもいいでしょう。牧師、聖書の教師に聞いてもてもいいんですよ。

とにかく、神様は、全ての人に世の中のいろいろなものを通して語りかけてくださっています。

ぜひ、神様に疑問をぶつけてみてください。

ワオ!と言っているユーザー

MR職人
MR職人さんからコメント
投稿日 2015-01-21 09:40

<老兵の戯言>にをコメントをいただきありがとうございます・・
やっと人様からの<意見~忠告>等を、仕分けできるようになりました??

ワオ!と言っているユーザー

ハッピー
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