等身大であるという話を聞きましたが、
ハッキリしたことは分かりません・・・。
事実だとすればそれほど小柄な人ではないですね。
石碑の文字は判読できないですね。
年月を感じさせます・・・。
なかなか忙しくていっぺんにアップができないですねぇ・・・。
小刻みアップで時間がかかってしまってます・・・。
松尾芭蕉像です。
中尊寺には松尾芭蕉の句碑が似合いますね。
この日は「奥の細道」のことが書いたるようです。
かなり薄くなって判読できないですが・・・。
この有名な句を芭蕉が詠んだなんと、
57年後の1746年にこの芭蕉句碑建てられました。
年代的には江戸時代ということになります。
薄くなるわけですね・・・。
源義経が平泉に自害し、
奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)、
松尾芭蕉は門人の曽良と2人、
「奥の細道」の旅に出ます。
芭蕉46才、曽良41才の春です。
江戸を発ってから44日後の5月13日、細道のはて平泉を訪れた芭蕉は、
まず義経公の居館があったと伝えられる高館の丘陵にのぼります。
丘の頂きに忽然とあらわれるのは、
束稲山のふもとに悠然と横たわる北上川と、
それに合する衣川。
そこには往時の栄華はなく、
旧跡は田野となってひろがっているばかり・・・。
>クリックで大きくなります<
これも痛みが激しいですね。
石碑のほうは判読できなくなってます・・・。
パンフレットに載ってなく、
行ってみないと分からないところですね・・・。
松尾芭蕉の「奥の細道」有名な句がありますね。
中尊寺にちなんだこの句が有名で、
句碑になってました。
>五月雨の降り残してや光堂<
俳句を少しかじってるわたくしも、
一句ひねってみたいのですが、
もう一つ才能がなくダメですね・・・。
陛下が昭和45年、岩手国体の時に、
金色堂をお尋ねになった時に、
読まれたお歌が歌碑になってました。
これらはパンフレットにも載ってないところです・・・。
>クリックで大きくなります<
書かれてる文字もかなり判読は厳しいです。
タイトルだけはかろうじて分かりました。
文字は賢治自筆の文字ということです。
詩碑をアップしてみましたが、
やはり文字の判読は難しいですね。
金色堂の周辺にはいろいろあるんですね。
写真に写したものを少しアップしていきます。
宮沢賢治の詩碑があります。
タイトルは「中尊寺」と書いてありますが、
内容は難しいです。
とりあえず書かれてる詩をアップしておきます。
>七重の舎利の小塔(ことう)に 蓋(がい)なすや緑の燐光
大盗はぎんのかたびら おろがむとまづ膝だてば 赭(しゃ)のまなこたゞつぶらにて
もろの肱映(ば)えかゞやけり 手(た)触(ふ)れ得ね舎利の宝塔 大盗は禮(らい)して没(き)ゆる<
詩碑の文字は宮沢賢治自筆のものを、
約二十倍に拡大して謝したもので、
金色堂建立八百五十年を記念し、
昭和三十四年に建てられたものです。
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