私小説から伝記、歴史物まで幅広く手掛け、2006年に文化勲章を受章した作家で僧侶の<瀬戸内寂聴>さん(1922年〈大正11年〉5月15日~2021年〈令和3年〉11月9日 )が、心不全のため京都市の病院で死去されています。99歳でした。葬儀は近親者で行なわれ、後日、東京都内でお別れの会を開かれる予定とのことです。
徳島市生まれ。東京女子大在学中に大学教師と結婚、中国・北京で長女を出産しましたが、敗戦で帰国。戦後、夫の教え子と恋愛沙汰になり出奔、京都で出版社などに勤務しています。1950年、離婚。少女小説を書いて生計を立てながら、小説家になるために上京。<丹羽文雄>主宰の「文学者」同人となります。
1955年、<瀬戸内晴美>の名義で初の小説『痛い靴』を発表。1957年には『女子大生・曲愛玲(チュイアイリン)』で第3回新潮社同人雑誌賞を受賞。同年、文芸誌「新潮」に発表した『花芯』で新時代の女性の奔放な性を発表しましたが、「子宮という言葉の乱用」を評論家の<平野謙>が指摘すると、〈子宮小説〉と世間で話題に。これに反論したことから文芸誌から締め出されます。
失意の中、1961年には伝記小説『田村俊子』で田村俊子賞、1963年には自らの男性関係を題材にした『夏の終り』を、<平野謙>が「金無垢の私小説」と評し、作家としての地歩を固め、女流文学賞を受賞しています。
1973年、51歳で岩手県平泉町の中尊寺で得度し、本名を<瀬戸内晴美>から<瀬戸内寂聴>に改めています。翌年、京都市内に「寂庵」を建て、全国各地で法話活動を積極的に展開しました。
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投稿日 2021-11-11 18:11
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2021-11-11 18:14
ワオ!と言っているユーザー