《雅羅・/・ 襍画〝1月野花(2)〟❖ ’24-31 ❖》

ヒメウズ(姫烏頭) キンポウゲ科(Ranunculaceae)
学名:Semiaquilegia adoxoides (DC.) Makino
別名: トンボソウ
《  泉の森の野草、2024年初観察  》
ヒメウズ(姫烏頭);
ウズとは鳥の頭と書き、トリカブトのこと。
ヤマトリカブト などの葉と似ているが、 ヤマオダマキと同属。
花は、小さく全体に細い。根茎は長さ約1㎝の塊状。
茎は、紫褐色で軟毛が生える。
根生葉には長い柄があり、3出複葉。
小葉は丸く2~3裂し、裂片は更に浅く2~3裂。
花は下向きに咲き、直径4~5㎜。
花弁は筒状に5個つき、淡黄色。
雄蕊9~14個、内側の雄蕊は仮雄蕊。
雌蕊2~4個。萼片5個、白色~淡紅紫色の花弁状。 
路傍や畑の畦、林縁などに生育する。
どちらかと云うと半日陰の水気のある場所に生育する。
土壌は小さな礫を含む通気性のよい場所であることが多い。
晩秋から目立ち始め、春に花を咲かせる小型の植物。
花も小さくて目立たないが、清楚・・可憐である。
花弁に見えるのは顎片で長さ5-6mm。
中心部の花弁も5枚、雄蕊を取り囲み長さ約2.5mm。
白色であるが、ほんのりと紫色を帯びている。
今年も早くに花咲かせていたが、なんとも小さい花。

「令和陸年(皇紀2684年)1月31日、記」
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《雅羅・/・ 襍画〝1月野花(1)〟❖ ’24-30 ❖》

ヒメリュウキンカ(姫立金花)キンポウゲ科(Ranunculaceae)
学名:Ranunculus ficaria L.
別名: オウシュウキンポウゲ(欧州金鳳花)
《  泉の森の野草、2024年初見  》
ヒメリュウキンカ(姫立金花);
今年も以前と同じ場所、同じ季節に花を見せた。
ヒメリュウキンカは、イギリス原産と言われている帰化植物。
葉は、心形で艶がある。春を感じさせる明るい黄色い花。
スプリングエフェメラルとも言われている。
次々と咲く黄色の6~8枚の萼花弁、キラキラと輝く。園芸種も多様。

「令和陸年(皇紀2684年)1月30日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝雑草と呼ばれる草〟❖ ’24-29 ❖》

アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)   マメ科《Fabaceae》
学名:Desmodium paniculatum (L.) DC.
(荒地盗人萩の種子)
《  泉の森・民家園の野草  》
アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)の種子;
シモバシラを見たく訪れた泉の森・民家園だが、願いは叶わなかった。
庭の手入れをしていた職員にシモバシラの近況をお聞きした。
ロウバイやミツマタは、例年通り楚々と咲いていた。
霜柱は、斜面の所に見えるが少し離れた所に荒地ヌスビトハギの種子が見えた。
北米原産で比較的近年入ってきた帰化植物。葉は3小葉で両面に伏毛が密生する。
花は帯青紫色で、ヌスビトハギよりやや大きい。豆果は節果で5〜6個の小節果。
小節果のくびれは浅く曲がった毛がありマジックテープの様に衣服にくっつく。
厄介な種子だが、見る分にはかわいい姿である。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月29日、記」 
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《雅羅・/・ 襍囈〝枯れ茎に綿菓子〟  ❖ ’24-28 ❖》

2021/01/09泉の森民家園。
シモバシラ(霜柱)  シソ科《Lamiaceae (Labiatae) 》
学名:Keiskea japonica Miq.synonym Collinsonia japonica (Miq.) Harley
2021/01/09泉の森民家園。
2018/01/12泉の森民家園。
2024/01/14泉の森民家園。
気温も高め、地表も乾いている。
 
《 恒例・民家園での捜し物?? 》
シモバシラ;
我が同年代人の幼少・・青年期頃、首都圏・住まい居た神奈川東部三浦半島。
比較的暖かな地域だが、其の地でも今の時期には朝方は0℃以下になったものである。
今、住まい居る厚木飛行場近くでもここ数日の朝には薄氷が張っているのだが。。。
しかし、地表から少し地下では土中気温が余り下がらない。おまけに雨量が極端に少ない。
こんな気象条件に困っている植物(野草)がみえる。シモバシラと云う野草だ。
泉の森内の林床では、ここ民家園でしか見れない(知らないだけだが)。
和名の由来が、初冬の時期に枯草の茎に霜がつき霜柱が出来ることに由。
茎は断面が四角形、下向きに曲がった毛があり花序軸には毛が多く腺点もある。
葉は、長卵形~長楕円形、鋸歯縁。葉裏には腺点が密生し、茎頂に花穂を伸ばす。
花は、花序の片側にそろってつく。花冠は、白色~淡紅色の唇形、上唇2浅裂、下唇3浅裂。
下唇内側に白毛があり雄蕊4個。葯は紫紅色。萼には、白毛と黄色の腺点がある。
萼の内面に長い白毛があり花冠との間に毛先が見え、萼は果時にも果実を包んで残る。
花冠の淡紅色の品種をウスベニシモバシラと云う。初秋に白い花を穂状に沢山つける。
ここ数年、気候・気温が高く、零度以下が続かず、雨量も少ない。従って夢霜状態。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月28日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝観察事始め+α〟❖ ’24-27 ❖》

ロウバイ。
三椏
「ヨーカゾー」と呼ぶ日に掲げる目籠(めかご)。
《 恒例・泉の森・民家園散策 》
泉の森の林床は、まだ落ち葉に覆われ未だ草花はお休み中。
そんな中で気を吐いていたのが民家園に植栽されている樹々達。
ロウバイ(蠟梅)やミツマタ(三椏)が、花を以っていた。
比較的に訪問者が少ない民家園、ゆっくりと休憩させて頂く。
1月末から2月上旬に古い風習の飾り物が天に向かって飾られる。
*      *      *
神奈川県大和市周辺では12月と2月の8日を「ヨーカゾー」と呼んでいる。
この日は、一つ目小僧がやってくる日だという言い伝えがある。
大和の人たちは一つ目小僧が訪れるのを防ぐために、目籠(めかご)を飾っていた。
この行事のことは、2020年2月8日のブログルに記した。
*      *      *
こんな素朴な庶民の風習は今後も忘れないように継続して欲しいものだ。
そう云えば、旗日なる風習も見かけない。祭日に門に国旗を飾ったものだが!
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月27日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝観察記録始め〟  ❖ ’24-26 ❖》

《 紫陽花観察・事始め 》
自宅・小庭の紫陽花が、一斉に芽吹きはじめた。
此処の所、雑用にかまけて紫陽花の観察を怠って。
今朝、ゆっくり眺めてみたら5年を持った枝々に新芽が。
今朝1/26を今年の紫陽花観察の初日としようと思う。
今年は、どんな紫陽花が顔を出すだろうか? 楽しみだ。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月26日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝干支・辰〟  ❖ ’24-25 ❖》

浅草・浅草寺・雷門
雷門大提灯から仲見世方向、奥が浅草寺。
大提灯の底面・龍画。
《 辰・・龍!! 》
今年は、辰年・・龍の歳。身近に、昔は相模國江島と言われた藤沢江ノ島がある。
其の江ノ島に鎮座おわします、三姉妹神。今年の初詣は、さぞ賑わった事だろう。
江島神社に祀られている女神様、
田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)、
市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、
多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、
この3姉妹は海を護る女神様で元々江島明神と呼ばれていた。
が、仏教との習合で弁財天女となった。
今では海を護るに留まらず、幸福招来、芸事上達にもご利益があるとされる。
江島神社の初詣、久しくしていない。
更には、正月三日の東京初詣、箱根駅伝の復路ゴール観戦にも行っていない。
昨今は、携帯で実況中継を見れる。走り去る一瞬を見なくても満足できる。
以前は駅伝ゴール観戦後、神田明神から湯島天神そして浅草寺へと詣でた。
浅草寺・仲見世通り入り口の雷門。中央の大提灯は、なんとも圧巻で!!
大提灯の底を見る人は少ないだろうが、見事な龍が描かれている。
今年の辰年にあやかって、拜しに参りたいと思っている。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月25日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝狂い咲き ??〟  ❖ ’24-24 ❖》

ウキツリボク(浮釣木) アオイ科 (Malvaceae) 
学名:Abutilon megapotamicum A.St.Hil. et Naudin 
別名:アブチロン・メガポタミクム、チロリアンランプ
《おとぼけなのか、季節を勘違いしたのか・・木 花?? 》
ウキツリボク(浮釣木);
季節の前倒し・・勘違い・・間違えた?? 
浮釣木に花がついている? 一輪だけ。葉も繁々と。
温暖化なんて云いたくない。気温の上下が激しい時ってあるだろう。
長いスパンで見ると温暖化と言う程ではあるまい。
自然界は、厳格なはずだが、微妙な変化に植物は率直に反応したか。
驚きを以ってしばし立ちすくんでしまった。それにしてもかわいい。

だが人間界は、安易な方向に向かってはいまいか??
美的感覚に偏り、服飾・ファッションに心を寄せ自然に背を向けた?
動植物に見習う所が多々ある、と思ってやまない。
ペットに衣装を着せ、、、人間のエゴ横暴と映る!?!
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月24日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝一瞬の姿??〟  ❖ ’24-23 ❖》

《 画になる富士嶽!! 》
冬場の富士嶽、遠き湘南の海岸より見ゆる姿、強風が手にとって見ゆる。
風が強い、駿河・相模湾、太平洋からの吹き上げる風。冬場の特徴である。
麓の富士五湖に映る富士嶽の優美な姿、訪れた人々を魅了してやまない。
真冬のある時、ある一瞬、風が止んだ時、湖面に見事な鏡富士が現れる。
これが、云うに云われぬ静寂な、なんとも云えぬ魅せる光景だ。
これを狙って愛好撮影者は、あとをたたない。一瞬をもとめて・・・!!
旅って、旅先で出会える一瞬の妙!!然るにスチール写真は止められない。
一瞬だから・・・一瞬を求めて旅にでる。一瞬ってドキドキだ。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月23日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝垣根の花??〟  ❖ ’24-22 ❖》

《 綺麗に咲くも見分けの付かない樹花?? 》
寒椿・侘助・・・寒椿と山茶花は、一見すると見分けがつかない。
散る姿、地に落下した花弁、姿を見た時!!
これぞ・・!!と知る。自然界の妙に驚きを隠せない。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月22日、記」
 
 
 
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《雅羅・/・ 襍囈〝1980 ??〟  ❖ ’24-21 ❖》

懐かしい。1980年代!!
段返りラペル。好んで着てる、今でも。
《 正統派?? 米国・男性服飾メーカーのカタログ 》
昨年末より納戸のダンボール箱(沢山ある)を整理してる。
探しものがあるのだが、目的のものがいまだ見つからない。
少々困っているのだが、懐かしいものが出てきた。
画像がそれ!!1980年の服飾カタログ。
若い頃から憧れ続けてる米国の服飾ブランド。
米国ニューヨークに本店がある“Brooks Brothers”。
伝統的ファッションメーカーの代表的存在である。
何点か大切に今でも着ている。数十年前のものばかり。
好みゆえだが、今でも古めかしい感覚を持たない。
日本のメーカーは、長く継続してるところは???
温暖化とやらで、厚手のコートを羽織る機会がない。
今日は、久し振りにネクタイを締めての会合があった。
服飾製品、昔のものは丁寧に作られている。
今や、背広の語源、セビルロー式な裁断のスーツを見ない。
時代とともに変わっていくが、ユニクロの如く復古調!!
微妙に変化はしている。でもトラディショナル感覚は好きだ。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月21日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝款冬華〟大寒  ❖ ’24-20 ❖》

フキノトウ(蕗の薹) キク科 (Asteraceae /Compositae) 
学名: Petasites japonicus (Sieb. et Zucc.) Maxim.
※ 蕗の薹 とは、蕗の若芽のこと ※


廿日団子。
 
《 弐阡弐拾肆年壱月廿日!!》
歳をとったからなのか!! 否、偏屈なのか、古い事柄等に拘りを持っている。
漢字にしても旧字体を大切に感じ、あえて使ってみたり。
子供頃から家にあった辞書を未だに使っている。昭和七年(1932)二月発行。
親爺の辞書だが、書斎に行っては辞書を参考に勉強した(親爺は不在がちだった)。
 
今日は、大寒。“二十日正月”とも呼ばれる日で正月最後の日とされて来た。
正月最後として納めの行事を行う。骨正月、骨おろし、頭正月等とも呼ぶ。
資料によれば関西では「二十日正月」、関東では「正月納め」と呼ぶらしい。
大寒“初候”の頃を款冬華(ふきのはなさく)と表現していた。
款冬(ふきのとう)が顔を見せ咲き始める頃を云う言葉。“和”を感じさせる。
寒さが厳しい大寒の時期に徐々に冬の終わりへ向かう様を見せる事象。
この大寒頃に、冷水や空気を有効に利用する知恵、古来から行われている行事。
小寒から大寒の時期に水を汲む行事を「寒の水」と呼んだ。
寒の水は、冷え込む時期に汲む為、雑菌の腐敗がなく清らか、体にも良い。
保存性に優れる寒の水は、寒い時期に仕込む味噌、醤油、日本酒作りに適した。
又、心身を清める力があると考えられており寒の水を直接飲む風習も残ってる。
日常生活の中では、大寒の頃に寒餅と云う自然乾燥させた餅を作ったりもした。
この餅のことを「かきもち」や「こりもち」とも呼んだ。中には着色された餅も。
寒の水で炊いた餅を使って作ると健康に過ごせるともいわれ家庭で作ったものだ。
二十日正月に食べるものに、「二十日団子」というものもあった。
小豆団子と呼び、「小豆粥」と同様、「厄除け」「無病息災」を祈ったものだ。
和菓子屋さんで売っていたものではない。生活の知恵、余り物の活用だ。
お供えを細かく砕き乾燥させサイコロ状にして揚げて頂いた覚えもある。
又、祝い事や行事の時、福茶を頂いたが、昨今はとんと頂いていない。
二十日正月と云う正月の終わり“節目の日”家庭的に継承したい行事である。
毎年1月20日に、正月お迎えした歳神様(年神様)がお帰りになる日。
正月納めをする日等と我が孫たちには伝えたい。そして継承して欲しい。
「令和陸年(皇紀2684年)1月20日、記」
 
  
 
 
 
 
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《雅羅・/・ 襍囈〝忘見花〟木  ❖ ’24-19 ❖》

〝夢待桜〟:
登録品種データベースより;
農林水産植物の種類 Prunus L(サクラ属)和名:夢待(よみ:ユメマチ)観賞樹
 登録品種の名称, 夢待 (よみ:ユメマチ ). 出願公表時の品種名称. 出願番号, 24847.
樹形は盃状、樹高は亜高木性、樹幹の色は灰褐色、皮目の多少は中、
枝の太さは中、枝の色は灰褐色、分枝性は中、葉の全体の形は楕円形、
葉の先端の形は尾形鋭尖形、葉の基部の形は円形、葉縁の鋸歯の深さは中、
葉の鋸歯の形は単鋸歯、葉の鋸歯の先端の形は芒形、葉の長さは中、葉の幅は中、
葉の厚さは中、蜜腺の有無は有、蜜腺の位置は葉柄上部、花序の形は散房状、
花序の花数はやや多、蕾の色は64B、花の向きは横向き、花の形は一重咲、
花の開き方は平開形、花の大きさは中輪、花の色は65C、
花弁全体の形は円形、花弁の先端の形(切れ込みの多少)は少、
花弁の基部の形は鈍形、花弁の脈の色は目立たない、花弁の数は約5、
雌ずいと雄ずいの長さの比較は同、雄ずいの数は中、がく筒の形は盤状形以外、
盤状形以外のがく筒の形は鐘形、がく筒の毛の多少は無、がく裂片の形は長卵状三角形、
花柄の長さは短、花の香りは殆ど無、通常開花期は極早である。
(カラーチャートはRHSを使用)
 出願品種「夢待」は、対照品種「カワヅザクラ」と比較して、
花の向きが横向きであること、
花弁の長さが中であること等で区別性が認められる。
対照品種「カンザクラ」と比較して、花の大きさが中輪であること、
花弁全体の形が円形であること等で区別性が認められる。
以上、データベースより。
「夢待桜」は、伊豆大島の故尾川武雄氏が作出した新種の桜。
美しい姿形と優しい色合いが特徴で、
正月頃に満開になる「おめでたい桜」として知られる。
*       *       *
冬に咲く桜、十月桜・寒緋桜・寒桜・子福桜等々、総じて冬桜と呼ぶ。
しばらく前、藤沢市にある長久保公園に“夢待(よみ:ユメマチ)”
なる桜の若木が植栽されているのを見た。1月上旬に咲くとされる。
未だ実際に花に出会っていない。今年も見に行けなかった。
若木も成長したことだろう。来年は是非に見に行きたい。
画像を探したが見つからず、登録に提示された画像を借用した。
 
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月19日、記」
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《雅羅・/・ 襍画〝希少白花〟植物  ❖ ’24-18 ❖》

ウチダシクロキ(打ち出し黒木)   ハイノキ科(Symplocaceae)
学名:Symplocos kawakamii 
別名:オガサワラクロキ
  《 限られた場所に見える絶滅危惧種の花!!》
ウチダシクロキは、東洋のガラパゴスと称される東京都小笠原諸島の父島のみに生育するハイノキ科ハイノキ属の常緑低木です。小笠原諸島に生育する同属植物として、他にチチジマクロキ、ムニンクロキがあり、これら3種類の先祖から適応放散によって分化したものと考えられています。ウチダシクロキは岩石が多い感想した斜面に生育しています。乾燥した場所は多くの植物にとっては生育には適した環境とは云えないでしょう。ウチダシクロキの葉は、縁が内側に巻こまれた厚い皮質で、表面には深いしわが刻まれています。また枝は、著しく張り出した翼状の稜がついています。長い進化の過程でウチダシクロキは、乾燥した環境の中で生き残る術を身につけていったのでしょう。戦前からすでに個体数が少なかったと報告されているウチダシクロキですが、1980年の夏の厳しい旱魃(かんばつ)によって、乾燥に強いウチダシクロキさえ、大きな株が何本も枯れてしまったそうです。さらに近年の乾燥化によって、ますます個体数は減少しています。また、ウチダシクロキを絶滅に追いやるもう一つの要因が父島に生息するノヤギの増加です。低木であるウチダシクロキは、ノヤギにとって食べやすい高さに葉があります。場所によっては、ウチダシクロキを選んで食べている様子さえあります。環境省では、保護増殖事業を実施しており、ノヤギの食害防ぐため、ウチダシクロキの周りに柵を設置しています。その他、保護増殖事業では野生復帰のための人工繁殖にも取り組んでいます。元々限られた場所にしか生えない植物が環境の変化によって固体数を減らし、外来生物のノヤギによって選択的に食害を受けるという、二重の圧迫を受けて絶滅にひんしています。以上環境省資料より。
 
東京都文京区 小石川植物園(温室)で生育中;2024・01・13
小笠原諸島の父島にのみ生育する高さ0.5~2mの常緑低木。葉は楕円形で厚く、縁が裏面にカールする。葉腋に白い小さな花を数個つける。花冠は5深裂し、雄しべ多数。小笠原諸島には同属の植物として、本種の他にチチジマクロキとムニンクロキがある。花期は11月頃。
花冠は白色で5深裂し、長い雄しべが多数あるので見栄えがします。ハイノキ属の花は小さくて、白色・5深裂・長い雄しべのものが多いようです。(例:ハイノキ、サワフタギ、クロキ等)
ウチダシクロキは小笠原諸島の父島にのみ生育する希少植物です。レッドデータブックによりますと絶滅危惧ⅠA類(CR):「ごく近い将来における野生での絶滅の危険性が極めて高いもの」となっております。
なお、小笠原諸島のハイノキ属には本種の他にも「ムニンクロキ 絶滅危惧ⅠA類(CR)」と「チチジマクロキ 絶滅危惧ⅠB類(EN)」の2種があります。
葉は楕円形で厚く、縁が裏面にカールしています。いかにも乾燥に強そうな葉です。
東京都文京区 小石川植物園資料より。
*       *        *
余り人目に触れない場所に珍しい植物が生きている。なんとか保護して頂きたい。楚々として魅せる野草だ。
通常は、11月頃に花を付けるようだが、
温室では今の季節でも見られる。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月18日、記」
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《 雅羅・/・ 襍囈〝樹の香〟仏像 ❖ ’24-17 ❖ 》

以上3画像、中宮寺「弥勒菩薩半跏思惟像」


上2画像、広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」




《 木造仏を拜みたい。願望、其の一 》
年頭から事象が激しく搖れ動いている。震災、明日は我が身か。
荒廃した環境が、脳裏を掠める。今の鎌倉では想像できない寺々。
震災だけが原因では無いだろうが、名刹の荒廃した仏像が脳裏に浮かぶ。
岩波写真文庫の鎌倉編を見た時、言葉を持てなかった。悲惨過ぎて。
鎌倉の名刹、覚園寺の仏像が崩壊状態で瓦礫の山と化している写真に。
青年になって実際に覚園寺を訪れたときの光景に驚いた事を覚えている。
当時の御住職の尽力で見事に元のお姿に蘇っていた。あの黒地蔵像もだ。
地蔵堂自体に木の香りを感じた細香をいまでも鮮烈に覚えている。
家の風呂も木造りだったが木の香りはなくお堂の佇まいに感動してた。
後で知った事だが、一応檜の湯槽、と母。関東大震災後に造ったのだとか。
檜については、庭師の職人さんから色々と教えてもらった。
木の仏像に関しては、覚園寺の老師や写真の恩師に詳細に御教授頂いた。
古い仏像に多用された木材(1963年・小原二郎)とされていたヒノキ(檜)。
だが、近年の研究で仏像材の事がより鮮明に分析され判明してきた。
檜材が使われるようになったのは、奈良時代(8世紀)以降だった様だ。
飛鳥時代(7世紀)の仏像では、殆どがクスノキ材である。
これは、中国(隋)の仏像の多くが芳香ある白檀で作られていた事による。
当時、日本には白檀がなく芳香あるクスノキが使われたと推測される。
又、クスノキは成長が早く大木から材を得やすく柔らかい。加工もしやすい。
中宮寺(7世紀前半創建)の国宝「弥勒菩薩半跏思惟像」はクスノキ材である。
良く対比される広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像は、アカマツ材の一木造。
中宮寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」は、一木造ではなく特異な木寄せ造り。
頭部は前後2材、胴体の主要部は1材とし、これに両脚部を含む1材、
台座の大部分を形成する1材などを矧ぎ合わせ、他にも小材を各所に挟む。
両脚部材と台座部材は矧ぎ目を階段状に造るなど、特異な造りである。
クスノキは、古代日本では魂ふりの力をもつ神木、霊木と見做されていた。
クスノキを仏像の材とされた要因は、種々考えられるだろう。
日本書紀には「ヒノキは宮殿に、スギとクスノキは舟に、マキは棺に使え」
と、それぞれの用途を教えしめされている。
日本は、木の国。木材を「信仰、霊性」の視点からも見てみたい。
而して仏像に使われている木材自体に“香り”がある。
素人的には、仏像から感受する精神性という香りも大切ではあるまいか。
できるものなら、写真(仏像写真)での憧れのD師の足跡を辿ってみたい。
まず最初に訪れたいは、法隆寺・中宮寺である。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月17日、記」
 
 
 
 
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《 雅羅・/・ 襍画〝正月の竹〟植物 ❖ ’24-16 ❖ 》

カンチク(寒竹) イネ科(Poaceae)
学名:Chimonobambusa marmorea
別名:ゴセチク
ステッキに使われる寒竹。中々のもの!! 画になる。
《 正月に見る竹の子(筍) !?!》
カンチク(寒竹);
九州地方に自生するササの仲間。
紫を帯びた棹は艶があって美しく、古くから庭や垣根として植栽される。
寒中(1月上旬~2月上旬)にタケノコが生じる。
それ故、寒竹と名付けられた。
タケノコが出るのは普通9月~11月らしい。
越冬して翌春に皮を落として葉を開く。
稀に年内に葉を開く。竹では最もタケノコの発生が遅い。
年末年始に葉のついたタケノコ状態になる事で正月花の定番。
タケノコの皮には褐色の縞模様があり、蛇皮の様にも見える。
タケノコとしては小さいが美味で食用としても利用される。
葉は小さめで、長さ6~15㎝、幅2センチほどになる。
枝は各節から3~5本生じて密生する。垣根として目隠しになる。
棹は細く、直立するが先端は緩やかに湾曲して垂れ下がる。
節に毛はないが時折、短い棘のような気根を生じる。
棹は最大で5mほどに育つが、節止めして管理する。
成長はやや遅く、地下茎もさほど広範にならなく小庭に合う。
棹の寿命は短く2年で枯れるため、定期的に根元から剪定する。
インテリア、家具、袖垣、竹細工などに用いている。
*       *       *
この季節、花観察出来る野生種植物がない(探す時間無し)。
それでも見応えある正月用植物は、ある。
地味だが園芸店で見かけた竹、以前植物園で見たのを思い出す。
   
「令和陸年(皇紀2684年)1月16日、記」

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《 雅羅・/・ 襍囈〝小正月〟継承 !! ❖ ’24-15 ❖ 》

以上の輪飾り、燃すには余りにも忍びない。
眼を楽しませてもらう。続いて。。。
綺麗すぎる!!
荒神様等のお供え、お供え前はなんともふくよかって感じだ。
お粥は、体に優しい。
《 伝統・・正月行事を消してはいかん !!》
昨日、一月十四日は陰暦では団子小正月、年越しの日とされて来た。
餅花を作り飾る。団子や前年の初穂を農神に供えたりもした由。
新暦になり1月1日「元日を大正月」「15日を小正月」と呼ぶ。
大正月に「門松」を、小正月には「餅花や削り花」などを飾る(花正月)。
餅花は、餅を薄くのばして丸く平たく切って彩色したもの。
削り花は、神仏などに供える飾り棒のこと。
小正月の朝、五穀豊穣を願う農耕儀礼の一つ「小豆粥」を食す習慣がある。
古く「土佐日記」や「枕草子」にも、小豆粥を食べた、と記されている。
旧暦(太陽太陰暦)では、1年の最初の満月の日、一月十五日が元日であった。
明治になって新暦(太陽暦)が採用され1月1日が元日となる。
これがために小正月の存在事象が影をひそめてしまった。。残念(私的に)。
昭和24年(1949年)に「国民の祝日に関する法律」が施行され、
1月15日が「成人の日」として祝日になり、小正月の行事も復活したが!!
小正月はおだやかな祭りで家族の中のお祭りとも言える。
更には、正月から饗しに多忙だった女性を癒やす意味で女正月とも云われる。
小正月の朝には、小豆入れ炊いた小豆粥を食べて無病息災を祈る風習もある。
小豆には、邪気を払う力があると信じられていたことにもよるか。
正月の門松や注連飾りなどを焼く、左義長(とんど)も行なわれている。
小豆粥を炊いてその年の農作物の豊凶や天候などを占う「粥占」もある。
小正月には、秋田県男鹿半島の“なまはげ”、石川県能登半島の“アマメハギ”
色々ある伝統的な民俗行事、大切に継承して欲しい。
 
今年は、“アマメハギ”どころでは無い。改めて地震災害、お見舞い申し上げます。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月15日、記」
 
 
 
 




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《雅羅・/・ 襍囈〝年越し〟風習 ❖ ’24-14 ❖》

東京上野の国立博物館の正月飾り(小正月まで飾っている)。
護国院「大黒天」境内の手水舎にあった繭玉飾り。
一般には見掛ない風情(首都圏)。


久し振りの里地・里山。
森を横断している国道246号線。すぐ脇には厚木飛行場がある。

森の半鐘蔓の種子がひとつ、ひっそりと魅せてくれた。
伝統的行事は、継続して欲しいと思った一瞬だった。
《 未見の正月飾り;一月十四日の散歩 !!》
 陰暦で、一月一五日を小正月・十五日正月等と云われ伝わっている。
その前日を年越し(お晦日?)と祝い、「十四日年越し」と呼んだ。
元日から七日までを大正月、十五日を小正月と正月の終わりを意味する。
昔はこの小正月までが松の内であり、門松を飾っていたのだが、
江戸時代の徳川幕府の命により1月7日までが大正月と決めてしまった。
6日の夕方に門松やしめ縄を取り払う事で、「6日年越し」と言った由。
だが、この大正月慣習は関東地方以外では広まらなかったようだ。
今でも関西地方では、小正月まで門松を飾る所が多々あるようだ(未見)。
また、小正月は大正月とは違い、豊作祈願など農業に関する行事が多い。
正月の終わりとして6日又は、14日の夕方をもって門松を外す。
この事象を「松納(まつおさめ)」と表現されている。
「松上がり」「松倒し」「松送り」「松直し」「お松払い」等とも言われる。
1月15日の小正月の前日にあたる14日は年越しの日とされ祝っていた。
年越しと云えば大晦日だが、1月6日、1月14日なども大晦日行事があった。
「6日年越し」「十四日年越し」と呼ばれ伝わっている。
とはいえ今では、小正月の習慣がすたれ、十四日年越しの習慣も消えた状況だ。
元々、一月十四日は団子小正月(陰暦正月十五日)の前日十四日を年越しの日として祝った。
餅花を作り祝ったり、団子や前年の初穂を農神に供えたりする。特に農村で行われた行事でもあった。
小正月は旧暦の正月、1年の最初の満月にあたる1月15日とされていた。
太陽暦が用いられるようになり、行事も習慣も変化してしてしまった。
又、小正月は女正月とも言われ、地域によっては女性の骨休みの日とも云われる。
暮れから正月に掛けて多忙に扮した主婦を慰労、ねぎらう意味があるとか。
更には、農作物の豊作を願う行事ともされてきた。
お餅をまゆの形に作った「まゆ玉」を神棚にお供えしたり、
竹柳の枝先を稲の穂たれに例え門前や家の中に吊るすという風習もある。
農作物の豊作を願う行事でもあるのが小正月の特徴か。
*       *       *
先年末から年始、私ごとでもせわしく過ごした。更には災害等、絶句の日々。
私的には一段落し、14日の午前、近間の里地を散歩した。
“シモバシラ”が見られるかも、と楽しみにしていたが見れなかった。
散歩中にハンショウズルの綿帽子がヒトツだけ眼を楽しませてくれた。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月14日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝洋蘭〟正月花 ❖ ’24-13 ❖》

アングレカム・セスキペダレ ラン科(Orchidaceae)
学名:Angraecum sesquipedale
別名:ダーウィンノラン(ダーウインの蘭)
英名: Darwin’s orchid, Christmas orchid, Angraecum
原産地: マダガスカル
(以上の画像は、借り物)
《  神秘的な植物  》
アングレカム・セスキペダレの花言葉は、「祈り、いつまでもあなたと一緒」。
ダーウインの蘭は、受粉の事をダーウインが研究し名が付いた由。
又、ホシガタノハナ(星型の花)とも呼ばれるは、當に花が星の様に見える事に寄る。
アングレカムとは、マレー語で着生ランを意味する「angurek」。
進化論を提唱したイギリスの生物学者チャールズ・ダーウィン(1809~1882)。
アングレカム・セスキペダレの長い距(花の一部分が長く後ろに伸びたもの)に着目し、
距の奥の蜜腺までとどく長い口吻を持った蛾が存在すると推察していた。
それに関しては大いに論争が勃っていたのだがダーウィン死後、
1903年にダーウィンの予測に該当する蛾(キサントパンスズメガ)が発見され、
ダーウィン説が実証された。開花時期が11月~2月で日本では正月に相応しい。
アフリカ大陸の南東、インド洋の西部に浮かぶマダガスカル島原産のラン科アングレカム属の植物。
アングレカム属の仲間は200種ほどあり、熱帯アフリカからマダガスカル島などに広く分布する。
樹木や岩に根を張る着生種と地面に根を下ろす地生種があり、
茎の高さも10cmほどから1mを超えるものまで様々。
セスキペダレは大型の着生ランで、
直径15cmほどの白花は夜になると芳香を放ってスズメガを誘う。
温室栽培では12月~翌年2月頃に花が咲く。
セスキペダレは単軸生長する単子葉植物である。
この属では大型になるもので、茎は長く立ち上がり、草丈1メートルに達することがある。
葉は厚みがあり、少し灰色味のある濃緑色で、先端が丸みを帯びて割れている。
葉長は通常20-40cm、葉幅は 6-7cm。根は濃い灰色で太く、茎から出ている。
根は少なく、樹木の樹皮にしっかりと着生する。染色体数は 2n=42。
原産地では6月から11月に伸びてくる茎の先に、光沢がある六芒星形の花ができる。
ヨーロッパでは、開花期は12月から1月にかけてである。
花の形と時期がヨーロッパでの通称の由来になっている。
"Comet orchid"(星型の蘭)は花の形から来ており、
"Christmas orchid"(クリスマスの蘭)は開花時期に由来している。
花は緑色のまま咲き始め、次第に白くなり、最終的に薄緑色になる。
花の緑色の濃さは株によって異なっている。
花の特徴は長い緑の距を持つことであり、距の長さは20-35cmにおよぶ。
距の奥には少量の花蜜があり、フルクトース・スクロース・グルコース・ラフィノースが含まれている。
花は夜間のみに非常に強い芳香を放つ。通常、株あたり1花から4花を同時につける。
学名の種小名はラテン語で「1フィート二分の一」を意味し、長い距を指している。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 「令和陸年(皇紀2684年)1月13日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝備忘録 '24-2〟❖ ’24-12 ❖》

パラミツ(波羅蜜・菠蘿蜜) クワ科(Moraceae)
学名:Artocarpus heterophyllus Lam.
別名:ジャックフルーツ
(この頁、全て画像は、借り物)

棒状に見えるのは、花。
花は小さな花が密集して棍棒状の花序となる。
多肉質で一見すると果実の様に見える。
花は小さな単性花、
雄花が集まった雄花序と雌花が集まった雌花序が同じ木に付く。
パラミツの果実。
輪切りにして1/4に割った果実。
種の周囲に果肉があり、他の果肉との間に仮種皮がある。
《 未見の植物、’24・・其の二、パラミツ !!》
パラミツ(ハラミツ、)は、英語のジャックフルーツの方が知られているか。
果樹として栽培している国も多い。原産はインドからバングラデシュ辺り。
和名は漢語由来の波羅蜜であるが、パラミツの木を長実パンの木とも呼ぶ。
常緑の高木で、葉は成木では長楕円形だが、幼木では大きな切れ込みがある。
雌雄同株で、雄花のみをつける雄花序は枝の先につき、
雌花のみをつける雌花序は、幹に直接つく(幹生花)。
幹や太い枝に連なってぶら下がる果実は長さ70cm、幅40cm、重さ50kgにも達する。
世界最大の果実で形は、歪んだ球形や楕円形が多いが、ときに円柱形となるのもある。
果実の表面には数mmのいぼ状の突起があり、熟すと全体が黄色になる。
強烈な甘い匂いを放つ。果実は、集合果で、花序形成する組織が合着して果実となる。
繊維状にほぐれる淡黄色から黄色の果肉や仮種皮を食用にする。
種子は2cm程のやや長円形。熟した果肉や仮種皮は甘く、生で食用にされる。
樹脂分を含み、みずみずしさには乏しいが、弾力や粘りのある食感がある。
未熟な果実は野菜として、タイ料理、ベトナム料理等で煮物、炒め物などに使われる。
種子は焼くか茹でて食用にされる。熟す前の果肉は、デザートではなく総菜として使われる。
その他、シロップ煮缶詰、チップス、乾燥果実として使われている。葉と根は薬用になる。
パラミツの木材は建材、家具、仏像、印鑑の他、ガムランなどの楽器にも使われている。
更には、仏僧の法衣などの黄色の染料おしても使われている。
 
自生地で本物を見たい。迫力は、すごいだろう!!
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月12日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝新春の小豆〟❖ ’24-11 ❖》

伝統的な正月・お供え飾りを身近では見かけなくなった。
部屋の形も洋風になり和風の床の間も余り見ない。
だが画像のような飾りは、新年にふさわしい。
金槌で叩き砕くのだが、手拭いでくるみ叩いた。
この砕く作業は、子供の担当だった。
関東人は、お汁粉を頂く家が多いと思う。
我が家は、お汁粉の余りで羊羹を作った。
子供のおやつだった。
《 伝統的、おせち料理に続く餅料理 !!》
正月のお供え鏡餅をお汁粉やぜんざい、お雑煮等に入れ食べるのを「鏡開き」と言う。
一般的には、毎年1月11日に頂く料理。慣習というか、神事というか???
新年の恵みを与える神様「年神様」を家に迎えるのが“お正月”。
鏡餅は、古来より年神様に供える神聖な食べ物で、迎えた年神様の居場所でもある。
丸い形は歴代の天皇が継承する「三種の神器」の一つである青銅の円形の鏡に由来し、
縁起の良いもの。2段重ねるのは、福徳が重なり円満に暮らせる意味がある由。
鏡開きとは、年神様が家に滞在する「松の内」が明けてお見送りをした後、
鏡餅を下ろして食べる行事。元々は武家社会で行われていた。
鎧や兜の前に供えた餅を食べる「具足開き」が、一般の家庭にも広まった。
神様の力が宿った鏡餅を食べることで、一家の円満と健康を祈る。
それと、お正月に硬いものを食べて長寿を祝う「歯固め」の意味もあった由。
宮中行事の「歯固めの儀」は、大根や瓜、押鮎など硬い物を食し健康を祈った。
鏡開きは武家から始まった行事ゆえ、縁起悪い「切る」とか「割る」を嫌った。
そんなことから言葉・表現で、縁起の良い「開く」になったと伝わっている。
更には、包丁など刃物で切るのも嫌われ、手で割ったり、木槌で叩いたりした。
伝統的な鏡餅の場合、乾燥して硬くなり、木槌や金槌で叩いてもびくともしない。
一晩ほど水に浸して柔らかくした。昨今は、プラスチック型に餅を流し込んで作ったり、
真空パックで個包装されたのが多いのだが、扱いやすくなった。だが美的には??
年神様の「魂」が宿った鏡餅を食べることで、力を得られるのだから、パックは?
縁起的に汁粉で用いる小豆は、古くからその赤色が“魔除け”になると考えられて来た。
赤飯やぼた餅、お萩等、祝い事等に小豆を用いるのは、邪気払いや無病息災の意味もあるらしい。
 
甘党の僕には、お汁粉が何よりだ。田舎しることなる粒入りがいい。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月11日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝春待ち蕾〟❖ ’24-10 ❖》

公園近くの沈丁花の葉が、萎んでいる!?!
ジンチョウゲ(沈丁花・蕾) ジンチョウゲ科(Thymelaeaceae)
学名:Daphne odora Thunb
別名:チンチョウゲ
《 春を思わせる低木の蕾、ジンチョウゲ !!》

今日は 、十日戎・十日恵比須(とおか えびす)、正月10日の行事。
初戎(初恵比寿)・戎祭のこと。戎神の縁日、関東よりも関西で盛んの様だ。
大阪府の今宮戎神社とか兵庫の西宮神社の祭礼が有名だが、実際に拜した事ない。
恵比須さんって、言葉の響きは微笑ましい。お酉さん雰囲気が似てる感を持つ。
雑然たる日々だが、駅からの道すがらに他所様の植木を見るのが楽しみ。
木々達は粛々と春への準備。沈丁花の蕾が早くも膨らんでいる姿を見かけた。
沈丁花は、蕾から開花まで結構長い時間をもつ。懸命に新陳代謝してるって感じだ。
沈丁花は、香りが香木の沈香に似て、花の形が丁字に似ているに由来するとか。
歩きながら、名前つながりで「ハマジンチョウ」を思いだした。
沖縄県の天然記念物である「ハマジンチョウ」の大群落、可愛い花を見たことがあった。
ハマジンチョウは、海岸線のすぐ近く、満潮には汐がとどくような所に生育していた。
大学生の頃。当時は、未だ日本返還される前、沖縄行きにはパスポートが必要だった。
なんとも懐かしい思い出。再度見てみたい花・光景である。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月10日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝備忘録 '24-1〟❖ ’24-9 ❖》

アラゲサンショウソウ (荒毛山椒草)  イラクサ科(Urticaceae)
学名:Pellionia brevifolia Benth. 
(画像は、借り物)
《 未見の植物、’24其の一、アラゲサンショウソウ !!》
サンショウソウ (荒毛山椒草);
茎高10~30㎝の多年草。茎は緑褐色で、細かい毛が生える。
葉は互生し、葉はゆがんだ倒卵形、長さ1~3㎝。
葉縁に鈍い鋸歯があり、先はとがらない。雌雄異株。
花は散形花序につき、雄花序には長柄があり、雌花序は短柄。
雄花は直径約3㎜、紫褐色の花被片が4又は5個、雄蕊も4又は5個。
2個の葯室の先がくっつき、白色の花弁のように見えて目立つ。
雌花序は黄緑色、幅3~5㎜の球形。雌花は長さ約2㎜(角状突起を含め)。
花被片は5個、2個の角状突起が痩果より長い(最も長いもの2~11㎜)。
毛のように見え、3個の角状突起は短い。花期は4~7月。
果実は長さ約1㎜、表面に突起があり、種子は1個入る。種子は長さ約0.8㎜。
アラゲサンショウソウ は、鹿児島県、宮崎県に自生。葉に斑があり茎に粗毛が密生する。
粗い毛が出るのは、アラゲサンショウソウとヒュウガサンショウソウ。
又,毛の様子でヒュウガサンショウソウは屈毛,アラゲサンショウソウは開出する。
而してヒュウガサンショウソウは葉の表面に光沢があるがアラゲサンショウソウは光沢が弱い。
他に葉の表面に斑を持つ種にはナガバサンショウソウがあるが,葉の先が細くとがる。
2014年の富山県中央植物園研究所報告ではサンショウソウはオオサンショウソウと区別できず、
アラゲサンショウソウではなく、オオサンショウソウの異名とするのが適切とされた。
日本在来種; 絶滅危惧Ⅱ類 (VU) に指定されている。
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月9日、記」

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《雅羅・/・ 襍囈〝壱月捌日〟❖ ’24-8 ❖》

大和市スポーツセンター’24 大和市成人式。
(画像は、借り物)
《成人の日(壱月捌日)!!》
一月八日、旧字体で記すと“壱月捌日”となる。
今年は、1月8日が成人の日である。
大人なった事を自覚し、自ら生き抜く自覚を持つべく成人を祝う。
2000(平成12)年より1月第2月曜日(ハッピーマンデー法制定)、
各地で新成人を祝うイベントが行われていた。
又、1989(昭和64)年1月7日の朝の昭和天皇の崩御を受けて、
7日午後の臨時閣議で次の元号を「平成」と決定し、
翌8日から新しい元号が用いられた。政令により定められた初の元号。
日本最初の元号「大化」以来247番目。
*      *      *
コロナ禍も収まり、今年は清々しい若者の姿をあちこちで見かけた。
出先から戻る電車の車中で、明るい声と成人者と分かる振袖姿の女性達。
和服姿を見ると、此処は、日本って痛感した。
年頭にあった事象を吹き飛ばす程に明るかった。
同時に、一日も早く普段通りの生活が戻ってくるように希する。

あらためて、お見舞い申し上げます。
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月8日、記」
 
 
 
 
 




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《雅羅・/・ 襍囈〝正月7日〟❖ ’24-7 ❖》

年頭の七草粥。農事従事者に感謝。。合掌!!
《 人日の節供(七草の節供・七草の節句)!!》
一月七日(正月七日)は、別の古称では人日の節供と呼んでいる。
江戸時代、公式の祝日(式日)であった五節供の一つであった。
人日の節供の日に七草粥(七種粥)を食し風習があった由。
一年の無病息災を祈ることで、七草の節供とも呼ばれていた。
今では、正月行事を「松の内」と呼びその終わりが一月七日。
人日の節供に食する七草粥が正月行事の締め括る行事となる。
人日とは、古代中国の荊楚歳時記(けいそ さいじき)によると、
正月一日から「鶏、狗、猪、羊、牛、馬」の順に家畜占いをしていた由。
其々の豊耗(出来不出来)を占い最後に人についての占いをした。
その最後の日、正月七日を「人日」と呼ぶようになった。
荊楚歳時記の正月七日条に「七種の菜をもって羮(あつもの)を作る」とある。
現代日本の七草粥の慣習が、6世紀の中国に遡るが、日本独自の風習になった。
七草とは、「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」。
春の七草を現在の様に粥にして食べる様になったのは室町時代以降に由。
江戸時代、幕府が人日の節供を五節供の一つとし、七草粥を食した。
現鎌倉市にいると、鎌倉時代の事も気になり調べてみると、
鎌倉時代にも七草を食べていたが、粥ではなく羮(あつもの。汁)だった。
正月の七日(人日の節供)、七草の節供とその日の朝にいただく七草粥。
一年の無病息災を願って「七草粥」を食べる。故事由来は、伝えたい孫たちに。
正月のお節料理に疲れた胃をやすめるために七草粥を食べる。
だが、旧暦時代であれば正月七日に七草を摘むことは可能だろうが、
新暦の正月では野原で七草を摘むのは無理。園芸日本の真骨頂。
*      *      *
今年は、年頭から慌ただしい事象が!!
七日を持ってしても余震が続いている由。
被災地を思うと、七草粥は頂くに気が引けた。
願わくば、後遺症が最低限におさまって欲しい。
異国の友からの返信に終始する日々。
有り難い。阪神・北日本、と大震災に被災した仲間たち。
出来ることを対処したい。応援は、有り難い。
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月7日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝垣根の柿色〟樹  ❖ ’24-6 ❖》

タチバナモドキ(橘擬き) バラ科(Rosaceae)
学名:Pyracantha angustifolia (Franch.) C.K.Schneid.
別名:ホソバノトキワサンザシ 


タチバナモドキ(橘擬き)の葉。


《 垣根のような庭木の実“柿に見える”!!》
遠目に赤い花かと見え、沢山の実を付けた木にピラカンサがある。
ピラカンサは、トキワサンザシ、ヒマラヤトキワサンザシ、タチバナモドキの総称。
最もよく見られる赤い実はトキワサンザシで、ヒマラヤトキワサンザシは更に赤い。
対して朱色から橙色の実を付けるものは「タチバナモドキ」と呼ばれている。
 タチバナモドキは、ホソバトキワサンザシとも云われ、葉が細い。
中国原産で、明治期渡来した。5~6月に白い小さな(5-8mm)の花を一杯に付ける。
が、秋から冬の実の方がずっとよく目立つ(房上に沢山かたまってついているので)。
拡大して見るとまるで柿の様だ。橙黄色の実は、ひとつ直径8mm程度で小さく可愛い。
樹の高さは3m以下。トゲがあり密に生えるので、垣根に用いられている。
葉は長さ5〜6cmの狭長楕円形〜狭倒卵形。葉裏に灰白色の毛が密生するのが特徴。
橘擬きを日本へ導入したのは福羽逸人(ふくばはやと)、明治の農学・造園・園芸学者。
 フランス・ドイツに留学し、宮内省の宮廷園芸技師として長いこと従事していた。
東京新宿御苑の造園や東京の道路を並木にして沢山のプラタナスやユリノキを育てた。
更にイチゴ、キュウリ、ナスなどの促成栽培方法の開発や普及、品種改良にも尽力した。
西洋での温室を応用し、ガラス障子の片屋根式フレームを考案してもいる。
馬糞や落ち葉たい肥などを内部に置くことで、自然の熱源とした(今流のエコ農業)。
福羽逸人は、今日の温室やハウス栽培・農法(施設園芸)を開発した、施設園芸の祖。
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月6日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝里山の白〟植物  ❖ ’24-5 ❖》

識別できない水仙!?!
ヒガンバナ科(Amaryllidaceae)

フサザキズイセン(房咲き水仙) 
学名:Narcissus tazetta L. var. tazetta.
 
 シロバナスイセン(ペーパーホワイト) 
 学名: Narcissus papyraceus =Narcissu tazettae subsp. papyraceus
 
《 里山に見る白い花“冬を感じさせる華” だが!!》
フサザキズイセン(房咲き水仙)≧≦ シロバナスイセン(ペーパーホワイト) 
日本に帰化したニホンズイセンと呼ばれスイセンの原種にあたる。
交配親の特徴を持つ品種、香り良い水仙で地植え栽培される寒咲き種。
一般的にスイセンといえば、このフサザキスイセンを指す水仙の代表種。
暖地の海岸近くに野生化している。
イギリス王立園芸協会の分類ではタゼッタ水仙と称している。
学名の tazetta は「小さいコーヒー茶碗」を意味する。
フサザキスイセンは、茎先に白い花を房状に付け、
副花冠は小さな杯状でここも白い。
根際から生える葉は平らな線形で、時計回りにねじれる。
樹々が、紅葉・黄葉し始める事に、咲き始める可愛い花であるが。
 
※ フサザキスイセン Narcissus tazetta subsp. tazetta;
西アジア、東ヨーロッパ、北アフリカ原産。
球根は卵形、直径4~6㎝、幅 3~5㎝、外皮は淡褐色~暗褐色。
葉は4個つき、長さ25~35㎝、幅8~15(20)㎜、粉白色を帯びる。
花序は散形花序、花が5~15個つき、長さ25~35㎝。
苞は淡褐色、長さ4~6㎝、紙質。花は強い芳香がある。
花被は幅2~4㎝。花被の筒部は長さ1.5~2㎝。基部は次第に細くなる。
花被片の分かれた部分は平開又は反り返り、
白色~クリーム色、線状卵形~倒披針形、長さ1~2㎝、幅0.5~1㎝、先は鋭形。
副花冠は黄色、杯形、深さ3~5㎜、幅5~10㎜、先は円鋸歯又はしわくちゃになる。
雄しべ6個、3個は短く、花被の筒部の中にあり、
長い3個と花柱は副花冠の口の中に突き出る。
花柄は不等長、長さ8㎝以下。種子ができる。2n=22(x=11)。
 シロバナスイセン(ペーパーホワイト)
 Narcissus papyraceus =Narcissu tazettae subsp. papyraceus;
ヨーロッパ南部等原産、アメリカなどで野生化している。
球根は卵形、長さ4~6㎝、幅3~5㎝、外皮は暗褐色。
葉 は4個付き、扁平、骨があり、長さ20~35(45)㎝、幅6~15(20)㎜、粉白を帯びる。
花序は散形花序、花を 5~15(20個つけ、長さ25~35㎝。
苞(spathe)は淡褐色、長さ4~6㎝、紙質。
花は強い芳香があり、花被は幅3~5㎝、花被の筒部は長さ1.5~2㎝、
基部で次第に細くなる。
花被片の分かれた部分は平開又は反り返り、白色、狭卵形~倒披針形、
長さ1~2.5㎝、幅0.8~1㎝、先は鋭形。
副花冠は白色、杯形、深さ2~4㎜、幅5~8㎝、先は円鋸歯~しわくちゃになる。
雄しべ6個、3個は短く、花被の筒部の中にあり、
長い3個と花柱は副花冠の口の中に突き出る。
花柄は不等長、長さ6㎝以下。2n=22。
多くの初期の文献ではフサザキスイセンと同種としていたため、
混同されていることがある。※
 
正月・元日にぽつんとさいてる水仙、少し離れた所で魅せてくれた。
この花が、フサザキスイセンか、又は、シロバナスイセン(ペーパーホワイト)か、
正直、識別できなかった。今年の課題ができた。
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月5日、記」
 
 

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《雅羅・/・ 襍画〝火と水〟!!  ❖ ’24-4 ❖》

泉の森・引地川源泉(大池)から流れ出る場所。
ここの柵のところに地中より湧き水が湧いている。
大池の近くに、水車小屋を、公園にするとき設置した。
泉の森から流れ出した小川。ふれあいの森に向かう小川。
このあたりまで鮎が遡上する。
ふれあいの森に入ると、熊野神社下に通じる。
地元民の初詣りで溢れて、長蛇の列を作っていた。
丘上、画面右が、社である。なんとも温かみある焚き火。
焚き火脇では、獅子舞等お囃子。実に楽しい風景。

《 元日に思った事, 丙寅 甲子 》
元日の恒例散歩・初詣りに出掛けると、結構の人々と行合った。
泉の森は、引地川の水源地。水源地(大池)には湧き水がある。
水源地は、一般に開放されていないが、希少な植物も見える。
 元日の朝に初めて汲む水を「若水(わかみず)」と云う。
歳徳神に供える神聖な水のことを云うらしいが、
若水(新しい水の意)、生華水(しょうかすい)、初釣瓶(はつつるべ)とも云う。
 若水を汲むのは年男(一般には一家の主)の役割とされる。
日本的には、主婦こそが、実質的一家の主、と子供心に思った記憶がある。
若水を汲む際、手順や使用する道具、汲む際に唱える言葉等、決まり事がある。
 又、若水を飲むと一年中、邪気払い、若返りの霊力があるとも言われている。
万葉集や古事記にある様に飲むと若返る変若水(おちみず)信仰から来ている。
子供の頃、ご近所の井戸水を汲み分けてもらいに行かされた。
正月の生花。雑煮等にも井戸水を使っていた。小さな事だが良き風習だ。
 
能登半島の大地震、あらためてお見舞い申し上げます。
 
初詣に参る熊野神社は、小さな社だが獅子舞等の風物詩も見られる。
脇の焚き火がとってもあたたかく正月風情を感じ好きな瞬間。
新年の新しい火と言った感じだろうか。
生活になくてはならない火だ。新年を迎えた時に行われた行事を思う。
現代では大分廃れてしまった行事!?!
きりび(鑽火または切火)、こんな表現は、今やあまりきかなくなった。
「きりび」は檜の様な堅い木で作った火鑽臼(ひきりうす)と呼ばれる板に、
堅い木質の山枇杷(やまびわ)などで作った、
火鑽杵(ひきりぎね)と呼ばれる棒を揉み込んで熾す火で、神聖な火。
新年を迎えるに際し鑽火を熾す鑽火神事。生まれた清い火を、参拝者に分ける。
京都の八坂神社で大晦日から元日にかけて行われる白朮祭(おけらまつり)、
典型的な、かつ有名な行事。
参拝者は鑽火を火縄に移して持ち帰り、この火種から熾した火で新年の雑煮を作る。
鑽火は、木と木の摩擦から生まれた新しい火で清浄な火。
鑽火神事は、清浄な火によって新しい一年を迎えようというもの。
白朮祭の朮(おけら)という植物、根茎を乾燥させ、砕いて漢方の生薬とした。
本殿前で鑽火を点火した鉋屑(かんなくず)にこの生薬の朮が混ぜられている由。
「きりび」、火打石と火打金とを打ち合わせて出した火、「切火」も清浄な火。
今までの火を受け継ぎ絶やさないようにして、新しい年を迎えると意味する。
大晦日の晩に囲炉裏に正月中持つように大きな樫(かし)等の堅い材質の木をくべ、
火を絶えさせない。この様な薪木片を世継榾(よつぎほだ)と呼ぶ由。
今や囲炉裏自体がなくてこんな風習は、消えてしまったが残したい風習。
家が代々絶えることなく続くことを願った行事、「世継榾」と云う位だから。
×     *     *     *     *
身近な里山を歩いていて、コロナ禍をおもうこともあった。
焚き火とか、バーベキュウ禁止。詣でる社の階段、一段おきに!!
水と火、震災を思うと、この2つの重要さをおもった。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月4日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝玄関飾り〟甲辰歳  ❖ ’24-3 ❖》

干支・辰土鈴。
 
 
《我が家の龍 神 様+α  》
元日から世の中・・社会は、混沌としている。
時間は戻らない。先を見て心し、進むしかない。
辰(龍)歳の今年、我が家玄関を彩ってるは土鈴。
毎年、干支の土鈴を飾って、来客をお迎えしている。
子供の頃は、元旦(一日朝)鎌倉鶴岡八幡宮へ家族で初詣。
2日は、近所へ年頭のご挨拶。子供としては、お年玉が目的。
3日は、車で川崎大師に詣でた。知人宅に年頭の挨拶も兼ねて。
父親達は、箱根駅伝の大ファン、横浜駅近くで復路走者を応援。
その後に厄除け大師(川崎大師)へ。祖父時代よりの初詣行事。
元旦は、お宮へ。そして3日は、川崎の川崎大師平間寺へ。
難しい事は別として神仏習合(混交)はあって良いと思える。
江戸時代まで鎌倉の八幡様は、鶴岡八幡宮寺と称していた。
*       *       *
土鈴は、干支土鈴として鶴岡八幡宮で年頭に求めるのが最初だったか。
そして僕が松本で求めた道祖神土鈴が始まりで、土鈴収集が始まった。
特に母は、土鈴に関心を持ち色々と集め、膨大な数に上ってしまう。
かつては、個々神社で独特の土鈴が存在しお参り土産で集めのめり込む。
更には、土鈴作家物も諸々集め干支に即して飾るようになり今がある。
我が家のお守り。近年は、孫たちを思って雛土鈴等も飾っている。
全国各地には、其々特有なものがある。旅の折々に探そうとも思う。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月3日、記」
 
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《雅羅・/・ 襍画  〝正月2日〟年頭  ❖ ’24-2 ❖》

江ノ島神社、瑞心門(ずいしんもん)。龍宮城を模した楼門。
「奥津宮」源頼朝が建てた鳥居。
江ノ島神社各所の鳥居は、独り個別にくぐる。
一緒にくぐると縁が切れてしまう、という言い伝えがある。
「奥津宮」内に龍宮大神(龍宮・わだつみのみや)がある。
中々の迫力の龍像。


箱根・芦ノ湖湖畔にたたずむ九頭龍神社。




お守りも今年は龍紋模様。




《  龍 神 様  》
元日を穏やかに過ごせるか、と思っていたら能登の大地震。
言葉をもてなかった。
金沢周辺の災害地、不安を取り除くべ早急な救援をお願いしたい。
而して2日にも大きな事故が起こった。飛行機の延焼事故。。
飛行機内が、火だるまと化してる光景、初めて見たが。
昔、旅先の駐車場で車数台が延焼する場に遭遇した事があった。
車載の自転車は、フレームを残して綺麗に燃えてしまって。
燃え上がる車中から聞こえる破裂音等々に唖然・呆然、見てるしかなかった。
TVNewsを見ながら、嫌なことを思い出して、背筋がゾォッと・・。
新年そうそう、大変なことが続く。何なんだ、この事象。心するしかない。
×     *     *     *     *
今年の干支は、龍(辰)。近間で龍神様が祀られてる社は、2箇所。
2箇所とも鎌倉時代まで遡る社。往時の幕府要人が密接に関係している。
鎌倉を代表する寺、円覚寺の洪鐘祭と江島社も参加している(神仏混交)。
江ノ島は『龍の住処』と言われ、関東の龍神参拝の要所であもある。
江島神社(江ノ島神社)は、日本三大弁財天のひとつで、三姉妹の女神様を祀る。
長女が祀られる「奥津宮」内に龍宮大神(龍宮・わだつみのみや)がある。
悪縁切りの御利益あるとされる・・「奥津宮」(江ノ島神社)。
最も高台に鎮座する多紀理比賣命を祀っている奥津宮(おくつみや)。源頼朝が建てた鳥居。
拝殿天井には、眼光が鋭い『八方睨みの亀』。
奥津宮社の脇には、龍神が祀らている龍宮(わだつみのみや)がある。
ここに龍神伝説がある;
五つの頭を持つ暴れん坊の龍がいて、天女が来て「暴れるな」と説教。
龍は天女に一目惚れ、「暴れないと約束したら結婚してあげる」と天女。
龍は暴れん坊を卒業、天女と結婚(人々に尽くす良い龍に生まれ変わる)。
この奥津宮・龍宮の真下は、“龍の住処”と言われる洞窟がある。
江ノ島は龍神伝説が残る聖域だが、鎌倉幕府要人とも縁がある。
『太平記』によると・・・
 北条時政は、幕府草創の始めに江の島へ参籠して子孫繁栄を祈った由。
 祈ること三七日(21日)の 満願の夜、、、
赤い袴に裏が青い衣を着た美女(弁財天)が忽然と時政の前に現れた。
 美女(弁財天)は時政に・・・ 「お前の前世は箱根法師である。
 六十六部の法華経を書写して、
六十六箇国の霊地に奉納した功徳で、
この世に生まれ変わった。
子孫は永く日本の主となって繁栄するであろう。
 ただし、正しい行いをしなければ七代以上は続かない。
 私の言うことに不審があるなら、国々の霊所を見てみよ」と告げた。
 美女(弁財天)は二十丈(約60m)の大蛇(龍)
となって海中へと姿を消すが、その折、大きな鱗を3つ落としていった。
 時政は「所願成就した」と喜び、3つの鱗を北条の旗の紋とした由(ミツウロコ)。
 そして、美女(弁財天)のお告げのとおりに国々の霊所へ人を遣わすと、
奉納した法華経の筒の上に「大法師時政」と書かれていた。
江島神社御神紋は龍神三つ鱗。江の島は、龍神信仰と弁財天信仰が習合した島。
 
又、箱根・芦ノ湖湖畔にある箱根神社境内にある九頭龍神社新宮。
芦ノ湖の守護神、九頭龍大神をお祀りする神社(仔細は、略)。
*     *     *
僕等年代の者、何かの折、唱えた表現!!
〝かみさま・ほとけさま〟と手を合わせ、言ってたことを思い出した。
願わくば、今年一年が安寧にあってほしく希す。 
 
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月2日、記」

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《雅羅・/・ 襍画 〝2024〟年頭  ❖ ’24-1 ❖》

甲辰 丙寅 甲子(2024/1/1)
元日の昼間、我が身・知人達の安全を祈願してきたのに!!
自然は、何を暗示しているのだろう。
《 肇歳(ちょうさい)から驚愕 》
我が住む地の元旦は、穏やかに初日の出を拜む事ができた。
大晦日~元旦は、メールやネット電話で寝る時間などない程に徹夜。
年賀状を出さなくなって久しいが電話は、結構便利だ。
眠気覚ましに、近所の熊野神社に詣でた。近在の人で混んでた。
帰宅して、捜し物に没頭。夕方、携帯に緊急連絡情報が!?!
見て言葉を失う。金沢の親類家族は、無事に由。 
被災された皆様、而してブログルの皆さん、お見舞い申し上げます。
まだまだ予断を許さないことと存じます。慎重に活動されますように。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月1日、記」

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