《襍・/・画 “ '23・夏景(2)” ❖’23-76 ❖》

ウバユリ(姥百合)  ユリ科(Liliaceae)
学名:Cardiocrinum cordatum (Thunb.) Makino
《 泉の森の花 ❖'23/07/31❖ 》
ウバユリ(姥百合);
日本原産(固有種)でユリ科の大型草。関東~九州の山地に自生。
ユリ属の葉は披針形だが、ウバユリの葉は心形で、葉は食用となる。
花が咲く頃に葉(歯)が落ちて「姥」のイメージとされる(花名由来)。
茎は直立し、中部に長柄のある葉が輪生状に5~6枚かたまって付く。
茎は中空で無毛。葉は初め縦に巻いているが、広がると先端が尖った心臓形。
葉柄が有り、基部は太い。5枚ほどが輪生状に集まって付く。
直立する茎の先端(頂部)から横向きに花を1~8個つける。
花は先端がやや開く程度。花の内側の先や奥に赤褐色の斑点がある。
雄蕊は6個、花糸の長さが少しずつ異なる。花柱は長く、柱頭は三角状。
 
「令和伍年(皇紀2683年)7月31日、記」

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《襍・/・画  “あづさい'23(18)” ❖’23-75 ❖》

タマアジサイ(玉紫陽花)アジサイ科(Hydrangeaceae)
学名:Hydrangea involucrata Sieb. var. involucrata
《 紫陽花の遅咲き種 ❖'23/07/26❖ 》
我が家の紫陽花も花枯れし枝・葉を剪定、切枝を小鉢に挿す。
花観察に出かけたいが、時間が中々取れなくて諦めの境地。
今年も伊豆半島の自生紫陽花を見れた。それだけでも由とするか。
夜中、お茶を飲みながら遅咲き紫陽花を思った。
*  *  *  
蕾が開き、中の花弁や萼が顔をだした時が最も判易い。
茎、葉に短毛が密生。葉は対生、葉柄は、長楕円形。
縁に牙歯状の細鋸歯があり、鋸歯の先が芒状になる。
葉の両面はざらつき葉の基部は円形、葉先は尖る。
蕾は苞に包まれ球形になり、花期が他のアジサイより遅い。
白い装飾花は3~5枚。総て装飾花なものを手鞠玉紫陽花と言う。
開ききると覆っていた殻は散ってしまう(咲き始めが玉紫陽花の特徴)。
玉紫陽花名は、丸い玉状蕾の中に花を構成する全てが入っている事から。
以前は、初秋に咲いた玉紫陽花だが、もう咲いている、と聞いた。。
玉紫陽花の自然自生地は、本州(福島県~岐阜県)の太平洋側の山地。
山地の林内、丘陵の谷間に見られる。日本固有種でもある。
玉紫陽花が咲き終わると、ヨウラクタマアジサイ(瓔珞玉紫陽花)の季節。
タマアジサイ(Hydrangea involucrate)にも色々ある。
a. テマリタマアジサイ(Hydrangea involucrate f. steilis)
丹沢で発見、タマアジサイのテマリ型。
b. コ コノエタマアジサイ(Hydrangea involucrate f. plenissima)
箱根二子山で発見。両性花が無く、全て八重化して複雑華麗になっている。
c. ギョクダンカ(Hydrangea involucrate f. hortensis)
タマアジサイの八重化品、ガク片は円形。
d. ヨウラクタマアジサイ(Hydrangea involucrate var multiplex)
伊豆の大島で発見、甲府付近でも見つかっている。
八重の無性花が幾重にも重なっている。
e. ヤエノギョクダンカ(Hydrangea involucrate cv. Hortensis)
装飾花と両性花が八重になる園芸種
f. シロバナタマアジサイ(Hydrangea involucrate f. leucantha)
装飾花、両性花ともに純白
g. ラセイタタマアジサイ(Hydrangea involucrate var. idzuensis)
伊豆七島などの大型で葉が厚く毛深い品種
h. トカラタマアジサイ(Hydrangea involucrate var. takaraensis)
鹿児島県トカラ諸島に自生(絶滅危惧種)

「令和伍年(皇紀2683年)7月26日、記」

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《襍・/・囈 ❝波打ち際懐古❞  ❖’23-74 ❖》

稲村ケ崎の浜から江の島眺望
比較的穏やかな波が多いが、こんないい波も来る。
浜で波が打ち返す時、水面を横切るように走るのが砂堀蟹。
石ころは引き返す波と同じ沖合に向かう。
そんな中、十字を切るように横に進み、砂にもぐってしまう。
酒井恒先生からの年賀状の一部分。
サガミスナホリガニの拡大図。
《波打ち際の小動物!?! 》
7月も下旬、子供たちは夏休みに入った。
今日、気象台は関東甲信地方の梅雨明けを発表した。
平年より三日遅く、昨年より一日早い由。
愈々夏本番だ。夏と言えば海。
鎌倉稲村ケ崎から腰越にかけての浜辺は、日本に於けるサーフィンの聖地。
年間を通してサーファたちでにぎわっている。
そんな海岸線でまるでサーフィンをしているような小動物が生息している。
生活場所が年々変わっていると観察したのは、40年も前の事だ。
最近は確認していないが、スナホリガニである。
波が打ち返すとき、横に走る姿がある。数秒で砂にもぐってしまう。
我が子(長男)と海岸を散歩した折、見つけたスナホリガニがあった。
無知な小生は、よく分からず生きたまま専門家に聞きに行った。
当時、鎌倉の自然を守る会会長でおられた甲殻類学者の酒井恒博士宅へ。
先生は、一寸違いますね??と語られください、と。
半年後辺りだったろうか、新種のスナホリガニ、と連絡くださった。
今も生息しているか、否かはわからないが。。。?
*     *     *
学術論文を探して見たが、当時の事はわからなかった。
神奈川県平塚博物館のHPによると、
一般的なスナホリガニが紹介されている。
ハマスナホリガニ
 日本に生息しているスナホリガニの仲間は全部で3種類います。
虹が浜にはその3種類全てが流れ着きます。
最も多いのがハマスナホリガニで、山形および関東から南九州に分布します。
次がスナホリガニで、相模湾以南でみられますが、相模湾では非常に稀です。
ミナミスナホリガニは高知以南に分布します。
 この3種は、甲の前縁部の突起の数で見分けられます。
ミナミスナホリガニが3つ、スナホリガニが2つ、
ハマスナホリガニが1つです。

こんな解説文を読むと、七里ガ浜で観察してみたく思う。

「令和伍年(皇紀2683年)7月22日、記」

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《襍・/・画  “あづさい'23(17)” ❖’23-73 ❖》

20/07/16 庭の紫陽花。
以上、07/16朝撮影。



07/21 朝撮影。
《 自宅紫陽花の終焉 ❖07/07/16・21❖ 》
7月も下旬になり我が家の紫陽花もいよいよ終焉。
伊豆高原・南伊豆の自生紫陽花を挿し木移植したものだ。
葉の形を見れば大まかな種類は、分かる。がしかしだ!?!
専門家の云う、里紫陽花と呼ばれる自然交配種なのか!!
観察していると色々面白いことも見えてくる。
仔細・メモをこれから纏めようと思う。
2023年のMy Hydrangea、楽しませてもらった。
          
「令和伍年(皇紀2683年)7月22日、記」
 


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《襍・/・囈 ❝海岸懐古❞  ❖’23-72 ❖》

《海の神事!?! 》
7月も下旬に成ったが、いまだ梅雨明けしない首都圏。
先週の3連休など全くの”真夏”だった。
雑務処理しているので机に向かいっぱなしで運動不足。
気分転換に、古いPCを覗いてみると20年前の画像が見つかった。
鎌倉の海開き(由比ガ浜)、海の安全を祈願する神事も行われる。
 砂浜に斎竹を施し、海に向かって祭壇が設けられる。
海・山の幸が供えられ、神事が厳かに執り行われる。
 海の安全祈願、神職の神詞、雅楽にあわせ巫女の舞(浦安の舞)を奉納する。
幼少期に母親とでっかい預かり犬と散歩の途中で見た記憶がある。
我が子は、そんな神事に関心を持たなかったが20年前の画像が出てきた。
画像を見ながら、明治の文明開化は???
廃仏毀釈は、愚行だったと思うのだ。
鶴ケ岡八幡宮寺・・・! 神仏混交は、伝統・歴史・日本文化の根底にある。

「令和伍年(皇紀2683年)7月21日、記」

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《襍・/・画  “あづさい'23(16)”   ❖’23-71 ❖》

余り見かけなかった紫陽花の色と形。
《  2013年伊豆半島紫陽花忘備録(3) ❖ 南伊東・伊豆高原'23/6/7 ❖ 》
7月も下旬に入ろうと言う時期だが、いまだ梅雨明け宣言がない首都圏。
それにしても暑い(熱い)。紫陽花も剪定終わりに成ってきた。
伊豆高原紫陽花を以って忘備録も〆としたい。
&
伊豆半島、否、日本全体でも自生紫陽花と言えば、伊豆高原の城ヶ崎が一番の宝庫。
時間に余裕があれば、城ヶ崎海岸線を隅から隅まで探訪してみたい。
こんなことを思って10年になるが、実行できていないのには理由がある。
自生地を歩くより、紫陽花を講義して頂ける方のお話を楽しみにしているから。
城ケ崎文化資料館々長であり紫陽花研究者の”平澤 哲”師が、その人である。
資料館を囲む緑の大方が、収集移植した紫陽花群。それを見るだけで充分。
鉢植えではなく、地植えの樹々(紫陽花)を解説して頂ける。
葉をもぎ取って、これは・・・!! 味わってみなさい等と渡して下さる。
師は、一見では仙人のような風貌。でも実に優しい御仁。師匠の説明が楽しみで。
今年もお話をうかがえて、日頃の鬱憤、色々と抱えているストレスが吹っ飛び消えた。
こちらの紫陽花達は、自生地のそれと同じように、年々微妙に変化している。
          
「令和伍年(皇紀2683年)7月19日、記」



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《襍・/・囈 ❝青春懐古❞  ❖’23-70 ❖》

神奈川県葉山町堀内 森戸神社からの遠望(早春時)。
右手前に見えるのが、裕次郎灯台。


谷川岳・一ノ倉沢岩壁群。


昔は、葉山周辺でも自生していた八重萼・沢紫陽花。


《太陽の季節!?! 》
今日は海の日(祝日)。巷では、3連休だとか!!
今年、僕にとっては全くの苦痛しかない連休だった。
おまけに僕の感覚、海の日は7月20日だと思って止まない。

今日・7月17日は、わが青春時代の大スター俳優“石原裕次郎”さんの命日。
海が好きだっただけではなくヨットマンとしても有名な方だった。
1987(昭和62年)年7月17日に石原裕次郎さんは天星された。
彼の命日を「あじさい忌」と呼んでおられるが何故か。
ゆかりの地、葉山・逗子に今は自生紫陽花地は見られない。
我が青春時代、鎌倉・葉山・秋谷・長井・油壷辺りを写真に撮っていた。
この海岸線からの相模湾・富士山景観は、素晴らしい。
又、相模湾は駿河湾と並ぶ世界に誇れる深海生物の宝庫。
昭和天皇と酒井恒博士が発見された“サガミオサチラガニ”冠たるものである。
3体しか見つかっていないこの蟹、神秘そのもの。実に美しい蟹だ。
ここ相模湾には、サンゴ礁もある(余り知られていないが)。
自然との共存。草花を大切にする心。青春時代に教えられた。
海辺の景観、取分け小さな植物に魅了されていった。
育った環境は海だが、いつしか高嶺の花に憧れをもった。
谷川岳・一ノ倉・幽ノ沢の登攀を終え稜線に見る植物。
高山植物に感性を育ててもらった気がする。
そして、岩壁に張り付きビヴァーク・満天の星に何を思ったか?
思えばいつも身近に植物を見ていた。そして、今も。。!
半世紀も前から見ている景観に今年見た景観を重ねると、感慨深い。
石原裕次郎さん、すごっくシャイな方だと思い出した。

「令和伍年(皇紀2683年)7月17日、記」

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《襍・/・画  “あづさい'23(15)”   ❖’23-69 ❖》

下田ロープウエイの真下。道路右斜面に紫陽花が見える。
絶妙な色合いだ。
額紫陽花群の中に手鞠咲きが!?!
面白い萼片だが、手と比べてみるとでかさがわかる。
花輪と葉の形状が一般的な紫陽花と微妙に異なる??
詳細な説明は、略。自然に形成された花々に驚嘆した。
《  2013年伊豆半島紫陽花忘備録(2) ❖ 南伊豆・下田'23/6/6 ❖ 》

伊豆で紫陽花と言えば、伊豆高原の城ヶ崎あじさい祭りと下田公園の紫陽花祭り。
城ケ崎紫陽花祭り(ニューヨークランプミュージアム&フラワーガーデン)は、
230種類、3,000株の多種紫陽花が見られる(有料)。
一方の下田公園紫陽花園は、半世紀に渡り育てられた紫陽花。
100種類以上、15万株300万輪の紫陽花が約8万坪の広大な敷地に咲き乱れる。
古くは、少しの自生紫陽花(額紫陽花)だったようだが仔細はわからない。
以前、園内の散策路をゆっくり回った事があったが好みの場所ではなかった。
延々と続く大輪の園芸種紫陽花は、綺麗だったが多すぎて自然美に非で。。!!
鎌倉の環境と重なって観光地の宿命か!?! なんて思ったことがあった。
同じ下田市内、駅近くの寝姿展望台ロープウエー下の谷間に広がる紫陽花群。
地元の人でも訪れないだろう場所に魅せる紫陽花群落(旧道沿い)。
いつ見ても感動する見事な紫陽花。長い月日をもって自然変異したと思しき花。
萼や葉のデカイ事、驚くに足る。1時間程度の観察だが、1日分・見た感あった。                

「令和伍年(皇紀2683年)7月17日、記」

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《襍・/・画  “あづさい'23(14)”   ❖’23-68 ❖》

南伊豆・中木バス停・一日に??しか通らない場所。
小城トンネル前。
自生紫陽花。画面左側は、尾根底の様に斜上、
トンネル上部にも形が異なる沢紫陽花が咲いていた。
尾根底の様に斜上、200m位上部まで沢紫陽花が点在している。
道路から海まで200mもない。
そんな斜面に数種類の紫陽花が咲いている。
全く人間が干渉していない自生紫陽花。
一輪が大きい。萼片も枚数が違ったり面白い。
《  2013年伊豆半島紫陽花忘備録(1) ❖ 南伊豆・中木'23/6/5 ❖ 》

最近は、紫陽花の開花が早まっていると感じている。
何とか時間をやりくりして6月初めに紫陽花観賞に出かけた。
伊豆半島の南端に位置する環境、鉄道は通っていない。
それ故、自然環境は豊かだった。が近年、変化し始めている。
緑豊かな丘陵地に風力・太陽光発電機が設置された。
年々その規模は大きくなり、緑の減少を危惧している。
この地にとどまらず静岡県は、全体的に風力・太陽光発電が盛ん。
+-色々あるだろうが、思慮深く検討される事を強く望む。
画像は、風車群の下位に位置する沢沿い。影響が出ないことを祈る。
紫陽花は、強い植物だ。が、自然は実に繊細だから。
南伊豆の西地域海岸は、風光明媚だけではなく海水が綺麗(透明度)でも有名。
ダイビングスポットでも知られている由。
我々、自生植物を探している者にとって南伊豆周辺は羨望の地である。
十数年來、毎年、同じ顔を見せてくれる紫陽花に首を垂れ観察した。
   辺りの環境を見上げると、不安がつのる。                

「令和伍年(皇紀2683年)7月16日、記」

ワオ!と言っているユーザー

《襍・/・画 “あづさい'23(13)”  ❖’23-67 ❖》

紅額(山紫陽花)。
墨田の花火
おたふく紫陽花(渦紫陽花)。以上、泉の森(6月15日)。


7月2日。
《  2013年 紫陽花忘備録(1) ❖ 泉の森 ❖ 》
今年の6月は、近間の里地にも出かけられなかった。
紫陽花に関しては数年来、泉の森で多くを観察していない。
以前、泉の森では園芸種を極力植栽しない方針と聞いていた。
それ故、紫陽花は、余り植栽されていなかったか。
その後、管理者の交代で公園管理が変わってきた、と感じる。
紫陽花は、自然変異が多々ある、今年は楽しみにしていたが見れず。
だが、公園職員の方がSNSに画像をアップされていたので拝借。
忘備録として、使わせて頂くことにした。                

「令和伍年(皇紀2683年)7月16日、記」


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《襍・/・囈 ❝ブログル懐古❞  ❖’23-66 ❖》

左画像・・18年前の初期アバター。右、新アバター(夏限定)
《アバター!?! 》
成人年齢が、18歳になって、施行一年を持った。
ブログルに登録して、僕も18歳になったのだが。。!
実質的には、余り成長したとは思えない。
目指した写真・撮影技術の向上は???
ブログルに登録させて頂き、一番の感慨は当時の先輩会員の存在。
親しく色々教えて頂けた。幾人かの方は、まだ会員。
ハンドルネームでお付き合いさせて頂いているが、
かつては、オフ会も開催されていた(参加したことはない)。
今、我がアバターに表示している画は、先輩会員に頂いたものだ。
原画をアレンジ構成して頂いた、宝物画像である。
21世紀に入った頃、不見識な土地開発を阻止できた。
その反対運動でHPを開設した時のマスコットマークが原画である。
故事にある、夢を食う想像上の動物「バク」にあやかって、『夢(貘)』
 当時の会員“燻薫君”さんに懇願して、プロフィールイメージを作って頂いた。
我が友には、この画像を“Tapirus”と称している(欧米での呼称)。

成人!!になったこともあって、アバターを少し変更した。
HNを当初、zakkaとしていたが他所でも見られるのでzakkahとしていた!?!
固有名ではなく部屋名をアバターに使うことにした。
見慣れない旧字体を用いるが、漢字は、文化と思うから。
「襍崋房」雑→襍、崋→山の花を意味する。
      房→我が書斎、を意味する。                         

「令和伍年(皇紀2683年)7月12日、記」

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《襍・/・画 “ '23・夏景(1)”  ❖’23-65 ❖》

小田急江ノ島線片瀬江ノ島駅(ライトアップ)。
江の島神社・瑞心門。
江の島展望台からの横浜方面遠望。
《 梅雨あけの頃。海辺も活気づく!?! 》
梅雨も末期だが、線状降水帯で九州に被害が。。!
災害発生地の皆さん、お見舞い申し上げます。 

神奈川県湘南地域では、愈々、夏到来の様相を呈してきた。
各所での夏祭り、海辺での遊びも活発になりつつある。
水の被害が少ないなどと安心はしておれない。
災い・・事故なく夏を持ちたい。夜参拝。                                 

「令和伍年(皇紀2683年)7月9日、記」

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《凡・/・声 “忘れるに非ず事!?!” ❖’23-64 ❖》

こんな仲良しでありたい。
華麗な姿の孫文蓮。花弁の縁が綺麗。
《 故安倍晋三総理大臣・・孫文、今の時期に思う!?! 》
7月に入って我が家の紫陽花も終焉を迎えている。
今日は、七夕。各所でいろいろな催しがあるようだ。
昨年の7月初め頃は、異国人の友と我々の夢を語り合っていた。
今の時代、元気であれば今一度、現役的に学びあいたい、と。
そんな折に、安倍晋三元総理の悲報を持った。
言葉にならないほどの激震・衝撃!!
日本の法制度の根幹をお聞きしてみたく思っていたから。
あれから早、1年、その間の政界にあきれはするが??
安倍晋三元総理の理念を真摯に収集・分析しておく必要がある。
仲間・後輩と共々、資料収集を早急に処さねば、と思う。
資料収集を整理・纏めておけば、後輩が分析してくれるだろう。

安倍氏の本籍は、下関市。其の市にかつて造船で財をなした御仁がおられた。
大正・昭和時代に下関市長府に在住だった田中隆氏は、孫文の後援者。
   孫文が辛亥革命の資金を日本で募った時、巨額献金をした一人が田中隆氏。
孫文は下関を訪ね、田中氏に感謝のしるしを手渡している。
中国普蘭店の泥炭地から出土した2千年前の蓮の実を4粒、祝儀袋に入れ贈った。
この4粒には、深い意味がある。
中国では、礼節に2個を意識した。その倍は、最高の礼を意味する由。
田中隆氏の死後、大賀一郎博士の手によって一粒が発芽された。
みごとに開花した蓮は、「孫文蓮」と命名されている。
この孫文蓮を田中隆氏のご子息が、鎌倉鶴岡八幡宮源氏池にも分植して下さった。
そんな経緯は、今や鎌倉では忘れ去られている、って感じている。
「孫文蓮」が、今でも元気に源氏池で育っているのか??不明だが??
                下関市の長府庭園に7月中旬に花をひらく「孫文蓮」。思う所、大。                                

「令和伍年(皇紀2683年)7月7日、記」

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《襍・/・画 “あづさい'23(12)” ❖’23-63 ❖》

見ての通りの小柄な花輪、アマギアマチャか??
葉形が違う。自然交配種?と思うがヤマアジサイの挿し木。
装飾花の形も面白い。来年が楽しみ、、、待ち遠しい。
《 自宅の遅咲き紫陽花 ❖07/07/03❖ 》
7月に入って我が家の紫陽花も終焉近く花も少い。
伊豆半島の自生紫陽花を挿し木移植したものだ。
地元の専門家が云ういわゆる里紫陽花と呼ばれてる自然交配種。
昨年は、山紫陽花系の手鞠形紫陽花が立派に咲いた。
今年は、花輪がより増え、更には花径も大きい。
而して驚くことに遅咲きで異なる種類!?!の花輪が見える。
6月下旬は、興味深々で毎日が楽しみだった!!
徐々に形が整ってくると、山紫陽花系アマギアマチャに見えてくる?
先祖帰りと言って紫陽花は時折変異するが、なんとも楽しい。
両性花が開花すると、五弁花等全体が単色、これは!?!
素朴だが清楚に魅せる一輪。唸ってしまった。

「令和伍年(皇紀2683年)7月3日、記」

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《襍・/・画 “あづさい'23(11)” ❖’23-62 ❖》

フチナシガクアジサイ (縁無し額紫陽花) アジサイ科(Hydrangeaceae )
学名:Hydrangea macrophylla (Thunb.) Ser. f. nuda Konta et S.Matsumoto 
ーーつくば実験植物園内圃場ーー

《身近に自生していない出会ってみたい紫陽花》
我が家の紫陽花も終わりに近づく。花も少なくなって。
自生を確認していない額紫陽花の原種、日本固有種を思い出した。
資料によれば、関東・中部地方、伊豆諸島、小笠原諸島に分布、
暖地の海岸の斜面に見れるフチナシガクアジサイ (縁無し額紫陽花)。
僕自身は、自生地を未だ確認、出会っていない幻の紫陽花。
名の様に特徴として両性花の周りに花弁状装飾花がない。
樹高は、2~3メートルにもなる由。
葉は、向かい合って生え、卵形で厚い。開花時期は5~7月頃。
両性花は、花径1cmにも満たない五弁花。花色は、淡い紫色。
花後にできる実はさく果(熟すると下部が裂け、種子が散布される果実)。

「令和伍年(皇紀2683年)7月1日、記」

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