《凡・/・声 “忘れるに非ず事!?!” ❖’23-64 ❖》

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こんな仲良しでありたい。
華麗な姿の孫文蓮。花弁の縁が綺麗。
《 故安倍晋三総理大臣・・孫文、今の時期に思う!?! 》
7月に入って我が家の紫陽花も終焉を迎えている。
今日は、七夕。各所でいろいろな催しがあるようだ。
昨年の7月初め頃は、異国人の友と我々の夢を語り合っていた。
今の時代、元気であれば今一度、現役的に学びあいたい、と。
そんな折に、安倍晋三元総理の悲報を持った。
言葉にならないほどの激震・衝撃!!
日本の法制度の根幹をお聞きしてみたく思っていたから。
あれから早、1年、その間の政界にあきれはするが??
安倍晋三元総理の理念を真摯に収集・分析しておく必要がある。
仲間・後輩と共々、資料収集を早急に処さねば、と思う。
資料収集を整理・纏めておけば、後輩が分析してくれるだろう。

安倍氏の本籍は、下関市。其の市にかつて造船で財をなした御仁がおられた。
大正・昭和時代に下関市長府に在住だった田中隆氏は、孫文の後援者。
   孫文が辛亥革命の資金を日本で募った時、巨額献金をした一人が田中隆氏。
孫文は下関を訪ね、田中氏に感謝のしるしを手渡している。
中国普蘭店の泥炭地から出土した2千年前の蓮の実を4粒、祝儀袋に入れ贈った。
この4粒には、深い意味がある。
中国では、礼節に2個を意識した。その倍は、最高の礼を意味する由。
田中隆氏の死後、大賀一郎博士の手によって一粒が発芽された。
みごとに開花した蓮は、「孫文蓮」と命名されている。
この孫文蓮を田中隆氏のご子息が、鎌倉鶴岡八幡宮源氏池にも分植して下さった。
そんな経緯は、今や鎌倉では忘れ去られている、って感じている。
「孫文蓮」が、今でも元気に源氏池で育っているのか??不明だが??
                下関市の長府庭園に7月中旬に花をひらく「孫文蓮」。思う所、大。                                

「令和伍年(皇紀2683年)7月7日、記」

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