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【Day419】東京遠征(4)

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【Day419】東京遠征(4) 【Day419】東京遠征(4)

先週の東京遠征の話の続きです。

アップするのを忘れていました。

1人で行ってきた2つのお店。

それがキンコン西野さんの会社で出している「チムニーコーヒー渋谷店」と2022年後半にお世話になった「天狼院書店Esola池袋店」でした。

チムニーコーヒーでは、熱々のコーヒーとフィナンシェ(プレーン)を購入。
こちらが11日の朝ごはんになりました。

天狼院は、池袋駅から東北に戻ることにしたので、その池袋駅の中にあったお店に立ち寄りました。正直、疲労困憊だったので、ほんと、少し覗いた程度です。

具体的にお店の中を体験することで、オンラインで参加するイベントであっても、情景が目に浮かびやすくなりそうです。

以上で、東京遠征のレポートは終了になりますね。

ありがとうございます!!


#ライティングゼミ #旅行

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【Day417】ライティング・ゼミ初場所、終幕!

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【Day417】ライティング・...

「痛みに耐えて、よく頑張った。感動した!」

小泉首相の有名な言葉。シンプルで、全国民に届いたと思えるほど、強烈なメッセージだった。
2013年の夏場所、14日目で怪我をした横綱貴乃花。強行出場した最後の取組で、横綱武蔵丸に敗れてしまい、優勝決定戦で勝者が決まることに。しかし、貴乃花は、気迫の上手投げで勝利を手にした。
1つの場所を舞台にして、15日連続で、本物の力士達が意地と意地とをぶつかり合わせる大相撲。まさに、感動の世界である。


2022年夏、私は「力士」になった。
「相撲力士」ではなく、「ライター力士」である。

「天狼院書店」の「天狼院ライティング・ゼミ8月コース」という名の部屋の門を叩いたのだ。目的は、シンプルに文章力を上げたかったから。書く力が付けば、人生がもっともっと豊かになる、そう信じたかった。

オンラインでの参加ではあったが、三浦親方の熱い稽古を受けた後、いよいよ初場所、初土俵を迎えることになる。
その戦いとは、毎週2,000文字の原稿を提出すること。
合格か不合格かの勝敗が付くという。15戦ではなく、16連戦だ!

部屋から求められたことは2つ。
「休場しないこと」と「最後の4試合中3勝すること」。

これまでライティングは、独学でやってきたため、試合でどんな評価をもらえるのか、期待と不安が入り混じった。親方の教えを忠実に守って、戦いを投げ出さずに、真摯にライティングに打ち込んでいけば、必ずこのゲームはクリアできる! そう信じて、1回目の文章を提出した。

提出後の火曜日の午後、仕事中にこっそりとFacebookの通知を見た。
何と、初白星! 反射的にガッツポーズをしてしまった。
嬉しさのあまり、その後は、ノリノリで仕事ができた。

褒められることで伸びるタイプの私は、自分の体験談を中心に、自分の「熱」を文章に込め続けた。お客様には、最後まで試合を見ていただく必要がある。
自己中心的な試合運びではなく、「リーダビリティ」と呼ばれる試合運びは、エンターテイメント性が求められることを少しずつ理解していった。

11月27日。親方からの最後の稽古。
この時点で12戦9勝。勝ち越しは決まっていたが、ここから残り4試合が天王山。本当の闘いはここからだ。

残り4試合の初戦、渾身のネタで挑んだが、審判から的確な「物言い」をいただき、敗戦……。出鼻をくじかれ、一気にスランプに陥ってしまう。
自分の文章に自信が無くなってきたのだ。理由は3つ考えられる。

まずは「ネタ切れ」。13試合続けてきて、書くことが無くなっていたのだ。親方は言う。「通勤するだけでも、何個もネタが見つかるはず」と。
とはいえ、歩いても、歩いても、何も感じない。何も思いつかない。

次に「ワンパターン」。文章が毎回同じ「型」であることに対する嫌気を覚えた。「押し出し」でしか勝てない力士の気持ちがよくわかった。

最後は「他者比較」。自分は自分、他人は他人ということはわかっているのだが、Facebookグループでは、同門戦士の試合結果がわかってしまう。ついつい見てしまい、自分だけが「負け犬」であると錯覚した。


12月に入り、残り3戦。私は家族のコロナ感染により、外出ができなくなった。最初は心が乱れたが、これはチャンスなのではないか? 
自分を見つめ直す時間を作り、これからの「戦略」を徹底的に考えることができたのだった。怪我の功名である。
残り3戦は、これまでの自分の戦い方を忠実にやっていこうと決めた。
清々しいまでの「開き直り」である。

最終決戦の2戦目、とことん行動することにした。自分専用のLINEスタンプを作り、その経験から学んだことを記事にした。
結果は圧勝! これでいいのだ。この調子、この調子!

3戦目。以前、得意の「習慣」についてのネタで敗北を喫していたので、再度、同じテーマでリトライ。
今度は、なぜ習慣を大事にしているのか、小学生時代にまでタイムスリップした。その結果、「ラジオ体操」という原体験が、今の自分の「礎」を作ってくれたことに気付かされた。
今度は認めてもらえて、勝ち星を拾った。首の皮一枚が残ったぞ!

「●○○」と黒と白の星が並んだ。

いよいよ、結びの一番である。
もう「迷い」は無くなった。もちろん「悔い」も無い。

ライティングは、最高の「セルフ・カウンセリング」の時間だった。
はじめた頃は、「リーダビリティ」や「読者メリット」を意識して書いていたが、ネタが尽きた頃、自分の人生について、これでもかと言うほど、とことん向き合った気がする。過去に感じた「喜怒哀楽」にアクセスしたことで、胸が締め付けらたり、未来をもっと良くしたいという感情が芽生えたりした。

今回のチャレンジは、必要不可欠で、必然だった。
表現者として評価されることは、正直、怖かった。ずっと不安だった……。

チャレンジとは、「コンフォートゾーン」から離れることだ。
元の場所は、居心地がよく、安心・安全の場所なのかもしれない。
もし「不安」を感じることが多いのなら、そこはコンフォートゾーンの外に居ると思っていい。それが、チャレンジをしている証なのだ。


2022年、私の「ライティング16番勝負」がいよいよ終わる。

心から、この講座を申し込んで本当に良かったと思っている。
毎週書くことで、「自己基盤」がしっかりしていった感覚がある。

結果はどうあれ、全16戦、1試合も投げ出さず、闘い続けることができただけでも、「痛みに耐えて、よく頑張った!」と自分を褒めてあげたい。

2023年は、どんな戦いが待っているのだろうか?
「感動した!」と相手に言ってもらって、自分も「感動」し続ける。そんな人生でありたい。そのためにも「筆を止めるな!」、これからも「書くこと」を続けていきたいと思う。

#ライティングゼミ

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【Day409】ラジオ体操が教えてくれたこと

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【Day409】ラジオ体操が教...

「この建屋で、もうラジオ体操はできないかもしれない……」

東日本大震災の数ヵ月後、神妙な表情で上司が私に話してくれた。
当時築30年の4階建ての社屋は、大地震では何とか持ち堪えたのだが、さらに激しい衝撃を加えるのは良くないらしい。「ラジオ体操ぐらいの衝撃は大丈夫でしょう!」と反抗したくなったが、私は言葉を飲み込んだ。皆、疲れ切っていたから、無駄な争いはしたくなかった。

結果として、ラジオ体操は「3.11」に封印されたまま。

さらに、2021年2月、2022年3月の東北での大地震を受けて、建物は風前の灯火で、もう、カウント9で何とか起き上がったボクサー状態。3階で働く者にとっては、震度3の地震であっても、震度4~5に錯覚してしまうほど、面白いようによく揺れる(笑い事ではない)。

もう、永遠に「ラジオ体操」はできないのだろうか?
私にとって、「ラジオ体操」は命の恩人であるというのに……。


先月、3年ぶりに営業所に行く機会があった。
朝礼から参加させてもらったが、そこでは何と「ラジオ体操」の時間があったのだ。さすがは新築3年!
もう、11年ぶり! 体は、不思議と忘れずに覚えているものだ。
私は本気で、全力で「ラジオ体操第1」をプレイした。

クライマックスのジャンプでは、もしかして「トランポリン」を使っているんじゃないのかと周りが錯覚するほどに空高く舞った!
最後の深呼吸は、自分史上、最高にマインドフルネスな時間。とことん、自分の呼吸にフォーカスしていた。

感動の再会。ラジオ体操よ、ずっと会いたかったよ!
できることなら、マスクを付けずに楽しみたかったよ!


幼い頃、私は「病弱」だった。
小学生の時は、すぐに風邪をひいてしまい、結構な頻度で、学校を休んでいたと思う。さらに、年に何回かは入院するほど、パジャマがよく似合う弱男。

私の両親は、自営業で「饅頭屋」を営んでいたため、朝から晩まで汗水流して働いてくれていた。弱って入院することになっても、実は、嬉しい気持ちもあった。大好きな母を独り占めでき、甘えることができたからだ。

貧しい家庭だったはずなのに、入院中は大好きな「漫画」を買ってきてもらえた。低学年だったので、「どらえもん」や「パーマン」などの藤子不二雄漫画をよく読んでいた記憶がある。とはいえワガママは言えない。数冊だけ買ってもらい、何度も何度も擦り切れるほど読んでいた。

点滴を受けながらの読書、片手でページをめくるのが不自由ではあったが、母が看病してくれている病院のベッドは、世界中で一番の安心できる場所だった。

小学校4年の夏の出来事。あの夏のことは今でも鮮明に覚えている。
その年は、珍しく体調が良くて、病院ではなく、娑婆にいれたのだ。
奇跡的に、元気な状態で夏休みを迎えることができていた。

学校から配られた1枚のカード。
それが「ラジオ体操」のスタンプカードである。

去年までは、朝のラジオ体操まで休んでしまっていたので、「今年こそは、このカードをスタンプで埋め尽くしたい!」と心から思ったのだ。
10歳の少年の微かな野望、何としても叶えたい! 今ならイケる気がする!

ラジオ体操は、10日間程度の日数だったが、毎日毎日、早起きをして、近所の保育園の広場まで通い、ついに、ついにコンプリートできたのだ!
私の人生における、記念すべき、はじめての成功体験である。

大人になってからは、不思議なもので、健康体になった。
特に、ここ5~6年は、人生の折り返しを感じて、「心技体」につながる習慣を大事にするようになった。もしかすると、あのラジオ体操のスタンプを押してもらう体験が、毎日毎日、小さな習慣を大切にするきっかけになっているのかもしれない。

ラジオ体操は、1928年に「国民健康体操」として始まった。しかし、第二次世界大戦で日本が敗戦国となり、GHQから軍国主義的であるという理由で、廃止されてしまう。しかし、一度は死んだラジオ体操は、復活を望む国民の声が政府やNHKに数多く寄せられるようになり、1951年、ついにラジオ放送が再スタートしたのである。

まさに国がこの体操を継続させようと決断してくれたことで、皆勤賞とは無縁だった少年が、10日間だけだったとはいえ、継続する喜びを味わうことができたのだ。

毎日続けている習慣には、「早起き」「瞑想」「スクワット100回」「読書」「英単語学習」「散歩」などがある。習慣を大切にする理由は、1日の終わりに達成できたことを記録し終えた時に、ラジオ体操終了後にスタンプを押してもらえた感動と同じ感覚を得られるからだ。
「今日も1日、お疲れ様!」と、自分で自分にオッケーを出しているような感覚。自己受容のための時間、今の自分には無くてはならない「ふりかえり」と言ってもいい。そこには、安定した秩序がある。

一日一生、今日1日を精一杯生きたか? 少なくても、すべての習慣をやり切った1日は、少しだけ昨日の自分より前に進めていると思える。
さらに、毎日毎日スタンプが押されていくことで、あの日の10歳の少年に「今は健康で楽しんで生きているよ!」とメッセージを送っている気がしている。

11月29日、我が家は、新型コロナウィルスに侵された。
息子2人は、39℃を超える高熱にうなされた。彼らを部屋に隔離したときには、時すでに遅し。私の喉が破壊されるには、そう時間はかからなかった。
数日、寝たきりになってしまい、人生の習慣スタンプカードに空白ができてしまった。

しかし、何の迷いはない。
また0から積み重ねればいいだけの話。すでに、微差を積み重ねていくあの感覚を心身が覚えてくれているのだ。

戦後、ラジオ体操が再び蘇ったように、私もまた健康ライフを再開させたい!
「習慣」を再度継続して、なりたい自分に近づいていこう。

もちろん、いつまでも健康でいれる保証はない。
「病気」の苦しみは、何度も何度も味わった。だからこそ、今日1日、健康で入れることをとことん噛みしめて、丁寧に生きていきたい。

あの日、ラジオ体操が教えてくれたこと。
「続けることの大切さ」、そして、「健康の有り難さ」。
それからもうひとつ。大事に育ててくれた「両親への感謝」である。

#ライティングゼミ

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【Day408】フロー時間をいかに多く作れるか

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【Day408】フロー時間をい...

フローとは、心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱した目標達成に向けて自己のもつスキルを発揮し、自分の存在を忘れ、時間感覚が消えるほど没頭できた時に生じる「楽しさ」「ワクワク感」「充実感」などに代表される最適な心理状態のこと。

今回、このフロー状態を意識的に作ってみたのです。

2,000文字以上のライティングを行う際にトライ!


PCに向かって、書くこと以外の行為は一切しないように決め(調べ物も後回し!)、とにかく書くことだけに没頭しました。

もちろん、書くテーマとクライマックス(落としどころ)だけは決めたうえで。

1時間以内の2,000文字を書き切ることが目標。

2回やってみたのですが、「59分」と「53分」でクリアできたのです!

もちろん、調べ物をして書き加えたり、誤字脱字を修正したり、推敲作業はその後必要でしたが、これが当たり前にできるようになると、自分のタスク処理スピードが大幅にアップする感覚をつかみましたね!

確かに「フロー」に入っていたと思います。

イヤホンから聴こえてくる「ハードロック」の音楽が心地よく、ずっと止まらずにキーボードを打ち続ける感覚。
スピーディーに書くから、難しい表現も自然と避けるようになり、結果、読みやすい文章になりました。

これは仕事にも活かせそうですね。

電話などで、仕事は中断することは毎回ですが、それを言い訳にしていてはいつまで経っても成長はしません。

また、元の作業に戻ったときに、すぐにフローに入れればいいだけ。

たいてい元のゾーンに戻るのに、平均20分はかかると言われています。その時間を2分くらいに短縮できれば、フロー時間での活動を長く取れるようになります。

そのために、トリガーとなる動作を作ってしまうのもありかもしれません。

「指を鳴らす」「遠くの山を見る」「特定のアロマを嗅ぐ」でも何でも良さそうです。


2023年の改善テーマの1つは「フロー時間倍増計画」で決まりだぜぃ!!!


#フロー #ライティングゼミ

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【Day404】100 にこだわる

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【Day404】100 にこだ...

「今日の算数のテストの点数、何点だった?」

我々日本人は、小さい頃から「100」という数字のイメージに対し、洗脳されてきたように思う。テストで100点を取ることが「よくできた!」と高評価された。今思えば、ただの暗記の確認テストだったというのに、その人自身を判断する基準になってしまっていた。100点を取った人間は偉くて、0点はダメ人間。そんな風潮は、今でも変わっていないのだろうか。中学生の息子たちの勉強を見ていると、今でもアナログな「暗記テスト」が多く、日本の教育システムは、40年前に小学生だった私の頃と、ほとんど変わっていないように感じる。


そんな100点教育の弊害なのか、私はこれまでずっと「100」にこだわってきたように思う。「100」にまつわる記憶を掘り起こしてみたい。

30歳の頃、当時やっていたバンドで、1ヵ月後、1人1曲、曲を書いて出し合おうということになり、私がその時に書き上げた曲のタイトルは『100まで生きたい』であった。「未知の未来に何が待っているの 生きることを大好きになろう」と、とにかく「今」と「未来」への希望を歌詞に託した。


年の初めには、「やりたいこと100リスト」を書き出すことにしている。40個くらいまではガンガン書けるのだが、途中でペンが止まってしまう……。永遠に続くと思われる「水平質問」に答え続けなければならず、頭の中で「他には?」、「他には何がある?」という質問を問い続ける。外の空気を吸ってきたり、歩き回ったりすることで、意外と新しいやりたいことが見つかるから不思議だ。


2022年の前半には、生まれてはじめて「100kmマラソン」というウルトラマラソンのレースに挑戦した。妻の親友から声がけしてもらったことが、参加のキッカケだった。軽いノリで挑戦したわけだが、今思うと「100」という数字に引き寄せられたのかもしれない。これが「80km」や「110km」だったら、参加したかはわからない。レースは、コーチングのコーチにお願いをして、約半年間伴走してもらいながら、何とか完走することができた。レースは、13時間を超える苦しい闘いであった。


他にも、毎年の読書ノルマは「100冊」と決めている。1カ月に均してみると、月に8~9冊程度。週に2冊であるなら、社会人として最低限のたしなみだと思っている。しかしながら、布団に入って読んでいると、いつの間にか寝落ちをしていることがほぼ毎日だったりして、今年は12月1週目にして残り12冊。師走でイベントも多い中、何とかクリアしていきたい。


あれ? もしかして、私は「100」が大好きだったりするのか?
そうか、そうかもしれない。無意識だとしても、「100にこだわって生きている」といっても過言では無い。


なぜ100にこだわっているのか?
1つ1つの小さな達成が積み重なって、それがいずれ「100」になるから心地よいと思っているのだろう。


『100まで生きたい』は、1歳1歳その歳ごとの人生を楽しんで、気がついたら100歳だったと思いたいと、自分の願望がそのまま歌詞になった。あの金さん、銀さんの名言「(100歳のお祝い金を)老後の蓄えにします!」のような小粋なギャグを100歳になっても言ってみたいものだ。


「やりたいこと100リスト」には、1つやりたいことを実現すれば、残りが減っていく心地よさがある。「去年は50達成できたが、今年は60達成できている!」などと、その年が活動的だったかどうかが「見える化」される。


「100キロマラソン」は、1kmの距離の積み重ね。最初はフルマラソンの2.3回分などと計算したが、なかなかイメージしにくかった。1kmを100回走れば完走できるというイメージの方が、とてもしっくりきた。当日、1kmごとに水分補給を行う作戦もうまくいった。


読書もシンプルに1冊読めば、今年の読了冊数が1カウントアップされる。非常にわかりやすい。1冊読み終えると、何だか賢くなった気がしてくる。その感覚を100回も味わえば、確実に昨日の自分を楽勝で超えていけるだろう。


そうか、わかったぞ! 
「100」は、「1+1+1+1+……+1」でできているかぁ~!
1+1が2となり、2+1が3になる。そして99+1が100になるのだ!

何かの書籍で読んだのだが、イチロー選手は「打率」ではなく、「安打数」でこだわりを持っていたらしい。メジャーリーグで10年連続200安打を達成できたのも、数字が上下する打率ではなく、減ることのない安打数にこだわり続けた大偉業だったのかと思うと、さらに尊敬の念が強くなる。

イチロー選手と比べると私はまだまだではあるが、これからも「100」という数字の積み重ねにこだわって行きたいと思う。


では、これから何をどうしていくか?

継続しているエッセイを「100本」書いてみたいと思っている。
毎週2,000文字の原稿を14本連続で書いてきて思ったのだが、ネタが無くなってからのアウトプット行為が確実に「ライティング力」を底上げされてくれているように思う。とにかく、書いて、書いて、書きまくりたい。そのためのインプットも忘れないようにして。


さあ、宣言できた!

「100」にこだわることは、行動のプロセスを通じて、自分自身の「成長」を感じることである。

100歳に向かう途中、100冊の本を読みながら、ときどき100キロを走りつつ、100のやりたいこと、100本ライティングをやっていきたい!

死ぬ直前、「あなたの人生は何点でしたか?」という家族からの問いに対して、私は「100点!」と答えることができるだろうか?

#ライティングゼミ

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【Day402】自分LINEスタンプ作りは究極のふりかえり術である

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【Day402】自分LINEス...

「ありがとう、オリゴ糖!」

夏も終わりを迎えようとしていたある日、私は芸人ジョイマンのLINEスタンプを妻に送った。午後から大雨になったことで迎えに来てほしいと妻に伝えたところ、「今、行く!」という返信が届いた。そのスタンプ返しであった。


ストレートに言葉で伝えるよりも、今はLINEスタンプでインスタントにメッセージを送れるので、とても便利である。ジョイマン以外では、「お前を蝋人形にしてやろうか」(いつ使う?)の聖飢魔Ⅱスタンプや「トゥギャザーしようぜ!」でおなじみのルー大柴スタンプなどを多用してきた。
しかし、今年の中盤くらいから、ずっと違和感を感じてきた。なんだろう、何か「他人のふんどし」で相撲を取っている感覚があり、ちょっとした罪悪感があったのだ。


こうなったら、「負」の感情を減らすためにも、自分のLINEスタンプを作るしかない! 9月の初めに突然、作ってみようと思い立った。他人の言葉ではなく、自分の言葉で伝えたい、そんな気持ちだった。
今は手軽にスタンプを作れる時代であることは、薄々知っていたのも大きかった。要はやるか、やらないか。そんなときは、勿論、「やる」の一択である。


しかし、現実は甘くは無かった。スタンプは、「画像」と「言葉」の組み合わせが必要になる。いったい、どんな絵の上に、どんな言葉を重ねたらいいのか、皆目検討がつかないのだ。「オリジナルLINEスタンプを作る」という未完のタスクが1ヵ月以上も手つかず。時間の経過と共に、少しずつ思いが薄れていく……。


潮目が変わったのは、「このスタンプを誰に届けたいのか?」とコーチから問われたときだった。
そうだ、そうであった。「何のため、誰のため?」をまず考えることは、仕事の基本中の基本であった。そんなことも忘れていたなんて、歌を忘れたカナリアであった。自分に「どんまい、玄米」のスタンプを送って、気を取り直そう。


問いの答えはすぐに沸いてきた。まずは「息子たち」になる。
双子の息子たちも今年から中学生になり、ちょうど、スマホデビューを果たしたところであったのだ。むしろ、親よりもLINEの使い方については詳しくなってきている。

よし、スタンプのテーマは「勇気付け」としよう!
勇気付けとなる自分が普段使っている言葉、そこにユーモアあふれる画像を組み合わせることで、クスっと笑えて元気が出るスタンプ。自信を無くした時、自分を見失いそうになったときにこそ役立つスタンプ。これで決まりだ!

そこからの作業は、ワクワクの連続だった。
まずは言葉選び。白紙のノートに「できてる、できてる!」、「オッケーでございまーす!」、「寝ればなおる!」などを書きなぐった。普段から口にしているフレーズだけあって、自分でも驚くほどすんなり出てきた。作詞家としての仕事はここまで。

次はいよいよ曲作り、背景となる画像選びである。
Googleフォトに保存されている写真を何時間も見続けた。またも目的を忘れてしまい、過去の想い出に浸ってしまった。危ない、危ない。
気を取り直して、できるだけオリジナリティある写真を厳選した。

ここまで来れば、終わったも当然じゃあ~!
残すは言葉と写真のマッチング作業だけ。ある程度は、写真選びの時に、辺りは付けていたとはいえ、ここで間違えるわけにはいかない。目的は、他者への勇気付けである。相手の勇気が1%でもアップしなければ意味が無いのだ。

LINEスタンプの作成は、LINE社が提供している「LINEスタンプメーカー」を使用した。スマホ内に保存した画像を呼び出し、そこに文字入力していく形で、スタンプができ上がっていく。慎重に、慎重に作業を進めることで、ついにスタンプが完成したのである。

さあ、LINE社に申請だ! アプリから簡単に申請ができた。超便利!
しかし翌日、結果は「リジェクト」のメッセージ。どうやら、拒否されてしまったようだ。作成したスタンプの中の1つに性的表現が含まれるという理由だった。「手ぶらで出かけよう!」というミニマリストらしい提案だったのだが、今の時代にはNGだった。とても勉強になる。

気を取り直して、スタンプを差し替えて再申請!
12月4日。ついに承認され、晴れて「たいぞーの勇気もりもりスタンプ」が非公開ながらも、LINEスタンプショップにエントリーされたのだ。



思えばこのLINEスタンプ作りの作業は、自分自身のふりかえりのための時間であった。いったい自分がどんな「言葉」を大切にしているのか、いったいどんな「場面」でどんな「言葉」を伝えたいのか。その質問に対して、徹底的に深掘りすることで自分の中から出てきた言葉達……。その言葉は、普段、自分で自分に語りかけてきたものだったのだ。


仕事で壁にぶちあったとき、そんな中でも「できてる、できてる!」。
上司に人格否定されて凹んだときは、「寝ればなおる!」と声がけをした。
自分の強みがわからなくて落胆しそうなとき、「俺は誰にも似ていない!」と信じ、新しい勉強を始めるときも「何のために学ぶの?」と問いかけをしてきた。


写真選びでも、過去の写真を俯瞰して見ることができた。どんな場面でどんな表情を作ってきたのか、自分自身の歴史から自分らしい絵を選び抜く行為は、必然の時間だったと思える。


断言しよう。オリジナルLINEスタンプを作成する行為は、究極のふりかえり術であると!

さあ、早速、出来立てほやほやのLINEスタンプを息子に送ってみようではないか。

おやおや、すぐにメッセージが届いたぞ。
いったい、どんな素敵なコメントを書いてきたのだろうか?

2人とも「お父さん、キモい!」だと~!

「お前を蝋人形にしてやろうかぁー!!!」

#ふりかえり #ライティングゼミ

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【Day395】自分の中のSMAPを感じよう

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【Day395】自分の中のSM...

「ちょ、ちょ、待てよ!」

数年前、1時間に1本しか走っていないローカル電車に乗り遅れたとき、つい自分の口から出てきたフレーズだ。
言ってみてどうだったか。電車のダイヤに合わせられなかった自分が悪いのに、「俺に合わせろ!」と自己主張できた感覚が、少しだけ気持ち良かった。ちなみに、このフレーズを使う猛者が、ジャーニーズ事務所所属の「木村拓哉さん」である。

今年、マラソンの目標だった「100キロ完走」と「フルマラソンサブ4」を達成することができた。毎日、その目標を叶えるための習慣を決めて、淡々と小さな行動を積み重ねたことでそれを成し得えることができた。
韓国で有名になるという番組の企画で「チョナン・カン」になるために、コツコツと自分に水やりをし続けて、ハングル語を自分のものにした「草なぎ剛さん」の背中が少しだけ見えた気がした。

友達と飲みに行くと、たまに「プロレス」話に花が咲く。
最強レスラーは誰か? ジャンボ鶴田、前田日明? それとも三沢光晴? 好きな必殺技は? リストクラッチ・エクスプロイダー? エメラルド・フロージョン? 好きな団体はどこ? 新日本? NOAHも熱いよね!
好きなものをとことん話せるって、最高に幸せなこと。映画やワインに造形が深い「稲垣吾郎さん」になったかのように、私も、四天王プロレスの魅力を語り出した。

今はアラフィフ親父でも、社会人成り立ての頃は「永遠の若手」のように振る舞っていて、先輩のお姉さま方には、とても良く可愛がってもらえた(いい意味で!)。全力でぼけ、オリジナル・ギャグを披露したら、「つまんねーよ、それ!」と突っ込まれた。それでも、いつも「笑顔」でいれた。
元気いっぱい「末っ子キャラ」として大胆な発言もじさない、まるで「香取慎吾さん」のような時期だったと記憶している。

最近は「幹事」の役割をする機会がほとんど無くなったが、20代の頃は、飲み会や結婚式の二次会の「幹事」などをよく任されたことを思い出す。席順をどうするか、参加者全員に気持ちよくなってもらうためにはどう動くか?
場全体をあたたかく見守り、ゲスト全員に配慮し、どっしりと安定感ある司会で周りを楽しませてくれるリーダー「中居正広さん」のように、振る舞うことはできていただろうか?


国民的アイドル「SMAP」が解散して、もうすぐ6年になる。
今でも個々のメンバーを、テレビや映画、インターネットで観る機会は多いが、5人揃った姿を観ることはもう二度と無いのかもしれない。

SMAP全員でまた活動してほしいなぁ~と思いふけっていたら、SMAPメンバーらしく振る舞っていた過去の記憶が雪崩のように蘇ってきたのだ。

あらためて、個性的なメンバーが揃っていて、バランスの取れたグループだったと再認識させられた。もちろん、現オートレーサーの「森且行さん」の存在も忘れてはならない。


最近巷では、「私って、こういう人間だ」というステレオタイプ的な主張を良しとする風潮がある。

才能診断ツールも多くあり、「ストレングス・ファインダー」、「ウェルスダイナミクス」、「エニアグラム」、「強み診断VIA-IS」など、とても充実していて、私も診断し、参考にさせてもらっている。

自分らしく生きる。とても素晴らしいことだと思う。

しかし、診断の結果を鵜呑みにして、自分は「外向的である」とか「人前で話すのは得意じゃない」などとラベリングをするのは、どうなのだろうか?

ツールそのものを否定するつもりは無いが、診断を受けたその日の状態によって、結果は大きく変わってくるだろう。一度だけの診断で、自分にレッテルを貼る必要は無いと考える。

「ジョハリの窓」というモデルがある。その中で、自分も他人もわかっていない「未知の窓」があり、自分だけがわかっていない「盲点の窓」が存在する。つまり、自分自身が「自分らしい」と決めつけていた領域は、実はもっと幅広かったり、別領域にあるかもしれないのだ。


ではどうやって、たくさんの自分を見つけることができるのか?

とにかく「行動」あるのみだろう。「自分はこういう人間だ!」という思い込みを捨てて、経験したことの無い事にチャレンジしていく必要がある。その体験の中で、心の底から自己一致できている感覚を感じられ、自然体でふるまうことができたのなら、間違いなく、それは「シン・あなた」である。

あなたは1人じゃない。あなたの中に、たくさんのあなたがいて、その1人1人もあなた自身。あなたの中には、多面的なあなたが存在している。
本当の自分を見つける旅の途中で、たくさんのあなたと出会ってほしい。
1人じゃないって、素敵なことさ。


さあ、自分の中のSMAPを再結成させよう。
様々なあなたが混じり合って、「世界で1つだけの花」を咲かせようでは無いか! 

あなた「新世界を見つけに、ちょっくら冒険してくるわ!」
わたし「ちょ、ちょ、待てよ!」
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【Day389】習慣家として生きる

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【Day389】習慣家として生...

「こんばんは、習慣家のたいぞーと申します!」

おっと! 大胆にもいきなり名乗ってしまった。もう、名乗ったもん勝ちかもしれない。なりたい自分に近づくためのテクニック、それが「先取り」である。「名前」を先取ってしまえば、後はその名前にふさわしい自分になればいいだけだ。順番なんて関係ないぜ。
習慣に愛され、習慣を愛してやまない男の熱いメッセージを、ぜひ受け取ってほしい。

そもそも「○○家」とはなんだろう?
思いつくままにあげてみると、「起業家」「柔道家」「芸術家」「書道家」「革命家」「冒険家」「愛妻家」など。
辞書を引いてみると、「1つの領域を専門とする人。また、それに優れた人。ある特性を備えた人」と書かれている(大辞林より)。
つまり、その道のプロフェッショナルというわけだ。

まずは「習慣家」としての定義が必要だろうか。

「習慣家」とは、自分自身を直視して、微差を大切にしながら、成長を続けることができる人のことである。

いいぞ、いいじゃないか! 低い声で読み上げれば、品格のあるフレーズに思えてくるから不思議だ。

キーワードは「自分を直視」「微差」「成長」。ズバリ、この3点だ。

「自分を直視」するとは、自分自身と真正面から向き合うこと。習慣は、コツコツと1人で自分に向き合う時間が多くなる。自分のカラダや脳の動き、感情にフォーカスする必要がある。自分の「現状」や「本当の目的」をしっかりと認識できていることが大切だ。

「微差」とは、習慣によって育まれる自分自身の小さな変化。日々の活動の中で、まったく変化を感じられなくてあきらめてしまいそうになるが、たとえ1ミリでも前に進んでいることを実感できている感覚を忘れないようにしたい。

最後に「成長」とは、その「微差」を薄皮のように積み重ねていき、いずれは己をバージョン・アップさせ、次のステージへ進むための「通行手形」になるもの。途中のバージョンでは満足せず、絶えず次の新しいバージョンに向かっていける人が「習慣家」にはふさわしい。

どんどん行こう。次に習慣家として、具体的に取り組む「習慣道」を発表したい。
私が考える「習慣道」は、毎日、毎週、毎月続けている習慣が、なりたい自分、ありたい自分に繋がっているかを、きちんと把握できていること。
自分の掲げる「北極星」の方角に向かっているか、直結していなければ意味がない。最短でたどり着けるような手段を習慣のラインナップに加えていく必要がありそうだ。

やり続ける習慣さえ決まってしまえば、後は淡々と自分のペースを守ること。
そのペーサーになってくれるのが、「ToDoリスト」と「ダッシュボード」の2つである。「習慣道」をお供してくれる「助さん」と「格さん」だ。

ToDoリストと聞くと、ネガティブなイメージを持ってしまいがちだが、私にとっては「習慣タスク」のタイミングを事前にお知らせしてくれる「コンダクター(指揮者)」である。単発のタスクではなく、「繰り返しタスク」の設定にしておくことで、その役割を担ってくれる(Todoist Proプランを愛用中)。

そして「ダッシュボード」は、自分自身の活動結果を「見える化」してくれるもの。行動した結果(継続日数、カウント数、その他記録している数値情報)をグラフ等でビジュアル化して、時系列に確認できるようにしておくことで、進捗状況を把握することができる。このダッシュボードを確認する習慣は、「基地」に戻ってくる感覚がある。「習慣」のふりかえりとなる重要なアクションだ。
私はGoogleのダッシュボード(無償)を使っている。ダッシュボードが参照するデータベースは、これまたGoogleのスプレッドシート。完了させたToDoを自動連携したり、シートへ直接手入力していく。IT巨人の力を借りれば、構築自体は難しくはない。「車輪の開発」は不要である。

この2つのツールを活かすことで、自分のありたい姿を忘れることなく、邁進することができるようになる! 人はすぐに忘れる生き物なのだ。忘れないような工夫をすれば、習慣が途切れることはなくなるはず。使える道具は、便利に活用していこう!

このやり方は、あくまでも、私自身が習慣化に失敗してきた経験を通してたどり着いたもの。「習慣」として定着させるために、自分にとっての最適なやり方を模索し、日常の時間にマウントすることができればいいだけだ。トライ&エラーを繰り返していくしかない。
自分自身の「今」の最適を選択し、変化に応じて「改善」を高速に繰り返すのみだ。


最後に、「習慣」を通して、今、感じていること。

毎日、毎日、同じことを淡々と続けてわかったことは、自分を「いい状態」で保つことが容易になった点である。心が乱れにくくなったのだ。何らかの成果を出すことも最高だが、心が安定しているからこそ、自分にも他人にも社会にも優しくなれる気がする。
自分自身の心を安定させ、整えるという意味でも、「習慣」にとことん向き合うことができて、本当に良かったと思っている。

「習慣家」としての宣言はこれにて終了だ。

さあ、賽は投げられた! 
「習慣家」として生きていく覚悟が決まったぞ。

これからは、「習慣」を実践していきながら、1人でも多くの人に「習慣」の大切さを伝えていきたいと思っている。明るい日本、輝く世界を実現させるためにも、まずは半径5m以内にいる人から伝えていきたい。良い習慣を通して、大切な人達が自己実現をしていってほしいと心から願っている。

いったいどうやって、それを実現させることができるのか?
この課題にとことん向き合っていくことが、「習慣家」としての生きる道なのかもしれない。
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【Day381】グッバイ、オートバイ!

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【Day381】グッバイ、オー...

拝啓 オートバイ様

突然の手紙で失礼します。
オートバイ様、元気でやっていますか?

先週の木曜日、僕から急に「別れ」を告げられたとき、さぞかし驚かせてしまったことでしょう。あまりにも唐突で、きちんと説明が足りていなかったと想像しております。

特にこの5年間、あなたとはすれ違い続きだったと感じています。
以前はあんなに愛し合ったというのに……。いったい、どこでボタンの掛け違いが起こってしまったのでしょうか。

今回、今の僕の気持ちをお伝えしたくて、ペンを取った次第です。


まずは、あなたとの出会いから振り返らせてください。

もう25年も前になりますか。

当時の僕は、人間相手に「失恋」をした直後でどん底状態でした。そんなとき、そんな僕の様子を察してくれた友人からツーリングのお誘いをもらったのです。もちろん、僕には二輪免許がなく、友人の後ろに乗せてもらって、150キロ離れた「新潟競馬場」を目指しました。

タンデム・シートはお尻が痛くなり、体勢も前傾でバランスが悪く、徐々に腰も痛くなっていきました。

しかしです。体勢や体の痛みにも慣れてくると、ふと不思議な感覚を得たんですね。ありきたりな言葉だけど、そのとき「風」になれた気がしたのです。

フラれたことも、そのときばかりは忘れることができました。自分が運転しなくても自然と「同化」できるなんて、「何と素晴らしい世界なんだろう!」と深く感動しました。これでもし自分が運転したら、どうなってしまうのだろうってね。

恋愛でのワクワク感とはまた違った、何か新しいワクワク感がそこにはあったのです。「不自由さの中にこそ、本当の自由がある」のだと、あなたの魅力に気付かされた瞬間でした。

その経験から、僕はすぐに教習所に通うことになります。
何もしないと元カノのことを思い出してしまうので何かに没頭したかったのもあったけど、1日でも早くあの感覚を味わいたかった!

夕方、仕事を抜け出して、コツコツ運転を練習し、2ヵ月くらいで、ついにあなたと契を交わす権利を獲得!

傍から見れば、運転免許証の「二輪」にフラグが立っただけのこと。とはいえ、僕にはあの感覚をもう一度味わえる! しかも自分の運転で体験できるなんて、もう体がウズウズしっぱなしでした。

目指すは「福島競馬場」!
エンジン音が脳を刺激し、ハンドルの振動からは僕の魂を揺さぶっていく!

「これだよ、これ!」

教習所では味わうことができなかった、自由にどこにでも行ける喜び。何とも言えない解放感。しかも、僕とあなたの2人だけの世界。誰にも邪魔されず、2つの呼吸が1つに交わる感覚がそこにはありました。

僕たちの関係性が深まっていくと、移動距離がどんどん長くなってきましたね。新潟からフェリーで北海道に行き、日本の最北端まで走ったり、次の恋愛に悩んでいたときは、徹夜で牡鹿半島にまで向かったこともありました。
今では、どれも良い思い出ばかりです。

考えてみると、「恋愛」で苦しんでいたとき、いつも隣にはあなたがいてくれた気がします。何も語ることはなかったけど、そっとエンジン音で僕を慰めてくれました。今更ですが、本当にありがとう。
あなたとの時間が、僕を「勇気付け」してくれていたのですね。


その数年後、そんな僕も結婚をし、さらに子どもが産まれて父親になりました。

仕事や育児に全集中していくことで、次第にあなたと共に過ごす時間が無くなって、どんどんと疎遠になっていきました……。

それでも、子どもたちが小学生になった頃に、再度あなたと向き合いたくて、何度か同僚とツーリングに出かけてみたり、通勤の行き帰りで共有する時間をたくさん作ってみました。しかし、以前のようなあの感覚が戻ってくることは正直無かったのです。

別れの予感は、2年くらい前から感じていました。

僕があなたの「脚」を頼るよりも、自分の脚で走ることが楽しくなってしまっていたのがその理由です。

あなたの力を借りて「風」になるのではなく、スピードこそ違うけど、自分自身の体を使って「風」になる感覚。その新しい魅力に気づいてしまった。
自分の脚で、自分の力で前に進める喜び。正直に言うと、あなた無しでもやっていける変な自信を感じていたのです。

実は、文化の日の3日、もう一度、あなたとのデートを通して、これからもこの関係を続けていけるかどうかを試してしまいました。ごめんなさい。

しかし、あなたの反応は返ってこなかった……。僕の鼓動を揺さぶる、あのエンジン音が鳴ることはなかったのです。あなたに向き合わずに、ランニングばかりしていた僕が悪かったのです。

きっと、僕よりもあなたを大切にしてくれる方が待ってくれています。
あなたらしく、あなたが生きていく為に、あなたを必要としている人が必ずいると思っています。次はその人を「勇気付け」してあげてください。
何か勝手なことばかり言っているよね。本当にごめんね。

最後には、これだけは言えます。あなたと過ごした時間は、本当に、本当に、かけがえのない素晴らしい時間でした。あなたと一緒なら、どこにでも行ける気がしました。あなたがいてくれたからこそ、今の僕が存在していると思っています。本当にありがとう。心から感謝の気持ちで一杯です。

グッバイ、オートバイ!

バイバイ、バイク! また会おう!

敬具
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【Day375】ワイングラスに憧れて

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【Day375】ワイングラスに...

中学生の息子がワインを味わっていた。

ワイングラスを片手に香りを楽しもうとしているのか、鼻先がグラスに触れた状態で、グラスをくるくると回している。

お仕事中の麻薬探知犬に思えてしまい、思わず吹き出しそうになったが、ばれないようにそっと右手で口を塞いだ。

呼吸を整えてから「何、飲んでるの?」と聞いてみた。

「コーラ」と息子。

まだ変声期前なのに、いつもより低めのトーンだ。

遠くから見ると、赤ワインに見えたが、近くでよく見てみると、確かに「コカ・コーラ」だ。

それとも「ペプシ」か? 「メッコール」か?

息子が使っていたワイングラスは、今年のハロウィン用に私が購入した「ワイングラス」であった。

オンラインのハロウィンイベントで、ローランド様に扮装する必要があったのだ。

ローランド様といえばホスト。ホストといえばお酒。お酒といえばワイン。

ひとり「連想ゲーム」をして、我が家には無かったワイングラスを購入したのだが、その後、ローランド様は、お酒を飲まないということを彼の自伝を読んで気づくことになる。「お酒を飲んで売上を上げているホストの前で、ノンアルコールで勝つ」ことを信条にしていたようだ。

ワイングラスが無駄になったか?

いや待てよ、ワイングラスでノンアルをお召しになっていた可能性もある。
おっと! 細かいことが気になってしまうのが私の悪い癖(©杉下右京)。

金髪のかつら、サングラス、そしてワイングラス。
この三種の神器で、私はローランド様になりきった。

そのイベント以降、普段ワインは飲まない私のワイングラスが、息子の所有物になってしまったわけだ。


そういえば、「コーヒーってどんな味?」、「ビールって苦いの?」などと聞かれる機会が増えてきたように思う。

大人への憧れが少しずつ芽生えてきている。今の充実した時間を楽しみたいという思いに加えて、大人がすることへの興味。とても健康的な関心ごとだ。

子どもだった過去の自分を振り返ってみても、「憧れ」だけで生きていたようなものだった。

読売巨人軍の4番打者だった「原辰徳」に憧れて、野球部に入った。
プログラミングへの興味は、ファミコンにのめり込んだのがきっかけだった。ゲーム・クリエーターへの憧れがそこにはあった。
さらに趣味のギターは、オジー・オズボーンの初代ギタリストの「ランディー・ローズ」のようになりたくて始めた。クリーム色のレス・ポール(モデル)を鳴らせば、気分だけでもランディーになれた。

「憧れ」が、新しいことをはじめる「きっかけ」だったように思う。

あの人がステキだから、私もそれを始めてみよう。
あの人のように、もっと上手になりたい。

「憧れ」を抱いているうちは、その人を超えることは難しいかもしれないが、レベルがどんどん上がっていけば、自分自身のスタイルが身に付いて、オリジナルを確立していくことになるのだろう。

大人になった今でも、「憧れ」の存在は欠かせない。

ただし今は、その人になりたいという憧れではなく、「相談役」としての役割を果たしてくれる。

自分が抱えている今の課題について、「土方歳三」や「坂本龍馬」ならどんな決断を下すだろうか?
「松井秀喜」や「イチロー」なら、この試練にどう挑むのだろう? 

勝手に脳内会議室にお招きして、「問い」を共有してみるのだ。

そうすることで超一流のメンターの方々から意見をもらえる。さらに勇気付けにもなり、行動の選択肢が増えていく。結果、大胆な行動をとれる場合も多い。


ふと我に返った。

息子が憧れている「大人」の中に、私自身は含まれているのだろうかと。

息子たちの良い見本になれているのだろうか?

子どもたちには、「主体的に考動でき、仲間と共に成長し続ける大人になってほしい」と思っている。今は、彼らの周囲にいる大人の中で一番身近にいるのは、親になるわけだ。

「子どもたちから、憧れるような存在になる!」

これが当面の目標になった。

では憧れるためには、どんな行動が必要か?

答えは簡単だ。

人生をとことん楽しむ。これに尽きる。

しかし、実際はどうであろう?

「今日も仕事が疲れたなぁ~」、「職場でこんな嫌なことがあってさぁ~」などと妻とする会話は、すべて彼らの耳にも届いている。
先日、息子たちと言い争いがあったとき、それを指摘されてしまったのだ。

目先の仕事、やるべきことに追われてしまい、今まさにこの瞬間を楽しめていないことが、課題であることに気がついてしまった。

まずは、物事のいい面に目を向けて、我々大人が楽しんでいこう。

そうすれば、不平、不満からなる「地獄言葉」を言うこともなくなり、代わりに「嬉しい」「ありがとう」「幸せ」などのポジティブな言葉が増えるようになる。

仕事も遊びも、笑顔で、全力で取り組んでいる大人であれば、きっと、彼らに伝わると信じたい。


親「今、何にチャレンジしているの?」
子「○○に挑戦しているんだよ!」
親「いいねぇ~。心から応援しているよ!」
子「ありがとう!」

10年後、ワイングラスで乾杯するのも悪くはない。

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