1月
27日,
2022年
読書会でドラッカーを読み進めながら(Day14)「成果を出すためには『習慣化』が必要」
興味深いスタイルの「読書会」で、P・F・ドラッカー著
「プロフェッショナルの条件」
を読み進めています。
その読書会のスタイルは
「一冊の本を参加者が、順番に輪読しながら読み進めるスタイル」
そう、まるで小学校の国語の授業のようにです。
従って、ゆっくり・じっくり聞いて、深く読む感じで、読書が進む。
この読書会に参加するたびに、ドラッカーがいかに「凄い人」なのかが、心に沁みてきました。
不定期ではありますが、読み進めながら重要な部分を綴って参ります。書かれている内容が相当「深い」ので、行間を理解したい方は是非、書籍を全文で読んで頂きたいです。
この本の凄さは、出版されたのが2000年、従ってドラッカーは、それ以前の1990年代にはこの草稿を練っていたはず。まるで30年後、2020年代の現在が見えていたかのような記述が随所に出てきます。
Part2:働くことの意味が変わった
第2章「なぜ成果があがらないのか」
【それは習得できる能力である】
(1)もし成果をあげる能力が修得できるものであるならば、問題は次のようなものとなる。
「その能力は何から成り立つか」
「具体的に何を修得すべきか」
「修得の方法はいかなるものか」
「その能力は知識か。知識として体系的に修得できるか」
(2)私はこれらの問題を長年考えてきた。コンサルタントとして多くの組織と仕事をしてきたが、成果を上げることは私自身にとっても二つの意味で重要だった。
(3)第一に、知識の権威としてのコンサルタントは、自らが成果を上げなければならない。
(4)第二に、客のもっている成果を上げる能力が、結局のところは、コンサルタントが貢献し成果をあげられるか、単なるコストセンター、あるいはせいぜい道化師の役割しか果たせないかを決定する。
(5)成果を上げる人間のタイプなどというものは存在しない。成果を上げる人たちは、気性や能力、仕事や仕事の方法、性格や知識や関心において千差万別だった。共通点は、なすべきことを成し遂げる能力を持っていたことだけだった。
(6)成果を上げる人に共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結びつける上で必要とされる習慣的な力である。
(7)成果を上げることは一つの習慣である。習慣的な能力の集積である。そして習慣になるまで、いやになるほど反復しなければならない。
(8)私は小さいころ、ピアノの先生にこう言われた。「残念ながら、君はモーツァルトをシュナーベルにように弾けるようにはならない。でも音階は違う。音階はシュナーベルのように弾かなければならない。」
(9)偉大なピアニストたちでさえ、練習に練習を重ねなかったならば、あのように弾けるようにはならなかった、ということである。
ではまた明日!
「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしお
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