3月
9日,
2017年
カラーコード(抵抗)
カラーコードです。これは小型ゆえに数値が印字できないとの理由です。
制定されて50年以上です、私は中学生時代にマスターし、ひと目でわかりますが。
ところがところが、昨日久々にこれを読もうとしたら!
なんと色の判別が出来ないのです。
理由は2つ、加齢で視力(明るさ)が落ちた。
LEDの光源に慣れていない。
今日、明るい太陽光のもとで作業、無事判別出来ました。
3月
7日,
2017年
寒い朝は暖かいお蕎麦
最近の朝食はお蕎麦が主流となっています。
麺は、乾麺と冷凍麺を使い分けていますが、コシを期待するなら乾麺ですね。
茹で時間で調整が出来ます。
我が屋のお蕎麦が具だくさんの大盛りです。
水500cc、これに創味のつゆを40ccこれがベースのお汁。
※小型の雪平鍋で作るのがコツ
ここに、ニンニク(スライス)、油揚げ、ほうれん草かこの時期なら小松菜をたっぷり。
※軸の部分を刻み、先に煮立てます。
なめこもたっぷり!
台湾激辛ペーストも入れます
野菜の葉最後に入れて、その上にそーっと卵を割り込みます。
3月
4日,
2017年
LAN スプリットペア
ペア割れの意味ですが、写真1をごらんください。(番号に注目)
番号が1-2/3-6/4-5/7-8 となっていますね、順番号になっていません。
これを実際の結線でみると写真2となります。
3-6が4-5を跨いでいます
これを跨がずにペアをそのまま順番に配線すると、3-6とならず3-4となり
4-5が5-6となってしまいます、これをペア割れと呼びます写真3
この配線では通信速度は担保されず、低速または通信不良となります。
3月
3日,
2017年
デジタルジグゾーパズル
http://www.vegasystems.com/dev/jq-test3.html
2つを選ぶと入れ替わります
5年前に作りましたが、少し手直ししてみました。
JQueryで書いています
スマホでは小さすぎるので修正版を作っています
3月
2日,
2017年
東大寺のキレイナオネエサン
※今年は動画をアップしました、57秒から青衣の女人の読み上げになります。
東大寺修二会のキレイナオネエサ...
毎年、この時期になるとBloguruにアップしており、またか!の声を承知でアップします。
奈良東大寺の修二会(お水取り)では過去帳の読み上げがあります。
以下、東大寺HPより抜粋
----------------------------
二月堂での修二会の期間中、実忠忌が勤められる3月5日の夜と お水取りの行事が行われる3月12日の夜に、二月堂内陣において、 練行衆により、「東大寺上院修中過去帳」が読み上げられる。
「過去帳」とは亡くなった方の名前を書き記したもので、 二月堂の内陣に納められている過去帳のことを特に「東大寺上院修中過去帳」と呼んでいる。その中には奈良時代から現在に至る歴史上、東大寺や二月堂に関係した人々、或いは修二会に参籠した僧侶等の名前が記されており、その人たちの冥福を祈るために特に読み上げられる。
鎌倉時代、承元年間(1207-1211)に修二会中、集慶(じゅうけい)という僧侶が過去帳を読み上げていたところ、その前に青い衣の女性が現れ、「何故わたしを読み落としたのか」と、恨めしげに問うたという。集慶がとっさに低い声で「青衣(しょうえ)の女人」と読み上げると、その女人は幻のように消えていった。
------------------------------
この話はかなり有名で、司馬遼太郎氏も「街道をゆく」の中で紹介しておられます。
「東大寺お水取」と題名のある小学館発行の書籍にも詳しい記述があります。
現在、使用中の過去帳には、アドリブではなくちゃんと記載があるようです。
※諸説紛々ではありますが、この僧侶に
思いを寄せながら身罷った若い女性の亡霊(この場合は必ずキレイナオネエサン)の説をとりたいと思います。
2月
28日,
2017年
2・28事件」から70年
2017.2.25産経新聞より
終戦により台湾を接収した中国国民党政権が、台湾に住んでいた人々を弾圧した1947年の「2・28事件」から、今年で70年となる。真相はなお未解明の部分が多く、事件により大陸から来た「外省人」と日本統治時代前から暮らす「本省人」の溝が深まった。台湾社会に残した傷は深く、現在も社会的、政治的対立の遠因となっている。(台北 田中靖人)
「中国に帰れ」
「国民党は本心では罪を認めていない。今でも遺族の心からは一滴、一滴と血が流れている」
こう話す犠牲者の遺族、林黎彩さん(71)は事件当時、1歳だった。37歳だった父の林界氏は南部の港湾都市、高雄の区長で、3月6日、武力鎮圧を行わないよう高雄要塞司令部に市長らと交渉に出向いた際に拘束され、銃殺された。
遺体は要塞近くのがれきに多数の遺体と埋められていた。手足は縛られ、背中に銃創があったという。高雄では鎮圧部隊が銃を乱射し、2500人以上が犠牲になったとされる。
母は林さんが9歳の時に自殺したが、それまで何度も「警察」が自宅に来ていた記憶がある。母の死の直後、叔父から「父親が『2・28で死んだ』と言ってはいけない。逮捕されるぞ」と忠告されたが、意味は理解できなかった。
自らが事件の遺族だと知ったのは45歳だった90年。87年に出始めた真相解明を求める動きに影響を受けた。父の最期を知り、母の自殺は「親類一同から関わりを避けられての孤独も一因だ」と考えるようになった。林さんは「外省人」が多い退役軍人についても、「まだ台湾にいるのか、中国に帰れ、と言いたい」と突き放した。
加害者証言なく
財団法人「二二八事件紀念基金会」の2006年の報告書は、「長期に及ぶ政治への恐れと無関心を生み、経験者が絶対に事件を口にしないようになった」と記し、「外省人」と「本省人」という「族群(エスニック・グループ)の溝を深めた」としている。
身の安全のため政治から距離を置く台湾人の心理は、1987年まで続く戒厳令と「白色テロ」と呼ばれる政治弾圧とともに、長く台湾の民主化を阻害する要因となった。族群の対立は、国民党と民主進歩党という現在の二大政党の背景になったといっても過言ではない。
真相解明の動きが表れたのもここ30年のことだ。関連の公文書が初めて公開されたのは、本省人である李登輝総統の政権下の91年。民間の犠牲者への補償は95年に始まった。
歴史的資料の保存と研究を担う「国史館」は23日、新たな史料集6冊を発刊。紀念基金会の薛化元董事長は、記者会見で「どれほどの公文書が発見されずにまだ残っているのか」とため息をついた。
関係者の証言も犠牲者の遺族ばかりで、加害者の証言はない。武力鎮圧をした主力部隊が、国共内戦で中国大陸に戻ったこともその理由の一つとされるが、それだけではなさそうだ。蔡英文総統は23日、遺族と面会した際、「真相を太陽の下にさらし、被害者だけがいて加害者がいない現状を変える」と強調した。
「抵抗の意味持つ」
一方で、真相解明の動きを民主化の観点から前向きに捉える見方も出てきた。
「30年前の運動は事件の教訓を学び、和解と共生を目指したものだ」。18日、南部・台南市での式典でこう振り返ったのは葉菊蘭・元総統府秘書長(68)。戒厳令時代から「言論の自由」と「台湾独立」を求めて運動し、89年に抗議の焼身自殺を遂げた鄭南榕氏の妻だ。30年前の87年、鄭氏らが台南で行った街頭デモは、事件の真相解明と犠牲者の名誉回復を求める台湾で初めての活動となった。
政治大学台湾文学研究所の陳芳明講座教授(69)は、事件の真相解明運動と民主化運動は「密接不可分だ」と指摘する。陳氏は80年代以降、事件に関する著書や論文を発表し、発禁処分も受けた。陳氏は「歴史に向き合わない民主は偽物だ。2・28の陰影から抜け出すことが、民主の追求につながった」と当時の執筆動機を語った。
陳氏は、事件当時の台北市の「処理委員会」の要求に、台湾の「自治」があったことは「台湾を統治できるのは台湾人だけ、という歴史の知恵の結晶だ」と強調。その上で、事件を語り継ぐことは「現在の北京(中国)に対しても抵抗の意味を持つ」と話している。
◇
【用語解説】2・28事件
中国国民党政権が台湾住民を弾圧した事件。経済の急激な悪化や、中国大陸出身の官僚や兵士らの横暴に対する不満が、タバコ売りの寡婦が殴打されたことを機に、1947年2月28日に抗議に発展。行政長官公署の部隊が抗議の群衆に銃を乱射し、台湾各地に暴動が波及した。「処理委員会」が治安維持や政治改革を提案したが、行政長官の陳儀は軍の増援を受けて武力鎮圧し、多数の逮捕・処刑者を出した。行政院(内閣に相当)の研究者グループは92年、死者を1万8000~2万8000人と推計する報告書を発表したが、10万人以上との見方もある。95年に李登輝総統(当時)が総統として初めて謝罪した。
2月
28日,
2017年
細いLANケーブルは要注意
規格で定められたLANケーブルはグレードにもよりますが、直径6mm程度の丸型
で、芯線の導体部分は約0.5mm以上の太さがあります。
ところが、このタイプはいわゆる取り回しが悪いとの理由、特に脱着が頻繁だった
ノートPCの初期段階に評判が悪くなり、細いタイプが出回り始めました。
軽薄短小はある意味重要な事ですが、電気通信には譲れない部分があります。
特にLANケーブルはその構造上、非融_着での接合が単体で4箇所もあり、この
部分での不良はケーブルと太さに反比例します。
民生用(家庭用)なともかく、重要な基幹業務に使うことは避けるべきですが、
現実には、全く同じモノとして扱われ、トラブルの原因となっています。
先日のJAXXの安価小型ロケットの失敗も、未確認情報ながらLANケーブルとの
情報があります。
このところ銅の値段がまた高騰し始めています、これ以上材質をケチらないか
心配が尽きません。
2月
27日,
2017年
柿の木の伐採
放置してあり、これに刈払機の歯が当たると歯の欠損となります。
柿の木は非常に固く、腐敗しにくいので厄介です。
昨年末には根本の木株を徹底除去し、刈払を行いましたが、邪魔者が無いので
強い雑草の根本から堀切出来、除草がうまくいきました。
昨日は不要となった柿の木の伐採です、伐採はチェンソーで行いますが、木の
状態を見極めないと後の片付けが大変です。
それと、とにかく木が硬いので慎重に身構えないと弾き返されます。
半日で全体の8割をクリヤ、もい一回出動せねばなりません。
山行より相当疲れます(笑)
2月
26日,
2017年
残業しないためになすべきこと
しかし、私から見ると残業をしない工夫が足りないと思うのです。
朝、出勤してジャンクメールの整理。これでスタートしていませんか?
ジャンクメールは自宅、自分で運転しないなら通勤時間中に可能です。
これが出来ないのは、会社のメールシステムに問題があり、先にこれを
解決すべきです。
電車の中でゲームに夢中の方々を見かけますが、出勤前になすべきことが
違っています、こんな方々に残業時間云々を言う資格があるのでしょうか?
それと予定を手帳に書き込んでいませんか?
自分の予定はわかるでしょうが、スタッフの予定はわかりますか?
私は、スタッフ全員の予定をGoogleカレンダーに記載させています、
無論私も公開しています、これにより週間単位で、スタッフの予定が把握
出来、効率の良い仕事が可能となります。
今ひとつ重要な事は、資料特にプレゼン資料に余計な装飾をしないことです。
昨日も久しぶりに実験用の資料(工場向け)作成していました。
※休日出勤、平日では集中して出来ないので
PowerPointでの作成ですが、手慣れているとどんどん装飾がエスカレート
することに気が付きました。
日本人はどうでも良いことに拘ります、罫線をやたら掛けたがり、フォント
や色まで気にしますが、その割には内容が貧弱です。
その昔、PowerPointの作成の講習会を受けましたが、装飾ばかりに気を使う
講師の思考に嫌気がさし、最後のアンケートに、いままでで最悪の講習だった、
技術面ではなく、資料作成に装飾が重要と思わせる点が大問題と記した記憶が
あります。
こんな資料を作って残業云々は言えないはず、それは資料ではなく紙量です。
資料は芸術作品や見世物ではありません、如何に内容を伝えるかが重要です。
このため時間を掛けずにテンプレートに頼る方々が増えてきます、その方々
はテンプレートと自分の内容の装飾のアンバランスのために時間を費やすのです。
仕事の工夫とやり方を根本から考え直さないと、IT奴隷となり社畜に成り果てます。