南京町をぶらり歩きした後は。
この日最初の角打ちです。
しゅうさん、謎のブロガーさん、角打ちは初体験です。
『赤松酒店』 南京街の一筋南に入ったとこ。
先ずは、生ビールで改めて乾杯です。
おいさんは、兵庫丹波の銘地酒 「小鼓 特別純米」 です。
アテは、「明石さんジャコおろし」 「鮭の燻製」
お二人とも角打ち体験、ご満足の様子でした^^
しゅうさんが神戸に来られました。
有馬温泉に一泊されての再神戸。
前日は、ファルコンさんと神戸観光とグルメツアーをされました。
この日は、12時に三ノ宮での待ち合わせ。
謎のブロガー(ブログル仲間)さんもご一緒に。
先ずは、南京町からスタートです。
「老祥記の豚まん」 をアテに生ビールで乾杯。
「フカヒレ・ラーメン」 で腹ごしらえして角打ちに。
デザートは、「マンゴ」 です、あま~い!
また先発を間違えました。
能見と思っていたら、メッセンジャーでした。
内海は8連勝なりませんでした。
久々の、ブラゼルのホームラン。
巨人を抜き,単独3位に浮上。
今日は能見か? 阪神3連勝!
恒例の、関西豊工会の総会が開催されます。
関西在住の豊工会会員のみなさん、参加してください。
当日参加者も受け付けますよ。
日時:平成23年6月26日(日)
午前10:00受付開始
午前11:00開会
会場:大阪弥生会館(ホテル大阪弥生)
大阪市北区芝田2丁目4-53 TEL:06(6373)1841(代)
JR大阪駅・阪急梅田駅から歩いて5分
会費:8,000円
但し新卒生 無料
平成1年以降卒業生 4,000円
女性会員・同伴者 4,000円
イベント:福引大会(大分県の物産品が出席者全員に当たります)
歌謡ショー【キングレコード歌手 五郡ぶんじ(卒業生)】
母校の活動風景(スライドで)
各科対抗応援合戦!
東日本大震災チャリティー・オークション ほか
★本部より豊工会会長、専務理事、校長先生が御出席されます。
みなさまの、御出席をお待ちしています。
試合が終わり、六甲おろしを歌って甲子園を出ます。
次はいつもの、阪神応援団御用達居酒屋、『とん平』 で打ち上げです。
お店は瞬間に阪神タイガースファンで、満席になります。
みなさんで、阪神の勝利を祝い乾杯です。
★この店で飲む酒はまた格別です、阪神が勝てばなおさらです^^
甲子園に来たら、阪神の応援だけではありません。
楽しいの大人のレクリエーションの場でもあるのです。
生ビールを飲み、日本酒や焼酎をペットボトルに入れて持ち込みます。
みなさん思い思いの食べ物や酒のアテを持ち。
阪神が勝っているとビールが旨い!
試合が進むに連れて、応援も酒もテンションが上がります。
阪神が勝つと、周りの人たちと抱き合い、握手します、相手が若い女性でも・・・
試合後に全員で歌う 「六甲おろし」 がたまりません。
ストレス発散にもなるし、友人との社交の場でも、甲子園球場はいいですね。
★たくさんの酒と各種のツマミ、3時間の楽しみです。
予想に反して、阪神のピッチャーは岩田、能見は今日登板か。
巨人は予想通りの東野、制球が悪かった。
ヒット数は同じ8本ずつ、巨人のエラーが2つとも得点に。
試合は、4対2、ですが流れから阪神の快勝でした。
今日は、能見と内海の投げ合いになるでしょう。
阪神、今日勝って3位に浮上です。
★もっちゃん! T先生! 昨日はありがとう^^ ブログ見てますか?
これも、もう一つの宗麟の功績です。
大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代としてローマへ派遣された、4名の少年を中心とした使節団。
その使節団の中心が、『伊東ドン・マンショ』 大友宗麟の名代の正使として派遣される。
1582年2月20日、長崎港を出発、マカオ、マラッカ、ゴアを経由して、’84年4月にポルトガルの首都リスボンに到着。
その後、スペインのマドリードに寄り,’85年3月1日にローマに到着、何と!ローマまで3年もかける。
さらに、ヴェネツィア、ミラノなどを訪問し、1590年に帰国する。
使節団により、ヨーロッパの人々に日本の存在が知られる。
彼らの持ち帰ったグーテンベルク印刷機により、日本語の書物の活版印刷が初めて行われる。
【彼らが持ち帰った西洋の文物の一例】
「活版印刷機」 「西洋楽器」 「海図」
★画像は馬に乗った 「伊東ドン・マンショ」 の像です。(大分市)
今日から、セ・パ リーグ戦きょう再開です。
今から、阪神甲子園球場にタイガースを応援に行ってきます。
阪神、能見投手の先発か、現在、対巨人戦8連勝中です。
どちらのチームも調子は上向き。
伝統の一戦! 素晴らしい試合を期待しています。
これも宗麟の功績の一つです。
1557年、外科、内科、ハンセン氏病科を備えた西洋医学の病院、日本最初のいわゆる総合病院を建てる。
1558年には、医師の養成、いわゆる医学教育校を設立。
領民は無料で診察を受けることが出来、1562年には入院患者が100名を越えてたという。
その立役者となったのが彼です。
『ルイス・デ・アルメイダ(ポルトガル人)』
1551年に日本を訪れ、貿易商であったが医師の免許を持ち、西洋医学を日本に導入し、日本初の病院をつくった。
豊後府内(大分市)にとどまり、まず乳児院を建てる、さらに宗麟の協力を得て上記のように活躍する。
その後、医療目的で九州各地を周り、1583年、熊本県天草で没した。
【大分市に、大分医師会が開設した救急救命センター 「アルメイダ病院」 この名称は彼れにちなんでいます。】
★画像は、アルメイダが日本人助手と共に、右足の手術を始めようとしている場面の像です。(大分市)
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