創世記3章1-6
3:1 モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた。彼はその群れを荒野の西側に追って行き、神の山ホレブにやって来た。
3:2 すると主の使いが彼に、現われた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。
3:3 モーセは言った。「なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう。」
3:4 主は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ。」と仰せられた。彼は「はい。ここにおります。」と答えた。
3:5 神は仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」
3:6 また仰せられた。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した。
〜燃える炎の中に顕現された神〜
モーセが羊飼いとして過ごして早40年です。
彼は自らの熱意と正義心が同胞にに受け入れられずにここに逃げてきました。
いわば挫折と燃え尽き症候群の中に置かれていた日々を延々と過ごしていたのです。
ところが枯れ枝が燃えているのに燃え尽きない不思議な炎を見ました。
これは神が顕現するシャカイナ・グローリーです。
己の力、己の考え、己の願望を貫こうとすると自らを疲労させ他者を傷つける場合が多いのです。
神がモーセに語りかけた時は彼自身の自負心やら利己心ががすべて崩れ去っている時でした。
順調であると感じる時ほど私たちは危ないのかもしれません。
今日も神の前にサンダルを脱ぎ、聖なる地に立たされている自覚を持たせていただきたいと願います。
5:1 群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、
5:2 岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。
5:3 イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟にのり、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。
5:4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。
5:5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
5:6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。
5:7 そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。
5:8 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言った。
5:9 それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。
5:10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」
5:11 彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。
⑴ペテロの驚嘆
ペテロの舟に乗られそこに腰を下されたイエスは、岸辺に集まっている群衆に向け神の国の話をされました。恵みに満ちた話でありながら、権威に打たれたその姿に群衆たちが魅了されています。
⑵ペテロの関心
プロの漁師である彼は一昼夜働いた後、何も獲れていない疲労と挫折の中に置かれています。彼の最大の関心事は漁でありビジネスであり生業を成り立たせることです。イエスは再度漁に出掛け網を打つように命じて、その彼の願望を叶えてあげました。
⑶ペテロの召命
最大の願望を叶えてもらったはずのペテロが、その網と舟とを捨ててイエスに従うようになるのです。彼の最大の関心事は、今や収入からイエスに変わりました。「私の元から離れてください。私は罪深い人間ですから」とは彼がイエスをメシアであると認識した言葉です。その彼にイエスは応えられます。「あなたは人間をとる漁師になるのです」
ガリラヤの漁師から世界大の使徒へと変貌を遂げる瞬間でした。
国際結婚した夫たちの会合へ行ってきました。
会場はベルビューダウンタウンの銀座レストラン。
今回は幹事役の私を含めて6名の参加。
国際結婚ならではの課題や問題を互いにシェアしながら助け合い励まそうと言う趣旨のものです。
今回から幹事役が15分前後の提題発表を簡単に行い、
その後会食しながら質疑応答を交わすと言うシナリオになりました。
私の話は、「人の創造と男女間の役割」というもの。
創世記1章、2章にある聖句を紹介しながらお話しさせていただきました。
人は神のかたちに男と女とに造られた。
それゆえ男女間にはその価値や尊厳性においてなんら違いはないこと。
女が男の脇腹の骨と肉から造られたこと。
「私の骨からの骨、肉からの肉」とは、婚姻関係が契約であることの表現であること。
そして男のためのふさわしい「助け手」としての女の役割があること。
「助け手」とは原語で「エゼル」であり、そこに上下や優劣の違いはなく機能や役割上の表現であること。
神ご自身が「助け手」と表現されている聖書箇所が他にある。
ジェンダーの違いを認めなかったりウーマンリブ思想が時代の先端であるかのような西洋先進国の風潮と聖書本来の教えにはギャップがあることなど。
これらのことを題材にしながらそれぞれの持っている宗教観や夫婦間や親子間のあり方などについて意見交換することができた幸いな宵となりました。
世の中には三種類の人がいる。
まず、【人の心に毒を盛る人】
彼らは人びとを落胆させ、創造性を破壊し、あなたにはムリだと言う。
次に、【自己中心的な人】
彼らは自分のことばかり考えて、他の人に力を貸そうとしない。
最後に、【人の心に明かりをともす人】
彼らは、人びとの生活を豊かにするために、励ましの言葉をかける。
私たちは、そういう人になる必要があるし、
そういう人とつきあう必要がある。
ウォルト・ディズニー
どうして女子マネージャーが甲子園のフィールドで働けないのか。
どうして高校野球だけが他のスポーツと異なるのか。
その世間の注目度や球児への潔癖性-純粋性を求める宗教的な感覚。
この見立てには唸ってしまいました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49435
人の世に
道は一つということはない
道は
百も
千も
万もある
**坂本龍馬**
成功の反対は「何もしないこと」
私は山登りを通して
苦しみには3つの特徴があることに気づきました
1つは
「苦しみと闘おうとすればするほど
その苦しみは大きくなっていく」
もう1つは
「苦しみから逃げても
どこまでも追ってくる」ということです
人間の身体器官の中で
酸素の使用量が一番多いのが脳だといわれています
そのため、苦しい時に焦ったり
熱(いき)り立ったりすると
脳がどんどん酸素を消費してしまいます
7500メートル以上の世界では
少ない酸素をいかに無駄なく取り入れるかが大切なので
体力的に、精神的に本当に苦しい時に
あえてそこで「ありがとう」と言いながら登るんです
そうやって苦しみを受け入れると
不思議と心が落ち着いてきて
無駄な酸素を使わずに山を登ることができるんです
そして特徴の3つ目は
「苦しみは必ず喜びに変わる」ということ
例えば
高尾山のような低い山は簡単に登れてしまうので
登頂してもあまり感動は沸いてきません
しかし
8000メートル峰を登頂した時は
それまでの苦しみが大きい分
得られる達成感も半端じゃない
苦しみの分だけ、喜びがある
だから
苦しみは決して悪いものじゃないと考えています
信条としてきたことはいろいろとありますが
まず「一歩を踏み出す」こと
そして「諦めない」ということが
私の生きる姿勢かもしれません
山登りでは1歩を踏み出さないと
頂上にはいけません
登山に限らず
地上のいろいろなチャレンジにおいても
「できる」「できない」と考える前に
まずはやってみることが大切だと思うんです
私がエベレストを登頂できずに
下山して帰ってくると
周りからは「失敗した」って言われるんです
でもそれはちょっと違います
成功の反対は失敗ではなく
本当の失敗とは「何もしないこと」です
私は山登りを通して
挑戦し続けていく先に
必ずや登頂や成功があるのだと確信しています
だからこそ
諦めないことの大切さを伝えていきたいと思っています
“終わりなき頂上への挑戦”より
Smile それは、
自分と相手を幸せにする
最高の魔法です。
笑顔って、うつるんです。
嫌な事も忘れたりします。
人生で一番嬉しい瞬間の一つは、
自分が誰かの笑顔の理由であると
わかったとき。
笑顔って ほんとに魔法なんですね !
あなたがいつも笑って
周りに笑顔の輪が広がりますように。
★ドラえもん名言10選★
1、今の時代が気にいらないと
こぼしてるだけじゃ
なんにもならない
ぼくらのすんでるこの時代を
少しでもよくするため
がんばらなくちゃ
2、君はこの先 何度も転ぶ
でもその度に立ち上がる強さも
君は持っているんだよ
3、どんなに勉強ができなくても
どんなに喧嘩が弱くても
どこかに君の宝石が
あるはずだよ
その宝石を磨いて
魂をピカピカに
磨いて魅せてよ
4、いちばんいけないのは
じぶんなんかだめだと
思いこむことだよ
5、なにかしようと思ったら
そのことだけに夢中に
ならなくちゃだめだ
6、人にできて、きみだけに
できないことなんて
ことあるもんか
7、過ぎたことを悔やんでも
しょうがないじゃないか
目はどうして前に
ついていると思う?
前向きに進んでいくためだよ
8、いっしょうけんめい
のんびりしよう
9、障害があったら
のりこえればいい!
道をえらぶということは
かならずしも歩きやすい
安全な道をえらぶって
ことじゃないんだぞ
10、いいじゃないか
遅れても
最後までがんばれ!
「隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」(マタイ6:4、6、18)
創造者-絶対他者なる至高の神を父と紹介されたのはユダヤ数千年の歴史の中で主イエスが初めてのことでした。
神の名前すら恐れ多くて発音することをはばかり、書き記すことさえしなかったユダヤ人の文化の中にあって画期的なことです。
しかもその父をアラム語の「アバ」と呼ぶように言われたのです。言葉のしゃべれない赤子が最初に発する音声です。
それほどに気安く身近なお方として創造者なる神が私たちに紹介されている。
今日も1日の各場面で「アバ」と呼んでみよう
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