"ヤコブよ、なぜ言うのか。イスラエルよ、なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の訴えは私の神に見過ごされている」と。
あなたは知らないのか。聞いたことがないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造した方。疲れることなく、弱ることなく、その英知は測り知れない。
疲れた者には力を与え、精力のない者には勢いを与えられる。
若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。"
イザヤ書 40章27~31節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
「飛翔の時」
⑴ヤコブのつぶやき
①人間一般の落胆と嘆き(27)
人は不条理や理不尽な仕打ちを受ける時に
誰も自分のことを理解してくれるものはいないと投げやりになる時がある。
②そんなあなたへの問い(28)
この問いを聞いたことがあるか無いかで人生は二分されてしまう。
人がどれほど栄華と富を蓄えたとしてもつかの間のことであり(7-8)、
変わらない永遠の存在者がいることを知っているか。
「なぜ」(27節に2回)
「知らないのか」「聞いていないのか」(28)、(21)
⑵永遠者のつぶやき
①測り知れない英知
天地の万象や微小な日被造物に至るまで全てを統制し生かしておられる方がおられる。
「一つ一つ、その名をもって、呼ばれる」(26)
「名前」はヘブル的に実態を表し統御・支配していることになる。
地球球体説が確証されるマゼラン以前に既にそれは啓示されている。
"主は、地をおおう天蓋の上に住む方。地の住民はバッタのようだ。主は、天を薄絹のように延べ広げ、これを天幕のように張って住まわれる。"
イザヤ書 40章22節
「天蓋」とは原語で「地の円」であり、地上が球体であることを教えている。
②疲れることも、たゆむことのない方
疲れを知らないとされるエネルギッシュな若者と対比(28-29)。
そんな若者でも疲れて倒れることがある。
⑶飛翔の時
①「新しい力を得る」(30)
つぶやきしか出てこなかった者に
永遠者なる方の無限エネルギーが注入される。
よって、人は、
飛翔し(永遠の世界への眺望)
疾走し(危機からの脱出と克服)
徒歩する(日常生活での同行)
②「主を待ち望む者に」
天地の創造者なる方の働きかけを認めるもの
その方の犠牲と語りかけを信じるものに
今、私の人生でのチャレンジに応答する者に。
この5月14日、米国はそれまでテルアビブにあった大使館をエルサレムに移転しました。
米国のこの決断は中東紛争に新たな火種を起こすものとして警戒されていました。
ガザの国境付近で民衆デモが起こり、
それが発砲事件へとつながった事は痛ましい限りです。
その一方で多くのアラブ諸国は冷静を保ったまま、
特に対抗措置を講じようとしていないようです。
エルサレムの政治や司法、また学術の中枢機関はエルサレムに集中しています。
各国の大使館員たちはエルサレムに来て外交交渉をしており
すでに実質的な首都機能をエルサレムが持っています。
ただオイルパワーを持つ中東諸国を恐れてエルサレムを首都と認定していなかったのが各国のこれまでの実情です。
つまりトランプ大統領は
「王様は裸だ」と事実を言ったに過ぎません。
ダビデが都をエルサレムに定めた紀元前1千年から
エルサレムは変わらずにイスラエルの首都です。
ただこの現世的な世界情勢の延長線上に「ダビデの子」であるメシアがエルサレムで新たな王国を統治するのではありません。
国際紛争が頂点に達し世界連合諸国がイスラエルを抹殺するために侵入した時、
メシアが再臨し王国を完成すると言うのが聖書予言のシナリオです。
この日、エルサレムの平和を祈りながら
エルサレムカフェで1人食事をしました。
29 yet I tell you, even Solomon in all his glory was not arrayed like one of these.
- Matthew 6:29
"しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。"
マタイの福音書 6章29節
この聖書の真理をどうやって娘に伝えたら良いだろうか。
出かける直前、彼女はメイクに数十分を費やす。
学校に遅刻することなんて屁とも思っておらずに鏡に向かう。
「もう充分綺麗だよ」
「あなたほど綺麗な人はいないんだから」
その父親の声も耳に入っていない。
かつて彼女を学校まで送り届ける際、
揺れ動く助手席に座りながらもパタパタと顔に塗り付けるその鮮やかな業には舌を巻いた。
Bumpを乗り越える時に口紅をしてたが、口裂けお姉さんにはならないように絶妙のタイミングをわきまえている。
黄金と真珠に輝くソロモンの玉座と宮殿。
その時代の栄華を極めたそのソロモン宮殿と比べて野に咲く1輪の百合の花。
自生した百合は芸術の結晶と言える。
そのバランスある花びらの重なり具合と屈折。
その色合いや芳香。
その美しさは確かにソロモン宮殿よりも優れものだ。
私たちは百合よりも精緻に造られ、
神の愛の対象であると教えられたイエス。
こんな単純だけど大切な真理を日常的に気付いていないのは、
娘だけではない。
今年の夏も子供らと日本に一時帰国する時、
奥山に分け入る滝巡りのキャニオニングを計画している。
そこで百合の花を見つけたら、うんと説教してあげよう。
「シオンに生きる者」
2018-05-06
詩篇87篇
1,主の礎は聖なる山にある。
2,主はシオンの門を愛される。ヤコブのどの住まいよりも。
3,神の都よあなたについて誉れあることが語られている。セラ
4,「わたしはラハブとバビロンをわたしを知る者として記憶しよう。見よペリシテとツロクシュもともに。『この者はこの都で生まれた』と。」
5,しかしシオンについてはこう言われている。「この者もあの者もこの都で生まれた。いと高き方ご自身がシオンを堅く建てられる」と。
6,主が「この者はこの都で生まれた」と記して国々の民を登録される。セラ
7,歌う者も踊る者も「私の泉はみなあなたにあります」と言う。
「シオンに生きる者」
⑴シオンにある礎
①聖なる山とされたシオン
直訳は「山々」、尊厳複数形という文学形態である。
そこは神の都であり、王の住まい、統治の中心地、また歴史的に神と人との契約が更新されて来た地である。
②選ばれたシオン
全イスラエルの地域からエルサレムが選ばれ神の都とされた。
それが「愛される」の意味。
⑵シオンにある登録
①神の登録文書がある(詩篇9:5、69:28)
それは神の国を受け継ぐ人名リストであり人物判別帳である。
②登録される人々
異邦人諸国〜「ラハブとバビロン」「ペリシテとツロ、クシュ」
彼らがネイティブとして登録されると言う事はなんだ分け隔てない霊的祝福を享受することの約束である。
「この者はこの都で生まれた」
イスラエル人〜世界中に離散していてもその残りの者はすべて相続者となる。
「この者もあの者もこの都で生まれた」
⑶ シオンにある泉
①住民たちの歓喜と踊り
シオンとは神の都であり、そこに君臨される王なるイエスである。
生命に欠かせない水の湧き出る源がイエスにあるとは、
新約的には信者の内から流れ出る水である聖霊を意味している。
「わたしが与える水を飲むの誰でも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます」
(ヨハネ4:14)
②命の源泉はシオンにある
イエス以外の源泉から原動力を引き出しているとしたら、それは真摯な信仰生活ではない。
自分が無力で乏しいことの現実に目が覚める時にキリストにある富に目が開かれていく。
ヨルダン、ペトラにある岩石の砂粒で作られているデザイン
詩篇77篇
1,私は神に声をあげて叫ぶ。私が神に声をあげると神は聞いてくださる。
2,苦難の日に私は主を求め夜もすがらたゆまず手を差し伸ばした。けれども私のたましいは慰めを拒んだ。
3,神を思い起こして私は嘆き悲しむ。思いを潜めて私の霊は衰え果てる。セラ
4,あなたは私のまぶたを閉じさせません。私の心は乱れてもの言うこともできません。
5,私は昔の日々遠い昔の年月について考えました。
6,夜には私の歌を思い起こし自分の心と語り合い私の霊は探り求めます。
7,「主はいつまでも拒まれるのか。もう決して受け入れてくださらないのか。
8,主の恵みはとこしえに尽き果てたのか。約束のことばは永久に絶えたのか。
9,神はいつくしみを忘れられたのか。怒ってあわれみを閉ざされたのか。」セラ
10,私はこう言った。「私が弱り果てたのはいと高き方の右の手が変わったからだ」と。
11,私は主のみわざを思い起こします。昔からのあなたの奇しいみわざを思い起こします。
12,私はあなたのなさったすべてのことを思い巡らしあなたのみわざを静かに考えます。
13,神よあなたの道は聖です。私たちの神のように大いなる神がいるでしょうか。
14,あなたは奇しいみわざを行われる神。国々の民の中で御力を現される方。
15,あなたは御腕をもって贖われました。ご自分の民ヤコブとヨセフの子らを。セラ
16,神よ水はあなたを見ました。水はあなたを見てわななきました。大いなる水も震え上がりました。
17,雨雲は水を注ぎ出し雷雲は雷をとどろかしあなたの矢もひらめき飛びました。
18,あなたの雷の声は戦車のように鳴り稲妻は世界を照らし地は震え揺れ動きました。
19,あなたの道は海の中。その通り道は大水の中。あなたの足跡を見た者はいませんでした。
20,あなたはモーセとアロンの手によってご自分の民を羊の群れのように導かれました。
「神のからくり」
⑴苦難の日に
①初めて人は根源的な究極的な問いを抱く
切実な
「声を上げる」
「たずね求める」
「手を差し伸べる」
と言う姿勢が見える
②自分自身にも向けられた問い
自らの過失であり愚かさであり汚さが起こした渦巻きか、
不可解で不条理な暗黒に一人置かれた孤独
それまで教えられてきたことと異なる疑問
神ご自身に対する信頼の揺るぎ 6ー9節
⑵主の御業を思い起こそう
①天地創造からイスラエルの出エジプトに至る人知を超えた神の偉大な業。
ご自身の民に対する変わらない普遍のまなざし。
②翻訳上の課題
「いと高き方の右の手が変わったことによる」(10)
「変わった」(シェノース)は、「年々」とも訳せる。
その場合なら「右の手の年々のゆえに」と翻訳可能。
文語訳、NIV.
問題の根源が右の手が変わったと誤解したことによることか
変わらない右の手があることを想起したことが問題解決へと向かったのか。
⑶「あなたの足跡を見たものはない」
①出エジプト体験から道が海の中に、水の中にあることを経験した。
万策尽きた時に神の御業が現れる
よって結論は「あなたの道は聖です」
ー絶対他者性
②地にあるものが聖なるものと交渉する際に
必要な事はただ1つ信頼である。
どのように助けられるかの方法を見出すことではない。
あなたはあなたで良い。
人が幼少の頃から教育され訓練される。
つまり、しつけられて行く。
家庭や学校ときには国家が理想とする型枠に人を当てはめるのだ。
もちろんそこには宗教と言う型枠もある。
その型枠に押し込まれて形成された人間は、
誰も同じような顔をしている。
家長や教師、聖職者や独裁者にとって都合の良い人間ではあろう。
だがそれと同時に笑顔は失なわれ、生気も吸い取られ生きた屍が完成する。
「いいえ、レールの上を走ってきた者たちにも生き甲斐や喜び、笑顔がありますよ」
そう反論してくる人もいる。
しかしその時の笑顔がまた、他者と同一のものであったりする。
生きることと自由とは、本来どちらも尊いもので、
どちらも同じような価値を持っているものではないか。
「真理はあなたを自由にする」
主イエスはそのように言われた。
人が真の自由に生きる時
その人の本来の持ち味が発揮されて
顔にもにじみ出てくるようである。
「イエスとともにいたのだ」
使徒の働き4章5節〜18節
「5,翌日、民の指導者たち、長老たち、律法学者たちは、エルサレムに集まった。
6,大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレクサンドロと、大祭司の一族もみな出席した。
7,彼らは二人を真ん中に立たせて、「おまえたちは何の権威によって、また、だれの名によってあのようなことをしたのか」と尋問した。
8,そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。
9,私たちが今日取り調べを受けているのが、一人の病人に対する良いわざと、その人が何によって癒やされたのかということのためなら、
10,皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。
11,『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』というのは、この方のことです。
12,この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」
13,彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた。また、二人がイエスとともにいたのだということも分かってきた。
14,そして、癒やされた人が二人と一緒に立っているのを見ては、返すことばもなかった。
15,彼らは二人に議場の外に出るように命じ、協議して言った。
16,「あの者たちをどうしようか。あの者たちによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムのすべての住民に知れ渡っていて、われわれはそれを否定しようもない。
17,しかし、これ以上民の間に広まらないように、今後だれにもこの名によって語ってはならない、と彼らを脅しておこう。」
18,そこで、彼らは二人を呼んで、イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならないと命じた。」
(序論)
私たちクリスチャンは外部の人達にどのような印象与えているか。
イエスと共にいたということをわからせるものだろうか。
⑴人に依拠するものでは無い
①無学な普通な人であったペテロとヨハネ(12)〜他者の彼らに対する認識
ラビ専門教育を受けたものでもないのに神殿において群衆を教え男の数で5,000人もの人々が信仰に入った。
彼らは誰特別な才能があるのではないガリラヤ出身の漁師である。
②自分の力とか信仰深さによるものではない(3:12)〜自らの認識
生まれつきの男を歩かせたと言う偉大な奇跡は、イエスの第一弟子として偉大な信仰があったからだと言う自負はなかった。
⑵単純、占有的な福音理解
①イエスの御名が男を立たせた(4:10、7)
それはイエスご自身がした御業であるとの宣唱だった。
「家を建てる者たちに捨てられた石が礎の石となった」
詩篇118:22にあるこの予言がイエスにおいて成就した。
②「この方以外には誰にあっても救いはない」とする占有された世界観。
それはこの世的には受け入れられなくても聖書的なものである。
⑶イエスの霊(聖霊)に満たされていた
①弟子たちに「大胆さ」(4:13)が与えられたのは2章冒頭にあるペンテコステの経験を経た後である。
その時にイエスと一体化し
そのからだなる教会に連なり
イエスの霊に満たされるものとされた。
②聖霊の満たしを継続するために
継続したメソジカルな宗教的営みがあった。
「ペテロとヨハネは午後3時の祈りの時間に宮に上っていった」(3:1)
新しく誕生した教会の群れは、
弟子たちからの教えを受け
交友をし
聖餐式を重んじ
祈りを共にしていた(2:42)
サンフランシスコ・マーケットストリートにて
「見ないで信じるものに」
ヨハネ福音書20章24〜29節
「24,十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
25,そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。
26,八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
27,それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
28,トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」
29,イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
⑴実証主義者トマス
①懐疑主義者とレッテルするよりも実証主義者であった。
興奮して話す他の弟子らの証言、
主の復活を目撃した体験談を聞いたとしても
自ら経験しなくては気がすまなかった。
②一途に真摯に真理を追求する学者タイプ。
殉教死を覚悟する一途さ(ヨハネ11:16)
真理を突き詰めるまでは休まない真剣さ(ヨハネ14:5)
⑵求道探検者トマス
①弟子たちの群れにとどまり続けた。
他の弟子たちのような信仰体験はなく
引け目を感じたとしても群に留まり続ける幸い。
②求める者には応えられる。
デドモと言う別名の意味は双子。
片方の兄弟に関しての聖書の言及がない。
信仰継承は地縁や血縁によらず神からの応答のみによる
⑶礼拝者トマス
①主イエスの圧倒的な顕現に触れて
不信仰の言葉の一語一句はすべて聞かれていた(25節と27節を比較)
目前の主を神ご自身と認めた礼拝の行為
②「見ずに信じるものは幸い」
感覚やご利益を土台とする信仰は常に不安定
御言葉に啓示されている主の人格と御業に信頼しよう
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