信仰生活には2つの側面があります。
ビジョンに生きる面と現実に足を地につけて生きる面です。
この両者がバランスを保ってなければ健全な霊的生活は成り立ちません。
ビジョンは霊的生活の超自然的側面、現実はその自然的側面です。
ビジョンを通じて神を見、そのお言葉を聞き、臨在の中を生きるのです。
同時に現実生活においては健康や経済、人間関係などでの様々な問題に直面するものです。
ヘルモン山の山頂で主イエスの御姿が変わり、父なる神からの声がかけられた時、弟子たちはその光景の中で宗教的な高揚感、喜悦に満たされました。
その直後、山から降りた山麓にあって悪霊に憑かれた子供に悩む父親に嘆かれた弟子たちは、挫折感とフラストレーションに満たされたはずです。
ビジョンと現実、山頂と山麓、これら両者が1つとなるのは、イエスにおいてです。
山頂で光輝く雲やモーセとエリアが消えて行った時、そこに残ったのはイエスのみお一人でした。
弟子たちに助けることができないでいる時、「その子をわたしのところに連れて来なさい」と言われたイエスにおいて問題が解決されていきました。
ビジョンに接しながら、現実を生きる。
現実に生きながらビジョンに触れ続ける。
イエスとの交わりが深まるにつれてこの両者に均衡が保たれ、信仰生活が健全なものへと成長して行きます。
「光」「いのち」「ことば」であられるイエスを歓迎してお迎えしようではないですか。
「もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血は全ての罪から私たちをきよめます」(第一ヨハネ1章7節)
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