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トイレはどこだ?

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サンフランシスコのMikaku... サンフランシスコのMikakuレストランにて。
日本食をイスラエル帰国後初めていただいて、故国?に帰って来た気分になれた。




時差ボケの苦労はないような事を先回書きましたが
全くないわけではありません。

夜半に目覚めてトイレに向かう時のことでした。

いつもの所にあるはずのバスルームドアが見当たらないのです。

あちこち探し回り、居間へのドアだったり、
他のドアにぶつかりそうになったり……

気が付いてみれば台所に立っていたりしていました。

これはエルサレムで5泊ほど滞在したホステル部屋のレイアウトが
記憶に残っているためと思われます。

我が家のレイアウトに切り替わるまで
3ー4日ほどかかりました。

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ワオ!と言っているユーザー

ご無沙汰です

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サンフランシスコ郊外、オークラ... サンフランシスコ郊外、オークランドにあるチャイナタウンから

皆さん、随分とご無沙汰してしまいました。
イスラエルから帰国して気が付けば早、一週間が経過しています。

この一週間は更新が無かったにも関わらず
当ブログに訪問して下さってありがとうございます。

時差の関係で更新を忘れていたのではありません。
単なる怠け癖が出ただけです( ^ω^ )

イスラエル帰国途上にワシントンDCで
18時間ほどの乗り換え時間がありました。

そこで午後5時にホテルチェックインして早目の就寝。
翌朝午前6時頃まで寝たら、すっかりと時差の調整が出来てしまったという、快挙!

先回イスラエルから帰国してからしばらく数日間は
就寝リズムが昼夜逆転したことからすると、

ここまでは問題なくシアトル時間に調整出来ています。
通常の仕事モードに復帰出来たようなのですが、
ブログにまでは手が回りませんでした。

はやりどこか精神的に余裕がなかったのかもしれません。
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ワオ!と言っているユーザー

ドアからドアまで44時間

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イスラエル・ベングリオン空港 イスラエル・ベングリオン空港 ドアからドアまで44時間 ベルギー・ブリュッセル空港 ベルギー・ブリュッセル空港 ドアからドアまで44時間 ワシントンDCで一泊 ワシントンDCで一泊


エルサレムのホステルを午前2時にタクシーで出立して、
翌日の午後お昼頃にベルビューの自宅に到着しました。

10時間の時差を勘案すると
合計の所要時間は44時間となります。

約2週間ぶりに本物の日本食にありつけました。
カレーやシーフードを準備してくれた妻に感謝します。

家族との再会を何よりも嬉しく感じています。

長女はお土産の死海の泥パックを喜んでくれています。
長男はさらに身長が伸びたようで、中学生らしくなってました。

これから徐々にシアトルの時間帯に慣らしていきます。

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ワオ!と言っているユーザー

12日間の聖地旅行ハイライト

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フランシスコ会聖誕告知教会 フランシスコ会聖誕告知教会 12日間の聖地旅行ハイライト 右の祭壇下がマリヤの家とされる 右の祭壇下がマリヤの家とされる 12日間の聖地旅行ハイライト 12日間の聖地旅行ハイライト ヨセフの家教会 ヨセフの家教会 12日間の聖地旅行ハイライト 当時ヨセフら聖家族が生活されて... 当時ヨセフら聖家族が生活されていた洞窟の上に立つ小チャペル。COG聖地旅行の時はここで感動の礼拝を持った。 12日間の聖地旅行ハイライト 教会の地下は当時の聖家族らの住... 教会の地下は当時の聖家族らの住まい
ギリシャ正教聖誕告知教会 ギリシャ正教聖誕告知教会 教会の内部 教会の内部 12日間の聖地旅行ハイライト 祭壇奥下は水の流れとなっている 祭壇奥下は水の流れとなっている 聖誕告知教会の外観 聖誕告知教会の外観 12日間の聖地旅行ハイライト 12日間の聖地旅行ハイライト マリヤの井戸 マリヤの井戸 シナゴーグ教会 シナゴーグ教会 12日間の聖地旅行ハイライト ナザレ旧市街を巡るツアー ナザレ旧市街を巡るツアー 右がリンダさん 右がリンダさん 12日間の聖地旅行ハイライト 12日間の聖地旅行ハイライト 12日間の聖地旅行ハイライト 12日間の聖地旅行ハイライト 12日間の聖地旅行ハイライト 12日間の聖地旅行ハイライト 12日間の聖地旅行ハイライト 12日間の聖地旅行ハイライト 12日間の聖地旅行ハイライト 12日間の聖地旅行ハイライト 12日間の聖地旅行ハイライト 彼女がこのネックレスを情熱を傾... 彼女がこのネックレスを情熱を傾けて制作したことを話されるものだから、「娘に似合うかも」と衝動買い。 12日間の聖地旅行ハイライト
12日間の聖地旅行を振り返ってみて
今回もナザレが忘れられない感動の訪問となった。

その感動が頂点に達した場所や内容は毎回異なる。

先回までの2回の訪問では、
何れも半日ほどの時間を費やして巡礼の定番となっている著名なナザレの教会堂群を巡った。

最初の訪問時はハーベストタイムの中川健一氏がガイドだった。
豪華極まるフランシスコ会の聖誕告知教会の後に行った、
シナゴーグ教会が忘れられないものとなっている。

当時の旧市街マーケットは殷賑を極めており、
その賑わいをかき分けるようにして進み、
雑踏の中に現れた静謐な空間、

そこで主イエスがイザヤ書預言の成就を宣言された聖書箇所が
中川氏によって解説された。

2千年の時空を飛び越えてリアルな聖書世界が再現した。

中東最大で最大級の華麗な装飾を誇るフランシスコ会設立の聖誕告知教会。
そこは聖母マリヤの生家があったとされる洞窟の真上に祭壇が位置している。

ここでは早朝からミサが行われており、今回部分参加させて頂いた。

同じ敷地にそこから50メートルほどしか離れていない場所に立つのが
ヨセフの家。

結婚後のヨセフが
幼子イエスとマリヤとともに生活されたとされる洞窟の家の上に立つ教会。

聖誕告知教会程の華麗さはないが、
堅牢で単純な構造がその史実の確かさと相まって、
聖家族の生活の様子を彷彿と蘇らせてくれる。

ところで、「彷彿と蘇らせてくれる」精神作用は、
一人で単に黙想していて得られるものではない。

先回のナザレ訪問ではガイドとしてお世話いただいた
柿内ルツ氏によるところが大きい。

2千年前のナザレ村の一般家庭の生活がどのようなものであったか、
豊富な史料に裏ずけらた史実から簡潔に再現され、

その上で「神の一人子が人となって来られた」という聖書メッセージが
ナザレという時空の一点でどのように実現していったかを解説された。

私たち参加ツアー参加者はその時、
ヨセフの家の真上に造られた小さなチャペルで礼拝の時を持ったが

新約聖書世界の現実が目の前に色彩と立体感覚をもって
リアルに再現されて来るようで
涙が留めなく流れるのが抑えられなかった。

今回の一人旅ではそのような聖書メッセージに耳を傾けたり、
濃厚な聖霊様のお取り扱いをじっくりと戴く機会は残念ながら得られない。

許されている時間内で可能な限りの史跡を巡り、
そこで得られる見聞からの情報を集積することに主眼を置いて来た。

さて、ナザレ市内の案内地図を眺めていると、
これまで行ったフランシスコ会による聖誕告知教会以外に
もう一つの聖誕告知教会があるのに気がついた。

ギリシャ正教会が設立したもので、
フランシスコ会の教会前の坂道道路を数百メートルほど登ったところにある。

そのギリシャ正教教会の敷地隣、数十メートルの至近距離に
マリヤの井戸と呼ばれる遺跡がある。

現在は枯れて水は流れていなかったが、
天使ガブリエルからメシア懐妊の御告げをマリヤが受けたとされる場所である。

同正教教会の祭壇は、
教会入り口から地下へと進む階段を降りていったところにあり、

そのマリヤが水を汲んだとされる場所の上に位置している。
そこは水が延々と流れていた。

これらの大聖堂群やシナゴーグ教会を含めて
ナザレにある全ての史跡を巡るのに要した時間はわずかに1時間足らず。

団体行動でないため訪問数をこなす効率としては
申し分なく良い。

朝8時にホステルを出立した時間帯では観光客は誰もいなくて、
どの史跡に行っても待ち時間はゼロだったことも以前の訪問時と異なり、
スイスイ気分で進んでいける。

ただ、それぞれの史跡が意味するところや、
そこから抽出される霊的なレッスン、

そこから湧出して来る霊的な感動を他者とシェアし、
そして共有するといった醍醐味は犠牲とせざるを得ない。

一人旅で得られるプラス面と
決して得られないマイナス面とである。

そんな今回の一人旅であったが、
最大の収穫ポイントとなったのは、
地元に生活されるナザレのアラブ人との交流であった。

旧市街でビジネスを営む個人経営や家族経営の零細商店主を
紹介しながら交流するというツアープログラムが朝9時から始まった。

大使(地元民からそう呼ばれている)役を務めてくれるのがリンダさんで、
その小柄な初老の女性が溢れんばかりの熱量を放出させながら話を始めると

たちまちにして地元の商店主を虜としてしまい
私たち初対面のツアー客にも心開かせ、即時に友人に変えてしまうという
魔法を見ているようであった。

数時間をかけて5軒ほどの旧市街にある商店を巡る。
ハッカやスナックの製造所、工芸品の販売店、ジュエリーの制作兼販売店、お土産販売店、コーヒー販売店など。

商店主の話されることはそれぞれ異なり、代々とビジネスを受け継いで来た経緯、商品の解説から仕入先や流通経路、昨今の景気の流れ、ナザレにやって来た先祖や現在の家族の様子など、

社会情勢から個人的なことがらに至るまで、まさに友人のようなもてなしを頂きながら
尽きない興味ある話に引き込まれていく。

最長老の土産物店の店主は祖父がパレスチナ国王だった人の子孫で、
その国王が当時のオットマン帝国 にどのように処刑されてしまったか、

1950年代までのナザレには電気や水道等のインフラはなく
古代と同じ生活形式であったことなど、
古い白黒写真を見せながら話してくれる。

リンダさんが激しくハグして励ました相手は
まだ年若いジュエリー店主の女性。

精巧ジュエリー作りに愛着を持ちながらも
子育てと両立させる生活をいかに戦っているかを涙ながらに話される。

彼らはビジネスや生活のそのままを率直に紹介するだけで
それら商品を我々に売り込むことは決してしない。

そこで、製作されたジュエリーの値段を自ら聞いてみた。
米国で売られているのと比べてかなり安い(と思う)。

「私の娘に 、お土産としてこれを買いたいです」

と私が衝動買いを申し出ると、
それがきっかけとなって他のツアー客も購入を始める。

ジュエリーなんて私には興味なく、
相場も知らず、
今まで買ったこともないが

彼女が数日間かけて丹精に作り上げたそれは
長女の首に似合いそう(^○^)

「貴方は彼女をどれだけ祝福したか知らないはずよ。
彼女は昨日何も売り上げがなくて、ひどく落ち込んだいたのよ」

店を出た後、リンダさんがこっそりと私にそう告げた。

リンダさんはそのような大使役をボランティアで続けてすでに7年目になるという。

かつて一度に数十人を引率する程の盛況ぶりであったが、
昨今の政情不安を受けてこの日は10人ほどの参加者。

数週前は数人だけを引率した日も続いたそうだ。

孤児院で育てられたという米国人の彼女は
ここナザレにすっかり惚れ込んだあと、
移住してしまい、
今では地元にすっかり溶け込んでいる。

ナザレにある孤児院を支援する仕事もして、
ツアー最後にはそのための献金を捧げる恵みも与えらた。

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44時間かけて帰宅しました

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ワシントン・ダラス空港で18時... ワシントン・ダラス空港で18時間の待ち時間があり、空港ホテルで夕食と1泊。 テルアビブ空港の寿司レストラン... テルアビブ空港の寿司レストラン。勇気を振り絞ってカウンター席に座ってみる。でもやはり寿司が怖くなってしまい、メニューブックを見ただけで席を立つ。 ブルッセル空港で乗り換え。テロ... ブルッセル空港で乗り換え。テロを警戒してか、ターミナル内で2重の保安検査を受ける。 ベルギー航空の夕食。アイスクリ... ベルギー航空の夕食。アイスクリームが嬉しかった! 帰宅後ランチをとってからシアト... 帰宅後ランチをとってからシアトルのダウンタウンへ。
すでに仕事全開モードです。ベルタウンに建設中のビルはこの2週間で完成していた。

エルサレムのホステルを午前2時にタクシーで出立して、
翌日の午後お昼頃にベルビューの自宅に到着しました。

10時間の時差を勘案すると
合計の所要時間は44時間となります。

約2週間ぶりに本物の日本食にありつけました。
カレーやシーフードを準備してくれた妻に感謝します。

家族との再会を何よりも嬉しく感じています。

長女はお土産の死海の泥パックを喜んでくれています。
長男はさらに身長が伸びたようで、中学生らしくなってました。

これから徐々にシアトルの時間帯に慣らしていきます。


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エルサレムから死海のほとりへ

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オリーブ山からの眺め オリーブ山からの眺め オリーブ山からエルサレムに向か... オリーブ山からエルサレムに向かう道にカメラを向けると、ハーベストタイム聖地旅行の一団でした。 ライオン門 ライオン門 神殿の丘に連なる糞門 神殿の丘に連なる糞門 城壁の上を歩けます 城壁の上を歩けます 城壁の上からの眺め 城壁の上からの眺め 聖母マリヤの墓教会。オリーブ山... 聖母マリヤの墓教会。オリーブ山の麓にある。 死海 死海 室内プールも死海の水を引き入れ... 室内プールも死海の水を引き入れている ホテルのヴァフェ ホテルのヴァフェ 死海で迎えた朝 死海で迎えた朝 これは先回のCOG聖地旅行で利... これは先回のCOG聖地旅行で利用したHod Hotel エルサレムから死海のほとりへ

ホステルでいつもの朝食を終えると
トリム(ストリート・カー)を利用してダマスカス門まで。

そこから徒歩でオリーブ山を目指す。
その頂上まで来たが、エルサレム全市を見下ろせる展望台がどこか分からない。

歩きながら出くわす地元のアラブ人に身振り手振りで展望台への道順を乞うが、
最初の者は右といい、次に会った工事作業員の男は左という。

文字通りに右往左往を繰り返しているうちに中学校の前まで来てしまった。
8人ほどの我が子ほどの女子たちに囲まれる。

人懐っこい笑顔で話し掛けてくるが、
アラビア語が分からないことを良い事にどうも笑い者にされたらしい。

カメラを向けると激しく抵抗するのはどうしてだろう?

これは数年前、この付近でバスの中からカメラを向けた際に投石のジェスチャーをされて抗議して来たことと重なる。

この地区は東エルサレムで、対イスラエル抗争の渦に巻かれている中心地区。
子供達の純真な心までが憎悪の渦に巻き込まれていないか、危惧する。

何とか展望台に辿り着く。
神殿の丘を写真に収めて、

オリーブ山を降り、エルサレム城壁の糞門から神殿の丘に入る。
途中、ハーベストタイムの一行に思いがけずにも遭遇。

神殿域は午前10時に閉鎖されてしまうため、先を急がねばならない。
友人の永山兄に1分としない挨拶を交わして別れる。

西壁に行き、西壁トンネルのチケットを買おうとするが、
次回の許可が3時間後と聞いて今回は諦める。

ヤッフォ門からダマスカス門の城壁の上を歩く。
見晴らしが良く、街の様子をここならではの角度からカメラに収める。

ダマスカス門からトリムに乗ってセントラル・バス・ステイションへ。
そこからバスに揺られること、約2時間。

Ein Bokek という死海のほとりへやって来た。
これは自分自身へのボーナスであり、ヴァケイションとなるまる一日。

これまでのイスラエル旅行は予定がいっぱい詰まっていて
かなりの濃度で史跡を巡り、新規のことを学習してきた。

旅行の最後に一人でリラックスできる場所で楽しむ事にした。

死海の海面に手足を伸ばして浮かんでいると解放感に浸る。

ホテルの建造物以外に目にするのは草木の一本もない茶色の岩山で
私の周囲の世界を果てし無く取り巻いている。

この塩水の海を別にしたら、
米国のアリゾナで目にした岩山となんら変わらない。

そこの入植者たちが地名を「シオン」と名付けた訳がよく分かる。

気温は20℃前半まで上がり、海水浴出来るほど暖かい。

ビーチの長椅子で人々が日光浴している世界と
前日訪れたヘブロンは氷点下の寒風の世界。

気象環境だけでなく、人が作り出した平穏環境の激しい相違はどうであろう。

襲撃事件から外出禁止令が出された緊張の彼の地と、
存分にくつろげるヴァケーションの地。

その正反対の環境が同じイスラエル国内にあり、
距離にすればわずかバスで3時間の場所のことである。

ここは海面下400メートルの地上で最も低い場所であり、
独特の地形やミネラル等の資源に恵まれる。

死海の濃度34%の塩水は、
皮膚のあちこちにある私の引っかき傷に強烈な痛みを与えたが、
水虫を一 昼夜で癒してしまった魔法の水でもあった。

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テロ攻撃真っ只中!?

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ダマスカス門駅のトラム。 これ... ダマスカス門駅のトラム。
これから数時間後、このトラムがこの場所で狙われた
ダマスカス門 ダマスカス門 城壁の上から見下ろしたダマスカ... 城壁の上から見下ろしたダマスカス門 テロ攻撃真っ只中!? テロ攻撃真っ只中!? 城壁の上を歩く 城壁の上を歩く 夕刻の死海 夕刻の死海 ホテルの窓からの眺め ホテルの窓からの眺め

While I was inside the memorial Tomb of the Patriarchs in Hebron yesterday, there was a shooting just outside in which a Palestinian gunman shot a Jewish woman and wounded her. We were ordered to shelter in place and were stuck inside the building for a few hours before being released. The gunman was not attested despite the fact that many Israeli soldiers were looking for him on rooftops and all over town.

Around noon today, I left Damascus Gate by train which oriented to a central station. Switched bus that took me to the shores of the Dead Sea where I am now enjoying my vacation.
After finishing dinner here, I got an email from R, a friend and Israel guide with who me I hung out a few days ago and I was warned about a possible terrorist attack.
According to her report, terrorists targeted the same train at the Damascus Gate this afternoon!

I couldn't find anything about these incidents on the Internet. Perhaps these are such normal occurrences in this country that it isn't worth even reporting on the news? Now I totally understand the necessity for the countless young Israeli soldiers who I've encountered every day on this trip to carry rifles.


昨日ヘブロンで族長達の廟を訪問中のこと。
その建物のすぐ外にてパレスチナ人がユダヤ人女性を狙撃するテロが勃発。

戒厳令が敷かれてその建物の中に数時間拘束されました。
イスラエル狙撃兵が町中の屋根に上り探したが、結局犯人は逃げたまま。

今日のお昼頃、ダマスカス門からトリムを利用し、現在は死海のビーチで夕食を終えたところです。メールを開いてみると先日もお会いしたイスラエルガイドのRさんからテロに用心するようにとのメッセージ。その日に乗ったダマスカス門のトリムがその後にテロ攻撃を受けたとのこと。ニュースを検索したが見つからないのは、その程度のテロは日常茶飯事ゆえ、取り上げもしないということか?
街で頻繁に見かける20代のイスラエル兵が機関銃を抱えている理由が分かります。

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ナザレ巡礼秘話

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ナザレ旧市街 ナザレ旧市街 ホステルの門をくぐったところ ホステルの門をくぐったところ 門の反対側、ホステル内部は直ぐ... 門の反対側、ホステル内部は直ぐに中庭となる 中庭に続く居間 中庭に続く居間 中庭と接続する朝食会場 中庭と接続する朝食会場
ナザレでの宿泊はFauzi Azar という簡易な宿泊所。
ユースホステルをイメージして貰えばベットルームの様子はそれにほぼ間違えない。

1850年頃、オットマン帝国時代の富豪の大邸宅をそのまま使用しているもの。
間取りや石造り建設、木製のドアは当時のまま。

ホステルを1歩外に出れば、
旧市街の細い道が迷路のように伸びている。
この町並みは1,000年ほど前の十字軍時代のものであり、
そのまま残されている。

7年前、最初にイスラエルに来た時にも
エルサレム、ベエルシェバ、マサダ、カイザリヤ、ガリラヤ周辺など、
名だたる定番コースを巡ったが、

私が個人的に最も感銘を受けた場所が
ここの旧市街にあるシナゴーグ・教会だった。

シナゴーグだったところが十字軍時代に
キリスト教会に改築されたもの。

その古さはイエス時代にまでは届かないものの、
イエスが幼少期から公生涯に立たれる30歳まで過ごした故郷とも言うべきところがこのナザレである。

この町で生活され、大工としての仕事をされ、シナゴーグにも律法を学ばれるために通われた。

ホステルは、そのシナゴーグ教会から徒歩で1分のところに位置している。
まさに2千年前、主イエスの息遣いのあった場所である。

午前9時からの旧市街を巡る無料ツアーに参加して、
ここの誕生の経緯等を伺った。

私の記憶が間違っていなければ、1970年代にホステルとして誕生。

当時はナザレに一軒の宿泊所もなく、
巡礼者らは日帰りする他なかった。

著名な教会をはしごした後に宿泊所のあるテベリヤなどに移動のため
数時間の滞在時間しか確保できず、地元の人らとの交流が皆無。

そこでジックリと巡礼し、地元のナザレ人とも交流の機会を提供したいとの想いから始められたと聞く。

昨今の抗争事件は観光客を激減させ、
旧市街の店はどこも経営が厳しく、廃業が続いているとのこと。

このホステルも例外でなく、廃業の危機を1年ほど前に切り抜けたばかり。
そんな話を聞いてイスラエルに来て良かったとつくづく思った。

我々はマスメディアの流す報道で「怖い、、危険なところ」と
印象を持ち易いが、
イスラエルの全土が危険という分けではない。

特にナザレは平穏な所で、
そこには約7割のイスラム教徒と3割のユダヤ人とが共存したまま
事件を起こすこともなく平和を保って来た。

エルサレムやテルアビブの都会でテロ騒ぎが起こっても、
のどかな田園風景と寂れた町並みは変わらないままだった。

今回の宿泊者の中には大部分の米国と欧州人に混ざって
エルサレムからのユダヤ人ご夫妻が参加されていた。

30代前後と思しき彼らは初めてのナザレ訪問で
平穏であるからという理由で選んだという。

ここからガリラヤ湖までは、「ジーザス・トレイル」が伸びている。

イエス様が歩いて旅されたその同じルートを
1泊しながらハイキングするのは将来のことにしたい。


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イスラム教徒とユダヤ人にとっての聖地・ヘブロン

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子供の笑顔は緊張から解放してく... 子供の笑顔は緊張から解放してくれます。 ヤコブの墓 ヤコブの墓 右端がイスラム教徒ガイドのエマ... 右端がイスラム教徒ガイドのエマニエル ヘブロンの廟 ヘブロンの廟 イスラム教徒とユダヤ人にとって... イスラム教徒側の入り口 イスラム教徒側の入り口 イスラム教徒のガイドのエマニエ... イスラム教徒のガイドのエマニエル宅でランチ 戒厳令が敷かれた直後 戒厳令が敷かれた直後 ユダヤ人コミュニティー最長老か... ユダヤ人コミュニティー最長老から講義と質疑応答。
戒厳令が解除された後のユダヤ教シナゴーグにて。
今度はユダヤ教徒からの視点での講義があった。
1時間ほどでそこを去ろうとした時、事件が起こる。

廟の外でユダヤ人の婦人が何者かにより狙撃され、
救急病院に運ばれた。
イスラム教徒らしい犯人は逃走し、町には戒厳令が敷かれた。

私たちは2時間ほど建物の中に拘束され、
どの商店も閉店し、どの道路も完全封鎖。
家々の屋根には犯人を捜すイスラエル狙撃兵が配置されている。

戒厳令が解除されてからはユダヤ教徒のシナゴーグへ移動。
そこのユダヤ教徒コミュニティー代表からのレクチャー。

聖書時代からユダヤ人コミュニティーがここで綿々と存続していたこと、
長い間、ユダヤ教徒とイスラム教徒とは平和に共存していたこと、

昨今のテロがコミュニティーに及ぼしている経緯や結果、
米国や欧州の対応に対する評価など、、、

これまでのどんなプレス報道や解説からも聞いたことのない
現地の当事者ならではの深いナレイティヴを聞かせていただいた。


ツアー参加者からの容赦ないツッコミもありました。

「パレスチナ人サイドは〜〜と言っているが、その点はどうなのか」

「私はそうは思わないわ」

問題点の核心にまで深く掘り下げれいくと
解決という特効薬は
現実を無視したものに見えてくる。

「この問題は、政治や共同体形成といった方法論に本質があるのではなく、
本質は宗教なのだ」

この長老の結論が広く国際社会に認識され共有されなければ
的外れの議論が今後も繰り返されるように感じた。
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ヘブロン

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3人の族長達の墓のある町、ヘブ... 3人の族長達の墓のある町、ヘブロン 族長の墓のあるマクペラに建つ堂... 族長の墓のあるマクペラに建つ堂々とした廟。
実際に遺骸が葬られた場所は地下16メートル下の洞穴の中にあるという。
廟の内部。かつてシナゴーグだっ... 廟の内部。かつてシナゴーグだったところがモスクに改造された(イスラム教徒サイドでは)。
その場所はイスラム風に合わせて天井がより高くなっている。
廟からの市内の眺め 廟からの市内の眺め アブラハムの墓 アブラハムの墓 街には常時、イスラエル兵の姿が... 街には常時、イスラエル兵の姿がある。 廟建物の前に集結しているイスラ... 廟建物の前に集結しているイスラエル兵が向こうに見える。
これはテロの発生する前の場面。
テロの発生直後。ユダヤ人ガイド... テロの発生直後。ユダヤ人ガイドが左。
行動を止められてこの後建物内に戻される。
ついに犯人は見つからないまま、... ついに犯人は見つからないまま、戒厳令は解除される。
ホテルを朝8時に出立してヘブロンへ。
ホテルの目の前を走っているトリムと路線バスを乗り継いで1時間ほどで到着。

ヘブロンは、
神殿の丘に匹敵するイスラエル・パレスチナ抗争の現実を具現している現場です。

そこで参加したツアー名が
「イスラエルとパレスチナ、
双方のナレイティブ主張に傾聴する」というもの。

バスで到着後、
それまでのユダヤ人ガイドがパレスチナ人ガイドに交代しました。

これから入るイスラム側にはユダヤ人は入れないからです。

ペブロンの廟にはアブラハム、イサク、ヤコブ3人の族長と
それぞれの妻が葬られた墓があります。

ほぼそれを真二つに分断して
ユダヤ教徒サイトとイスラム教徒サイトに分かれています。

イスラム教徒ガイドのエマニエルが先ず先導して
族長の墓に連れて行ってくれました。

その後はイスラム教徒視点でのヘブロンの抗争の歴史、
現状、問題点を取り上げて1時間ほどの講義。

その後は彼の父親の経営する土産物店の自宅客間に生じ入れられて
奥様と母君が作られたというランチをご馳走になりました。

その後はユダヤ教徒のガイドにバトンが渡されて
ユダヤ教徒サイトの廟に入ります。

両サイトに入る入り口ではセキュリティー検査があり、
さらにユダヤ教徒ではないのか、イスラム教徒ではないのか、
との宗教検問まである。

これは一人ひとりに尋問されるものではなく、
ガイドが代表して答えてくれるもの。

皆が「キリスト教徒」ということになっていました(^○^)
そして女性は頭からスッポリ全身を包むコートのようなものを着せられます。

この場合、「無宗教です」と正直に答える平均的日本人像なら
どのような扱いをされるか興味を抱きました。

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ワオ!と言っているユーザー

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