ホステルでいつもの朝食を終えると トリム(ストリート・カー)を利用してダマスカス門まで。 そこから徒歩でオリーブ山を目指す。 その頂上まで来たが、エルサレム全市を見下ろせる展望台がどこか分からない。 歩きながら出くわす地元のアラブ人に身振り手振りで展望台への道順を乞うが、 最初の者は右といい、次に会った工事作業員の男は左という。 文字通りに右往左往を繰り返しているうちに中学校の前まで来てしまった。 8人ほどの我が子ほどの女子たちに囲まれる。 人懐っこい笑顔で話し掛けてくるが、 アラビア語が分からないことを良い事にどうも笑い者にされたらしい。 カメラを向けると激しく抵抗するのはどうしてだろう? これは数年前、この付近でバスの中からカメラを向けた際に投石のジェスチャーをされて抗議して来たことと重なる。 この地区は東エルサレムで、対イスラエル抗争の渦に巻かれている中心地区。 子供達の純真な心までが憎悪の渦に巻き込まれていないか、危惧する。 何とか展望台に辿り着く。 神殿の丘を写真に収めて、 オリーブ山を降り、エルサレム城壁の糞門から神殿の丘に入る。 途中、ハーベストタイムの一行に思いがけずにも遭遇。 神殿域は午前10時に閉鎖されてしまうため、先を急がねばならない。 友人の永山兄に1分としない挨拶を交わして別れる。 西壁に行き、西壁トンネルのチケットを買おうとするが、 次回の許可が3時間後と聞いて今回は諦める。 ヤッフォ門からダマスカス門の城壁の上を歩く。 見晴らしが良く、街の様子をここならではの角度からカメラに収める。 ダマスカス門からトリムに乗ってセントラル・バス・ステイションへ。 そこからバスに揺られること、約2時間。 Ein Bokek という死海のほとりへやって来た。 これは自分自身へのボーナスであり、ヴァケイションとなるまる一日。 これまでのイスラエル旅行は予定がいっぱい詰まっていて かなりの濃度で史跡を巡り、新規のことを学習してきた。 旅行の最後に一人でリラックスできる場所で楽しむ事にした。 死海の海面に手足を伸ばして浮かんでいると解放感に浸る。 ホテルの建造物以外に目にするのは草木の一本もない茶色の岩山で 私の周囲の世界を果てし無く取り巻いている。 この塩水の海を別にしたら、 米国のアリゾナで目にした岩山となんら変わらない。 そこの入植者たちが地名を「シオン」と名付けた訳がよく分かる。 気温は20℃前半まで上がり、海水浴出来るほど暖かい。 ビーチの長椅子で人々が日光浴している世界と 前日訪れたヘブロンは氷点下の寒風の世界。 気象環境だけでなく、人が作り出した平穏環境の激しい相違はどうであろう。 襲撃事件から外出禁止令が出された緊張の彼の地と、 存分にくつろげるヴァケーションの地。 その正反対の環境が同じイスラエル国内にあり、 距離にすればわずかバスで3時間の場所のことである。 ここは海面下400メートルの地上で最も低い場所であり、 独特の地形やミネラル等の資源に恵まれる。 死海の濃度34%の塩水は、 皮膚のあちこちにある私の引っかき傷に強烈な痛みを与えたが、 水虫を一 昼夜で癒してしまった魔法の水でもあった。