ナザレ巡礼秘話
1月
5日
ユースホステルをイメージして貰えばベットルームの様子はそれにほぼ間違えない。
1850年頃、オットマン帝国時代の富豪の大邸宅をそのまま使用しているもの。
間取りや石造り建設、木製のドアは当時のまま。
ホステルを1歩外に出れば、
旧市街の細い道が迷路のように伸びている。
この町並みは1,000年ほど前の十字軍時代のものであり、
そのまま残されている。
7年前、最初にイスラエルに来た時にも
エルサレム、ベエルシェバ、マサダ、カイザリヤ、ガリラヤ周辺など、
名だたる定番コースを巡ったが、
私が個人的に最も感銘を受けた場所が
ここの旧市街にあるシナゴーグ・教会だった。
シナゴーグだったところが十字軍時代に
キリスト教会に改築されたもの。
その古さはイエス時代にまでは届かないものの、
イエスが幼少期から公生涯に立たれる30歳まで過ごした故郷とも言うべきところがこのナザレである。
この町で生活され、大工としての仕事をされ、シナゴーグにも律法を学ばれるために通われた。
ホステルは、そのシナゴーグ教会から徒歩で1分のところに位置している。
まさに2千年前、主イエスの息遣いのあった場所である。
午前9時からの旧市街を巡る無料ツアーに参加して、
ここの誕生の経緯等を伺った。
私の記憶が間違っていなければ、1970年代にホステルとして誕生。
当時はナザレに一軒の宿泊所もなく、
巡礼者らは日帰りする他なかった。
著名な教会をはしごした後に宿泊所のあるテベリヤなどに移動のため
数時間の滞在時間しか確保できず、地元の人らとの交流が皆無。
そこでジックリと巡礼し、地元のナザレ人とも交流の機会を提供したいとの想いから始められたと聞く。
昨今の抗争事件は観光客を激減させ、
旧市街の店はどこも経営が厳しく、廃業が続いているとのこと。
このホステルも例外でなく、廃業の危機を1年ほど前に切り抜けたばかり。
そんな話を聞いてイスラエルに来て良かったとつくづく思った。
我々はマスメディアの流す報道で「怖い、、危険なところ」と
印象を持ち易いが、
イスラエルの全土が危険という分けではない。
特にナザレは平穏な所で、
そこには約7割のイスラム教徒と3割のユダヤ人とが共存したまま
事件を起こすこともなく平和を保って来た。
エルサレムやテルアビブの都会でテロ騒ぎが起こっても、
のどかな田園風景と寂れた町並みは変わらないままだった。
今回の宿泊者の中には大部分の米国と欧州人に混ざって
エルサレムからのユダヤ人ご夫妻が参加されていた。
30代前後と思しき彼らは初めてのナザレ訪問で
平穏であるからという理由で選んだという。
ここからガリラヤ湖までは、「ジーザス・トレイル」が伸びている。
イエス様が歩いて旅されたその同じルートを
1泊しながらハイキングするのは将来のことにしたい。