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栄光は対面の中に Glory is in “face-to-face”

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今日のメッセージは、ブーバーに... 今日のメッセージは、ブーバーに出会ったからこそ、語られたことでした。。。。。
神様、感謝します。
教会は、成長しています。人々が解放され、生き生きとしています。それが、何よりの私の食べ物です。。。
ハレルヤ!

2017年8月13日日曜日礼拝メッセージ音声はこちらから、


今週ある方と話していて、ディスカッションしたことを分かち合いたいと思います。みなさん、イエス様の変貌の箇所を読んだことがあるでしょうか。そこから、今日は学んで行きたいと思います。

マタイ17:1-8

1 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。2 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。3 しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。4 すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」5 彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。6 弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。7 すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない」と言われた。8 そこで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。

マタイ16章、17章にはいろいろとペテロの言動が取り上げられて出てきます。時期は、イエス様が十字架にかかる前に弟子たちに心備えを促していた時。十字架で死ぬんだよーと教え始めたころです。ペテロは、あなたは私を誰というか? と聞かれ、「あなたは神の子キリスト」と告白し、それは神様が言わせてくれているのだよと、ちょっとほめられた感じになり、その後、イエス様が殺されるんだよ、という話になると、「いやいや、そんなことないよ」とイエス様をいさめて、「下がれ、サタン」と怒られちゃったりしました。
私たちは、こんなペテロの姿を見て、自分を見るような気分になります。。。あるときは、霊的で、聖霊によって、バシッと話せたり、そうかと思えば、とても肉的になって、神様に叱られたり。。。私たちは、そんな危うい存在なのかもしれませんね。誰しも経験が。。。
その出来事の一週間後、イエス様は、特別に三人の弟子を連れて、山に登りました。そして、不思議な体験をしたのです。

★ 神は公平、不公平?

イエス様は、このペテロとヤコブとヨハネをいつもそばに置きました。ゲッセマネにだって連れて行きました。ここぞ、というときには必ず連れて行きました。イエス様にはほかにも弟子はたくさんいました。女の弟子たち、12弟子、七十人弟子。。。。どうして三人だけ。。。肉的な人は、三人を特別扱いされていると思うかも知れません。どうやったら、あの三人になれるのか。。。などと、実際に、他の箇所では、誰が天でイエス様の近くに座るかなどと議論されたり、誰が一番偉いかと議論される箇所がありますね。私たちは、肉の目で見ると、このような失敗をします。

ヨハネの16章でも、「あなた方が私を選んだのではなく、私があなた方を選んだのです。」とあります。神様の世界は、教室的な学校ではないのです、一人ひとりにカスタマイズされた選びがあり、使命があります。誰が偉いとか、下だとかありません。ただ一つ、賞賛に値するのは、自分の置かれた場所で、導かれていることに、忠実であることです。小さいことに忠実である人は、多くをやがて任されるようになります。(ルカ16) 私たちが注目するべところは、いかに神に誠実に、忠実であるか。。。である部分です。

忠実であるときに、神の喜びとともに喜ぶというご褒美に預かることができるのです。(マタイ25)

★ 変貌への応答から学ぶこと

さて、この三人は、この光栄な出来事の中で忠実であることでできたのでしょうか。。。

2 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。3 しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。

① 栄光のとどめ方レシピ?

ペテロは、あまりにもすごい光景を見て、驚きました。モーセとエリヤは、モーセは神から律法をいただいた偉大な指導者、エリヤは預言者の代表、ユダヤ人にとっては二大英雄、律法と預言二つ合わせて聖書全体をあらわし、それを全うしたイエス様と出会っている様を見たのです。なんというすごい光景。しかも、光輝き、この世のものとは思えない光景です。いよいよ、十字架の話をみんなにしている時期に、旧約の二大英雄、そして神の教え全体を表す二人と「あなた方に新しい戒めを与えよう、互いに愛し合いなさい」と言われた、新しい生き方のイエス様が対面しているというこの意味深さ。。。弟子たちには理解できたのでしょうか。

その時、ペテロは、あまりの栄光に圧倒されて、これを保てればいい。。。ずっとここにいたい。。。とも思ったことでしょう。彼は、話しているイエス様に割って入って言いました。「おひとりおひとりのためにここに私が幕屋を作ります!」と。。。ここに、私たちへの警告が示されています。

私たちは、何かすごいムーブメントがあれば、それと同じことをフランチャイズしてそのムーブメントをとどめようとします。幕屋を立てて、そこにとどまってもらう。。。というのは、何か、クッキーカッターのように、これをすれば、この栄光がまた来るという期待からのもので、これが、宗教の霊の始まりです。クッキーカッターとムーブメントの約束があれば、神との関係なんていらないのです。また、信仰なんて必要ないのです。型、形、に神はいないことを私たちは知らなければなりません。

② 栄光はどこにあるか?

みなさん、この栄光は、どこから来ていたのでしょうか。。。それは、モーセとエリヤとイエス様がそれぞれ顔と顔とを合わせて語り合っているそのただ中にあったのです。やり方や、フランチャイズされたムーブメントではないのです。神との対峙の中に、栄光は宿るのです。

ブーバー。。。純粋な二人の人が対峙するところに神がいる。。。私の証し。
神との対峙、対面こそが一番のメッセージであって、現象ではないのです。現象は、とどめることができません。それは、無くなったり、行ったり来たりします。けれども、愛、神との出会いは無くなりません。

③ 彼の言うことを聞きなさい

ペテロが幕屋の一件を言うと。。。天からの声が、「これは、私の愛する子、私はこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がしました。
私たちの第一とするものは、ムーブメント、現象ではなく、イエス様の声に聞き従うことです。「見よ、聞き従うことはいけにえにまさり/耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(一サムエル記15)つまり、聞き従うことは、宗教に勝るのです。私たちは、イエス様との関係、出会い、対峙、愛の関係を宗教に成り下がらせてはいけないのです!

★ 変貌目撃の結果

マタイ16章の最後の方に、「誰でも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私についてきなさい。」V24 とありますが、この栄光を目撃した三人は、みな神様のために死にました。ヤコブは初めの殉教者となり、ペテロも十字架刑になりましたし、ヨハネは、パトモスで死にました。
現象をとどめようとしたペテロは、後の文書でこのように書いています。

Ⅱペテロ1:16-19

私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。

彼は、試練の中で、あの体験で経験した、神との対話、顔と顔とを合わせる中にある栄光に思いをはせながら、耐えたのです。神との出会いが彼の生涯の力となったわけです。あの栄光のある天国を見据えながら耐え抜いたのです。それは、信仰によりました。
神との対面は、私たちを強める。私たちは、神と対面しながら、日々生活し、日々奉仕し、試練に耐え、等々。。。全て、神との関係、神と顔と顔とを合わせながら歩むのです。

私たちは、あの現象がこの現象がと現象を追いかけてはいないでしょうか。あれさえあったら。。。などと。。。しかし、あなたが愛の関係、日々のface to faceの時間が神とないならば、栄光などないのです。神を心から求めませんか? 神との愛の関係を築くことをもう一度考えてみませんか?


#教会 #日曜日 #栄光 #礼拝 #礼拝メッセージ #神との会話

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最近の風景

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エリックが前から行きたかった、... エリックが前から行きたかった、テラコッタウォーリアー。中国,秦の等身大、本人にそっくりさん埴輪の大群の展覧会がサイエンスセンターでありましたので、行ってきました。
なんだか、生きているみたいに感じて、ちょっと正直、きみがわるかったです。それぐらい、上手に造られているし、なんだか心がこもっている感じがしました。馬車あり、馬あり、いろんな役割の兵士がいて。。。音楽担当とか、いろいろ。。。。圧巻です
きらびやかであり、豪華、もう手... きらびやかであり、豪華、もう手間と時間とスペースをいとわない、その壮大さに言葉が出ませんでした。でかいな、中国。。。
しかし、そう思えば、現在を考えれば、中国共産党は、そういう文化や中国の良いところを壊してしまったような気がならなくて、残念に思いました。。。
タコマの写真。向こうに海がうっ... タコマの写真。向こうに海がうっすら見えてます。空は曇っていますが、カナダの山火事の煙が風の流れでシアトル、タコマまで毎日飛んできて、目が痛い人も続出です。もうかれこれ一週間以上たちますが、まだ曇っています。 タコマの写真です。古い建物と、... タコマの写真です。古い建物と、新しいレストランがなんかいい感じです。 これは、木曜日に撮った写真です... これは、木曜日に撮った写真です。木曜日、ロバの子クラスでシアトルセンターにピクニックに行きました。三十名が集われました。なんだか、子供のエリアが日本人で埋め尽くされた感じが。。。みなさん、良い時になったみたいで、よかったです。これは、隣でしていたゲームイベント。大きなスクリーンで、ゲームの実況中継してました。
シアトルは、二週間前まで暑かったですが、先週からなんだかいい気候です。

もう秋が来ちゃうのかなー。。。なんて今日この頃です。

シアトルの写真が見たいとのリクエストに。。

すこし最近の写真を載せてみました。

あ、テラコッタフォーリアーについてのリンクです。ご参考にしてください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E9%A6%AC%E4%BF%91


#ブログ #最近 #風景

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Where I am from (詩)

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車窓から、故郷の田園風景 この... 車窓から、故郷の田園風景

この詩は、大学院の宿題の一つで、久しぶりに書きました。故郷や、自分の生い立ちが脳裏に浮かびながら朗読しました。

Where I’m From

The patchwork of rice fields, the beautiful river, and mountains,
Cherry blossoms dress our town pink in the spring,

Fragrances of field mustard and Renge flowers. Obento under the cherry tree
is simply the best.

Everything is green in rice fields in the summer, locusts sing all day long, mosquitos pester me
When I was almost asleep, popsicles and watermelon were my snacks.

The typhoon was entertaining to us as children, but not to my grandpa as a rice farmer.

Everything is gold in the autumn, the smell of freshly harvested rice fields, the smell of baked Sweet potatoes in the dry straw on the rice field, we ran around, played tag in the field while Baking sweet potatoes.

Frost makes everything white in winter, with mochi and tangerine all the family member sit Warm under the Kotatsu.

Bonito in Spring, eel in summer, saury in fall, and oysters in winter,
Richness of seafood.

Ocean is only 30 minutes away
A very small town in Japan.

That is my hometown.

Grandpa, grandma, uncle, aunt, my mom, my brother, and sister lived together
In a big wooden house.

Most of our neighbors were our relatives. We knew everything about each other.

Everybody knew my secrets and my shame. Nothing is personal.

Children in the neighborhood grew up together like blood.

There were always somebody’s children at home, playing, doing homework, and eating.

We played hide and seek, baseball, climbing up persimmon tree and being yelled at.

And make-believe, I always loved playing the mother.

We made snacks at home with other kids, hot-cakes, cookies and crepes.

The Japanese say, “A nail that stands will be hammered down.”

I couldn’t stand out otherwise my neighbor would find out and say something to my family.

I can’t stand out, I can’t be too pretty, too ugly, too dumb…. “More than enough is too much.”

“If you can't beat 'em, join 'em.” Hard to find my own beauty, goodness, and voice.

“Who am I?” was my life question.

Harmony and conformity are what make you beautiful and useful.
This is where I’m from.

800,000 gods in Japan, but believing in Jesus is a “no, no”
It is not our tradition. It is not our family religion.

“A nail that stands will be hammered down.” I became a Christian. I stood out.
But a true journey started ever since. A journey of finding my identity, voice, race, and destiny.

Holy Spirit made me strong, not to be afraid of being different.

I am different. But I am beautiful.

Once I was hammered down. But God raised me up again.

I am different. I speak English and live in America, but not belong here.
Not quite belong to Japan anymore.

I am different. But I am beautiful.

And I love my beautiful home, Japan.

by ぼ
#ブログ #詩

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シリーズGod’s Image④受肉と神の働きpart 2

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木曜日は、子供たちを連れてシア... 木曜日は、子供たちを連れてシアトルセンターにピクニック。
暑かったです。
私もすごく日焼けしました。
お弁当も食べて、楽しい一日でし... お弁当も食べて、楽しい一日でした!

子供たちは、いくら泳いでも元気... 子供たちは、いくら泳いでも元気いっぱい。
すごい体力です。
暑いのに。。。
2017年8月6日日曜日礼拝メッセージ音声と書いたものと、だいぶ違うことになっています。音声の方がおすすめです!


今日は、先週の続きです。先週は全部カバーすることができませんでした。

ヨハネ1:1-2 “初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.” 
イエス様のことを話している箇所ですが、私たちも、クリスチャンとして成熟すればするほどキリストに似たものとなります。私たちも神の言葉を体現するものとなります。そして、それが私たちの働きとなります。先週「神に造られた健全な私であることが私の召しである」という話しをしました。

よく聞かれる質問ですが、「自分が無くなることが、キリストのようになることですか」答えは、Yes and No です。神様と対話し、私が神様と一つになれば一つになるほど、ますますあなたらしくなるのです。本来は、神様に造られた通りで生きられていれば、何も問題がないのですが、生まれて来て私たちは、罪を犯し、罪にまみれた世の中で生きているので、いろいろな自己防衛システムができました。自分らしさ、自分の素晴らしさということに気付き、また、それを大いに発揮している人というのは少ないのです。

ですが、この罪の性質につられて生きてしまう自分を古い人といいますが、神の愛の中に歩む時に、この古い人を脱ぎ捨てながら、生きていったらいいのです。そうすれば、あなたらしく、イエス様の似姿に成熟していけるのです。
この「あなたらしく」の中には、過去の苦労や、悲しみ、そして罪も含まれています。これらを神にあって回復され癒されるときに、ますます、あなたの持ち味がでてくるのです。

★神の働きは、受肉の働き。

私たちの働きというのは、神の言葉の受肉の働きです。愛によって、私と神とが一つになっている時、真の意味で用いられる。古い自分の思うがまま、奔放に自分のしたいことをするのが神の働きではありません。Ego-centered vs God-centered service 神と心が一つになってれば、思いのままに動いても間違いはあまりせん。しかし、神と思いが一つになってないのに、思いのままにやると、それは、肉の働きになり、何の益ももたらされません。

ヨハネ15:5
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。“I am the vine, you are the branches. He who abides in Me, and I in him, bears much fruit; for without Me you can do nothing.

ブドウの木は、つるです。リンゴの木のように、どこからどこが幹でどこが枝がよくわかりません。つるなのです。キリスト者というのは、それほどキリストと一つになっているのです。キリストが私のうちにおられ、私はキリストのいのちのうちに隠されている存在です。ブドウの木のように、他から見れば、一つに見えるものであるはずです。しかし、必ずしも、私たちを見たらキリストを見る人はいないのかもしれません。。。。そのためには大切なことがあります。

ヨハネ15:1,2
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。“I am the true vine, and My Father is the vinedresser. 2 Every branch in Me that does not bear fruit He takes away; and every branch that bears fruit He prunes, that it may bear more fruit.

神様は、実を結ばない、枝は剪定してくれるのだそうです。私たちは、痛い思いをしたくないし、また、自分の自己中心的な思いで、ああしたい、こうしたいという枝を伸ばし放題にしていたいのですが、それでは、実がならないのだそうです。たとえ、それが、この世の目で見て、人間的に成功的に見えていても、神と一つになってないなら、きっと実ができていないはずです。

★実をみたら分かる

「愛があったら、わかります」の言葉。。。私の恩師が言いましたが。。。

神と一つであるかどうかというのは、自分の側では、ただ、神を純粋に愛する、人を純粋に愛することを求めて行ったらいいと思います。ただし、神との対話の中で。。。しかし、それが本当に神様から来ていたことかどうかという、吟味は、日がたってみないと分からないことが多々あります。ああ、あの人、活躍しているなー。すごいなーと思うかもしれません。しかし、実際、その人に会ってみたら、御霊の実を感じないとしたら、なんとがっかりでしょう。その人に、忍耐がなく、愛がなく、喜びが無ければ、がっかりするのです。

ガラテヤ5:22-23
122 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません

美味しい御霊の実は、どこから来るのでしょうか。

★死は、あなたが無くなることではない

受肉を考える時に。。。神と思いを一つにするためには、いつも心の一新(ロマ12)悔い改めしかありません。
常に、はじめの愛に帰ること、常にキリストの死と葬りと復活と一つであることを知ること。

ガラテヤ2:20

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

もはや私ではなく、キリストが生きているということ。神は、そういう私たちの中におられて一緒に事業をなされたい。預言、み言葉の奉仕、励まし、癒し、神と一つとなって働くこと。神の荷姿というのは、どこまでも、一つであることだ。

★愛の中にとどまること

ヨハネ14: 23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」Jesus answered and said to him, “If anyone loves Me, he will keep My word; and My Father will love him, and We will come to him and make Our home with him.

私の命令を守るなら、あなたは愛にとどまっている。

人は、人に愛された通りに、また人にするものです。これが、生きた命令です。神の言葉・愛があなたの中に生きるようにするには。愛にとどまること。多く愛され、おおく赦されることによります。

あなたは、神の言葉です。イエス様の美味しい実を周りの人に食べてもらいましょう。それが、あなたの働きであり、召しです。

#受肉 #子供 #教会 #日曜日 #礼拝 #礼拝メッセージ #神の似姿

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人間関係とコミュニケーション

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先日こんなビデオを見つけました。
ちょっと考えさせられます。日本はどうか分かりませんが、アメリカは、とてもみなさん独立心が強く、個人主義でもあり、政治的思想や、いろいろな思想で国が分裂しているように感じます。。。。これは、イギリスのビールの宣伝用に造られたビデオ見たいです。



私も経験がありますが、
意見が違い思想が違う人でも、

話してみると、共感できたり、尊敬できたりするものです。

一番悪いのは、話さないことです。

人間というのは、話すことができ、共感することができるように神様に造られています。

その能力をどれほど毎日いかしてい生きているでしょうか。

出て行って、新しい人に会う、

普段から知っている人と、もう一度ゆっくり話しをしてみる。。。

すると、意外な共通点があったりするものです。

相手の思想を攻撃するよりも、その人の生い立ちや、人生、その人自身に興味をもって会話をする時に、何かが崩れていくのかも知れません。

知ることは、愛することです。

愛がなければ、知ることができません。

互いに興味を持ち、会話を持つことができたら。。。。

身近なところから、始めたいものです。

私も、今週、普段は知っているけど、あまり話したことのない人と、ゆっくり会って話そうと思います。


#inspirational #ブログ #考えさせられること

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戻っちゃいけないと書かれたドアのお話し

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西アフリカの奴隷の取引のされた... 西アフリカの奴隷の取引のされた土地には、このようなドアが今でも残っいてます。
ドアのところには、「奴隷はこのドアから戻ったらだめ」と英語で書かれています。

私たち、アジア人のよく知らない事実です。。。。
先週とても興味深いお話しを聞きました。

お話しのお相手は、セラピスト。彼女は、半分黒人で半分白人の方です。

彼女は、癒しについての話しの流れて次のようなことを話されました。

アフリカのセラリオンって国あるでしょう。

私たち、アフリカ系アメリカ人は、自分たちがどこから来たから知らないの。

奴隷として連れて来られたから。。。

だいたいあのあたりってことは、分かるけど、はっきりは故郷は知らないの。

私たちがする儀式みたいなものがあるのだけど、それは、

セラリオンの港にいくの。そこには、狭いドアがあるの。

奴隷売買のされていた時は、アフリカの各地から、その場所に奴隷たちが集められてくる。そして、ある一定の人数が集まれば、そのドアを通って、船に乗せられて旅立つ。

みな、どこにいくか知らない。

ある船は、アメリカに行き、ある船は、ヨーロッパの国々行く。

私たちが、祖国を訪ねるというときには、必ず、セラリオンの港にに行って、
そのドアの反対側から入っていくのよ。

ほとんど儀式みたいに。。

先祖たちの一人ひとりの魂を背中に背負って、そのドアをくぐるのよ。。。

と、

私は、話しを聞いていて、魂が震え、涙が出ました。

ああ、帰る場所を知らないということは、なんということだろう。
帰る場所がドアだとは。。。帰る場所が、先祖が通った不安や悲しみや虐げの原点だとは。。。何とも言えない悲しみを覚えます。。。

奴隷制度のむごさ、ひどさに対しての怒りのようなものや、その人たちの悲しみ、その子孫たちの魂に刻まれた悲しみを感じました。。。。

けれども、セラリオンのドアを訪れることができた人は、ある意味での癒しを経験するのかも知れません。

私は、このドアを知った。。ということで。

私たちも、忘れ去りたい思い出は数々ありますが、振り返り、立ち止まり、また、感じることで、癒しがやってくるのだと思います。。。

私の好きな、尊敬している先生の短いスピーチの一部を下にシェアします
私の通っている大学院の先生であり、創始者でもあります。


#ブログ #奴隷 #歴史 #聞いたお話し

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おすすめの本

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日本に行ったら、買う! と決め... 日本に行ったら、買う! と決めていた本の中の一冊です。
英語で読んでとても良かったので。

この本は皆さんに読んでいただきたい本ですよーー
ちらりと中身。。。... ちらりと中身。。。


ノン バイオレント コミュニケーション

相手と自分を傷つけないコミュニケーション の仕方の本です。

この本は、コミュニケーション以上の本です。

きっと、心の中をさぐられ、

自分のあり方を探られ、

実行することで癒されるでしょう。。。。

おすすめですよーー
#ブログ #日本 #本

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シリーズGod’s Image④受肉と神の働きYou are Incarnated His Word

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これは、先週の写真ですが、最近... これは、先週の写真ですが、最近ギターの練習の成果が出てきて、Mさんが一人でも奏楽の奉仕ができるようになりました! すごい!! さすが、男性ですねーー。楽器を練習している方々もいらっしゃるので、これからも楽しみです。。。牧師としては、喜んで主に仕える姿を見ることが何より一番の喜びです。技術は二の次三の次です。。。。
2017年7月23日日曜日礼拝メッセージ音声は


★人生とは、対話である。

前回のメッセージを覚えていますか。人とは、神と対峙し、神に応答するために造られているというお話しでしたね。マーチン・ブーバーという、有名なユダヤ人哲学者が言うには、「人生とは、対話である」。第一回でも話したように、私たちのアイデンティティは、人との関係性の中で見いだされる。三位一体の神の関係から学びましたね。また、感情についてのお話しでもいかに、自分にとって対峙する相手が必要か分かりましたよね。人は、他者と対話をするごとに、自分を見出していくのです。不思議なことですが、私たちの傷というものは、人から来ます。でも、癒しも人からくるのです。私たちの人生にとって他者は切り離せない存在です。人生は対話。対話の中で自分を見出し、癒され、そして成長していく。隣人は、対峙しコミュニケーションをとる相手である。すなわち愛の対象であり、共感の対象である。ブーバーは、真の私と、隣人が本当に出会うところに神が働かれる。と言います。少し、真の私とは何かということを探ってみたいと思います。

★私になるという召し。

私たち一人一人に名前がついているように、私たちには一人ひとりユニークなデステニーが神に用意されています。神の意図された私になるには、召しがいる。召しがある。召しというのは、すべての人に与えられている。神からの天職というか、神の目的ともいえましょうか。自分が自分になるために献身する必要ある。私たちは、自分が分かるまで、自分の人生の目的が分かるまで、すっきりしないのではないでしょうか。

私がよく聞かれる質問に、どうやったら自分の召しが分かるのですか? 私は、どうやって自分の召しを自分のものにしたらいいですか? 私は、宣教師になるという召しが与えられましたが、どうやったら宣教師になれますか? と聞かれます。実は、この質問は本末転倒なのです。

召しは、あなたであることが召しなのです。もし、健全な神に造られた通りのあなたであるなら、ほかの働きはすべてついてくるのです。頑張って達成するゴールではないのです。

ただ、そこには、コミットメントが必要。自分が健全な自分になるために献身しなければ到達できません。ふわっと、ただ生きているだけでは到達しません。ライザップも結果にコミットするというてます。。

1、 神との対話を大切に
2、 人との対話を大切に
3、 真剣に神の声に従う= 神を恐れる= 神の愛することを愛し、神の嫌うことを嫌う
4、 自我に死ぬことを知ること
5、 赦すことを学ぶ = いつも心の癒しを受け取っている

これらをまとめると、愛することと言い換えることができます。愛の中にとどまること。神を愛し、自分を愛するように隣人を愛すること。

召しは、賜物ではありません。神に造られたあなた自身になることです。私たちは、神のために生きる。または、自分の召しを全うするということに関して、たびたび賜物を用いることと混同して考えてしまいます。ですから、パウロは、他者の集まりのキリストの身体のことを説明し、そして、愛について説明し、それから聖霊の賜物について説明しているのです。一緒に、あなたがあなたとなるために必要なみ言葉、を読んでみましょう。

★最も優れているのは、愛。

 Ⅰコリント13章

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のしたあくを思わず、6 不正を喜ばずに真理を喜びます。7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。10 完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔を顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知らされているのと同じように、私も完全に知ることになります。13 こういうわけで、いつまでものこるものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

賜物を追いかけるでもない、実際、聖霊様が働かれるのは、召されて、召しに応じているあなたが、神と対話し、対峙する中で、他者に出会うときに、流れるものがある。それが、神様のお働きであり、御業である。エリックの父の日のメッセージでも話されましたが、愛によって、父から子に渡る霊的財産があるのです。イエス様も、ヨハネ14: 15 「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」If you love Me, keep My commandments.と言われました。愛の関係のあった人の信念というのは、自然に受け継ぐものです。死んだおばあちゃんがよく、こんなことをしてくれた。私も知らず知らずのうちに、同じことをしているな、と、言うものです。

★神の働きは、受肉の働き。

私たちの働きというのは、神の言葉の受肉の働きです。愛によって、私と神とが一つになっている時、用いられる。一つになることも、愛。相手に向かう愛がなければ、働きもない、また働きの実も愛である。神と一つになることは、先週も感情というシグナルも大切だという話しをしましたが、「死」も大切な要素です。「死」とは、どういうことでしょうか。それは、古い肉の自分に死ぬことです。自己中心の肉が、愛の一番の邪魔者です。

受肉を考える時に。。。神と一つになるためには、いつも心の一新(ロマ12)悔い改めしかありません。

ガラテヤ2:20

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

もはや私ではなく、キリストが生きているということ。神は、そういう私たちの中におられて一緒に事業をなされたい。預言、み言葉の奉仕、励まし、癒し、神と一つとなって働くこと。神の荷姿というのは、どこまでも、一つであることだ。

★愛の中にとどまりなさい。

ヨハネ14: 23

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」

  私の命令を守るなら、あなたは愛にとどまっている。

神を愛することは、神の愛していることを心から愛し、神の嫌うことを嫌うことです。今日、神に対峙し、神と対話し、また人との交わりの中で、自分を見出し、真の自分になることにコミットしませんか?

#受肉 #子供 #教会 #日曜日 #礼拝 #礼拝メッセージ #神の似姿

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日本に行っていました

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今回の旅は、二週間でしたが、は... 今回の旅は、二週間でしたが、はじめの四日間は沖縄の教会員をたずねていきました。海がきれいだったですーー。
暑かったですが。。。。
本州に帰って、お決まりの電車で... 本州に帰って、お決まりの電車での移動。
エリックは、席がなくても、あのちょうどいい背もたれにもたれて、慣れたもんです。。。
兵庫から岡山に向かう車中から。... 兵庫から岡山に向かう車中から。
この田園風景が一番好きです。
日本で一番好きな風景だなー
松阪で、シアトル、ホライズン家... 松阪で、シアトル、ホライズン家族集合しました。
松阪牛は、とてもおいしかった。。。
でも、アメリカで脂身の少ない肉に慣れていたせいか、思いっきりお腹を壊しました。。。とほほ。。。
沖縄から、神戸に向かう飛行機の... 沖縄から、神戸に向かう飛行機の中。
沖縄は来年も行きまーーーす!

みなさん、ブログに訪れても更新がないので
心配してくださったかもしれません。

私たちは、日本に7/5-20 までいましたー

暑かったです。

シアトルに帰ると、なんだか肌寒く感じるくらいで。朝は、思わずヒーターをつけたくなってしまいます。。。

シアトルは涼しいですねー

#ブログ #日本

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シリーズGod’s Image③会話相手と応答者

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毎週日曜日は、ランチから始まり... 毎週日曜日は、ランチから始まります。食卓を共にし、食事をすることは大変大切なことです。これだけは、続けたいものです!
2017年7月2日日曜日礼拝メッセージ音声は、


神様のイメージ、神の似姿に造られた人間という視点から、学んでいますが、二週間前は、ことばということを話しました、また先週は、コミュニティなる神そしてそのカギは愛であること。そして、今回は、ある意味で、ことばというカテゴリーなのかもしれません。しかし、文字、口から発する言葉以外の意思伝達方法である感情についてお話ししたいと思います。神は、ダイアログパートナーを探しておられます。私たちは、その呼びかけに答えるリスボンダーです。その関係の中に宝があります。
共感について前も見たかもしれませんが、次のビデオを見てみましょう。
ビデオはこちらから、


① 共感についてEmpathy

私たちが愛を学ぶためには、神との対峙、対話、face to face の時間が必要。
Youtube Video Mirroring
私たちは、自分以外の人がいてこそ、感情が理解できるのです。人一人では生きていけないのです。
このミラーリングによって感情を知るということは、神様によってデザインされ、意味をもって私たちの身体に組み込まれたものです。

② 感情の大切さ

全ての感情は神様からのメッセージ、自分へのサイン。この世の中では、ネガティブな感情を表現することをよくないこととしています。また、キリスト教会の中でも、ずいぶん長い間、「感情ではなく、信仰のみによって」であるとか、「感情は関係ない」というような教えをしてきたのではないでしょうか。前回も話した通りに、神様にも感情があるのです。私たち、神に似せられて造られている者たちとしても、感情には意味があるのです。

(例) 怒りは、ネガティブにとらえられるから、怒りを表さない、または、子供の時に怒れない状態だった場合、親が危険など。。。鬱になったり、いわれのかない倦怠感、原因不明の病気など。。。体に現れてくる

③ 神との共感

○報酬…天のお金は、喜びです。私たちのご褒美は、喜びです。これも、感情の一つです。
主人の喜びとともに喜んでくれ、と新約聖書にも書いてあります。

○悔い改め…一つの例として、ダビデ、ナタンを通して罪を示される。私たちは、神が罪を赦してくれるという言葉に聞きなれていると思います。しかし、自分のしたことというのは、共感する心がなければ、理解できません。自分のしたことのインパクトがどれほどあったのかということが分からなければ、本当の意味で悔い改めることはできないでしょう。

Ⅱサムエル12:1-7 ダビデが姦淫と殺人の罪を犯しても平然としていた時。預言者ナタンが神に遣わされます。

「ある町にふたりの人がいました。ひとりは富んでいる人、 ひとりは貧しい人でした。富んでいる人には、非常に多くの羊と牛の群れがいますが、 貧しい人は、自分で買って来て育てた一頭の小さな雌の子羊のほかは、何も持っていませんでした。 子羊は彼とその子どもたちといっしょに暮らし、彼と同じ食物を食べ、同じ杯から飲み、 彼のふところでやすみ、まるで彼の娘のようでした。あるとき、富んでいる人のところに ひとりの旅人が来ました。彼は自分のところに来た旅人のために 自分の羊や牛の群れから取って調理するのを惜しみ、貧しい人の雌の子羊を取り上げて、 自分のところに来た人のために調理しました。」「主は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。 その男は、あわれみの心もなく、そんなことをしたのだから、その雌の子羊を四倍にして 償わなければならない。」「あなたがその男です。」

これは、いかに私たちの感情が、神様の心を知る鍵となっているかが分かります。ダビデは、人の気持ちが分かり、神の怒りと悲しみがどれほどのものであるかが、このナタンの言葉ではっきりと分かったのです。

○私たち共同体には…私たちの神は、共同体の神であり、あなたと、私、そして神の感情を通して、互いに共感し、思いやり、愛することができるようにしてくださっているのです。ロマ書12章の共同体、キリストの身体について書かれている続きに、ローマ書12:15喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。Rejoice with those who rejoice, and weep with those who weep. と、ある通りです。
感情について少し、考えが変わったでしょうか。

④ 知ることとは、愛すること

創世記4: 1
人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。Now Adam knew Eve his wife, and she conceived and bore Cain, and said, “I have acquired a man from the LORD.”

アダムはエバを知った。知るは、ヤーダーというへブル語。男女が愛し合い身も心も親密に知り合うときに、神様からの賜物として子供が与えられたというのです。
知るということには、深い意味があります。

人は、誰かに本当の自分を全て見られる、知られるときに、癒される。問題の解決そのものが事実上の解決では決してない、ということにお気づきでしょうか。
神は、先週話した通りに、コミュニティの神です。知ることにはチャレンジが伴います。知りたくなかったら、向き合わなくてもいいからです。しかし、相手を知りたかったら、自分の心も開かなければならないのです。
聖書の中で、神に個人的に知られ、神を知り人生が変わった人たちを幾人か挙げてみましょう。

○ヨブ… 凄まじい試練の中で、なぜなぜと苦しんでいたヨブ、いつか神様に直接質問したいと願っていた。とうとう、神様が現れる。ヨブの持っていた質問そのものには答えられなかったが、ヨブの気持ちはすっかり治まってしまった。その後、ヨブに転機が現れ、すべてが回復した。

○ダビデ… ダビデは、数々の詩を詩編に残している。辛いことはそのまま辛いと書き、包み隠さず自分の感情を神様に伝え、向き合っている。彼は、神に愛された人と呼ばれている。

○ハンナ(1サムエル)… 不妊であったハンナは、いじめにもあい、つらくて、宮で長く祈った。祈りの後、彼女は別人のようになっていた。つまり、神に感情を知ってもらい、神の心をいただき、満足し、今までのように、悩み疲れ、身も心もずたずたの容姿ではなくなっていたのです。1:18 And she said, “Let your maidservant find favor in your sight.” So the woman went her way and ate, and her face was no longer sad. 彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。

⑤ 勧め

今まで、自分の感情を無視してきた人はありませんか。また、感情を用いて物事を操作していた人はありませんか。
神と顔と顔を合わせることによって、私たちは、神からの愛を受け取り、また、神の心を受け取ることができます。
まず、第一のステップとして、自分の心を神様に正直に注ぎだすことから始めましょう。

2歴代誌 16:9
主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。For the eyes of the LORD run to and fro throughout the whole earth, to show Himself strong on behalf of those whose heart is loyal to Him.

言葉である神は、私たちと会話を持ちたいと思っています。心の傷、悲しみ、怒り、喜び、すべての感情を共有し、互いを深く知る関係でありたいと願っています。私たちが神に知っていただき、私たちが神の心を知るならば、私たちは、変えられ、愛することが分かるものたちとなります。隠れた感情がないか、祈り、聖霊様に探っていただきましょう。


#会話相手 #子供 #教会 #日曜日 #礼拝 #礼拝メッセージ #神の似姿

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