西アフリカの奴隷の取引のされた土地には、このようなドアが今でも残っいてます。
ドアのところには、「奴隷はこのドアから戻ったらだめ」と英語で書かれています。
私たち、アジア人のよく知らない事実です。。。。
先週とても興味深いお話しを聞きました。
お話しのお相手は、セラピスト。彼女は、半分黒人で半分白人の方です。
彼女は、癒しについての話しの流れて次のようなことを話されました。
アフリカのセラリオンって国あるでしょう。
私たち、アフリカ系アメリカ人は、自分たちがどこから来たから知らないの。
奴隷として連れて来られたから。。。
だいたいあのあたりってことは、分かるけど、はっきりは故郷は知らないの。
私たちがする儀式みたいなものがあるのだけど、それは、
セラリオンの港にいくの。そこには、狭いドアがあるの。
奴隷売買のされていた時は、アフリカの各地から、その場所に奴隷たちが集められてくる。そして、ある一定の人数が集まれば、そのドアを通って、船に乗せられて旅立つ。
みな、どこにいくか知らない。
ある船は、アメリカに行き、ある船は、ヨーロッパの国々行く。
私たちが、祖国を訪ねるというときには、必ず、セラリオンの港にに行って、
そのドアの反対側から入っていくのよ。
ほとんど儀式みたいに。。
先祖たちの一人ひとりの魂を背中に背負って、そのドアをくぐるのよ。。。
と、
私は、話しを聞いていて、魂が震え、涙が出ました。
ああ、帰る場所を知らないということは、なんということだろう。
帰る場所がドアだとは。。。帰る場所が、先祖が通った不安や悲しみや虐げの原点だとは。。。何とも言えない悲しみを覚えます。。。
奴隷制度のむごさ、ひどさに対しての怒りのようなものや、その人たちの悲しみ、その子孫たちの魂に刻まれた悲しみを感じました。。。。
けれども、セラリオンのドアを訪れることができた人は、ある意味での癒しを経験するのかも知れません。
私は、このドアを知った。。ということで。
私たちも、忘れ去りたい思い出は数々ありますが、振り返り、立ち止まり、また、感じることで、癒しがやってくるのだと思います。。。
私の好きな、尊敬している先生の短いスピーチの一部を下にシェアします
私の通っている大学院の先生であり、創始者でもあります。
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