菩薩の行願(修行と誓願)、行証(修行とその結果である証悟)、加行(けぎよう、準備的修行)、信行(信心と修行)、大行大信(名号の働きとしての称名と信心)、解行(理解と修行)、行学(実践と学問)などの「行」は実践(carita(चरित)、caryaa、pratipatti)であり、繰り返し身につけるという意味の修行(bhaavanaa、anuyoga)をいう・・・らしい。 狭い机、硬い椅子、9割がやる気なしの受講者、工夫のない講師。 「まともになるぞ」プロジェクトで必要なものだが、まるで「行」。 まともな人は、まともじゃない。 睡眠学習で潜在意識の奥深くに記憶するのだ(σ・∀・)σYO!!
諦めかけていた、マーラン船のドラマが始まるかもしれない。 マーラン船の定義や歴史に関しては、いずれ忠さんに語ってもらうことにしよう。 ここ数年、サバニを追いかけ続けた僕らのドラマは、下門氏という船大工に出会い、究極とも言えるニヌハ3を建造していただいた。 チームは今、それを乗りこなす技を習得中なのは、過去に記載したとおりだ。 しかし、もっと大がかりなマーラン船となると、いっこうにその実現方法が見えてきていなかった。 もちろん、多くの人が究極だと信じるいくつかのキーワードやキーマンにはたどり着いた。 しかし、模型ではなく本物を復元するとなると、知れば知るほどにマイナス要素が浮かび上がり、現実的に不可能と判断せざるを得ない状況だった。 沖縄サバニが消えかけた文化であるならば、沖縄のマーラン船は1世紀前に消えた文化のように思えてきたのだ。 4/5古式サバニ「ニヌハ3」の練習会。 二転三転したスケジュールではあったが、少々遅めに出発して浜比嘉島を目指していた。 沖縄カヤックセンターのワンボックスには、独特のオーラを放つニヌハ3のトレーラーを牽引している。 途中、選手交替に使用するゴムボートを探しに、マリン屋を訪問している時の事だった。 車に戻ると、一人の中年男性がニヌハ3の船底を食い入るように覗き込んでいる。 聞けば、トレーラーに積まれたサバニを見て追いかけてきたのだという。 その彼に、しばらく話を聞くことにした。 彼は、「この船は、まだ軽くできる」とアドバイスをくれるなど、サバニに関して専門的な知識があるようだ。 聞くと、「ヨットの設計」をしているのだと言う。 話題がサバニからマーラン船の内容になり、彼の目が輝いた。 彼が印刷して持っていた資料の中に、伊東画伯によって描かれたマーラン船のイラストがあった。 彼は伊東画伯のブログに情報を寄せてきてくれた、カマデー氏その人であることがわかった。 カマデー氏は、伊東画伯の書き込みの中にある「沖縄・浜比嘉島にて、古式サバニを乗りこなすトレーニング」という情報を頼りに、ここで僕たちを探し続けてくれたのだろう。 今日の練習には参加できなかった伊東画伯に電話をかけて、カマデー氏と会話をしてもらう。 カマデー氏によると、この世に正統なマーラン船を造ることのできる男が3人居るのだという。 その中に新たなキーワードがあった。 僕らが知り得なかった驚愕の内容だ。 僕は大阪に戻り、ネットを駆使してあまりにも断片的な情報を繋げた。 2003年に他界した3代目、沖縄の伝説の船大工「越来文治」氏には、技術を継承した息子がいたのだ。 長男「越来治」氏、カリフォルニアに在住。 Sam Goekuと名乗り、父である文治氏のマーラン船を「Bunji Yachts」の屋号を持つファクトリーで作り続けている。 ファクトリーでは、何艇ものマーラン船が同時に建造されているのが判る。 僕たちは、カリフォルニアへ向かうことになるのだろうか? このドラマが終わらないことを、心から願いたい。
ニヌハ3でのトレーニング。 漕ぎ手も練習ならば、舵取りも練習だ。 忠さんは、舵取りと帆持ちを一人でこなすつもりらしい。 漕ぎ手を左右均等に配置する為には、乗船人数は5名となる。 バランスは徐々に良くなってきた。 やっと、エイクに力が入れれるようになってきた。 僕の筋肉も、やるべき仕事を理解し始めたようだ。 忠さんに作成してもらった「パワー・エイク」は、強靭な筋力を要求する厳しい道具だが、このまま練習を続ければ使いこなせそうな気がしてきた。 ともかく、にいぶい村から浮原島まで漕ぎ進むことができた。 下門おじいが作った「遠くへ行くためのサバニ」は、平坦な海では神経質にふらつくが、波の中では安定感が増す。 波の中を進むニヌハ3は「水を得た魚」なのである。 今回は、その片鱗を見た。 おじいが詰め込んだ隠された力は、まだまだあるに違いない。 それを引き出すために、今日も練習だ。
ニヌハ3用に忠さんが新しく作成した座板で、ポジションの確認をする。 漕ぎのポジションについて、お互いの持論を展開した。 とうとう艇をキャリア積んだまま、忠さんと漕ぎのシミュレーションが始まった。 結果的に、表現方法は違うもののかなり近い意見のようだ。 「自己は主張せよ、主張せぬは卑怯と心得るべし。」 「論は尽くせ、決定は遵守せよ。」 今年の艇長は忠さん。 意見はするが、もちろん決定に異論はない。 ニヌハチームは今年も熱いぜ!
明日からはニヌハチームの練習会。 今年は、新艇ニヌハ3を、どこまで使いこなせるかがポイントだ。 道のりは厳しい。 漕ぎ手として、僕の体がどこまで使い物になるのかどうかも試すことになる。 さて、暴れてくるぜ!
【vette】 子供のころに大好きだった、アニメ「マッハGO!GO!GO!」 海外では、「Speed Racer」として人気がある。 今年は、実写版の映画で登場するのだ。 秘密兵器満載のスタイリッシュでグラマラスなこの車は、僕の潜在意識の深い部分に定着しているのだろう。 コルベットを選ぶ僕の行動にも、大いに影響を与えていることは間違いなさそうだ。 マッハ号とコルベットが結びついてしまった大人は、他にもいるかもしれない。
【SLED】 当家の掟では、「吊るしの車に乗ってはいけない」 車は作るものであって、お店で売っているのは、単なる素材なのである。 知識がない、自信がない者はブランドに頼るか、あるいは世間の評価に耳を傾ければいい。 だが僕は、何がカッコイイかを自分で判断する。 流派はたくさんあろうが、僕は常に少数派を選ぶ。 さらにその中でも、イメージを追求すれば追求するほど、群衆の心理からは離れていく。 それを恐れない。 1000人に1人、強烈に同意あるいは崇拝するような者がいれば、それは明確な成功だ。 写真上は未塗装のフューエル・タンク。 写真下が完成例だ。 僕のイメージとは似ても似つかない。 大きな自由の為に、今日もがむしゃらに働こう!
2008年3月30日放送の フジテレビ地球デイプロジェクト『消えゆく命の物語』を見た人も多いと思う。 地球の未来を見すえ、動物と人間と自然が生き残るために「今、わたしたちがすべき事は何か?」を問う大型番組というふれこみだった。 しかし実際には、「何をすべきかを問うことは、一切ない」あり得ないほどにひどい番組だった。 温暖化というテーマはどこへやら、3種類の動物の悲劇と救出のお涙ちょうだい。 番組の制作と放送で発生したCO2分を削減する影響力は、全く感じられない。 北極の氷が崩れるシーンンは、おそらく北極ではなく南極の映像だろう。 ホッキョクグマの母子に焦点を合わせるのではなく、それらを危機にさらす北極の氷の現状をとことん追うべきだ。 ボルネオのオランウータンに焦点を合わせるのではなく、ボルネオ島の焼き畑がなぜ行われ、森林被害がどのような現状なのかを数値として見せるべきだ。 ケニアで怪我をした象の救出の映像を追う前に、キリマンジャロに登って、氷河の現状を撮って来たらどうなのだ。 番組のテーマの関連とも希薄に思えてならない。 しかも、これらの動物ストーリーの結末は、明らかに制作側が用意したストーリーに画像を編集している。 この番組を選び無駄な時間を割いてしまったことに、落胆! これは、温暖化問題に便乗してタイトルを入れ替えた、動物の物語。 TVという影響力の強いメディアが、こんないい加減なことでいいのだろうか? フジテレビに喧嘩を売るのかって? いや、エイプリルなんとかですよ、今日は。。。