米政府が日本に投下した原子爆弾と同型の原爆の写真を1960年12月6日に初めて公開する過程で、米中央情報局長官や国務省幹部らが公開に反発し、公開後も懸念を示していたことが23日までに、機密解除された米公文書で明らかになっています。 米政権が当時、日本で広がっていた反核世論に危機感を抱いていた状況がうかがうことができます。 冷戦時代、米政府は旧ソ連の核開発を警戒し、軍事情報の機密保持を重視しました。しかし、原爆投下に関する情報の公表を求める米議会やメディアの圧力を受け、1960年12月6日、広島に投下した「リトルボーイ」と長崎投下の「ファットマン」と同タイプの原爆の写真を初公開しました。