《雅羅・/・ 襍囈〝観察記録始め〟  ❖ ’24-26 ❖》

《 紫陽花観察・事始め 》
自宅・小庭の紫陽花が、一斉に芽吹きはじめた。
此処の所、雑用にかまけて紫陽花の観察を怠って。
今朝、ゆっくり眺めてみたら5年を持った枝々に新芽が。
今朝1/26を今年の紫陽花観察の初日としようと思う。
今年は、どんな紫陽花が顔を出すだろうか? 楽しみだ。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月26日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝干支・辰〟  ❖ ’24-25 ❖》

浅草・浅草寺・雷門
雷門大提灯から仲見世方向、奥が浅草寺。
大提灯の底面・龍画。
《 辰・・龍!! 》
今年は、辰年・・龍の歳。身近に、昔は相模國江島と言われた藤沢江ノ島がある。
其の江ノ島に鎮座おわします、三姉妹神。今年の初詣は、さぞ賑わった事だろう。
江島神社に祀られている女神様、
田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)、
市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、
多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、
この3姉妹は海を護る女神様で元々江島明神と呼ばれていた。
が、仏教との習合で弁財天女となった。
今では海を護るに留まらず、幸福招来、芸事上達にもご利益があるとされる。
江島神社の初詣、久しくしていない。
更には、正月三日の東京初詣、箱根駅伝の復路ゴール観戦にも行っていない。
昨今は、携帯で実況中継を見れる。走り去る一瞬を見なくても満足できる。
以前は駅伝ゴール観戦後、神田明神から湯島天神そして浅草寺へと詣でた。
浅草寺・仲見世通り入り口の雷門。中央の大提灯は、なんとも圧巻で!!
大提灯の底を見る人は少ないだろうが、見事な龍が描かれている。
今年の辰年にあやかって、拜しに参りたいと思っている。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月25日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝狂い咲き ??〟  ❖ ’24-24 ❖》

ウキツリボク(浮釣木) アオイ科 (Malvaceae) 
学名:Abutilon megapotamicum A.St.Hil. et Naudin 
別名:アブチロン・メガポタミクム、チロリアンランプ
《おとぼけなのか、季節を勘違いしたのか・・木 花?? 》
ウキツリボク(浮釣木);
季節の前倒し・・勘違い・・間違えた?? 
浮釣木に花がついている? 一輪だけ。葉も繁々と。
温暖化なんて云いたくない。気温の上下が激しい時ってあるだろう。
長いスパンで見ると温暖化と言う程ではあるまい。
自然界は、厳格なはずだが、微妙な変化に植物は率直に反応したか。
驚きを以ってしばし立ちすくんでしまった。それにしてもかわいい。

だが人間界は、安易な方向に向かってはいまいか??
美的感覚に偏り、服飾・ファッションに心を寄せ自然に背を向けた?
動植物に見習う所が多々ある、と思ってやまない。
ペットに衣装を着せ、、、人間のエゴ横暴と映る!?!
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月24日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝一瞬の姿??〟  ❖ ’24-23 ❖》

《 画になる富士嶽!! 》
冬場の富士嶽、遠き湘南の海岸より見ゆる姿、強風が手にとって見ゆる。
風が強い、駿河・相模湾、太平洋からの吹き上げる風。冬場の特徴である。
麓の富士五湖に映る富士嶽の優美な姿、訪れた人々を魅了してやまない。
真冬のある時、ある一瞬、風が止んだ時、湖面に見事な鏡富士が現れる。
これが、云うに云われぬ静寂な、なんとも云えぬ魅せる光景だ。
これを狙って愛好撮影者は、あとをたたない。一瞬をもとめて・・・!!
旅って、旅先で出会える一瞬の妙!!然るにスチール写真は止められない。
一瞬だから・・・一瞬を求めて旅にでる。一瞬ってドキドキだ。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月23日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝垣根の花??〟  ❖ ’24-22 ❖》

《 綺麗に咲くも見分けの付かない樹花?? 》
寒椿・侘助・・・寒椿と山茶花は、一見すると見分けがつかない。
散る姿、地に落下した花弁、姿を見た時!!
これぞ・・!!と知る。自然界の妙に驚きを隠せない。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月22日、記」
 
 
 
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《雅羅・/・ 襍囈〝1980 ??〟  ❖ ’24-21 ❖》

懐かしい。1980年代!!
段返りラペル。好んで着てる、今でも。
《 正統派?? 米国・男性服飾メーカーのカタログ 》
昨年末より納戸のダンボール箱(沢山ある)を整理してる。
探しものがあるのだが、目的のものがいまだ見つからない。
少々困っているのだが、懐かしいものが出てきた。
画像がそれ!!1980年の服飾カタログ。
若い頃から憧れ続けてる米国の服飾ブランド。
米国ニューヨークに本店がある“Brooks Brothers”。
伝統的ファッションメーカーの代表的存在である。
何点か大切に今でも着ている。数十年前のものばかり。
好みゆえだが、今でも古めかしい感覚を持たない。
日本のメーカーは、長く継続してるところは???
温暖化とやらで、厚手のコートを羽織る機会がない。
今日は、久し振りにネクタイを締めての会合があった。
服飾製品、昔のものは丁寧に作られている。
今や、背広の語源、セビルロー式な裁断のスーツを見ない。
時代とともに変わっていくが、ユニクロの如く復古調!!
微妙に変化はしている。でもトラディショナル感覚は好きだ。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月21日、記」
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《雅羅・/・ 襍囈〝款冬華〟大寒  ❖ ’24-20 ❖》

フキノトウ(蕗の薹) キク科 (Asteraceae /Compositae) 
学名: Petasites japonicus (Sieb. et Zucc.) Maxim.
※ 蕗の薹 とは、蕗の若芽のこと ※


廿日団子。
 
《 弐阡弐拾肆年壱月廿日!!》
歳をとったからなのか!! 否、偏屈なのか、古い事柄等に拘りを持っている。
漢字にしても旧字体を大切に感じ、あえて使ってみたり。
子供頃から家にあった辞書を未だに使っている。昭和七年(1932)二月発行。
親爺の辞書だが、書斎に行っては辞書を参考に勉強した(親爺は不在がちだった)。
 
今日は、大寒。“二十日正月”とも呼ばれる日で正月最後の日とされて来た。
正月最後として納めの行事を行う。骨正月、骨おろし、頭正月等とも呼ぶ。
資料によれば関西では「二十日正月」、関東では「正月納め」と呼ぶらしい。
大寒“初候”の頃を款冬華(ふきのはなさく)と表現していた。
款冬(ふきのとう)が顔を見せ咲き始める頃を云う言葉。“和”を感じさせる。
寒さが厳しい大寒の時期に徐々に冬の終わりへ向かう様を見せる事象。
この大寒頃に、冷水や空気を有効に利用する知恵、古来から行われている行事。
小寒から大寒の時期に水を汲む行事を「寒の水」と呼んだ。
寒の水は、冷え込む時期に汲む為、雑菌の腐敗がなく清らか、体にも良い。
保存性に優れる寒の水は、寒い時期に仕込む味噌、醤油、日本酒作りに適した。
又、心身を清める力があると考えられており寒の水を直接飲む風習も残ってる。
日常生活の中では、大寒の頃に寒餅と云う自然乾燥させた餅を作ったりもした。
この餅のことを「かきもち」や「こりもち」とも呼んだ。中には着色された餅も。
寒の水で炊いた餅を使って作ると健康に過ごせるともいわれ家庭で作ったものだ。
二十日正月に食べるものに、「二十日団子」というものもあった。
小豆団子と呼び、「小豆粥」と同様、「厄除け」「無病息災」を祈ったものだ。
和菓子屋さんで売っていたものではない。生活の知恵、余り物の活用だ。
お供えを細かく砕き乾燥させサイコロ状にして揚げて頂いた覚えもある。
又、祝い事や行事の時、福茶を頂いたが、昨今はとんと頂いていない。
二十日正月と云う正月の終わり“節目の日”家庭的に継承したい行事である。
毎年1月20日に、正月お迎えした歳神様(年神様)がお帰りになる日。
正月納めをする日等と我が孫たちには伝えたい。そして継承して欲しい。
「令和陸年(皇紀2684年)1月20日、記」
 
  
 
 
 
 
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《雅羅・/・ 襍囈〝忘見花〟木  ❖ ’24-19 ❖》

〝夢待桜〟:
登録品種データベースより;
農林水産植物の種類 Prunus L(サクラ属)和名:夢待(よみ:ユメマチ)観賞樹
 登録品種の名称, 夢待 (よみ:ユメマチ ). 出願公表時の品種名称. 出願番号, 24847.
樹形は盃状、樹高は亜高木性、樹幹の色は灰褐色、皮目の多少は中、
枝の太さは中、枝の色は灰褐色、分枝性は中、葉の全体の形は楕円形、
葉の先端の形は尾形鋭尖形、葉の基部の形は円形、葉縁の鋸歯の深さは中、
葉の鋸歯の形は単鋸歯、葉の鋸歯の先端の形は芒形、葉の長さは中、葉の幅は中、
葉の厚さは中、蜜腺の有無は有、蜜腺の位置は葉柄上部、花序の形は散房状、
花序の花数はやや多、蕾の色は64B、花の向きは横向き、花の形は一重咲、
花の開き方は平開形、花の大きさは中輪、花の色は65C、
花弁全体の形は円形、花弁の先端の形(切れ込みの多少)は少、
花弁の基部の形は鈍形、花弁の脈の色は目立たない、花弁の数は約5、
雌ずいと雄ずいの長さの比較は同、雄ずいの数は中、がく筒の形は盤状形以外、
盤状形以外のがく筒の形は鐘形、がく筒の毛の多少は無、がく裂片の形は長卵状三角形、
花柄の長さは短、花の香りは殆ど無、通常開花期は極早である。
(カラーチャートはRHSを使用)
 出願品種「夢待」は、対照品種「カワヅザクラ」と比較して、
花の向きが横向きであること、
花弁の長さが中であること等で区別性が認められる。
対照品種「カンザクラ」と比較して、花の大きさが中輪であること、
花弁全体の形が円形であること等で区別性が認められる。
以上、データベースより。
「夢待桜」は、伊豆大島の故尾川武雄氏が作出した新種の桜。
美しい姿形と優しい色合いが特徴で、
正月頃に満開になる「おめでたい桜」として知られる。
*       *       *
冬に咲く桜、十月桜・寒緋桜・寒桜・子福桜等々、総じて冬桜と呼ぶ。
しばらく前、藤沢市にある長久保公園に“夢待(よみ:ユメマチ)”
なる桜の若木が植栽されているのを見た。1月上旬に咲くとされる。
未だ実際に花に出会っていない。今年も見に行けなかった。
若木も成長したことだろう。来年は是非に見に行きたい。
画像を探したが見つからず、登録に提示された画像を借用した。
 
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月19日、記」
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《雅羅・/・ 襍画〝希少白花〟植物  ❖ ’24-18 ❖》

ウチダシクロキ(打ち出し黒木)   ハイノキ科(Symplocaceae)
学名:Symplocos kawakamii 
別名:オガサワラクロキ
  《 限られた場所に見える絶滅危惧種の花!!》
ウチダシクロキは、東洋のガラパゴスと称される東京都小笠原諸島の父島のみに生育するハイノキ科ハイノキ属の常緑低木です。小笠原諸島に生育する同属植物として、他にチチジマクロキ、ムニンクロキがあり、これら3種類の先祖から適応放散によって分化したものと考えられています。ウチダシクロキは岩石が多い感想した斜面に生育しています。乾燥した場所は多くの植物にとっては生育には適した環境とは云えないでしょう。ウチダシクロキの葉は、縁が内側に巻こまれた厚い皮質で、表面には深いしわが刻まれています。また枝は、著しく張り出した翼状の稜がついています。長い進化の過程でウチダシクロキは、乾燥した環境の中で生き残る術を身につけていったのでしょう。戦前からすでに個体数が少なかったと報告されているウチダシクロキですが、1980年の夏の厳しい旱魃(かんばつ)によって、乾燥に強いウチダシクロキさえ、大きな株が何本も枯れてしまったそうです。さらに近年の乾燥化によって、ますます個体数は減少しています。また、ウチダシクロキを絶滅に追いやるもう一つの要因が父島に生息するノヤギの増加です。低木であるウチダシクロキは、ノヤギにとって食べやすい高さに葉があります。場所によっては、ウチダシクロキを選んで食べている様子さえあります。環境省では、保護増殖事業を実施しており、ノヤギの食害防ぐため、ウチダシクロキの周りに柵を設置しています。その他、保護増殖事業では野生復帰のための人工繁殖にも取り組んでいます。元々限られた場所にしか生えない植物が環境の変化によって固体数を減らし、外来生物のノヤギによって選択的に食害を受けるという、二重の圧迫を受けて絶滅にひんしています。以上環境省資料より。
 
東京都文京区 小石川植物園(温室)で生育中;2024・01・13
小笠原諸島の父島にのみ生育する高さ0.5~2mの常緑低木。葉は楕円形で厚く、縁が裏面にカールする。葉腋に白い小さな花を数個つける。花冠は5深裂し、雄しべ多数。小笠原諸島には同属の植物として、本種の他にチチジマクロキとムニンクロキがある。花期は11月頃。
花冠は白色で5深裂し、長い雄しべが多数あるので見栄えがします。ハイノキ属の花は小さくて、白色・5深裂・長い雄しべのものが多いようです。(例:ハイノキ、サワフタギ、クロキ等)
ウチダシクロキは小笠原諸島の父島にのみ生育する希少植物です。レッドデータブックによりますと絶滅危惧ⅠA類(CR):「ごく近い将来における野生での絶滅の危険性が極めて高いもの」となっております。
なお、小笠原諸島のハイノキ属には本種の他にも「ムニンクロキ 絶滅危惧ⅠA類(CR)」と「チチジマクロキ 絶滅危惧ⅠB類(EN)」の2種があります。
葉は楕円形で厚く、縁が裏面にカールしています。いかにも乾燥に強そうな葉です。
東京都文京区 小石川植物園資料より。
*       *        *
余り人目に触れない場所に珍しい植物が生きている。なんとか保護して頂きたい。楚々として魅せる野草だ。
通常は、11月頃に花を付けるようだが、
温室では今の季節でも見られる。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月18日、記」
#ブログ #希少植物

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《 雅羅・/・ 襍囈〝樹の香〟仏像 ❖ ’24-17 ❖ 》

以上3画像、中宮寺「弥勒菩薩半跏思惟像」


上2画像、広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」




《 木造仏を拜みたい。願望、其の一 》
年頭から事象が激しく搖れ動いている。震災、明日は我が身か。
荒廃した環境が、脳裏を掠める。今の鎌倉では想像できない寺々。
震災だけが原因では無いだろうが、名刹の荒廃した仏像が脳裏に浮かぶ。
岩波写真文庫の鎌倉編を見た時、言葉を持てなかった。悲惨過ぎて。
鎌倉の名刹、覚園寺の仏像が崩壊状態で瓦礫の山と化している写真に。
青年になって実際に覚園寺を訪れたときの光景に驚いた事を覚えている。
当時の御住職の尽力で見事に元のお姿に蘇っていた。あの黒地蔵像もだ。
地蔵堂自体に木の香りを感じた細香をいまでも鮮烈に覚えている。
家の風呂も木造りだったが木の香りはなくお堂の佇まいに感動してた。
後で知った事だが、一応檜の湯槽、と母。関東大震災後に造ったのだとか。
檜については、庭師の職人さんから色々と教えてもらった。
木の仏像に関しては、覚園寺の老師や写真の恩師に詳細に御教授頂いた。
古い仏像に多用された木材(1963年・小原二郎)とされていたヒノキ(檜)。
だが、近年の研究で仏像材の事がより鮮明に分析され判明してきた。
檜材が使われるようになったのは、奈良時代(8世紀)以降だった様だ。
飛鳥時代(7世紀)の仏像では、殆どがクスノキ材である。
これは、中国(隋)の仏像の多くが芳香ある白檀で作られていた事による。
当時、日本には白檀がなく芳香あるクスノキが使われたと推測される。
又、クスノキは成長が早く大木から材を得やすく柔らかい。加工もしやすい。
中宮寺(7世紀前半創建)の国宝「弥勒菩薩半跏思惟像」はクスノキ材である。
良く対比される広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像は、アカマツ材の一木造。
中宮寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」は、一木造ではなく特異な木寄せ造り。
頭部は前後2材、胴体の主要部は1材とし、これに両脚部を含む1材、
台座の大部分を形成する1材などを矧ぎ合わせ、他にも小材を各所に挟む。
両脚部材と台座部材は矧ぎ目を階段状に造るなど、特異な造りである。
クスノキは、古代日本では魂ふりの力をもつ神木、霊木と見做されていた。
クスノキを仏像の材とされた要因は、種々考えられるだろう。
日本書紀には「ヒノキは宮殿に、スギとクスノキは舟に、マキは棺に使え」
と、それぞれの用途を教えしめされている。
日本は、木の国。木材を「信仰、霊性」の視点からも見てみたい。
而して仏像に使われている木材自体に“香り”がある。
素人的には、仏像から感受する精神性という香りも大切ではあるまいか。
できるものなら、写真(仏像写真)での憧れのD師の足跡を辿ってみたい。
まず最初に訪れたいは、法隆寺・中宮寺である。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月17日、記」
 
 
 
 
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