《”相模原公園に見ゆる色(3)”2021/12/05》 相模原公園のイベント広場から芝生広場脇に散策路があり右側に雑木林がある。 その雑木林・散策路に沿っての花壇に数種類の野生種植物が植栽されている。 フランス式庭園の左上位置だが、小さな花で余り目立たないが、 原種シクラメン・ヘデリフォリウム(サクラソウ科)もその一つ。 白色と淡いピンクの2種類が植栽されている。落ち葉の絨毯に顔をだしている。 観察し始めて数年だが、数が減っているように感じる。気のせいか!?! 「令和参年(皇紀2681年)12月11日、記」
《”相模原公園に見ゆる色(2)”2021/12/05》 相模原公園、サカタの種温室やフランス式庭園は、この公園の花だろう。 フランス式庭園とは申せ、日本人が創造すると温かみがあると僕には感じる。 温室の脇の雑木林前に植栽されてる皇帝ダリアが、3m近くにも高く生育してた。 見応えある。後ろの木漏れ日散策路には、瓔珞玉紫陽花の大きな葉もみれよう。 そうだ、今年は瓔珞玉紫陽花の花、葉も見るのをわすれた。 数年間、瓔珞玉紫陽花を観察し続けて一応の特徴を掴んだ。 次なる関心をもつ植物が現れた。植栽されたものでも興味ある。 「令和参年(皇紀2681年)12月10日、記」
《”相模原公園に見ゆる色(1)”2021/12/05》 麻溝公園隣りの相模原公園、サカタの種温室やフランス庭園、 各所かく様に美しく、自然散策やドッグラン用の場所もある。 「令和参年(皇紀2681年)12月9日、記」
《”麻溝公園に見ゆる色(2)”2021/12/05》 麻溝公園に限らず、雑木紅葉・黄葉といえる葉が、あちこちでみえる。 モミジ・楓・公孫樹だけではなく、自己主張している葉達。微妙な色合い。 「令和参年(皇紀2681年)12月8日、記」
《”麻溝公園に見ゆる色(2)”2021/12/05》 麻溝公園には、グリーンタワー相模原という展望塔がある。 全高55m、展望室38m、展望室からの眺めは中々のもの。 「令和参年(皇紀2681年)12月7日、記」
《”麻溝公園に見ゆる色(1)”2021/12/05》 相模原市にある麻溝公園。四季折々、散策する公園。 特段、紫陽花とクレマチス、それらに味付けしてる野草。 今住いいる所から10キロ程の場所。いつ訪れても楽しい。 「令和参年(皇紀2681年)12月6日、記」
《”親しき市井の陶工・・無意識の意識”》 昭和の陶匠・・・河井寛次郎。独創極まる所業。余りある高みにあった偉人!! 「この世とは我を探しに来たところ」、寛次郎師の言葉。 僕は、法律を学んできた人間。芸術を語れる程に知識を持ち合わせていない。 が、創作陶(1点物)と職人陶(同じものを沢山作る)を同じ視点で見たく思っている。 能書きは別として、つくり手の感覚に“無意識の意識”が見え、感動している。 作家・職人共々、出来上がった器に主・客共々感動するものが時折ある。 食器中心の器を作り続けている友人(陶工職人)の展示販売会が先日あった。 我が心酔・拝上してきた河井寛次郎さんの心を無意識に持つと感じる陶工(粋人)。 それもそのはず、河井巨匠の後援者一族の一員で寛次郎師を良く知っている御仁。 昭和人・・同年代だが、巡り巡って家族共々ご縁がある。 令夫人の父上は、久松保夫さん。日本のテレビドラマ創成期の俳優さん。 KRテレビ(現・TBSテレビ)の連続テレビドラマ『日真名氏飛び出す』、 主人公・日真名氏役を演じた方。そのドラマご存知の方もブログルにはおられよう。 今回の展示販売会にかわいい器が、展示されていた。 我が孫の“お食い初め”用に依頼したものと同じ器が並んでいた。 伝統的風習、形式も大切だが、内容・・心の伝承が最も大切だと思う。 習わし、伝統技術、形式も大切だ。が、生活器であっても欲しく器を作ってもらった。 お食い初めは、漆の木工椀を用いるのが正式とされている。 今年の展示会には、作り手の一つの完成形が見えた気がした。 敬愛・尊敬して止まない陶工(上から目線で失礼だが)と今年も会えた。 「令和参年(皇紀2681年)12月5日、記」
《”初冬の森林・・公園”》 カツラ(桂); カツラの落葉には芳香がある。カツは香出とする説がある。葉は抹香にする。 水湿のある雑木林によく見られる。幹は直立、樹高30m、胸高直径2mにもなる。 一つの株から、数本の幹を出す。日本と中国にのみ自生する特産科。 樹皮は暗灰褐色。若木は平滑で横長の皮目が目立ち老木では縦に裂け剥離する。 短枝と長枝があり、葉は長枝には対生(場合により互生状もある)し、短枝には1つつく。 葉身は広卵形で基部は心形。葉脈は5~7の掌状脈。縁に鈍鋸歯がある。秋に黄葉する。 徐々に茶色になり落葉し、独特の甘い香りを出し、初冬には、近くでも、匂い香る。 落葉が香るメカニズム、よく分かっていないらしい。 「令和参年(皇紀2681年)12月4日、記」
《”初冬、自宅近くの林”大和市鶴間》 コシアブラ(漉油); タラノキ の芽に似た若芽はほろ苦く、天ぷらやごま和え、山菜に良い。 和名は、昔この樹脂から漆に似た塗料、金漆(ごんぜつ)を作ったによる。 薄緑から明るいセピア、黄色に変わる紅葉は清楚な姿を見せる。 柔らかな木から経木が作られた。葉にはよい香りがあり灯台の芽ともよばれる。 幹は灰白色、惰円形の皮目がある。葉は互生し、長い葉柄があり掌状複葉。 小葉は5個、不揃いで中央が大きく倒卵状長楕円形。先は尖り、基部は楔形。 縁に不揃いの鋸歯。葉表は光沢があり、葉裏は白色を帯び、脈腋に毛がある。 「金漆(ごんぜつ)」 平安時代の辞書である「和名類聚抄」にコシアブラという名前が出てくる。 その中では金漆の木がコシアブラであるとされる。 金漆の名は、「延喜式」にはその使用例や貢進地などが、 奈良東大寺の正倉院の献物帳にそれが使用された物品の記載がある。 当時は甲冑等の黄色の塗装、刀剣など金属の錆止め、紙の防湿に用いた。 その後の武具の変化で平安後期以降金漆が使われなくなっていた。 どのような塗料、いかなる処方で作られたかは江戸時代には謎の塗料であった。 最近の研究でコシアブラの木から冬期のみ樹脂を採取することができること、 この樹脂から速乾性の硬い皮膜ができることが分かった。 更には、同じウコギ科のタカノツメ、カクレミノも樹液がより多く分泌する事が分かった。 タカノツメは地域によりコシアブラともゴンゼツとも呼ばれている。 つまり「コシアブラ」あるいは金漆という塗料を採る木が地域により異なっていた?? コシアブラの語源は、コシアブラは「越油」であり、越(高志あるいは古志)国の油の事。 古代、日本人が多く渡った浙江省台州、日本では「越の国」(呉越同舟の越)と呼んだ。 そこから伝わった金漆の技術を「越の油」と呼び、転じてコシアブラになったとする説。 納得の行く論と映る。越の場所・位置には諸説の解釈がある。 「令和参年(皇紀2681年)12月3日、記」
《”初冬、自宅近くの広場”大和市西鶴間》 カクレミノ(隠蓑); 和名の由来は、天狗が持ち、着ると姿が消える「隠れ蓑」 に葉が似ていることから。 3列の大きな葉が体を隠すほど茂り、着ると体が見えなくなるという伝言がある。 箒を逆さにしたような樹形になり、樹高3〜8m。樹皮は灰白色。滑らかで丸い小皮目がある。 雌雄両全性(hermaphroditic)又は普通、両性雄花同株(andromonoecious)。 本年枝は緑色。葉は互生。枝先に集まってつく。葉身は、若木の葉は深く3〜5裂する。 成木では菱形状広卵形または広卵形で、切れ込みはないことが多い。 先は短くとがり、基部は広いくさび形、ふちは全縁ですこし波打ち、顕著な3脈がある。 分裂しない葉身は卵形~楕円形~広卵形~ほぼ円形、基部に3脈がある。 分裂する葉の場合、成木で2又は3浅裂する(若木ではより深く3~5裂する)。 葉質は厚く、革質、上面は光沢があり、両面とも無毛。縁は全縁、又は小さく外巻きする。 秋から冬にかけて、下部の葉は黄色くなって落葉する。果実は液果で紫黒色に熟す。 昔は、夏に樹皮を傷つけて白い樹液を取り、これを塗料として使った。「黄漆」 という。 「令和参年(皇紀2681年)12月02日、記」