《襍・/・観》里の春

水道道路桃園「三保の森」14/... 水道道路桃園「三保の森」14/3/22
魅せる桃の花。 魅せる桃の花。


里山にも漸く春が。。。!
つい先日まであれほどに敷き詰められていた枯れ葉の絨毯。
気づいてみれば、地表が表れ野草が姿を見せ始めた。
それでも例年より顔みせが・・・?今年は遅い。

お花見の季節、「海軍道路」「千本桜」等々、近間に桜並木は数カ所ある。

人混みを嫌う僕は、相変わらず「里山探訪」である。

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《襍・/・驚》春分の頃。



「自然をたたえ、生物をいつくしむ」そんな気分の春分の日。
先祖の墓参り、それをも兼ねて家族で出掛ける慣わしある日本。
わが家は、この3連休、家族各々が別行動だった。
亡き父の衣服の整理をしながら自分の雑務をしながら色々おもうた。

3月21日は、いま一つ忘れては成らない記念日でもある。
"International Day for the Elimination of Racial Discrimination"
1960(昭和35)年、南アフリカ・シャープビルで悲惨な出来事があった。
言う所の「人種隔離政策(アパルトヘイト)」
それに反対する平和的デモ行進に対し警官隊が発砲、69人が死亡した。
この事件を切掛に国連が人種差別に取り組み始める。
世界中で人種差別の撤廃を求める運動が大展開された。
そして、1966(昭和41)年の国連総会で「国際人種差別撤廃デー」を制定した。

奴隷・植民地がほぼ世界各国から消えた。歴史を顧みると、思いは!?!
「侵略」「白人優位社会」、欧米の歴史は如何にあったか!?!
「アメリカ・インディアン」は、原住民ではないか、等々複雑さを思う。
そうした植民地とした西欧諸国が、独立した国に対して「謝罪」しているか??
反省の言はあってもだ。かつての植民地住民から謝罪・賠償要求はでていない。

更には、、、隣国に関しては・・・!!
過去・歴史に立脚して世界をみると、戦地における「公娼」は、存在している。
「慰安婦」ではない、「娼婦」。過去資料で日本の「負」なる部分が出てこない??
統治下での其々の自治(行政・警察等)関係者、仲介人等は、多くが朝鮮人であった。
その後の「朝鮮戦争」「ベトナムでの韓国人従軍者」
これ等の歴史・事実を背景に朝鮮人を分析すると今の韓国首脳陣感覚もわかってくる。
而して、
ベトナムにおける「ライタイハン」問題、日本のマスメディアは何故か余り報道しない。
韓国軍の村人虐殺等も今、日本国内では一般的には知らないかもしれない。
目を覆う様な場面を紹介してる映像がある。http://youtu.be/bJxvxI9epEs
又、李承晩政権の失政で国民不満が高まり、 不満をそらす為、竹島を不法占拠した。
当時、 何も知らない日本の漁船は、韓国軍の銃撃や拿捕された。
漁民44名が死傷、4000名余りが不当に抑留され。。。
日韓基本条約は、抑留された漁民を人質に取られながらの交渉であった。
人質交換条件として、不法入国した殺人凶悪犯罪者472人を放免。
更には、 密入国者の朝鮮人に“在日特権”「特別在留許可その他特権」を与える事等、
ひどく強引であった。史実とは、こうしたことである。

文化・スポーツ界を見ても隣国の身勝手さは突出している。
近代・現代の2国間(日本・韓国)を対比しながら歴史・事実検証し粛々と世界に表明すべきである。

* * * * *
漸く可憐な姿を見せ始めた河津桜、下向きに咲く。今の日本を思える光景・画像。

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《襍・/・魂》若き友へ。

《襍・/・魂》若き友へ。


「華節」「巣立ちの季節」、自然を眺め、己の在りようを思う。
歳と共に偏屈・孤高を目指し、殻に閉じこもってしまう。
身近な若者から刺激を貰った。新鮮だ。爽やかだ。
長年の行いに、慣れによる惰性を反省出来た6年間。
若者が、巣立っていく。意気揚々と。。。!
議論できるがゆえに、新たな道が見えるのだろう。
老齢と共に「幼児に還る」というが・・・。
我が身に当てはめてみると、初心に還ると言えまいか??
偏屈・自我であろうとも、対する相手側よりの思考も加味せねば。
今、日本を取り巻く諸問題。人間の「業」だ。
頑なは、良しとしよう。だが身勝手は「外交」ではあるまい。
言葉を武器に「洗脳」するが如くに封じ込める。これは、誤りである。
そんな時に学んだ法理、空理空論でおわるまい。
「反観合一」なる言葉を深く・静かに熟慮して欲しい。
若き友たちへ感謝を込めて、呈したい。

「人の人たる所以は、人と人との結合にあり」
Was der Mensch ist, verdankt er der Vereinigung von Mensch und Mensch.
--Otto von Gierke--

今の世でも、Genossenschaftsrecht(団体法論)は参考になる。
異国の法学者、ギールケの言葉に深い意味を感じる。
一方国内の先人、夏目漱石は、斯様な事を記していた。
「人間は孤立した存在」である、と。ドイツのことわざを原文で引用している。
,,Keine Brücke führt vom Mensch zu Mensch"
「人間から人間に通じる橋はない」

我々を取り巻く環境の中で、深く心したい二つの言葉。
新たな考えの出発点にしよう。 思考の基ともしたい。



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《襍観・小さな春》野の草花。

おなじみのオオイヌノフグリ おなじみのオオイヌノフグリ
小さな草花「ハコベ」。そっくり... 小さな草花「ハコベ」。そっくりな花に「ウシハコベ」があるが雌蘂の先が3つに分かれてるのがハコベ・5つに分かれてるのがウシハコベ。
種の入った長いサヤが上向きに長... 種の入った長いサヤが上向きに長く伸びる、 みちたねつけばな(路種浸け花)。これ又小さな花。
草むらの中にアブラゼミが・・・... 草むらの中にアブラゼミが・・・・?冬場枯れ葉に覆われて分からなかった。どことなく、オーラが??

気温が15℃ちかくなると、やっぱり春来たるって感じる。
野・・地べたに座り込みしっかり見ないと詳細がわからない小さな草花。
近寄ってみると何とも愛くるしい。。。!
三叉の花が中々開かない!?!縮こまってる。
そんな中で、健気に顔を見せてくれた草花。心地よい瞬間。
草花は、ぶれないねぇ・・・!
蟬の姿・・・!?!今にも飛び上がるかって感じもしてた。合掌。

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《襍感・春到来》河津桜

近くの里山にも漸く河津桜が咲い... 近くの里山にも漸く河津桜が咲いた。
脇道から土手をみると早、散った... 脇道から土手をみると早、散った花弁が、シベは生き生きしてた。
生無く滅なし!?!

日曜日の早朝、「遠くに行きたい」というTV番組を楽しみにしている。
今回は、伊豆の「河津桜」等の紀行だった。一度訪ねてみたく思っている場所。
人混みが好きでない。などなどで未だに見そびれてる「河津桜」。
川沿いの見物、一度は行ってみたいと思った。
稲取の「稲取キンメ」の料理、稲取名物「雛のつるし飾り」。
松崎では、名産品の「桜の葉」で作った本場の桜餅。
圧巻だったのは、精巧な昆虫を作る竹細工名人のの紹介。
凄い・・・感動・・驚きであった。

思い立って、近くの里山に散策してみると・・・!
漸く「河津桜」が咲き始めていた。ここは、伊豆よりかなり寒いのか??


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《襍感・春めく》樹・花々に思うⅣ.

定点観察林 定点観察林
定点観察林の春雪!! 定点観察林の春雪!!


3月14日、巷では「ホワイトデー」だとか!
僕が初めてこの日を知った頃は、「マシュマロデー」と呼ばれていたように記憶している。
こうしたことに縁遠い僕には、3月14日は「元麿忌」。
僕が、この世に生を受けた翌年にこの世を去った詩人を想う日。
千家 元麿(せんげ もとまろ、1888年6月8日 - 1948年3月14日)詩人。
武者小路実篤に師事した、人道派的な詩人。
『蒼海詩集』の中にある【冬の木立】
***
葉をふるひ落して
春を静かに待つてゐる素朴な
冬の寂閑な木々が私は好きだ
趣味の深い静かさに包まれた
装飾のやうな樹木たち
女が髪を大事にするやうに
優しい枝々を大事にしてゐる木々
すつきりした粋な姿。
冬、灰色の空の下に
眠つた木々たちの囲み合つてゐる姿の贅沢さ
***

身近な所に、斯様な世界がある・・・やはり贅沢なことと思える。

斎藤茂吉が辿ったドナウ川源泉を、想いを以って散策したことがあった。
そんな時に脳裏をかすめた言葉は、ハイネの詩、
「思想は目に見えぬ自然であり、自然は目に見える思想である」

法・哲理を学んでいた若き頃、頭のなかは、学究だけだったか?

今は、少し余裕を持てるようになった。これも我が年輪、と想いたい。



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《襍感・春めく》樹・花々に思うⅢ。

《襍感・春めく》樹・花々に思う...


漸く春めいて来た。樹々・草花共々個性あって興味はつきない。
里山を探訪すと色々な植物が迎えてくれる。
それらを眺めながら、人間界と対比させ自分をも照らしあわせている。

林床に「ノボロギク」の冠毛と思しき姿を見た。
冠毛の基に果実(種子)があって直径2mmにもみたない。
小さな種だがしっかりと子孫繁栄の手立てを担ってる。
この植物の成り立ちはともかく、目の前にある姿、ほこらしかった。

野草界で同系外来種が和種の生存を脅かしていることがある。
長い年月を以って純粋培養された草は、繁殖をあまり必用としない??
対して外来種は、生存競争に打ち勝つために強い繁殖形態を培ってきた。
和種より繁殖力にまさる外来種が目にしやすくなる。
それだけならよいが、周りを外来種に囲まれると外来種よりの混雑種が生まれる。
この繰り返しで、在来和種が消えてしまうこともある。
それ故、在来和種を守る手立てが必用となってくる自明の理。

目の前の花姿を眺めながら、いまの日本の状況が在来種と外来種に???
何か・・・符合してるって思えてくる。



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《襍囈》過去の事実。

パイロットの姿まで見える至近距... パイロットの姿まで見える至近距離(居所の二階からの眺め)。
厚木基地に隣接して泉の森がある。


過去の・・・「今日の日」に起きた忌まわしい出来事。反省・と教訓、二度とあるまじき事。
重く受け止め、将来を新たに見つめなおそう。
戦後、60余年。日本は、世界に向けて平和的共存を意図し邁進してきた。
隣国に対しては、色々と配慮してきている(国・政府として)と個人的だが思うのだ。
我が体験、青少年期に在日朝鮮人が酷い暴力・暴言を吐いて居たのを覚えている。
今の韓国・北朝鮮の人々の言動・行動を傍観してると昔と何ら変わっていないと思う。

隣国との鬩ぎ合いの中で、基地問題・とりわけ沖縄での問題に想う所ある。
基地が己の住む町に来るのは、誰しも反対であろう。
だがしかし、「わが町」にコなければ良い。それで良いのか???
そろそろ沖縄を解放しても良いのでは??最適地を検討しても。
ごく日常的に、横須賀・厚木・座間といった米軍基地を肌で感じている。
我が身からすると、基地の存在は、日常風景だ。
「飛行機の騒音」これは、言語に絶する酷いものがあるのは確かだが。。。!

憲法改正・安保問題・基地問題、難しい問題だが、現実と対比しなければ。。。
今は、国・存亡の危機にあるといっても過言ではあるまい。
行なわれてきた選択で今問題が、、、新たに沸騰している。
疎かにしてしてきた検証を今ここに精査しないと未来に禍根を引きずることになる。

「東京都平和の日」
東京大空襲。この日を忘れず、都民ひとりひとりが平和について考える日として、
東京都が「東京都平和の日条例」により、1990年(平成2年)に制定。

平和の祭典として、東京オリンピックを成功させて頂きたい。


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《襍観・華節》身近な春!?!

《襍観・華節》身近な春!?!
《襍観・華節》身近な春!?!


「華節」3月の異名。
梅はさいたが、桜は未だかいなぁ!!
河津桜も未だ蕾。
のどかな里山だが、今日、3月10日は、東京大空襲の日である。
1945(昭和20)年3月10日深夜、東京にアメリカ軍B29爆撃機344機による焼夷弾爆撃攻撃があった。
死者約10万人、焼失家屋約27万戸という、第二次大戦で最大級の被害。
この数を見て、再び争いを目指すだろうか日本は。。。ありえん。


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《叛逆のろれつ・2014_3》“被曝”・・・「3・1⇔3・11」。

数珠玉を見ながら、真実を知りた... 数珠玉を見ながら、真実を知りたく思った。


3月1日は「ビキニの日」。忘れ去られ、風化してしまった感がある!?!

「ビキニの日」って何??と問われ、しかと返答出来る人も少なくなったか。
福島原発に重ね、而して昨今の環境汚染も含めて“被曝”を語り継ぎ心したい。

☆第五福龍(竜)丸☆
1954年3月1日未明、米国は、施政権下にあったマーシャル諸島ビキニ環礁で、
広島に投下された原爆の約1千倍の威力ある水爆「ブラボー」を使った実験を実施した。
この実験により静岡県焼津市の遠洋マグロはえ縄漁船「第五福竜丸」の乗組員らが
「死の灰」と呼ばれた「放射性物質」を重く含んだ砂を浴びてしまった。
その後も実験は続き日本漁船は少なくも856隻が被曝、
全国に水揚げされた魚は、すべて破棄された。
漁船団は危険立ち入り禁止指定海域より、より離れた(160km以上離れた海域)で操業中だった。

「キャッスル作戦」の1発目として「ブラボー」と名付けられた「水爆」
予定では6メガトンであったが、核融合反応の計算ミスなどから15メガトンとなった!?!
実験で島が3つも吹っ飛び直径1.8キロ、深さ70メートルの巨大な「ブラボークレーター」すり鉢状の穴ができた。
実験の事前通告は、日本の海上保安庁や水産庁になかった。
多くの船舶に加えて実験場に近いマーシャル諸島の島民も放射能被曝している。
放射性降下物「死の灰」は、500キロ以上離れた島まで襲っている。

原子核が分裂して生ずる放射性生成物は、原子力発電に伴って発生する核分裂生成物なども含まれ、人体等に及ぼす危険物質である。
1945年~1995年まで総計2,043回の核実験が行われ、うち528回が大気圏内実験だった。
「20世紀化学が生んだ『最も恐ろしい悪魔』」「20世紀最大の『地球環境汚染』」である。
ビキニ、エニウェトクの両環礁では1946年から1958年までに計67回実験が繰り返された。
広島型に換算して約7,000発分の核実験が繰り返されたことになる。
死の灰や残存放射能の影響で甲状腺障害やがんなど健康被害が多発、
マーシャル政府に認定された島民は2003年末で約1,870人に上り、うち約840人が死亡した。
俗に言われている「死の灰」、27種類の核分裂生成物を指す。
1954年5月には日本各地に放射能雨が降った記録が残っている。
「第五福龍丸」から採取した灰を分析、水爆であることを突き止め発表したしたのは、
原爆投下直後の広島にも入っていた京都大学化学研究所教授の物理学者清水栄さんであった。
原子力の平和利用に関する研究を続け、自らもがんに侵されながら核兵器廃絶を訴え続けておられた御仁。
2003年12月に88歳で死去した清水先生は、「核兵器は想像を絶する恐ろしさだ」
「(核開発競争をする)各国指導者の理性はマヒしている」と常々語っていた由。

1954(昭和29)年9月23日、「第五福龍丸」乗組員の無線長久保山愛吉(当時40歳)さんが、
国立第一病院で「原爆被害者は私が最後にしてほしい」と絶叫しつつなくなった。
死因は、肝臓障害による黄疸症状を呈した「放射能症」、放射線を大量に浴び、肝不全をはじめとする多臓器不全。
当時、米国側は「血清肝炎が死因」、放射線の被曝は二次的とする、事態の矮小化を図る政治的結論を言っていた。
米国側からスパイ呼ばわりされた22名の乗組員は体力を回復し、約1年後に退院するが、完治したわけではなかった。
C型肝炎ウイルスが混入した(汚染された)血液の大量輸血に起因する肝硬変や肝がんの恐怖が30年経過した頃から乗組員たちを襲いはじめた。
“死の灰”と“汚れた血液”という二重の「被曝」を蒙る。悲惨を通り越している。
この被爆に対するアメリカ側の法的責任は不問とされ「補償金」は全く支払われていない。
200万ドル(約7億2,000万円)の慰謝料(見舞金)で政治決着したが、、、??
乗組員1人当りに配分された金額は、僅か200万円に過ぎなかった。

核兵器とそれがまき散らす放射能の恐ろしさを実体験している日本・日本人。
だが、時として機密扱いで一般人には公表されない事柄もある。まさに政治的判断で。
1950年代米公文書:「日本は核に無知 原子力協力で治療」
1954年3月1日に太平洋ビキニ環礁で米国が行った水爆実験で静岡の漁船「第五福竜丸」が被ばくし、原水爆禁止が国民運動となる中、危機感を深めた当時のアイゼンハワー米政権が日本の西側陣営からの離反を憂慮、日本人の反核・嫌米感情を封じ込めようと原子力技術協力を加速させた経緯が、米公文書から明らかになった。
共同通信が米国立公文書館で収集した各種解禁文書は、核に「無知」な日本人への科学技術協力が「最善の治療法」になるとして、原子力協力の枠組みや日本人科学者の米施設への視察受け入れを打ち出す過程を明記。米側が「原子力の平和利用」をテコに日本世論の懐柔を図り、被爆国が原発導入を進めるに至った源流が浮かび上がった。
アイゼンハワー大統領は54年5月26日にダレス国務長官に覚書を送り、被ばく事件後の「日本の状況を懸念している」と表明。「日本での米国の利益」を増進する方策を提示するよう求めた。
これを受け、国務省極東局は大統領あて極秘覚書で「日本人は病的なまでに核兵器に敏感で、自分たちが選ばれた犠牲者だと思っている」と分析。打開策として(1)被ばく乗組員への賠償(2)米側からの「放射能に関する情報提供」(3)吉田茂首相への遺憾表明--を挙げ、「放射能」に関する日米交流が「日本人の(核への)感情や無知に対する最善の治療法」になると指摘した。
同年10月19日の国務省の秘密メモ「ビキニ事件と核問題」は、事件を「戦後最大の日米間の緊張要因」と表現し「米国への憤りと核兵器への恐怖心が高まった」と解説。「原子力・核エネルギーが根本から破壊的だとする日本人の根強い観念」を取り除く狙いで「原子力の平和利用を進展させる2国間、多国間の取り組みに日本を早期に参画させるよう努めるべきだ」と将来の原子炉提供の可能性を論じている(2011年7月24日配信『共同通信』)。


原子力の平和利用でさえも、いま問題になっている・・・「原子力発電所問題」。
先日も記したが。。。! 
***************************
「新幹線の中のニュースで」
『福島の甲状腺がん疑いを含めて75人、福島の子どもたち新たに7人が甲状腺がん。
県「被曝の影響とは考えにくい。」』
何じゃこの県の対応。県民を守るのが行政だろうが・・・
東電の責任を1%でも可能性があるなら追求するのが行政の責任だろうが。馬鹿か!
***************************
これは・・・福島原発・・平和利用を目的とした「原子力」活用での事故。
被災者のケアー、方法は如何に??を優先しなくては・・・?
己の保身しか見えてこない行政者。政治家も同様、与党・野党などと言ってる場合か??と言いたい。

「ビキニデー」の3月1日に改めて懸念を持つ。
原爆被災者も含めて、しっかりとした医療体制を構築すべきが、時間が経つと共に形骸化している。
放射能汚染、被曝の恐ろしさをもっともっと、国民に広く知らしめる必要がある。
予防措置をももっと真摯に考える、思慮深い検討をより高度にする必要性を、改めて思い知ったのが福島原発問題ではないのだろうか??

「死の灰」を浴びた生き証人が、神奈川県三浦市に存命である事を、先日知った。
元マグロ漁船員奥村正見(78)さんは、「死の灰」被災者。18歳で被曝。
以来、医学的に原因不明の貧血に悩まされ続けて来られた。
水爆との因果関係(医学的な)もさることながら、被曝した事実、人道的支援がなぜできないか???
奥村さんが乗船していたマグロ漁船「第八順光丸」は1954年3月29日に三崎港を出港し、
ビキニ環礁の東側海域で操業。5月18日に帰港するまで、4回の水爆実験が行われていた。
奥村さんが振り返る。
「アメリカだって危険区域は事前に教えていた。でも、風が強くてみんな浴びちゃった。」
奥村さんの同僚も2年後、急性骨髄性白血病で27歳という若さでこの世を去っている。
(以上神奈川新聞記事を部分引用)。

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私事だが、最近・若き頃の事故に起因するか??神経系疾患に悩まされている。
老齢と共に身体内部で弱き部分からじわじわと攻められている感覚を持つ。
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被災時に自覚症状がでなくても充分な経過観察を施すべきだ。
未知の、そして原因不明的発症は、ありうる。
放射線に関する医療体制をより充実させ、国家レベルでのケアーをも改めて検討し直すべきである。

「歴史観・歴史感」諸問題と比較衡量は出来ないが、広島・長崎の原爆投下に対する人道的ケアーを国内で日本人同士が対処してきた。
ましてや「ビキニ被曝」は、戦時中のことではない。非常時でのことではないのだ。
火の粉が我が身に降りかかる・・・当事者・渦中の人に成らないと考えない。それでは遺憾と痛感する。
一方では、新たに隣国からの“戦闘行為”現在的“戦争状態”が勃発している。
改めて思う、歴史に於ける「検証」をいまこそ深慮し、検証結果を世界に発信して欲しい。
政治検証ではない。事実検証である。我が国は、真の法治国家である。
戦後、半世紀を以って、隣国にはそれなりの配慮もしてきた。配慮が仇になってる。
過去の遺恨に終止符をいまこそ打とう。是は是、非は非、はっきりさせて頂きたい。

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