《樹花(6)・_・春⇔薄紅色~~白色!!”》 ウメ(梅)“ mume " ; 神奈川県西部から静岡県熱海に掛けて梅林・梅園と名が付く場所が数か所ある。 観賞用だけではなく、食用として用いられる梅。この節、各地で梅祭りが!! 梅開花たよりが例年より早い。出かけたいのだが、思うように動けない。 古来、花木の代表として愛でてきた。今は、花木の代表はサクラへと移ったが。 果実の有用性で、武将に重用されてきた。その名残か!?!各地梅園がある。 幹は暗黒色で、不揃いで割れ目ができるが、剪定に強く、樹形を整えやすい。 「サクラ切る馬鹿、ウメ切らぬ馬鹿」と云われるが梅の木苔は、趣ある。 紅梅の幹や根は材が赤い。その材や樹皮を使って染めた色を梅染と呼ぶ。 早春、展葉に先立って花を咲かせ、花弁、萼片は其々5枚、雌蕊1つ雄蕊多数。 バラ科の花には自家不和合性があって、複数本ないと実のつきが悪くなる由。 花色は通常白だが、紅、淡紅色など、様々。園芸種は300以上あるとか。 一年枝は緑色で小さな白点が無数にあり、葉芽は小さい(2mm位)。 芽鱗の縁に短毛があり、1節に芽は1~3個、両脇の副芽は小さい。 花芽は早春に膨らみ丸くなる。花芽は1年枝に多くつく。勢いの弱い長枝にもつく。 勢いの強い長枝には花は咲かない。2年~3年枝には短枝が出ると翌年花芽がつく。 * * * 表題に記した“梅園”とは、梅の花をこよなく愛でたと伝わる、三浦梅園翁の事です。 「陰陽なるものは、条理なり。条理なるものは、本義を草木の理において取るなり」 三浦梅園は、江戸中期の自然哲学者、国東半島に住して孤高の偉人。 「反観合一」なる言葉に僕の思考の原点とさせて頂いてきた。當に“天地自然”の事。 東洋思想の基本、陰陽「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる」を思う。 その陰陽を梅園翁は、「ものの条理」と称している。 条理とは、「草木がなる理(すじ)」と哲理する。 「条とはほんらい木の枝のことで、理とはその筋のこと」 「条とは守備が貫通し、理とは左右にはっきりさけるもの」 一本の幹が根をだし票(こずえ)をだし、根はつぎつぎに分かれ票はつぎつぎと分岐。 その分かれるさまを仔細に見れば筋があり、その筋は何のための筋かとみれば、 気がその筋にしたがって運動し、気の運動によって形がなる。分かる、分かりやすい。 人間の思考は、複雑怪奇に混乱させているのではないか?? 植物に例えると、果実がなるには気がとおる根や枝(条)と筋(理)が必要。 その根と枝と筋は幹により、幹のもとをたどると一粒の種。 時期の違いはあれど、実る果実はすでにそのものの中に発芽する種を持っている。 種を撒く場所さえ間違えなければ、自ずと芽は出、果実は成る。 日向か、日陰か、肥沃な土地がいいのか等々、自然淘汰されていく。 語れば、膨大な時間を必要だが、凡人には中々分かり得ない。 だが、一例を考えると、「おのおの」とは、これ如何に!! 「おのおの」とは、それぞれの人格や性格のよい面をよく見極めることであり、 「長ずるところ」とは能力として得手な分野、「好むところ」とは興味が強い方向。 凡人にとって面白い言葉を頭に入れている。 「足の皮は厚きがよし、面の皮は薄きがよし。」 「枯れ木に花咲きたりといふとも、先(まず)、生木(なまき)に花さく故を訪ぬべし。」 最も心に響いた言葉、「 人生莫恨無人識、幽谷深山花自紅 」 「人生 恨(うら)むこと なかれ 人 識(し)ること 無(な)きことを 幽谷深山(ゆうこくしんざん)花(はな)自(おのず)から 紅(くれない)なり。」 「2020/02/02」