今朝は真夜中に一回目覚め再就寝、起床は5時少し前。5時29分昭和大橋。外気温度は16℃。やすらぎ堤左岸で万代橋、5時45分。帰宅は6時19分でした。7時から集合住宅の屋外清掃日。不参加者は¥1000のペナルティーです。参加前の朝食を済ませ合流しました。
「武漢コロナウイルス」禍で感染を避けるために「キャンピング」や「アウトドア」が脚光を浴びています。さて、こちらは数十年、単独行動の野営を続けてきました。果たしてTV画像で見る人々が果たして、数十年アウトドアを継続して楽しむでしょうか、疑問です。
例えば「焚火ツール」を大枚叩いて購入。使用してその後がどの様な状態になるか知らない人間がデザイン・開発します。こちらはアルミ板などの廃材を利用して組み立て式の「焚火ツール」作成。実際に使用・片付けの実態をレポートしたのを見たことがありません。キャンプ場で大きなテントやBBQなど楽しむ。出発前の準備段階。帰宅後の清掃・収納の状態は殆ど放映されません。
スキー、ダイビング、登山、トレッキング等々。全て準備から片付け、収納、保存がどれ程大変か。これをキチンと出来ない人は長続きは不可能です。
物事綺麗事だけではありません。明るく元気にスタートしましょう。
今朝は真夜中に目覚め数頁本に目を通し再就寝、起床は5時を回りました。5時35分昭和大橋。外気温度は16℃。やすらぎ堤左岸で万代橋、5時51分。帰宅は6時20分でした。
昨日のMLB、エンジェルス戦を拝見。このチームは先発投手が良くても中継ぎ投手が全くダメ。これでは勝てません。昨日は大谷選手登板予定が渋滞で遅れて本日に延期。さてこれから始まりますが「投げて」「打つ」活躍が見られるでしょうか。
今回、新潟県長岡高校に記念資料館が併設されている事を初めて知りました。歴史のある名門高校ではそれなりの俊英が輩出し、それらの卒業生の寄贈資料を揃える事が、時代を経て脚光を浴びる事があります。
こちらが考える事はカミさんの幼なじみ「五十嵐一」氏の評伝を仮に書く場合資料を卒業学校に求めます。
この人物は勿論、長岡ではありません。東京大学の理学部に合格後、人文系に転部。イラン・パーレビ国王当時の王立哲学アカデミー研究所へ。その後、筑波大学へ。サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』を翻訳。宿舎の階段で何者かにより暗殺。44年の短い生涯を。筆力がないので評伝は無理ですが、資料を求めて尋ねると果たして存在するのか疑問です。
130期位の卒業生の中には優秀で国内外で活躍した俊英が相当存在したと思われます。
知らない事を知り、明るく元気にスタートしましょう。
今朝は4過ぎに目覚ベッドで待機、起床は5時少し前。5時27分昭和大橋。外気温度は16℃。やすらぎ堤左岸で万代橋、5時44分。帰宅は6時13分でした。雲が流れ青空が広がってきました。相変わらずダンベルを軽く振り回し、前後屈運動を。
昨日、「素読」の話を書きました。イスラエルのユダヤ人は世界各地に分散した人々が中東のパレスチナに建国をした。世界の国々に生を受けたユダヤ人は教育は逃亡や移動しても邪魔にならない。これがアインシュタインやその他の天才を輩出しています。この国民も基本は「素読」です。
十二支は殆どの人がスラスラと案じられます。
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
(ネ・ウシ・トラ・ウ・タツ・ミ・ウマ・ヒツジ・イヌ・イ)
十支は書くことや音読するのは難しい
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
(コウ・オツ・ヘイ・テイ・ボ・キ・コウ・シン・ジン・キ)
甲・・・・キノエ
乙・・・・キノト
丙・・・・ヒノト
丁・・・・ヒノエ
戊・・・・ツチノエ
己・・・・ツチノト
庚・・・・カノエ
辛・・・・カノト
壬・・・・ミズノエ
癸・・・・ミズノト
これを子供の頃覚えさせられていたら、苦労しないのですが還暦頃に覚える努力をしても難しい。
「寺の小僧、習わぬ経を読む」年数を経ると「経」の真意が理解出来ます。
「十干十二支」の組み合わせで「還暦」となります。
幾つになっても記憶を活性化しましょう。元気に明るくスタートしましょう。
一昨日のワクチン接種で注射した左腕の二の腕付近が若干痛みを覚えます。昨年末痛めた右肩も痛みが再燃したように感じます。ワクチンという異物を入れて、身体が反応しているのでしょうか。報告では二度目の接種により発熱や吐き気、頭痛など副作用が現れると報告が。
真夜中の目覚から起床は5時過ぎ。5時48分昭和大橋。外気温度は15℃。やすらぎ堤左岸で万代橋、6時5分。帰宅は6時34分でした。相変わらずダンベルを軽く振り回し、前後屈運動を。
この所、株価の変動がUSAと連動せずに、日本の「武漢コロナウイルス」対策の遅れが低迷となっていると感じられます。少しばかりの「東レ」は全く振るわない。何か株価を押し上げる好材料が出ないかと期待していますが。「東芝」は東証一部上場で期待をしましたが、その割りに買収やファンド攻勢でなりを潜めています、残念至極。
以前から日本の近代教育方法を批判してきました。江戸中期以降の文化を読み解くと、身分制度が厳しい時代に江戸や浪華では身分や年齢を超えた交流が行われています。学問に秀でた人材を各藩では登用をして、学問の必要性を重視しています。勿論、今日の文科省とは当然大きな違いがあります。現在地方新聞で連載されている『幕末かわら版』に当時の私塾「松下村塾」(吉田松陰)「適塾」(緒方洪庵)「咸宜園」(広瀬淡窓)が書かれていました。この中で興味を惹かれるのは広瀬淡窓の「咸宜園」明治まで続き、延べ約四千人の塾生が在籍。大分県の日田にありました。当然塾生は九州・四国・中国地方が多いのですが、記録では越後から七人の名前があるそうです。その他女性の塾生も存在。これらの基本は「素読」から始まります。今日の教育に素読は殆ど適用されません。再考の余地があります。
知らない世界を知る、探究心が大切です。元気に明るくスタートしましょう。
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