江戸時代までお城を中心に街が成り立っていました
ニと七のつく日に市が立ちます
「六斎市」
今の季節は鮭の遡上で魚屋には安く出回っています
地元のばぁちゃんがペラペラと早口で喋ると聞き取れない
事があります撮影 2006/10/12
JR山手線の神田駅で折り返し、銀座方向へ別な道を
歩いた
三越の裏手に「日本銀行」がある新館は確か昭和40年代に建てられたと記憶している
本館はさすがに日本のお金を発行するにふさわしい
重厚な造りであった
日本橋を過ぎ、三越近くに来た
彫刻を施し、玄関に石のライオンを二頭備えたビルが
あった柱の彫刻も面白いし、玄関のアーチも素晴らしい
早朝のお江戸日本橋を通った
韓国ソウルの清渓川(チョンゲチョン)は日本でも
報道され、各地の川関連の人が視察に訪れているこれに刺激されたのか、この日本橋の上を通る首都高をどかし
日本橋の空を取り戻そうと報道されている清渓川(チョンゲチョン)の上にも自動車専用道路が
走っていたが、それを撤去し川を復元した
ただ、その建設を巡り袖の下の事件があったようである他国の行動を見て真似るのでなく、独自の発想で
物事を企画することの下手な国民性を吐露している
桐の産地の山あいに、下駄を作っている雪を被った材料は見事な造形を見せてくれる
あちこちと旅をし、泊まり歩いて日本文化の良さと
海外(西欧)文化の両方を兼ね備えたホテルは少ない日本人は温泉旅館の風習が抜けずに、こんなホテルでも
スリッパに備え付けのバスローブで歩く人が見受けられる回り階段のしたのピアノでは時折、生演奏が行われる
喫茶室にはアカアカと暖炉が燃えていた
昨日「田楽」のお店をアップしたが、その店の脇の
小路に石のお地蔵様や石碑が並んでいる
何気なしに写真を撮り、調べると江戸時代この地は川原の脇であり
藩士の処刑場となっていたそうである
処刑された藩士を弔い、これらが祀られたとあった
昭和2年(1927)に建てられたこの建物は銀行の
支店として機能していた
道路拡幅のため取り壊しの運命となったが、市民の希望に
より、保存が決定した
解体し、郷土資料館の脇に移築された
現在は内部を民間に委託し、レストランが営業している内部はほぼ原型を留め、昭和初期の様式を見ることが出来るsnailはこの銀行を利用したことがあり、カウンターの
内部に女子行員が働いていた光景を思い出す
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