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Slow Life & Trips

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少し見えづらい文字

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少し見えづらい文字
大きな石に刻まれた文字

彫りが浅くて、石の濃淡で文字が見え難い

「一 二 三
  い ろ は」 と彫ってある

この文字は「良寛禅師」の文字である

原本は山賀貞信氏所蔵のものから転用したと記されている
#アート #伝統 #文化 #芸術

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ファルコン
ファルコンさんからコメント
投稿日 2008-02-02 11:40

久方ぶりにのぞかせていただきました。

良寛和尚、そういえば新潟のご出身でしたね。
厳しい禅宗の和尚でありながら、般若湯(お酒)を愛されていたとかという、つまらない知識だけが頭をよぎりました。
なかなか、悟りの境地までは、程遠いです。

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wahootaste
wahootasteさんからコメント
投稿日 2008-02-03 02:59

裕福な家に生まれ、厳しい禅宗の修行を倉敷の近くの

円通寺で十数年過ごし、その後四国や九州を
回ったらしいのですが、その間の経過は殆んど
判明しません
越後へ戻ってからは、子供と手毬を撞いたり
喜捨をして生活を送ったのは相当詳しく研究され
ています
禅宗に捉われる事無く、勉強をし万葉集や古今和歌や
新古今和歌を勉強し、書も相当に独学をして
草書・行書・楷書など殆んど書き、その結果が
独特の書体が生まれ、多くの書家から絶賛され
江戸の著名な書家、亀田鵬斎は越後に来訪し
江戸へ戻って、狂歌にミミズが這った字になった
と詠われています

お酒はとても好きだったようです

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ファルコン
ファルコンさんからコメント
投稿日 2008-02-03 04:32

wahoolさんへ


いつも博学の知識で、頭がさがります。
ゆっくりと時間をかけて郷土の歴史を探るのは、充実感がありそうですね。
良寛さんの行動がよく分かりました。
ありがとうございます。

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wahootaste
wahootasteさんからコメント
投稿日 2008-02-03 06:05

もし、これを機会に「沙門良寛禅師」の四国や九州での

事実が判明したら、全国の良寛会から引っ張り凧に
なることでしょう

こんな話が伝わっています
ある武士(名前は判明していますが失念)が
四国のの苫屋に、一晩の宿を借りたそうです
その苫屋の人は、どうも良寛師であったと書いています
小生、良寛と貞心尼のことに興味はありますが
今現在は幕末の地元の画家を追いかけ、これが
一段落したら、良寛や井月、芭蕉・曾良そして
西行へと
広げ、江戸の蜀山人なども面白いと考えています

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