久方ぶりにのぞかせていただきました。 良寛和尚、そういえば新潟のご出身でしたね。 厳しい禅宗の和尚でありながら、般若湯(お酒)を愛されていたとかという、つまらない知識だけが頭をよぎりました。 なかなか、悟りの境地までは、程遠いです。
裕福な家に生まれ、厳しい禅宗の修行を倉敷の近くの 円通寺で十数年過ごし、その後四国や九州を 回ったらしいのですが、その間の経過は殆んど 判明しません 越後へ戻ってからは、子供と手毬を撞いたり 喜捨をして生活を送ったのは相当詳しく研究され ています 禅宗に捉われる事無く、勉強をし万葉集や古今和歌や 新古今和歌を勉強し、書も相当に独学をして 草書・行書・楷書など殆んど書き、その結果が 独特の書体が生まれ、多くの書家から絶賛され 江戸の著名な書家、亀田鵬斎は越後に来訪し 江戸へ戻って、狂歌にミミズが這った字になった と詠われています お酒はとても好きだったようです
wahoolさんへ いつも博学の知識で、頭がさがります。 ゆっくりと時間をかけて郷土の歴史を探るのは、充実感がありそうですね。 良寛さんの行動がよく分かりました。 ありがとうございます。
もし、これを機会に「沙門良寛禅師」の四国や九州での 事実が判明したら、全国の良寛会から引っ張り凧に なることでしょう こんな話が伝わっています ある武士(名前は判明していますが失念)が 四国のの苫屋に、一晩の宿を借りたそうです その苫屋の人は、どうも良寛師であったと書いています 小生、良寛と貞心尼のことに興味はありますが 今現在は幕末の地元の画家を追いかけ、これが 一段落したら、良寛や井月、芭蕉・曾良そして 西行へと 広げ、江戸の蜀山人なども面白いと考えています
投稿日 2008-02-02 11:40
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投稿日 2008-02-03 02:59
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投稿日 2008-02-03 04:32
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投稿日 2008-02-03 06:05
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