失脚した野中兼山は間も無く亡くなります。遺された一族家来22人も罪を着せられ、遠く宿毛の地で投獄されます。野中兼山の三女が「婉」でした。当時4歳だったと言います。そして3人の野中家男子が亡くなって、婉をはじめ残った女たちに赦免状が届きます。婉は44歳だったそうです。獄中、密かに師事した谷秦山(たに じんざん)に宛てた手紙が残っていて、それを元に高知出身の「大原富枝」氏が「婉という女」という小説を書き、映画化もされました。 婉は学問に優れ美人だったと伝わっています。婉は高知城下に帰り、医を生業として 僅かに丸薬を売って生活していたと言います。患者さんとは直接対面せず糸で結んで脈を取ったと言います。 貧しい生活にも関わらず、「天 我に生を与ふれば、必ず赦を得べし。然れば他所に移りて其の時を期して祖廟を造らん」この決心のもと、現在の山田町の一画に小さい神社を建て野中家の一族と家臣を祭りました。野中神社あるいは「お婉堂」と呼ばれています。 宝永5年9月22日野中神社で「御祭礼」が執り行われ、婉は祭文を読み上げています。 また後には先祖、家族、忠臣の墓も建てています。婉は65歳で没しますが、後半生は野中家の先祖を供養することに邁進しました。 お婉堂から南東に約1kmの所にJR土佐山田駅があり、駅前には(株)アリサワ酒造が有ります。淡麗辛口の土佐の地酒を造る酒蔵です。「文佳人」がお酒の銘です。有澤の二代目宗策は、「お婉さん」を称え「文佳人」という酒の銘柄としました。 「文佳人」と言うのは「文の佳人」、つまり 手紙・文・詩歌・広くは学問に秀で、教養にあふれた美人である、とお婉さんを讃えた名前なのです。 この事は知りませんでした。知っていたら「利他食堂」のメニューにも有ったので呑んでいたのに…と少し心残りです。 高知の旅は利他食堂に始まり、アジサイ、アジサイ街道、野中兼山の偉業、お婉さんとお婉堂、利他食堂のアリサワ酒造の日本酒「文佳人」と一巡して終われました。 最初にきっかけをくれた利他食堂の「ナオミ」さんに感謝ですV(^_^)V 「婉という女」の作者大原富枝女史、琵琶奏者桃山晴衣さんが案内する1978年放映の「婉というのは女ありて」がYouTubeで観れます(3編に別れていますのでそれぞれリンク貼っておきます 25分番組)よく出来ています。是非ご覧下さい。1部の最初のみテープ乱れが有ります。 婉という女ありて 1部 : http://youtu.be/4CtIgxKzvFo 婉という女ありて 2部 : http://youtu.be/rEF7cdxSsjk 婉という女ありて 3部 : http://youtu.be/92WGjYzFzxc 野中婉 参考 : http://blog.goo.ne.jp/sanyou-gaisi/e/47a5f4f03970162d4da256cace998aae
投稿日 2015-06-15 19:45
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2015-06-17 08:35
ワオ!と言っているユーザー