嫌われても大丈夫
6月
15日
どこにいても「好かれる人」でいたかった。
場の空気を読んで、相手の期待に応える。
笑顔でうなずき、角を立てない。
そんなふうに振る舞っていれば、どこかで誰かが自分を認めてくれると思っていた。
気づけば
「あれ、自分って、どんなだったっけ」
自分自身がどこにいるのかわからなくなっていた。
本音を飲み込み続けたぶん、心が疲弊していった。
ときには言いたいことを伝えたくても、「嫌われるのが怖い」と思って、つい沈黙を選んでしまう自分に、自己嫌悪すら感じるようになっていた。
ただ
そうしているのは自分自身なのに。
ずっとそうしてきた中で、自分の意見を明確に述べたことがあった。
空気は一瞬、重くなった。
後日、数名が何となく距離を取るようになったのを感じた。
でもその一方で、ひとりの人がこう言った。
「あのとき、言いたいこと言ってくれてありがとう。救われた」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
嫌われることで失ったものもあるような気もするけれど、それ以上に
「自分自身はどういたいのか」
ということと
素直でいても
「嫌われるばかりではない」
ということに気づいた。
それ以来、「好かれること」より「素直であること」を優先するようになった。
とりあえず誰にでも合わせるのではなく、自分の価値観にそって言葉を選ぶ。
嫌われるリスクを恐れず、本音と敬意のバランスを学んでいった。
すると不思議なことに、周囲にいてくれるのは「信頼でつながる人たち」で、自然なボクを受け入れてくれる。
嫌われることは、怖い。
それはひとりぼっちになりたくないという思いが強いんだろう。
でも一方では「自分を守った証」にもなりうるようにも思う。
すべての人に好かれる必要はないし、実際それは不可能に近い。
いや、無理だ(笑)
だからこそ、「嫌われるかもしれない」と思う瞬間こそが、自分の軸を立て直す絶好のタイミングなんだと思う。
本当に大切にしたい人たちは、ちゃんとそのままの自分を見てくれている。
その選ばれた少数の信頼が、人生を驚くほど豊かにしてくれるんだと、今は確信している。