自分のことをよく知る、理解を深めることが大切。
そういっては自分のことをわかるための様々なツールやワークをやっては、満足したようで満たされない。
自分の強みがこれなんだ!!
と言語化できたようで、妙に心は満たされない。
そうなのよ。それは
「認識できただけ」
だからなんだ。
『ジョハリの窓』
って知ってる?
①自分も相手もわかっている自分
②自分はわかっているけど他者は知らない自分
③自分はわかっていないけど他者はわかっている自分
④自分も他者もわからない自分
様々な自分がいたとしたら、自分がなりたい自分は①~④のどこに当てはまりそう?
「自分も他者もわからない自分なんているはずない」
そんな風に言う他人もいるけど
1年前の自分は今の自分を想像できているのかな。
ボクの周りには
「1年前の自分は今の自分を想像できていなかった」
という人がたくさんいる。
だとしたら
自分も他者も想像できない自分になれるんだと、ボクは思う。
自己理解できないよりは、自分を認識できている方が、きっと心地好いはず。
その心地好さをベーシックにして、よりナチュラルな自分でいられたら、何だか幸せそうな感じもする。
そしたら
少し欲張って自分の可能性を楽しんでもいいんじゃないかな。
たぶん
もうすでに、そんな歩みをされているんだよね。
うん。
それでも
自分らしさに悩む人もいる。
けど今の自分が自分らしいかどうかを決めるのは、たぶん1秒先の自分なんだと思う。
だとしたら
自分が期待する自分になろうとすることが、きっと自分らしさへの一歩なのかもしれないし、自分らしさのそのもののような気もしてきた。
だから
そのまま行こう。
自己理解の先へ先へ