ナイフで斬首するとは残忍で卑劣極まりない蛮行だ。
「人間のすることとはおもえない」との某大臣がコメントしたが、
どんな言葉をもってしても十分に糾弾出来そうにないほどの残虐非道さに怒りを覚えます。
だが、その凶行を「イスラム国が常軌を逸したテロ集団だから出来るんだ」
と帰着させるのには無理がある。
人間は宗教による洗脳理由以外にも、
殺人鬼となり得る恐ろしい生き物であるらしい。
ルワンダで、斧を振るって数十万人が虐殺されたのは10年程前だった。
殺人者は普通の人達であり、
それまで顔見知りの村人を所属民族が違うというだけで
レイプ、手足切断、斬首、、、悪鬼になったのだった。
我々日本人も同様で、悪鬼に変貌して来た歴史を持つ。
先の大戦で捕虜を日本刀で斬首したり、
槍で刺し殺したりした。
この2月5日は
長崎の西の丘にて26人のキリシタンが磔刑にされた記念日であった。
秀吉は、両耳と鼻を削げと命じたが
奉行の石田三成は片耳だけを削いで京都市中を引き回して見世物にした。
真冬の厳寒期に彼らを長崎まである歩かせた上で処刑。
その一行には、12歳、13歳の少年がいたという。
徳川期入って鎖国が完成すると
キリシタン迫害は組織的に、熾烈さを増していく。
雲仙の熱湯を生身の人間に注ぐとは、、、
これこそ人間の出来ることではなかろう。
日本人だけが常識を備えた、
平和と調和を重んじる民だと自惚れることは出来ない。
…………………………………………………
人権意識が広く行き渡っている現代に
イスラム国の非道さが驚愕をもって非難されている。
その信奉しているところのものは中世にあった価値観であるようだ。
欧州社会が幾たびの戦乱を超えて培ってきた原理
ー政教分離の原則ーこれが通用しないのである。
西欧型民主主義とイスラム原理主義との戦いとは、
現代型人権主義と中世にあった政教一致主義との
相克であると言えるのではなかろうか?
イスラム国に人質として捕縛されている邦人二人。
身代金の2億ドルの支払い期限72時間が、
刻一刻と過ぎ去ろうとしている。
これまでその身代金を政府が支払うべきかどうか議論が沸騰した。
自己責任でかの地へ行ったんだから…
人道上、命の値段には変えられない…
テロリストに援助することつながる…
避難民救済支援金の2億ドル拠出を保留すべきだ…
どの論ももっともであるだけに
簡単に結論が出て来るものではない。
ジャーナリストの後藤さんは私と同年代で
ご家庭には私の娘とどう年齢の娘さんがいらっしゃる。
決して他人事とは思えない。
ああ、本日何時手を休めて神に祈ったことだろう…
「彼らを救出させてください」
「テロリストたちが誤解と過ちに気がつきますように」
「救出活動に関わっている全ての人たちに知恵と判断力が与えられますように」
「主からの平安と守りとが今この時、与えられますように」
「福音を知らない湯川さんに永遠の希望の知らせが届きますように」
安部総理は
「テロには屈しない」
「人命救助を最優先する」
と言って奔走しておられる。
私もこのスタンスに賛成します。
両者はテロリストにとって両立できないもののように見えます。
が、神に不可能なことはないのです。
人事が尽きた時、私たちには天を見上げることしか出来ません。
カナダ・リッチモンドの交通取締官の仕事振りには恐れ入ってしまう。
駐車無料となる時間帯まであと1時間ほどあった。
駐車券販売のブースを探すが見当たらない。
仕方なく、1時間だから…、ということでそのままホテルへ。
(良く警告版を読めば許可証の必要な路上であって駐車券は販売していないはず)
その1時間以内に取締官のが来て反則キップを置いて行ってくださった(≧∇≦)
翌朝、駐車禁止時間帯を8分すぎた段階でさらにもう一枚の反則キップ(≧∇≦)
一夜にして2枚もの反則キップを頂戴する特権に授かってしまった。
この街の交通局の仕事熱心ぶりにはただ驚愕するばかりである。
怠惰な米国交通局の仕事振りに慣らされている身には痛いほどのお灸となった。
米国では午後5時を過ぎれば、
そして朝も9時にならなければ取締官も仕事を始めないとばかりに、
皆さん平気で駐車しているのに。
恐れ入り奉りました(*^◯^*)
早速、反則金をネットにて支払わせていただきます。
13歳で青春を奪われたままのめぐみさん
双子の弟と両親の5人家族です
北朝鮮による拉致被害者の調査報告がありました。
「報告」とは呼べないお粗末なもので、
何ら手掛かりになる情報のないまま「平壌で話がしたい」とのこと。
いつながらかの国の誠実さのカケラもない仕打ちに腹立たしかったり、
無力感を味わったり、、
横田めぐみさんは、1977年11月15日、新潟から忽然と姿を消しました。
当時、13歳で中学校1年生。
バトミントンの練習を終えての帰路、
海岸から船に乗せられて連れ去られてしまいました。
彼女は私と同じ年で今年50歳になります。
私は中学1年の時、どうしていただろう?
教科毎に代わる教師と教えられる事の目新しさに興味が尽きなかったり、
複数の小学校から寄せ集まった新顔の学友達に慣れるのに苦労したり、、、
思い出すにも苦労する遠い昔のあの時からずっと異国に暮らすめぐみさん。
人の半生をすっぽり搾取するだなんて、、、
その理不尽な仕打ちに言葉がない。
その消息だけでも正確に伝えて欲しい。
ISはシリア中部・ホムス県にあるガス田を襲撃し、このガス田の作業員およそ270名を集団処刑した。さらにその後、多数の民間人や政府系職員、治安部隊の隊員を集団処刑したとされる。
イスラム過激派組織 イスラム国(IS)の蛮行が報道されています。
イラク北部やシリアで独立国家宣言をして勢力を拡大、
一時期はバクダットに進行する勢いを見せました。
他宗派の人々にイスラムへの改宗を迫り、
従わない場合は斬首すると言う新聞報道に、
中世に「剣かコーランか」と迫った
イスラム教徒による領土征服の快進撃を思い出させます。
私は当初、それは限られた一部での極端な報道なのだろう、
と高をくくっていたのですが、
彼らの支配地域で組織的に横行している虐殺は、
目を覆うばかりの非常な現実であるのをあるサイトから知ることができました。
イラク第二の都市といわれるモスル。
旧約聖書に出てくる古代アッシリア帝国の首都ニネベのあった町とされ、
そこには古くからキリスト教徒の村落がありました。
過去形で書いたのはISが当地を征圧して以降、
おぞましい残虐行為によってキリスト教徒の共同体は破壊され、
クリスチャンは皆無となったからです。
http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/0/29091207.php
ISは町々を襲って組織的な虐殺を行っています。
あるサイトの映像を見たのですが、子供までもが斬首されています。
女性はレイプされた後に斬首され、
男性は首のない胴体だけが逆さまにされて足首から吊るされている写真です。
米国人ジャーナリストが処刑される直前のビデオがTVで報道されました。
その後、彼は生きたまま首をナイフで切断され、
その首は胴体に乗せられた動画もありました。
おぞましいこれらの動画や映像はリンクできません。
ある町では6歳くらいと思える女の子の首のない胴体が道路に放置されてました。
その子の父親がその首のない胴体を抱きかかえながら狂乱状態に陥っている様子、、、
これが21世紀の地上で行われている現実であると思えません。
彼らはイスラムに改宗するか、人頭税を支払うか、死ぬかの選択を迫り、
人々を文字通り虫けらのようにして虐殺していくのです。
イラクの少数派ヤジディ教徒は村を抜けて山岳地帯へ逃れました。
そこでは家屋も食料も水もなく、飢餓や脱水状態が蔓延しています。
力尽きた子供たちが岩地に死体となって寝かされている映像もありました。
米国が自国民保護と人道救援見地からイスラム国への空爆を行っていますが、
更なる介入を視野に入れるべきではないかと考えます。
オバマさんが、「米国は世界の警察官であることを止めた」と宣言して以来、
中東地域やアフリカでの蛮行は加速するばかりです。
そこでは、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した」
とある日本国憲法前文の前提は通用しません。
外国が平和を愛し、公正と信義を尊重する人々ばかりではないからです。
海に囲まれたアジアの極東ではイスラム国の非道な蛮行を耳目することだけで、
直接攻撃にさらされることはないでしょう。
それゆえに対岸の火事として終わらせてよいものなのでしょうか。
自国だけが平和で豊かさを享受できればよいとするスタンスから
一般国際社会とは異なる常識が生じ、
「平和ボケ」といわれてしまうのではないでしょうか。
憲法前文には次のような名文もあります。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
「思う」「確認する」が観念だけの作業でなく、
現に専制と隷従に苦しんでいる方々に届く具体的な行動指針を
考えなくてはならないのではないでしょうか。
今年、自衛隊は創設60年を迎えるのだそうだ。
7月に集団的自衛権が合憲であるとの解釈変更の閣議決定が成された。
そのような流れゆえだろう、
NHK特集で自衛隊の幹部候補生学校を取材していた。
入学式の際に校長が披露した一つの箴言が心に留まった。
「大いなる精神は
静かに忍耐する。」
ドイツ人哲学者シラーの言葉だそうだ。
これは同校OBである元陸上自衛隊幕僚長(陸上自衛隊トップ)の
宮澤氏から校長に贈られたものであるという。
その宮澤氏が自衛隊に入った1960年代は安保闘争の最中。
「国のために」という純粋な青年の志を挫くかのような冷たい視線が世間にはあった。
「税金ドロボウ」と罵られることもあった。
そのような理不尽にも堪えて志を全うするように、
と若かりし宮澤氏が教えられた言葉であったという。
今や、3・11の災害救助活動や海外での現地視点に合わせた復興援助に
高い評価を得ている自衛隊。
それでも、20代青年の清い志を砕くような理不尽さに遭うかもしれない。
その時に思い出して欲しい言葉として校長は訓辞した。
「幹部自衛官としての高い志、すなわち大いなる精神をもって
平和な時代に理不尽と思われる環境さえ適合するしたたかさを持つ
静かに忍耐することを望みます」
実に含蓄ある言葉である。
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ