記事検索

つれづれなるままに

https://jp.bloguru.com/hosanna
  • ハッシュタグ「#エッセイ」の検索結果54件

フリースペース

今晩の感謝リスト

スレッド
今晩の感謝リスト
現在も昨日のホテル1階にて。
感謝なことをお知らせします。

①昨夜と同じ席でPCを操作しだした。背後で奇声が聞こえる。ホールを挟んでカラオケ・バーがあって、ものすごい音量。1分しか耐えられないので、席を立ち、ロビーに引っ越す。ここでもWifiが繋がっていた。

②昨夜のウエイターは再び私に注文を聞かなかった。私のすぐ近くまで来たのに。でもロビーにレモネードが準備されていた。今それを飲んでいる。

③PCで時々日本語変換のバーが消えることがある。今回もそうなって、あわてた。
家内にTELして隠れたところにあったバーを見つけ出し、こうして日本語を打つことができる。ありがとう、かあちゃん。

④FaceTimeで家族と面会できた。今日は娘も顔を見せてくれた。サッカー・キャンプもまずまずとのこと。明日は中学校の入学オリエンテーションに行くのだそうだ。

⑤この秋のイスラエル旅行のガイドさんからの連絡が入り、込んだ時期なので苦戦中だが、エルサレムにてユニークなホテルを確保できそうだとのこと。

⑥義父が今日、誕生日を迎えたこと。今年もこの日を迎えられるのは不思議なくらい。来年は微妙。

⑦「さて今日はブログに何を書こうか」と10分前は悩んでいたが、書き始めてみると、その悩みが解消されたこと。
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

ワオ!と言っているユーザー

幸せの一時

スレッド
幸せの一時
あるホテルのラウンジでピコピコとPCのキーをたたいています。
私の周囲は、お酒を飲みながら楽しそうにおしゃべりに興じている宿泊客にかこまれてます。
少し離れたカウンターバーの向こうには、大きなTVスクリーンがスポーツ中継をしています。

ラウンジの隅に陣とって、PCを設置しているとき、ウエイターが尋ねてきました。
「何の飲み物にしますか?」
私は遠慮しながら答えました。
「グラスに水を一杯くださいますか」
彼は「OK」と快活に答えながら仕事を続けます。

5分経過。
10分経過。

水では何も請求できないのだから、無視されても仕方ないかなあ。
それにしてものども渇いたので、ジムにある給水機まで行こうかな。

そんな風に考えていたとき、バーの向こうから声がしてました。
「ああっ、すっかり忘れてました。今水をお持ちしますね。」
「すみませんでした。どうぞ」
そういって、ワイングラスに氷入りの水を私のテーブルに届けてくれたのです。

ああ、おいしい。
ああ、しあわせ。

昨夜、このホテルにチュックインしたのは、夜中も2時を過ぎていました。
ヒコーキの離陸が2時間以上も送れたためです。
こんなどうでもいいことに時間を使うより、早く自室に入り、ベットに入るべきだったでしょうか?
こんなどうでもいいことに皆様の大切な時間をうばってしまったでしょうか。
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

ワオ!と言っているユーザー

タコマ家庭集会

スレッド
 先ほどタコマにあるM姉宅のキリスト教家庭集会から帰りました。

 本日は10名ほどの方々が集われておられました。
その中に87歳になられるHさんとははじめてお会いしました。
彼女はこの11月のイスラエル旅行に参加を表明されています。
申込金を受け取ってきました。私がこれまでに出会った87歳でもっとも元気なお方です。
来年、私たち家族で富士山に登頂する計画を話すと、「ぜひとも私を連れて行ってください」ですって。

 お年を召された方々の多い集会なのですが、そのHさんを始め皆さん気合の入った方ばかりで私のほうが元気をいただいています。

 賛美歌を歌い、聖書の話をさせていただいた後、持ち寄っての夕食会。とても充実したときを過ごさせていただいています。

そのときの聖書の話の要約を次のページに投稿してあります。
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

ワオ!と言っているユーザー

ヨハネの福音書3章1~16節

スレッド
聖書箇所:ヨハネの福音書 3章1~16節

説教題:「神の国へのパスポート」

Ⅰ.「神の国」に入るためにはどうしたらよいのだろう?

 ニコデモは主イエスがメシアであることを認め、謙虚にも夜尋ねてきたが、心中にある大懸念を告白すべきかどうか迷っていたであろう。挨拶と賛辞を主に述べた(2)後、彼の聞きたい主題に単刀直入に切り込まれる主(3)。
 ユダヤ人としての文脈の中では、アブラハムの子孫として生まれた彼らはすでに神の国が約束されていると教えられていたが(彼自らで教えていたであろう)、納得できないものを感じていた。
彼は経験、地位、学識豊かな人格者でありながら、達成できていない一つがあった。それが神の国に入る道だった。

Ⅱ.「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3)

 これが主の返答。すぐさまニコデモは、「人は老年になっていて、どのようにして生まれることができるのか」と反問する。当時のユダヤ文化では「新しく生まれ変わる」とされる転機がいくつも人生にあると考えられていた。
 ①ユダヤ教への改宗、
 ②王としての戴冠式、
 ③13歳の成人式、
 ④20歳前後の結婚式、
 ⑤30歳前後のラビ就任、
 ⑥50歳前後の神学校校長へ就任。
 戴冠式以外、すでに彼はこれらすべてのプロセスを通ってきた。10節にある定冠詞つき「教師」はラビたちのためのラビを意味する。つまり神学校の校長まで上り詰めたんだ。
困惑する彼に主イエスは、聖霊による新生こそが、神の国に入るための転機であることを告げる。
 水と御霊によって生まれるとは(5)、肉体的誕生(羊水にくるまれて人は胎内から生まれる)と霊的な誕生(神の霊による新創造)を意味している。風と御霊(8)~その神秘性と実在性について教えている。

Ⅲ.そのために神がなされたこと。 

 なぞを深めていくニコデモ(9)。人は人文科学で神に至ることも、真理を見極めることもできない。天に上ったものは未だかつていないのだから(13)。啓示されなくては知りえない真理(11)であるのだから。
 旧約聖書の故事からされに教えを進められる主。荒野での青銅の蛇(民数記21章)を竿に掲げたモーセ。ここで 「蛇」とはサタン(悪魔)であり、その死の毒からいやされた方法はただ高く掲げられたその竿の青銅の蛇を仰ぎ見ることであった。
これは十字架に上げられたメシア(イエス)をあらわしている。「人の子」(メシア称号)が十字架に上げれたとき(14)、それは神から見放され、罪そのものとなられた。私たちの罪とその死の毒を身におって死なれたのだ。それゆえ神の側で私たちの新生のための準備はすでに完了している。人がなすべきことは、「信仰」である(16)。
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
ハッピー
悲しい
びっくり