子供って時に鋭いコメントをくれます
さて、
数日前喪失感にうなだれている私を見て長男がヒントをくれました。
長男が私に伝授してくれた元気を取り戻す名案とは、
「そんなに多く書かなければいいじゃん」
そっ、そうか!
その手があったんだ!
これまでなぜ旅行中にもかかわらずにブログを気にしていたんだろう?
その時間を捻出するために目の色を変えたこともあった。
家族の皆がパッキングを終えて部屋を出る時も、
まだ私はPCを前にしてピコピコとキーボードを叩いてたことが何度も。
「いったい、貴方のブログ何て誰が気にしてるのよ」
「私たちよりも、アレの方が大事なんだわ」
こんな事を言われながらも、ピコピコを止めなかったんです。
27名のメルマガ購読者様のために!
1日にすると平均10名ほどのブログ読者様のために!
使命感を持って書き続け、報告して、分かってもらって、、、
だいぶ、、使命意識をしょってしまったみたい、、、
「そんなに多く書かなければいいじゃん」
長男の一言は
私に開眼を与えました。
目の前にいる家族を愛せないで、
世界の裏側におられる名も知らない人を愛せるだろうか?
目に見える現実のことの方が優先されるべきでなかったか!?
、、、と言うわけで、皆さん。
ここに私は所信表明させていただきます。
私は読者の皆様よりも家族を愛していきます!
家族の必要に応えるためでしたなら、たといブログが日刊にならずとも、
短かくとも、
陳腐であったとしても(もとより陳腐でした(^O^)、
屁にも思わないとにします!
と言うわけで、
大したこともないエントリーとなる(元々そうだ)言い訳で、
今日の記事が書けてしまいました。
「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(聖書)
目の前にいる人よりも、
見えない全世界の人を愛する方が易しい。
聖書は実に現実味あるチャレンジをしている。
Zion 国立公園内にて
Zion 国立公園の族長たちの広場
左からアブラハム、イサク、ヤコブと名づけられた山々です
Zion(シオン)とは、エルサレムの雅名。
19世紀の後半に、ここに移住した開拓者たちは
切り立った岩の断崖絶壁を見て、イスラエルを彷彿とさせられそう名付けました。
昨年、ヨルダンとイスラエルの聖地旅行へ行ってきましたが、
ヨルダン渓谷南部で見た巨石の断崖は、
ここZionにあるのと確かに変わらないほどそっくり。
その有名な例は、ペトラ遺跡。
モーセとイスラエルの民はシナイ半島からヨルダン渓谷の東側(ヨルダン領地)を通って約束の国へ入りました。
私たちの聖地旅行はその逆コースを進んだのですが、
そのとき、バスはヨルダン渓谷を3時間以上もかけて「王の道」を通り抜けました。
天を切り裂く断崖が見渡す限り続いている威容は
確かにこのZionと変わりません。
Zion公園内にあるWeeping Rock
この車で荒野の道を進んで、秘境のロッククライミングへ
この数日間、厳しい喪失体験をしました。
一つは、作成したメルマガ&ブログ文書の二日分を失ったことです。
久々に気合をいれた2時間ほどのエントリーでした。
Zionにて、その開拓者から現在の国立公園に至る経緯を書いた記事と
そこでロッククライミングや乗馬をした記事でした。
かなりのまとまった時間をかけたものでしたので、落胆も大きかったです。
通常は保存せずともPCに自動保存されるはずですが、移動中にバッテリーがなくなりシャットダウンしたためか、どこにも見出すことができません。
さらに昨日はカメラを失いました。
カヤックをした後デッキに上がる時、ジャケットの下に忍ばせておいたデジカメがずて落ちて、カヤックの上に落下したかと思うと、そのまま湖の中へドボン。
そのカメラにはその日に行ったAntelopeの7色に変わる岩肌や、千メートルの断崖絶壁のHorseshoeで撮った百枚を超える写真が納められていました。
「網で救えないかしら?」
「潜って取りに行ったら?」
心無い言葉を家族から浴びせられてシドロモドロ のワタシ( ̄▽ ̄)
オフィスへ行って聞いてみると
水深は最低でも400フィートあるとのこと。
100m以上も潜れるはずもなく、キッパリと諦める他にありません。
翌日の朝、これら悲劇がフラッシュバックして来たとき、
私は頭を抱えてうなだれていたのです。
そこへシャワーを終えた長男がやって来て聞きました。
「ダディ、どうしたの?」
理由を話すと、彼には名案があるようで、
目を光らせて語ってくれました。
続きは近日中に。
ナンバープレイとのない車に乗せられました
春旅行・第1日。
初めてのラスベガス空港へ。
シアトルからの飛行時間は2時間20分。
機内の右側(太平洋側)に沈む落日の刻々と変わるグラディエイションが、
創造の神の美的センスを語っています。
ラスベガス空港で驚いたのは、
搭乗ターミナルにまでスロットマシーンの大群が置かれていたこと。
さすが、ギャンブルの国・ネバダ州。
運にかけた金銭欲をそこまで刺激したいのか?!
面白いと思ったルールは、そのマシーンが利用できるのは21歳以上、
しかもそれ以下の年齢者はマシンからの10フィートほどの接近禁止区域があるとのこと。
空港からレンタカーを利用するのですが、
これまた面白いことに、車の前後にナンバープレートがない。
???
まだ1マイルも走っていない新品の車を貸してもらえたことはいいが、
これでいいのか???
心配してオフィスに聞いてみると、その州では新車のプレートが届くまでの短期間、
プレートなしでも許可されるんですって。
米国では、州をまたぐと交通規則まで変わります。
私たちが作った規則は、最善だとその時点で確信しても
完全なものはない。
すべて人の作るルールは相対的なもので、それを知った上で尊重・遵守する。
そして時代と地域ゆえの不調和が認められたなら、恐れずに修正する。
そんな感覚を50州に生きる人たちは交通ルールから肌で学んでいるのではないか。
日本の安倍政権が憲法改正を目指しているところから浮かんで来た随想でした。
本ブログにアクセスしなくても、皆様のメールアドレスに配信します。
メルマガ「アメリカの国から」
ご登録はこちらから http://www.mag2.com/m/0001598558.html
海の向こうにはレニア山が見えます
せっかく晴れたこの日、
室内でゲームばかりではもったいないと、
渋る子供たちのお尻をはたくようにしてハイキングに行きました。
シアトル市内のマグノリアの住宅地を通り抜けた
公園の駐車場から歩くこと20分ほど。
静かに波が洗う海岸線まで、
急な斜面を下るのが最終段階。
幅の狭いビーチが縦長に伸びて、
先端の灯台にまでつながっています。
私には今回が初めてとなる秘境世界。
すでに当地滞在15年以上にもなるのに、
まだまだ未踏破の所がたくさんあります。
今後もこのコラムで少しずつ紹介て行きます。
「先日、コラムの主眼が国際人どうの、
教養がどうのと言ってたのに
どういうカンケーがあるの?」
ハーイ、大いにあるのです。
日米文化比較などの高尚な?テーマを扱うには、
リラックスできる場所、気分転換する機会が必要です(^o^)
しかもお金をかけずに、身近に出来ることを活用するのがミソなんです。
この点、まだまだ我々日本人は米国人に及びません。
つまり、遊び方が下手です。
われわれはそもそも、「遊び」と聞いただけで
罪悪感を抱いてしまいます。
そこで私が先駆者となって
日本人でも楽しんでいる
遊びの数々を発信して行きます。
コレって、手前味噌かしらん(^O^)
英語名はPondですが、湖としたほうが日本語にはふさわしい大きさです。水が顔を出している部分は全体の半分ほどです。
この平たい部分は氷結した湖面。そこを歩いている人も見かけましたが、危険すぎます。度胸試しでなく、あほさ試しに過ぎません。
I 90高速 を東へ走り15分ほどするとFall Cityです。
すると、晴れ間が顔を出してきました。
さらに5分も走れば見渡す限りに青空が広がり、別世界に来た趣です。
ベルヴューでは重たい霧と雲に閉ざされ、お日様を見ることのない日々が続いてましたので。
ピュジェットサウンドの海が、この濃霧を発生させています。
海洋性と内陸性の気候の境界線が、どうやらFall City辺りにあるらしい。
ちなみに、S.F.ベイエリアではこの境界線がMt. Diabloとなってます。このベイエリアの地中海性気候。
そのMt. Diabloのトンネルを抜けると見事な別世界、濃霧から快晴を経験できるのが楽しいです。
さらに車は東へ進み、目的地のGold Creek Pond までは20分ほど。
駐車場から1-2マイル歩くとその湖が姿を現します。
スノーシューイングをしながら、その湖畔を一周しました。
湖の半分ほどは表面が氷結しています。
氷結した湖面に積雪があるのですが、子供たちがその上を歩こうとするのを止めるのに苦労しました。
昨日、家内は子供をシアトルの博物館に連れて行きましたが、私はして彼らをどこに連れて行くことができるだろうか、と考えました。
今晩夕食後、彼らを近所にあるコミュニティーセンターの体育館に連れ出したのです。シアトルはこのところ、雨雨雨が続いています。冬休みとなり、学校のない子供たちが家の中でゲームや映画を見てばかりでは、体がなまってしまいます。
そこで広い体育館の中で家族サッカーやバスケットしました。
ここのコミュニティセンターでは、わずかの料金で誰もが利用することができます。なのに、これだけの大きな街であるにもかかわらず、利用者は私達家族だけでした。
博物館などの芸術アプローチが子供たちにできなくても、体育なら任せてください。そんな自負を抱きながら走り回ったのですが、数分で息が切れてどうもなりません。出っ張った腹を撫でながら、それが恨めしくてなりません。
「これさえなければ、まだまだ子供などに負けないのに(^^)」
この時、重大決意をしました。
今後ご飯の御代わりをせず、一膳だけとします。
弟に出来た減量が私にできないはずがない(^ω^
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ