大河ドラマ「花 燃ゆ」が今日からスタートした。
舞台は幕末。
しかも明治維新を推進した長州の吉田松陰の妹、文がヒロインと聞いては血が騒いだ。
性懲りも無く、知ったかぶりでの批評を続けることになると思う。
第一回目のヤマ場は
藩校、明倫館での「学ぶ」意義についての議論。
幕府が禁書としている外国事情を著した本を密かに持ち込み、
西洋についてのあらゆることに興味を抱く青年たち。
長州の兵学者・吉田松陰と儒学者の小田村伊之助が初対面し
己の考えを塾生や先達者たちにトウトウと披露する場面。
現実路線よりも理想に燃える書生らしく、
その言い分は双方とも青臭くて仕方が無い。
今の時代にそんなことを言い出すものなら、
KYのレッテルを貼られるのがオチであろう。
逆にいうと、
このような切れ味のする真面目な議論が聞ける場が今の世代にないということか…
以下はドラマでの明倫館での一場面である。
(吉田松陰が塾生に問いかける)
「皆に問いたい。
「人はなぜ学ぶのか?」
…私はこう考えます。
学ぶのは、
知識を得るためでも、
職を得るためでも、
出世のためでもない。
人にものを教えるためでも、
人から尊敬されるためでもない。
己のためじゃ。
己を磨くために人は学ぶんじゃ。」
(後方で聞いていた小田村伊之助が発言する)
「恐れながら……
その本は私が持っていたものでございます。
江戸にて禁書と知りながら手に入れました。
…この本は、島国である日本国が何をなすべきかを教えてくれています。
禁書だからと言う理由だけで中身を読まず葬ろうというのは、
学ぶべき者の正しい姿ではありません。
人はなぜ学ぶのか……
お役につくためでも、
与えられた役割を果たすためでもない。
仮初めの安泰に満足して、
身の程をわきまえ、
無知で、
世間知らずで、
何の役にも立たぬ己のまま生きるなど
ごめんです。
なぜ学ぶのか…
この世の中のために、
己がすべきことを知るために学ぶのです。
私はこの長州を、
日本国を守りたい。
己を磨き、
この国の役に立ちたい。
そのために学びたい。
まだまだ学びたい。」
……今後のドラマの展開が楽しみです………
正月特集で見たTV番組はブラジルへの移民の歴史を取り上げていた。
辛苦の農業開拓時代、叶えられない帰国の望み、日本敗戦を受諾するかどうかで二つに別れた日系社会、日本文化を継承していく日系人たち………
およそ「苦労」と一言で済まされない苦難の連続のドラマが
各移民家庭にあったことを知らされた。
そんな中で生粋のブラジル人が日本語に興味を持ち、
帰国した日本語学校の経営者に代わり若干25歳ながら日本語教師をしている青年男性も紹介。
彼がその日本語の先生から学んだことは
「絶対忘れません」と確信をもって披露してくれた事がなぜか印象に残っている。
「青いクマ」の頭文字でまとめられた教え。
あ…あせるな
お…おそれるな
い…いばるな
く…くさるな
ま…まけるな
家族皆でこの日に封切りとなった映画、Unbroken を観て来ました。
第二次世界大戦時の実話に基ずくノンフィクションで、
主人公のLouisが書いた500ページほどの自叙伝を
妻が2年ほど前に読んでいることから、私も注視していました。
簡単なストーリーとして、
Louis はベルリンオリンピックの中距離トラック選手であったが
太平洋戦争に召集され、洋上を哨戒中に攻撃を受けて墜落してしまう。
生き残った3名はゴムボートで洋上を2ヶ月間ほど漂流。
その間、サメに襲われたり、日本軍から射撃されるが、
やがて日本艦艇に収容。
その後、大森や直江津の捕虜収容所での過酷極まる拷問や辱めを受ける。
映画ではその場面がメインな見せ場となり、
彼がその苦難をどう耐えていくかにフォーカスされていた。
日本が降伏し、捕虜たちが歓喜するシーンで映画は終わる。
その後、エンディングのナレーションとともに、
80歳を超えたLouisが長野オリンピックの聖火ランナーとして
長野市内を市民に歓迎されて走るところが映し出され、
日米両国の和睦親善に貢献したことが紹介。
そして今年、彼は死去………
館内は割れんばかりの拍手が沸き起こった。
数週前に観たExodusが4人の観衆しかいなかったのに対して、
この映画は、95%以上の満席。
それに相応しいものであったと私も思いました。
…………………………………………
自叙伝との相違が何かあったかを妻に聞いてみると、
彼女が最も感動した場面が抜け落ちていたという。
戦後、彼は悲惨な戦争体験からの後遺症ゆえか、
アルコール依存症となり、結婚後もその鬱状態から立ち直れないでいた。
ビリーグラハムのロスアンゼルス・クルセードを
妻に勧められるが断り続けた。
が、あまりの執拗さに行って見ると、
妻がそこに見当たらないことをいいことに会場を去ろうと立ち上がる…………
その瞬間を壇上のグラハムは見逃さなかった。
「Louis、あなたがかつてした約束を忘れてしまったのか?」
グラハムのその言葉に電気が全身を走り抜けたような衝撃を受ける。
飢えと渇きに瀕していたあの太平洋上で彼はつぶやいていたのだった。
「神様。もし私をこの苦しみから救い出してくれるのなら、
残りの生涯をあなたに捧げます」
〜この場面は映画にもハッキリと出てきます〜
彼は席に戻る。
そして翌日、再来のクルセードにて
主イエスを救い主として信じ受けいれる決心に導かれるのだった。
彼は赦しの福音を携え、
憎しみから解き放されたことを知らせるために日本を訪問する。
彼を目の敵にして悪行の限りを尽くした当時の軍曹にも合うべく訪問するが、
その軍曹は再開を拒否したという。
……………………………………………
Louisが絶望的な漂流に耐え、
屈辱極まる捕虜生活にも忍んだのは賞賛に値する。
オリンピック5000m競争での最後のトラック1周は、
長い間世界記録だったという。
不屈の精神のヒーローとして彼は確かに飛び抜けている。
だが、彼がサヴァイヴ出来たのは個人の資質によるだけでなく、
いわゆる偶然が重なったのも確かなところであろう。
いわば奇跡の連続によって
彼は生き延びることができたと言える。
しかし忘れてならないそれ以上の奇跡がある…
その点こそが映画の扱わなかったところであり、
妻が最も感動した場面であったのだが……
それは主イエスと出会い、憎しみや復讐心から解放され、
和解と赦しの使者として日本訪問を実行に移すほどに
彼自身が変えられたことである。
これこそ、誰も成し得ることの出来ようはずのない奇跡…
どんなに金を積まれても、どんな権力者から強要されてもあり得ないことをやってのけた奇跡であると言えないでしょうか。
大河ドラマの官兵衛がこの日で最終回。
関ヶ原の戦いで大勝した家康が天下を乗っ取り、
江戸の幕府を開いて
さらに大坂の陣で豊臣の息の根を止めるストーリーが
サラッと流された。
大河ドラマの最終回はどの作品も面白くない。
史実まで曲げることはできないので、
脚色にも限界があり、袋小路の展開に成らざるを得ないためでしょうか?
天下を夢見た官兵衛…その夢の続きを見て見たかった。
関ヶ原で勝利した家康が長政の右手を取って謝意を述べたと、
父に告げる有名な場面がドラマにも取り上げられていた。
「そのとき、お前のもう一方の手は何をしておったのじゃ」
…やんわりと息子に告げる官兵衛。
その一方の手で家康を亡き者とした後で
九州を平らげた官兵衛の天下を作って欲しかった。
この日はいつになく疲れていて、
夜10時から始まるNHK・黒田官兵衛を見ることなく就寝。
ビデオに録画されていたと思っていたが
翌日になってそうでないことを知って、ショックを受ける。
関ヶ原の戦いは始まったのだろうか?
黒田家の命運を決する戦いであり、官兵衛が天下を狙う最後のチャンス。
これまで付き合って来た官兵衛さんを応援できないとは、寂しい限り。
インターネットで視聴出来る方法があるのかな?
昭和の銀幕の大スター、高倉健が召された。
個人的には「幸せの黄色いハンカチ」で見た彼が
私の映画上での最初で最後のときであったと記憶している。
任侠ものから一般的な映画世界に方向転換した際の代表作が
「八甲田山」であるとされる。
映画史上最も過酷なロケであったと言われている。
厳冬の吹雪の中を、数時間連続のロケが敢行され
意識が飛んでしまう人も起こされたとか。。
高倉健は、耐えに耐え続けて、その吹雪の最中にも姿勢を崩さず、
その圧倒的な存在感が他の俳優の模範となり、励みにもなったという。
「健さん、あなたはどうしてそんなに強いのか」
ロケが終了してくつろいだ酒場で監督が聞いた。
その時の高倉健の応えがまた良い。
「生きるのに必死だからですよ。」
関ヶ原開戦への乱取りとなった昨夜の官兵衛。
家康の犬となって忠誠を誓う息子の長政。
秀吉子飼いだった福島正則までも籠絡して、家康の味方に付けてしまう。
一方の官兵衛は独自に九州平定をやり遂げた上で西に進み、
東西陣営の戦乱に乗じて天下を狙う構想。
残念でならないのは官兵衛の思惑に反して、東西決戦がたったの1日で決せられてしまい、家康の勝利が確定してしまって、官兵衛の出る幕が閉ざされてしまったこと。
西軍有利での膠着状態を反転させたのは、
それまでどちらにつくか決めかねていた小早川秀秋の裏切りにあった。
家康からの射撃を受けて恐れをなした優柔不断の秀秋は
全軍に司令を発して山を駆け下り、友軍のはずの西軍に斬り込んで行く。
それで戦況は決せられてしまった。
もしその裏切りさえなければ……
歴史に「もし」は許されないとされるが、
こんな想像もあって良いはず…
西軍に押された家康は、兵を引かざるを得ない。
両軍の睨み合いや膠着状態の中で、戦は長引き、兵は士気を失って行く。
その後、西から進軍した官兵衛が京を抑え、秀頼を擁立して
天下を獲るチャンスは十分あったと考えられる。
陰鬱な家康の作る江戸政権よりも、
官兵衛の理知に富み、オープンな性格が作り上げる政権がこの時出来上がっていたら…
我々日本人の性格が今よりも大きく異なっていたように思えてならない。
「日本を造った」関ヶ原の勝敗が、
決断能力のない精神薄弱者の秀秋の気まぐれな一存に依っているとは、
歴史の機敏というものだろうか?
久方ぶりに見た官兵衛は、時代が進み、
秀吉が死去して関ヶ原前夜となっていた。
徳川を立てて結束しようと躍起となる息子の長政。
家康は思惑通りに二分した豊臣家の武断派を籠絡してしまう。
尾張出身の長政、加藤清正、福島らがねね様中心に結束するのは、
石田三成ら近江出身の官僚らに対抗するため。
尾張派の三成への個人的な憎悪が、
徳川に見事に手のひらに乗せられ利用させられた。
そのカラクリを透徹した目で見抜いていた官兵衛。
「わしは、わしの道を行く」…側近にそう告げた時の官兵衛の目は将来を見つめ輝いていた。この時の岡田さんは、骨の髄まで官兵衛になり切っていた。
徳川でもなく、石田派にでもなく、自ら天下を目指す官兵衛。
その父親の夢と気概、戦略を解せない息子の長政がもどかしい。
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