日和見者に委ねられてしまった日本
11月
30日
関ヶ原開戦への乱取りとなった昨夜の官兵衛。
家康の犬となって忠誠を誓う息子の長政。
秀吉子飼いだった福島正則までも籠絡して、家康の味方に付けてしまう。
一方の官兵衛は独自に九州平定をやり遂げた上で西に進み、
東西陣営の戦乱に乗じて天下を狙う構想。
残念でならないのは官兵衛の思惑に反して、東西決戦がたったの1日で決せられてしまい、家康の勝利が確定してしまって、官兵衛の出る幕が閉ざされてしまったこと。
西軍有利での膠着状態を反転させたのは、
それまでどちらにつくか決めかねていた小早川秀秋の裏切りにあった。
家康からの射撃を受けて恐れをなした優柔不断の秀秋は
全軍に司令を発して山を駆け下り、友軍のはずの西軍に斬り込んで行く。
それで戦況は決せられてしまった。
もしその裏切りさえなければ……
歴史に「もし」は許されないとされるが、
こんな想像もあって良いはず…
西軍に押された家康は、兵を引かざるを得ない。
両軍の睨み合いや膠着状態の中で、戦は長引き、兵は士気を失って行く。
その後、西から進軍した官兵衛が京を抑え、秀頼を擁立して
天下を獲るチャンスは十分あったと考えられる。
陰鬱な家康の作る江戸政権よりも、
官兵衛の理知に富み、オープンな性格が作り上げる政権がこの時出来上がっていたら…
我々日本人の性格が今よりも大きく異なっていたように思えてならない。
「日本を造った」関ヶ原の勝敗が、
決断能力のない精神薄弱者の秀秋の気まぐれな一存に依っているとは、
歴史の機敏というものだろうか?