パウロは、冒頭第一声、
12:9愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。Love must be without hypocrisy. Abhor what is evil, cling to what is good. と言っています。
今日の箇所全体のテーマが、「愛」となっています。「愛するということはどういうことだろうか。」ということを皆さんで考えてみたいと思います。どうぞ、黙想しながら一緒に聖書を開いてみましょう。
★ アガペーの愛 Love of Agape
12:9愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。. 9 Love must be without hypocrisy. Abhor what is evil, cling to what is goodパウロは、キリストの身体の第一は、アガペーの愛。すなわち、神の愛、一方通行の見返りを求めない愛。キリストの愛。となっています。キリストの身体の愛というのは、混じりけのない、偽善と偽りのない愛、であるのだというのです。そもそも、キリストがご自分の全身全霊をかけて十字架の死を経験されたから、救いがもたらされ教会ができたのです。私たちは、キリストの混じりけのない愛の産物であるからです。
このロマ書12:2 のrenewing your mind のユアは、ギリシャ語では、二人称のあなたではなく、あなた方すべての考えという風になっています。どういうことでしょうか。そして、その後、すぐに、一人ひとりはキリストの身体の一員であるということが書かれています。誰でもキリストを信じる者は、一つの身体であり、一つの共同体に属するものとなっているのです。さて、一人ひとりが存分にその賜物らしく発揮するには、まず、その考えが刷新されないといけない、そして謙遜さだというのです。
★ The first community 世界ではじめの共同体
私たちは、共同体の中で生きるようにデザインされています。私たちを造られた神も三位一体の神であり、共同体の神であります。神は、われわれを神の似姿に、女と男に造られました。男女で共同体として神のイメージです。 人間が堕落する前は、その神と人間のコミュニティに、親密さがあり、connectedness, openness, joy, no hidden message, everything was in the light. There is freedom, excitement. Creativity がありました。
創世記Gen 2:25 The man and his wife were both naked, but they were not ashamed. アダムとエバは裸であったが恥ずかしくなかった (no shame in nakedness, vulnerability) と書かれてあります。裸という最もボルナボルな状態でありなが、そこに恥がなかったのです。
ロマ12:1,2
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。I beseech you therefore, brethren, by the mercies of God, that you present your bodies a living sacrifice, holy, acceptable to God, which is your reasonable service. 2 And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.
ローマ12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 2 And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.
① 頭につながることの土台として
パウロは、三節以降からキリストの身体としてどうあるべきかと語りだしますが、キリストの身体であるまず第一の基盤として、この二節があるわけです。
◎ この世と調子を合わせてはいけません
この意味は、現代的な文化的なことをしてはいけないということではありません。テレビを持つなとも、車を持つなということでもないです。to conform one's self (i.e. one's mind and character) to another's pattern.
この世の考え方、性質、心の問題です、心の中が感化されないようにと注意をしています。
① 根が聖ければ、枝も聖いv16 if the root is holy, so are the branches
アブラハムはじめ、信仰の父たち、偉人たちの故に、ユダヤ人は神様に愛されている。目をかけられている。私たちも、たとえ家族にクリスチャンが一人であったとしても、あなたのキリストにある聖さは、家系、世代にわたる祝福であることを覚えていてください。呪いは四代、祝福は千代です!
② 根が枝を支えているのだから、誇ってはならないv18 if you do boast, remember that you do not support the root, but the root supports you.
この初めの信仰の偉人たちが信仰を届けたからこその、今のキリスト者たちなのだから、信じないユダヤ人を見て、自分を誇ってはいけない。それでも、なお、私たちは継れたものであり、土台は、起源はユダヤ人たちだからです。
③ 神は台木の枝を惜しんだ。イスラエルについて心を痛めている。V21 For if God did not spare the natural branches, He may not spare you either.
神は、イスラエルについて心を痛めている。
④ 不信仰が無ければ、枝はもう一度容易に継がれる v23 if they do not continue in unbelief, will be grafted in, for God is able to graft them in again.
信仰さえあれば、心の確信さえあれば、イスラエル、ユダヤ人たちは、容易に接ぎ木される、元の木に戻ることができる。
⑤ 野生種を栽培種に接ぎ木するのは本来は難しいが、神にはおできになること。V24 how much more will these, who are natural branches, be grafted into their own olive tree?
ローマ9:1-3
私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。2 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。I tell the truth in Christ, I am not lying, my conscience also bearing me witness in the Holy Spirit, 2 that I have great sorrow and continual grief in my heart. 3 For I could wish that I myself were accursed from Christ for my brethren, my countrymen according to the flesh,
○エンパシー共感について
sympathy = syn (共に) + pathos (苦しみ) [感情共鳴]
empathy = en (内部へ)+ pathos (苦しみ) [感情移入]
ロマ9:6-7
しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、7 アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」のだからです。
But it is not that the word of God has taken no effect. For they are not all Israel who are of Israel, 7 nor are they all children because they are the seed of Abraham; but, “In Isaac your seed shall be called.”
ロマ9:16-17
したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。17 聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである。」と言っています。So then it is not of him who wills, nor of him who runs, but of God who shows mercy. 17 For the Scripture says to the Pharaoh, “For this very purpose I have raised you up, that I may show My power in you, and that My name may be declared in all the earth.”
ロマ9:24
神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。
23 and that He might make known the riches of His glory on the vessels of mercy, which He had prepared beforehand for glory, 24 even us whom He called, not of the Jews only, but also of the Gentiles?
神様は、選びの民イスラエルを差し置いて、律法も礼拝も知らないような、今や、私たちのような遠い国の民族に届いてくださって。こんな私を憐れみの器として召してくださったのです。
ロマ 9:31-33
しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。32 なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。33 それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」but Israel, pursuing the law of righteousness, has not attained to the law of righteousness. 32 Why? Because they did not seek it by faith, but as it were, by the works of the law. For they stumbled at that stumbling stone. 33 As it is written: “Behold, I lay in Zion a stumbling stone and rock of offense, And whoever believes on Him will not be put to shame.”
ロマ8:1-2
1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。There is therefore now no condemnation to those who are in Christ Jesus, who do not walk according to the flesh, but according to the Spirit. 2 For the law of the Spirit of life in Christ Jesus has made me free from the law of sin and death.
ロマ8:8-9
8 肉にある者は神を喜ばせることができません。9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。So then, those who are in the flesh cannot please God. 9 But you are not in the flesh but in the Spirit, if indeed the Spirit of God dwells in you. Now if anyone does not have the Spirit of Christ, he is not His.
ロマ8:14-16
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。 For as many as are led by the Spirit of God, these are sons of God. 15 For you did not receive the spirit of bondage again to fear, but you received the Spirit of adoption by whom we cry out, “Abba, Father.” 16 The Spirit Himself bears witness with our spirit that we are children of God,
ロマ8:18-19
18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。 For I consider that the sufferings of this present time are not worthy to be compared with the glory which shall be revealed in us. 19 For the earnest expectation of the creation eagerly waits for the revealing of the sons of God.
ロマ8:26-27
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。Likewise the Spirit also helps in our weaknesses. For we do not know what we should pray for as we ought, but the Spirit Himself makes intercession for us[b] with groanings which cannot be uttered. 27 Now He who searches the hearts knows what the mind of the Spirit is, because He makes intercession for the saints according to the will of God.
ロマ8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。And we know that all things work together for good to those who love God, to those who are the called according to His purpose
また、誰も御霊の中にあるならば、誰も私たちに敵対できるものはいないとあります。
○誰も敵対できない
ロマ8:31
では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。What then shall we say to these things? If God is for us, who can be against us?
ロマ8: 32
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。He who did not spare His own Son, but delivered Him up for us all, how shall He not with Him also freely give us all things?
○神の愛から離すものは何もない
ロマ8:37-39 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。37 Yet in all these things we are more than conquerors through Him who loved us. 38 For I am persuaded that neither death nor life, nor angels nor principalities nor powers, nor things present nor things to come, 39 nor height nor depth, nor any other created thing, shall be able to separate us from the love of God which is in Christ Jesus our Lord.
V1-2 1それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。2 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。What shall we say then? Shall we continue in sin that grace may abound? 2 Certainly not! How shall we who died to sin live any longer in it?
「馬鹿は死ななきゃ治らない」ということわざが日本にありますが。英語では、the only cure for a fool is death; once a fool, always a food と言えますが。罪を犯す性質というのは、人間が生きている限り無くなることはないのです。それこそ、死ななきゃ治らないものであります。
Eric’s Story of Speaking in Tongues. エリックの体験談
Holy Spirit gives us the ability to speak in other tongues:
聖霊様が私たちに異言で話す能力を下さる
Acts使徒 2:1-4
“And when the day of Pentecost was fully come, they were all with one accord in one place. 2 And suddenly there came a sound from heaven as of a rushing mighty wind, and it filled all the house where they were sittng. 3 And there appeared to them cloven tongues like as of fire, and it sat upon each of them. 4 And they were all filled with the Holy Ghost, and began to speak with other tongues, as the Spirit gave them utterance.” 五旬節の日になって、みなが一つの所に集まっていた。2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るゆな響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
① Unity 一致について
I also love the encouraging words of the Apostle Paul on the subject.パウロはまた言いました
1 Cor.コリント 14:18
“I thank my God, I speak with tongues more than ye all.” 私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、
② Don’t strive 自分の努力によらない
Ps. 詩編46:10 “Be still, and know that I am God…”
“let go and let God” あきらめて、神様にしてもらうこと
③ Edifying yourself 自分の徳を高める
1 Cor. コリント14:4 “He that speaketh in an unknown tongue edifieth himself…” 異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。
④ Intercession とりなし
Rom.ロマ8:26
“Likewise the Spirit also helpeth our infirmities: for we know not what we should pray for as we ought: for the Spirit itself maketh intercession for us with groaning which cannot be uttered.” 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
It is a supernatural solution to natural problems. 自然界の問題に対する超自然的な解決が与えられる。
⑤ Mind doesn’t bear fruit; 知性は実を結ばない
1 Cor.コリント14:2
“For he that speaketh in an unknown tongue speaketh not unto men, but unto God: for no man understandeth him; howbeit in the spirit he speaketh mysteries.”もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。
“Could you not spare one Hour?” 一時間もできないのか?
という、ムーブメントが昔ありましたが、
異言の祈りなら、いつでもどこでも、いくらでも祈ることができます。
朝食は、英語で、Breakfast といいます。つまり、Break the fast 断食をやめる。食べない、不足していることを破ることです。
あなたの過去の失敗、成功しない道、なかなか取れない漁、家族の問題、何も開かれないそういう 不足の気持ちを破ることです。
イエスがともにいて、食事をさせてくださり、そして、その断食を破らせてくださいます。