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心の傷のメカニズム The Mechanism of Your Wound

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2014年11月2日礼拝 Bilingual Audio http://youtu.be/u8LgNAuHf58

カウンセリングがなぜ必要か

ずばり、問題があるから。クリスチャンになっても、なかなか成長できない。また、いつもトラブルに巻き込まれる。悲惨な出来事に繰り返しあう。なかなか、成功できない。人間関係がいつまでたっても、うまく行かない。人が怖い。人が嫌い。常に、何らかの恐れに縛られている。心の中にいつも不安がある。孤独感がいつもある。など、あるのではないでしようか。本当の意味で、神様にあって、解放と自由の中を歩めないとき、そこに問題を感じるのではないでしょうか。そういう人に、クリスチャンカウンセリングが必要です。

癒やしの定義  SOZO

Sozo ?  私たちの救いってなんでしょう。
Sozo とは、ギリシャ語で「救われる」、「癒される」、「解放される」という意味があり、新約聖書の中で110回使われている言葉である。ルカ19:10で、「人の子は、失われた人を探して救う(Sozo)ためにきたのです。」 ローマ10:9では、「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われる(Sozo)からです。」  マタイ9:22「イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。」それは、Sozoと言う意味です。 ルカ8:36「目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第(made well)(Sozo)を、その人々に知らせた。」これらは、使用されている例のほんの一部です。Sozoというのは、救われる、癒される、解放されるという言葉の基語であり、これが、この癒しのミニストリーの全てです。つまり、敵のあらゆる働きから人々が完全に自由にされているか確認していくミニストリーなのです。

心の傷のメカニズム

 心の傷とは、どのようにできるのでしょうか。また、どうして問題がいつまでたっても私の人生につきまとうのでしょうか。

オープニングドア 敵のリーガルライト

 私たちは、オープニングドアとか、敵のリーガルライトなどという言葉をよく使いますが、これは、私たちの側の罪に対して開かれたドアです。このドアが開いている限り、敵がそこから入ってくるということですね。知らずに開けっぱなしにしている罪のドアを閉めなければなりません。すなわち、罪を罪と認め、悔い改め、罪の原因となった人たちを赦し、キリストの十字架の御業によって、赦しを受け取ることが必要になります。すると、御国の法律で、もう敵が居座る権利がなくなってしまうのです。

罪のドア

 私たちは、救われてからは、好き好んで自分から罪を犯すわけではありません。私たちが開きっぱなしの罪のドアを持ちやすいのは、人にいわれの無いひどい仕打ちを受けた時、一方的に痛めつけられたとき、などです。いわゆる、傷つけられたときです。その時に、どのような反応をするかによって、罪のドアが開きます。 
 
  ・相手を裁く。(「この人はこういう人だから」も裁き) ・相手を赦さない。 
  ・自分を責める。 ・心に誓いを持つ。(もう二度と恋なんてしない)
  ・次回このようなことが二度と起きないように、自分を守る対策を作り上げる。
(コントール:本来は神様に守ってもらうべき。)

自分から相手を傷つけるような積極的な罪ではありませんが、これらの罪のドアが私たちの人生に大きな影響をもっているのです。 また、その他、感情的な傷に関わる以外の罪のドアで、私たちのキリストにある歩みを妨げるものに霊的な契約を伴うものがあります。これらの罪も、実は感情的な傷と密接に根の部分で繋がっているのです。

  ・霊的な罪のドア…占い、異なる神々との契約(偶像礼拝、お宮参り、氏子、檀家)
 ・性的な罪のドア…結婚以外の肉体関係(これも霊的な契約関係)、ファンタシー、
ポルノ
  ・先祖の開いた罪のドア これは、第四課で詳しく話します。

よくある例

  たとえば、不幸な家庭で育ち、父親が暴力を振るうので、小さいときから、父親を心の中で裁いていた人がいたとします。赤ちゃんのときからそうしていたので、無意識に続けていた。そうすると、その人の問題は、なかなか結婚できない。または、職場などでも、男性の上司とうまくいかない。という問題が出てきます。普通に振舞っているのに、いつも男性にいじめられる。あるいは、普通に結婚したが、何年か経って夫が暴力を振るうように豹変した。などですね。多くの場合、そのような出来事の周りにもっと多くの複雑な問題を抱えるようになります。そういう場合は、敵のリーガルライト、自分の罪のオープニングドアを閉める必要があります。それは、父親を赦すこと、男性一般を赦すこと、裁いていたことを悔い改めることです。そうすると、オープニングドアが閉じ、問題もなくなります。

聖書の原理原則 癒やしの鍵となるみ言葉

これは、ユーチューブの音声の方で詳しく説明しています。

父母を敬う法則 エペソ6:2-3

「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。

裁きの法則 マタイ7:1-2

さばいてはいけません。さばかれないためです。 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。

赦しの法則 マタイ18:21-35

そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」22 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
23 このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。24 清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。25 しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。26 それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします』と言った。27 しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。28 ところが、このしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ』と言った。
29 彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから』と言って頼んだ。
30 しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。
31 彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。
32 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。
33 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』
34 こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。
35 あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」
種まきの法則 ガラテヤ6:7
思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

イメージの法則 

箴言23:7 彼は、心のうちでは勘定ずくだから。」
       For as he thinks in his heart, so is he. (NKJV)
ヘブル11:1 「信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。」

恐れとは、否定的な形で表現された信仰です。

誓いの法則 マタイ5:34-37

しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。35 地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。36 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。37 だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。

“Inner Vow”

これを聞きながら、過去が思い浮かんだ人がいると思います。それは、聖霊様が語ってくださっているのです。ぜひ、それを罪として認め、悔い改め、罪のドアを閉めていきましょう。

これから、シリーズで詳しく話していきます。

皆さんの心の癒しを心から願ってお祈りしています。



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信仰と希望

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みなさん、こんにちは。

今週の日曜日は、留学生伝道をしている、Bridges International で奉仕している、マイケル&ミーガン タップ夫妻が礼拝に来てくださり、証しを通して、み言葉を取次いでくださいました。

ですから、今週は、私を通してのメッセージは無しです。
来週からシリーズで四回にわたって、心の傷、癒し、解放のお話しをして行きたいと思いますので、乞うご期待。何度聞いても、新しい示し、発見があるものです。

さて、今日は、最近考えていることなどを書いて見ます。

信仰についてです。信じることについてですね。信仰と言えば、とても有名な聖書の箇所に次のような言葉があります。

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen. 新約聖書ヘブル人への手紙11章1節

これは、私が一番愛しているみ言葉、何かにつけ一番よく思い出す言葉でもあるんです。きっと、神様が私に特別に人生のうちで習得するように導いておられるのだと思います。みなさんにも、そんなみ言葉があるのではないでしょうか。

さて、信仰生活をしているうちに、何か、マンネリになったり、疲れたり、また祈りにくくなったりすることはないでしょうか。

先日、ふと、長く祈り続けている個人的な祈りの課題があったのですが、もう長く待ったので、もうこの件に関しては、あきらめた方がいいのではないかという思いがやってきました。

すると、とたんに、そのことに関して祈れなくなり、またそれだけではなく、神様の声が聞こえなくなりました。まるで、幼い子どもが迷子になったように。。。

その時に、神様は、「信仰をもて」と励ましてくださいました。そして、この聖書の箇所がまた心に浮かんだのです。

信仰は、望んでいる事がらを保証し、とあります。望みと信仰は、直結しているんですね。ですから、望み、心の願いを手放そうとしたとき、信仰から離れてしまったのですね。

望みと言うものは、大きいです。

そして、この望みは、どこに繋がっているかと言うと、永遠です。神様です。神様は、必ず、よきに計らって下さる。という、望みです。神様ご自身にかける信頼です。

私のこのような、心の小さな願いが、神様にとってどれほど重要だろうかと、思うかも知れませんが、あなたを愛して、あなたを祝福されたい神様にとっては、あなたと同様、あなたの心の願いも大切に思っていらっしゃいます。

もちろん、これは、神様との愛の関係の中ででのことです。罪ぶかいことを願うならば、それは、神様が喜ぶはずがありません。

祈り続けている方々。どうぞ、今日、望みを抱いてください。神様は、その望みに興味があります。
そして、神様を信じてください。今日、みなさんの心に信仰から来る確証が与えられますように。
必ず、神様はよくしてくださる。と信じて一日が始められますように。

PCのこちら側から、皆さんのためにお祈りしています。

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秋のイベント

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秋のイベント
おとといの10月25日土曜日に、パンプキンカービングパーティをしました。
新しい留学生さんも来られて、楽しくできました。

カボチャを彫る前に、カボチャを使った、パンプキン君の人生の変革のお話しをしました。
子どもたちも大人も食い入るように聞いてくれました。

今年は、とっても凝った作品が多く、
コンテストは、本当に厳しいものとなりました。

が、ケビンさんのおかげで、みーーんな何かの賞をもらうことができました。
いつも思いますが、
神様は、みーーーんなにこうして、天国で良くやったね、とご褒美を一人ひとりにくださるんだなぁ。と思いました。

いつも、賞をひとりひとりにくれるケビンさんから教えられました。

教会では、様々なイベントを通して、神様の愛を伝えています。

みなさんもお近くの教会へどうぞ足を運んでみてくださいね。

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投資のライフスタイルThe Lifestyle of Investment

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2014年10月19日日曜日礼拝 音声は、http://youtu.be/FI4nBaoMB2w

伝道者の書11:1-6

あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。
2 あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。
3 雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままにある。
4 風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。
5 あなたは妊婦の体内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行われる神のみわざを知らない。
6 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。

★投資の神

私たちの信じている神は、投資の神です。賜物セミナーのギバーのところでいつも詳しくはなしますが。。。そして、神は、刈り取りを期待して蒔かれる方です。刈り取りが期待できるからこそ蒔かれるのです。
今日の聖書の箇所でも、後の日にあなたはそれを見出そう。For you will find it after many days 他の訳では、報酬を受け取ると書いてあります。You will be rewarded .

また、私たちの神は、豊かに蒔く神です。コリント人への手紙の中に、「豊かに与える」ことが書かれていますが、神ご自身が豊かに蒔かれる方だからです。
豊かに蒔く。

2コリント9:6

私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。But this I say: He who sows sparingly will also reap sparingly, and he who sows bountifully will also reap bountifully.

蒔きすぎる神というふうに読んでも良いくらいです。Our God is the God of plenty!  一人の人を身ごもるのに必要なのは、一つの卵と一つの精子です。しかし、神は、一つの卵に対して、二億五千万の精子を用意している。250 million!  

また、種まきの例話でも、良い地にだけではなく、岩地や道端にまで種が蒔かれている話しをイエス様はしています。神は、さまざまなところに豊かに蒔く神なのです。

今日、読んだ聖書の箇所も投資のお話です。

「水の上にパンを投げる」と言う言葉は、当時の世界ではよく使われていたことわざのようです。水の上にパンを投げる。とは、私たち日本人の考えでは、ちょっと理解できません。鯉にエサをやるくらいの想像力です。また、水の上にパンをいれると、すぐに、ふやけて消えてなくなってしまいます。
このソロモンの時代のことわざは、船による貿易をさしていたようです。船の上に商品をのせるが、当時の船の安全は、今と比べると不安定、本当に掛けのようなものであったことでしょう。また時間的にも、ずいぶんとかかったことでしょう。後の日にならないと、どれほどの儲けがあったか分からないようなものだったのです。

また、「パン」というのは、ユダヤ人の伝統的な解釈では、善意や親切とされるといわれます。善意や親切を普段から存分にしておけば、やがてまわりまわって自分にかえって来るということです。

また、私たち、クリスチャンにとっては、イエス・キリストは、いのちのパンです。私が二十数年前、中国にまだ聖書が自由に手に入らないときに聖書をもって中国に行きましたが、私たちは、盗聴されているので、聖書のことをパンと読んでいました。聖書は、日々の霊の糧だからですね。そのパンを投げるというのは、福音の種を蒔いていく。福音を伝えていくということともとらえられます。
私たちの神様は、このパンを水の上に投げよ。そうすれば、ずっと後の日になって、あなたはそれを見出そう。というのです。英語では、後にそこから報酬を得るだろうというのです。
蒔くならば、かならず、刈り取ることができるというのが、神様の教えなのです。

たとえ、それが、「水の上」であってもです。

★投資のコンディション

①水の上v1 … 無駄に思えたり、賭けのように思えるところに、大切なパンを蒔け。私たち、損をしたくないという恐れての戦い。福音伝道においても同じです。私たちの教会は、学生さんの出入りが多いですが、まさに、こんなに短い間かかわったところで、この人の人生にどんなインパクトがあるのかと思いがちですが、それでも蒔くのです。教会にとっては、すぐに出て行く人に、時間とお金を掛けるのは無駄だと考える人もいます。

②いろいろな場所に分けてv2 … 投資をする人は、良く知っていることですが、株でも一社にしぼって大量に買うよりは、数社に分けて、小分けに投資した方が何かあった時のリスクが減ります。神様は、一つの概念に凝り固まって、蒔くよりは、様々な分野に、場所に蒔くことを勧めています。

③時や環境を分析せずにv4 … 株をやっている人たちは、いつも新聞を読んで世の中の動向を見ています。東京オリンピックがあるといえば、その関係の株が売れました。しかし、聖書の言葉は、風を恐れるな、雲を恐れるなと書いてあります。聖書の他の箇所で、時が良くても悪くてもしっかりやりなさいとあるが、そのとおり、風がふこうが、雨雲がでてこようが、蒔くことを辞めるべきではないのです。 

④豊かに

★ソロモンのポイント v5, 6

投資の神を知らなければ、むなしい。
投資するものを持っていても、神を信頼しないなら、むなしい。
信仰がなくてはならない

ヘブル11:1
「信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。」Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen. 

私たちは、信じて、蒔き続ける。
必ず、報い・刈り取りをもたらしてくださる神様に信頼して、信じて蒔く。
世の中の考え方と同調しないようにしましょう。世の中は、状況を見て、いろいろと分析して蒔きます。それを賢いことと言います。
ある伝道者が、若いころ、年長の牧師に連れられて路傍伝道に行きました。誰も話をききません。無視され、また子どもたちにアーメンソーメンと冷やかされ、とても辛い思いをしました。しかし、この伝道者が教会に帰ったとき、年配の牧師は、一緒に感謝祈祷会をしようと言いました。感謝などばかばかしく思えたそうです。しかし、ずいぶんたって、巡回伝道をしているとき、ある教会で、その時の話をしたそうです。するとあとで一人の青年がやってきて、あの時のあの場所で、この二人の話を通りすがりに聞いたというのです。それで、イエス様を信じたということが分かりました。
人は、どのようにして母の胎の子どもに霊が入るのか知らないのです。

神を信じて、収穫が必ずあることを知らないなら、渡したの投資、働きはむなしいものです。

あなたは、信じて蒔きますか?

祈りましょう。

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チームアップの勧めExhortation of teaming up

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2014年10月12日日曜日礼拝 音声は、http://youtu.be/kvy4eaQeduA

伝道者の書4:9-11

9 ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
10 どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。11 また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。12 もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。9 Two are better than one, Because they have a good reward for their labor.
10 For if they fall, one will lift up his companion. But woe to him who is alone when he falls,
For he has no one to help him up. 11 Again, if two lie down together, they will keep warm;
But how can one be warm alone? 12 Though one may be overpowered by another, two can withstand him. And a threefold cord is not quickly broken.

今、賜物セミナー第二回が終わって、ますます一人ひとりの素晴らしさ、またともに協力することの大切さを学ばされています。
神様は、常に誰かと協力して生きるように聖書を通して語っている。
創世記の初めから、人が一人でいるのは良くないと言われ、女を造られた。また、神ご自身も三位一体の神であり、互いに交わり、協力しあい、建て上げ合いながら存在しておられる。

今日の箇所、伝道者の書4章では、ひとりの空しさについて書かれているが、チームでいることの祝福について言及されている。この箇所は、二人ということで、よく結婚式のときに引用される言葉である。

★チームでの働きには。。。。

◎二人が労苦すれば、良い報いがある。Because they have a good reward for their labor.
  報い…先週も話しましたが、喜びのことです。喜びは分かち合うときにもっと増えます。一人で物事を成し遂げたときよりも、みんなで成し遂げたときの方が喜びが大きい。
父の喜び ヨハネ

◎どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。For if they fall, one will lift up his companion.  チームは、互いに補い合うことができる。結婚して、私はミニストリーしていても落ち込まなくなった。主人がさっと励ましてくれるからだ。
このように、チームでの、働きには、大きな報酬と、助けが約束されている。

◎三つよりの糸は、簡単には切れない。a threefold cord is not quickly broken
三つよりとは、どういうことでしょうか。三本のより糸。一つがわたし、一つがあなた、そして、もう一つは、神様、三本の糸が一本に寄り合わされたということです。そして、その糸は、切れにくいというのです。
神様は、チームの中に加わってくださる神様なのです。そして、神がおられるかぎり、決してチームは簡単にはつぶれないのです。

★チームの中に加わり、約束をもってともに働かれる神

(A) チームの上に油注ぎがある。

詩篇133
1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。3 それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。 Behold, how good and how pleasant it is For brethren to dwell together in unity! 2 It is like the precious oil upon the head, Running down on the beard, The beard of Aaron, Running down on the edge of his garments. 3 It is like the dew of Hermon, Descending upon the mountains of Zion; For there the LORD commanded the blessing— Life forevermore.

油注ぎとは、神様の召しに従って、その御用ができるように聖霊様の力の注ぎの象徴です。チームの上に、神様の恵みが注がれているというのです。また、チームの上には、「とこしえのいのちの祝福」があると。いのちが生まれ、流れ出す、周りの人々を生かすそのような祝福がある。

★気を付けたいこと。。。。
◎罪は、分裂をもたらす。 最初の人アダムとエバは、罪を犯し、自分の身を隠した。神との関係から自分から離れようとした。このように罪というものは、親密な親しい交わりから私たちを離すものなのです。 夫婦の間でも、友達との関係でも、罪が入るときに、親密さは、逃げていく。  悪口は、その人に直接言わなくても、伝わるもの。

★チームを強くするもの。。。
◎謙遜と一致について
ケルビムを思い出す。
エゼキエル10:16-17
ケルビムが行くと、輪もそのそばを行き、ケルビムが翼を広げて地上から上るとき、輪もそのそばを離れず向きを変えなかった。17 ケルビムが立ち止まると、輪も立ち止まり、ケルビムが上ると、輪もいっしょに上った。それは、生きものの霊が輪の中にあったからである。When the cherubim went, the wheels went beside them; and when the cherubim lifted their wings to mount up from the earth, the same wheels also did not turn from beside them. 17 When the cherubim stood still, the wheels stood still, and when one was lifted up, the other lifted itself up, for the spirit of the living creature was in them.

(B) チームの中から語ってくださる神。

出エジプト25:22
「わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたがたに命じることをことごとく語ろう」22 And there I will meet with you, and I will speak with you from above the mercy seat, from between the two cherubim which are on the ark of the Testimony, about everything which I will give you in commandment to the children of Israel.

・一致。。。ケルビムは二つが互いに向かい合っていた。二は、統一と同意を表す数字である。贖われたものはキリストとひとつとされる。信徒たちも、互いに神にあって、統一し、同意しあうもの。神は、そのようなしんとたちの只中に座られたい。二つが互いに同意し統一するためには、互いを認め、赦し、愛し、尊敬しなければならない。神は、私たちの只中に、住まわれたい/とどまられたいのです。どこか遠くにいるのではなく、私たちの内側に、私たちの交わりの只中にお座りになりたいのです。

一人よりも二人がいい。神様は、チームで働くことを願っておられ。キリストの身体である教会に非常に注目され、祝福され、期待をしておられます。

また、私たちが神様にあって、チームであるなら、神様は、すでにともにいてくださっています。油注ぎと、神が語られることを約束してくださっています。どうぞ、チームの中にいる神様を無視しないように。分裂するよりは、神の声をともに求めるようにしましょう。

ともに、祈りましょう。今まで、家族、結婚関係、友達関係、教会での人間関係において、チームの上にすでにおられる神を無視し、分裂、仲たがいをしてはいませんでしたか。神様の前に悔い改め、もう一度、神様の臨在をチームの中に招きいれましょう。

ともに助け合いながら、主の働きをしていきましょう。


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空 vs 喜び Vanity vs Joy

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2014年10月5日日曜日礼拝 音声は、http://youtu.be/IFublPLJH74

書いたものより音声の方が、いいので、ぜひ音声を聞いてみてください。
今週は、伝道者の書一章、二章
 
伝道1:1-11を読みましょう。
エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。2 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。3 日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。
4 一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。
5 日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。
6 風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。
7 川はみな海に流れ込むが、海は満ちることはない。川は流れ込む所に、また流れる。
8 すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽きることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。9 昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下に新しいものは一つもない。
10 「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。11 先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう。

伝道者のテーマは、
人生における価値の探求 / 不死の確かな希望がなければ地上の生活はむなしい

伝道者の書は、ソロモンの晩年の作。本書の主題である「空の空」全ては空。37回も言っている。 この書の思想的鍵は、「永遠」 永遠への思いは、この世のものでは満たされない。  快楽、富、知識、労働、労苦、地位。。。。何をもってしても埋めることはできない。だから空しい。と。

★空の空

「空」 というのは、この世の世界観である。また、仏教に通ずる思想でもある。アメリカでも仏教が流行っている。なぜ、多くの人の関心を引くのか。それは、人々が共感しやすいからである。釈迦は、空の価値観と、空の世界の中で、必死で悟りを得ようと人間的力を振り絞って修行した人です。しかし、人を「空」の価値観から解放するだけの真理には到達できませんでした。
ソロモンは、全てを持っている人でした。そして、神様からいただいた知恵のある人でありました。しかし、彼は多くの章をさいて、いかに、世の中のものごとがむなしいかについて語っています。
自然界の繰り返し、知恵と、知識、快楽、事業、労苦、全てさだめられた時、富、幸せが来ない、人生の短さ、等々。。。

私が、クリスチャンになるきっかけとなったのは、就職してしばらくしてからのことでした。「私は、このまま、この職場でどれくらい働くのだろう。私は、この先どうなるのだろう。平凡に結婚するのだろうか。結婚し、子どもを育て、そして、死んでいくのだろうか。」などと考えました。ちょうど、祖母が亡くなった年でもありました。
先が見えてしまった。先を見て全てがむなしく感じたのです。だからといって、毎日少しの楽しみのために、お酒を飲んだところで、欲しいものを買ったところで、むなしさはなくなるような気がしませんでした。
これが、世の中の本当の声ではないでしょうか。
確かに、ソロモンの言っている、空の空。全ては空。ということは、本当です。

★「喜び」新約聖書のキリスト者の見方。。。
それどころか艱難さえも喜んでいます。ロマ5章3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。Not only that, but we rejoice in our sufferings, (ESV)
聖書の中には、たくさん「喜び」が出てきます。主にあっていつも喜んでいなさい。Rejoice in the Lord always. 御霊の実は、愛、喜び、平安。。。イエス様も、祈るのは、あなたがたの喜びが満ち溢れるためだと言っていますね。that your joy may be full.

★伝道者の書を読み解く鍵は、「永遠」

◎「喜び」と永遠との関連性

ヘブル12:2 イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。looking to Jesus, the founder and perfecter of our faith, who for the joy that was set before him endured the cross, despising the shame, and is seated at the right hand of the throne of God.

この御言葉が何を語っているでしょうか。
① 永遠が存在する。…地上の命が全てではない。十字架の死の向こうの世界がある。ということ。

② 喜びという報酬がある。… イエス様の報酬は、喜びでした。地位でも、名声でも富でも、幸せでもなかった。人間が一生懸命得ようとするような報酬ではなかった。
また、イエス様の短い人生は、死ぬために生まれてきたような、決して人間的にきらびやかな生き方ではなかったが、そこに、満足と喜びがあった。

◎「喜び」というものは、天の通貨のようなもの。
「喜び」は永遠の父なる神と切り離されたところでは味わえない。

  世の「喜び」と徹底的に違うのは、「父なる神様との共有」と「父への徹底的な依存」にあります。空の空の世界を全てのことをやりつくし、栄華を極めたソロモンは、探求したすべてがむなしかったというのです。それは、世と言うものは、すべて自分に向いているからです。自分の達成感で物事をやり遂げた時には、喜びがあるでしょう。しかし、その喜びというものは、むなしく消え去っていきます。十分ではないのです。

a) 父なる神様との共有

ヨハネ15:11わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。“These things I have spoken to you, that My joy may remain in you, and that your joy may be full.

神様の御心を成すときに、必ず報酬がある。その食物のようなもの。おいしい食べ物は、また食べたいと思うでしょう。神様を愛するように導く食物。喜びがある。喜びがある人は神様をさらに探求するに至る。
ただ、自分のやりたいことを実現させる、達成させる。自分のミニストリーをやるのではない。「遣わされた方のみこころ」を行うことである。今日、神様の御心がどこにあるのだろうか。ということに気をとめて日々生きたいものだ。天の「喜び」と言うものは、自分だけのものではなく、父なる神と共有するものである。

b) 徹底的な依存

祈りについて、次のように書かれている箇所がある。

ヨハネ15:7
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。If you abide in me, and my words abide in you, ask whatever you wish, and it will be done for you.

ヨハネ15:11
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。“These things I have spoken to you, that My joy may remain in you, and that your joy may be full.

祈りが聞かれるのは、私たちに喜びが満ちるためである。また、父なる神もまた祈りを私たちに聞くことで喜びが溢れるという。

私たちは、信仰生活の中でなぜ喜びが少ないのか。なぜ、祈りの生活に喜びが無いのか。
一つは、やはり、神の声を聞いて従う。というより、形にとらわれている。信仰生活が宗教的儀式になってしまっている場合。また祈りについては、祈っても応えられない。大体、祈っていることの大部分は、もう応えられていることが多いい。あとは、信じて、その通りに行動したらいい。まだ、応えられていないことのために祈りましょう。まだ、自分の知らないことを神様に祈って聞いてみたりしてはいかがでしょうか。

◎「喜び」があるなら、この世のものは、空ではない。

ヨハネ4:32、34
イエスは言われた、「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」。・・・イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。」 But He said to them, “I have food to eat of which you do not know.”……..34 Jesus said to them, “My food is to do the will of Him who sent Me, and to finish His work.

この食べ物は父の喜びです。この喜びがあるならば、空の空と言われるこの世の中で。空しく生きる必要はありません。この喜びをともに味わいながら生きて行きましょう。


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エズラ---改革のリーダー Ezra – The Leader of the R

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2014年9月28日日曜日礼拝 音声は、http://youtu.be/Kz-eIpT1E-M

エズラ5章-10章

エズラ7:6
エズラはバビロンから上って来た者であるが、イスラエルの神、主が賜ったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた。

エズラ7:10
エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルでおきてと定めを教えようとして、心を定めていたからである。

エズラ9:5-6
夕方のささげ物の時刻になって、私は気を取り戻し、着物と上着を裂いたまま、ひざまずき、私の神、主に向かって手を差し伸ばし、祈って、6 言った。「私の神よ。私は恥を受け、私の神であるあなたに向かって顔を上げるのも恥ずかしく思います。私たちの咎は私たちの頭より高く増し加わり、私たちの罪過は大きく天にまで達したからです。

エズラ10:1
エズラが神の宮の前でひれ伏し、涙ながらに祈って告白しているとき、イスラエルのうちから男や女や子どもの大集団が彼のところに集まって来て、民は激しく涙を流して泣いた。

エズラ記を先週から読んでいます。エズラ記は、エルサレム帰還と神殿完成までのことがかかれています。エズラというのは、その一連の出来事のリーダーです。そして、彼のリーダーシップは、とても素晴らしいと有名です。彼は、神殿を回復させるだけではなく、人々の信仰も回復に導いた宗教改革のリーダーともなりました。
今日は、エズラのどのような資質が良いリーダーとするのか見て行きたいと思います。私たちは、みな、何らかの形でリーダーとされいます。父、母、夫、職場で、また、クリスチャンは、世の光とも言われています。世の人が見て神の素晴らしさを紹介するものたちです。

★学者エズラ   エズラ7章

◎主の御手が彼の上にあった。。。

二度も言及されている。エズラの上に特別の神の好意が臨んでした。神としか思えない不思議さ。異国の方が全面的に神殿の回復をすすめた。
良い土壌の法則。良い土壌では、どんな種を蒔いてもよく育つ。神に対する信仰と信頼があり、希望があるなら、おのずと神の約束と預言の成就、夢の成就は引き寄せられてくる。夢の成就のために、私たちが一生懸命神を信頼しようとするのではない。いくら一生懸命信頼して信仰しようとも、心の土壌が良い土壌となっていないらば、それもまた宗教的な業でしかない。
信仰と心の望みの法則。(音声の方でお聞きください。)
良い土壌となるための資質は、本当の意味で世に改革をもたらすことのできるリーダーの資質である。それは、次に書かれている。

◎御言葉に対する態度。。。調べ、実行し、教え

御言葉をよく調べ…御言葉の中にある神のご性質を知るにいたる。というのが真の目的である。聖書の言葉を研究しても、神の心を知らずにいれば、パリサイ人のように適用を間違ってしまう。神様のご人格を知るにいたるように、聖書を学びましょう。

実行し…御言葉を心に取り込み、そして、その通りにするとき、み言葉が受肉する。また、キリスト者としての権威が増す。み言葉を実行するときに、私たちの考えが変わり、行動が変わり、そして、人格が聖められていく。私たちは、知識としてみ言葉を蓄えるのではなく、実行するために蓄える。頭で、聖書的に正しいことを知っていても行わないならば、意味がない。例)「父母を敬え」という聖書の教えを知っていても、実際、全く父母に会いに行かなかったり、電話もしない、カードも書かないなら、どうしてあなたの愛と敬意が親に伝わるであろうか。

◎心を定めていた。。。献身していた。

そのことに人生をかけているという姿。献身している人の影響力すごい。そこにかけているからそ、人々がついてくる。また、この聖書では、異国の王でさえ、好意を与えるほどとなる。私も、教会に行き始めたころ、牧師夫妻や神学生の人たちにあこがれを持った。信じていることに一生懸命すべてを捧げている姿に、まだクリスチャンでなかったけれど、ついていきたいと思ったものである。
あなたの、今日の献身は、決して無駄ではない。必ず、実を結び、弟子を作るということを覚えていただきたい。しかし、献身が無くては、それは起こらない。

◎エズラは、御言葉に留まり、御言葉が彼の行動となり、彼の口から出ることは御言葉が教えることとなっていた。

有名な説教者ビル・ジョンソンはさらさらと語る言葉が非常に深遠で権威がある。彼は、若い伝道者であったころ、事務所の机から離れずにひたすら聖書を読んでいたのだそうです。

詩篇一編を思い出す。詩篇1:2,3  まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。主の教えを喜びとし。。。。その人は何をしても栄える。But his delight is in the law of the LORD, And in His law he meditates day and night.3 He shall be like a tree Planted by the rivers of water, That brings forth its fruit in its season,
Whose leaf also shall not wither; And whatever he does shall prosper.

私たちも御言葉の生徒でありたい。

★祭司エズラ

彼は、アロンの系図による祭司であった。彼は、動物を殺す、宮の仕事をする意外に、とても重要な働きをする。エズラは、民の心を神に帰らせたのです。

エズラ9章

◎まずエズラは、民の罪を自分の罪として悔い改め。神の前にとりなした。

とりなしの祈り。。。他人の代わりに祈ること。その人の立場、身に自分を置き換えて、同一視して祈ること。神と人の隔たりに立つこと。罪人のその人と、神の間には隔たりがあり、本人では埋められないので、仲介者が必要。
アブラハム、モーセ、ダビデ、エリヤ、エレミヤ、ダニエルと言った数々の旧約に出てくる人物もとりなしの祈りをしました。自分を罪人であると、その人の代わりに成り代わって神の前に悔い改めているシーンを、エズラだけではなく、この人たちのとりなしの祈りにも見ることができます。これが、神と人との間を取り持つ祭司の役割です。

◎私たちも、祭司である。

 聖書の中にも、私たちは、聖なる国民、王なる祭司であると書かれている。それは、真の大祭司キリストによってそうされたのです。キリストは、まだ罪人であった、私のために、私に成り代わって、贖いの業をなしてくださいました。完全な祭司です。また、今も、私たちのために日々天で取り成してくださっています。
キリスト者である私たちの内にこのキリストの祭司のDNAがあるのです。良いリーダーの資質のある人は、とりなしの祈りをするのです。
その人の立場になり、エズラのように、罪を悲しみ、悔い、神の前に悔い改めるのです。エズラの心が完全に、罪を犯していた民と一つになり、神の心と一つになったとき、奇跡が起きたのです。

10章  民の心が神に向けられ、人々がエズラについてくるようになった。私たちは、しっかりとした聖書の教えも必要ですが、やはり、人の心を変えることができるのは、神様の働きです。神様の働きというのは、やはり、祈りによってなされるものです。人の力によらないのです。神は、私たちとパートナーとして働きたいので、私たちの力も必要です。私たちは、信じていることに伴う行動とともに、祈りの世界でも奉仕をするべきです。

70年異国の地にとらわれた人たちのマインドセットを変え、心を神に向けることかできたエズラ。私たちクリスチャンも、このリベラルな町シアトルを変えることができます。
私たちがみ言葉に宿り、実行し、教え、またシアトルの人々のためにとりなして祈るなら、人々はついてきます。
ともに祈りましょう。以前から、祈り会を持ちたいと思ってきました。ともに集まって祈りましょう。

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回復のはじめ At the beginning of the restorati

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2014年9月21日日曜日礼拝 音声は、http://youtu.be/gfUjubTz2LM

エズラ記1-4章より

エズラ1:1-4
ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。2 「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。3 あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。4 残る者はみな、その者を援助するようにせよ。どこに寄留しているにしても、その所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んでささげるささげ物のほか、銀、金、財貨、家畜をもって援助せよ。』」

★ バビロン捕囚の終わり The end of the exile

罪ゆえのバビロン捕囚 
神様の教えを無視し、神様に背いたことによって。
七十年にも渡った。世代も変わり、バビロンの名前を持つものが多くなってきた。

★ 神の絶対的な導き

一方、絶対的な神の御手が、イスラエルの民の上にあった。
預言者を様々な場所に起こし、神の言葉を解き明かした。
 ダニエル エレミヤ エゼキエル 他  また、様々なリーダーを通して絶妙なタイミングで神様の計画がすすんで行きました。エズラ ネヘミヤ エステル
バビロン時代、預言者ダニエルが、壁に書かれた文字を王のために解き明かし、次の日にバビロンは、ペルシャに倒される。ペルシャの王になって、ユダヤ人帰還が赦された。

◎ エレミヤの預言の通りとなる。

エレミヤ29:10-13
まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。12 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。14 わたしはあなたがたに見つけられる。―主の御告げ―わたしは、あなたがたの繁栄を元どおりにし、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。―主の御告げ―わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」

みなさん、神様は、良いお方です。私たちが失敗しても、神様に背いても、私たちを良い心で、私たちを憐れんで導いてくださっています。神の言葉は、一つもむなしく地に落ちることがありません。必ず成就します。歴史上で、それは、もう確認済みです。あなたの上にも同じです。神の約束は、必ず成就します。もしも、あなたが失敗しても、神は、あなたを教え、矯正し、慰め、建てあげながら、約束の地まで導いてくださいます。そのことを信じますか?

★ 礼拝の回復へ

エズラ3:1-2 祭壇を築いた。

イスラエル人は自分たちの町々にいたが、第七の月が近づくと、民はいっせいにエルサレムに集まって来た。2 そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおり、全焼のいけにえをささげるために、こぞってイスラエルの神の祭壇を築いた。

70年もの苦悩の後、解放と回復が始まった。
私たちも、試練、苦悩から回復の兆しが見えるとき、一番に何をするでしょうか。
新しい場所に移されたとき。環境的に、霊的に。神の導きによって、新しい仕事に移された、新しいことを始めた。
人間関係、仕事、環境いろいろなアジャストメントがあります。それらに終始することもできるでしょう。しかし、私たちは、神に選ばれた人たち、礼拝する人たちです。神の民です。
まず、第一に祭壇を築きましょう。
祭壇とは、礼拝の中心。罪のための犠牲の動物を捧げる場所。罪ゆえに隔たりができた関係に和解をもたらす場。感謝を捧げる場。すすんで心からの愛を表現する場。
新約の私たちにとっての祭壇は、イエス・キリストそのものであり、キリストへの献身です。

私たちにとっては、神の祭壇とは礼拝。それも、形式の礼拝だけでなく、生きた供え物として自分をそのまま捧げること。生きている状態の捧げ物です。ロマ書12:1
神様が試練から解放させてくださる時に、まず、礼拝を確立しましょう。キリストとの関係を確立しましょう。

★ 妨げと神を求め続けることのチャレンジ

エズラ4:4-5
すると、その地の民は、建てさせまいとして、ユダの民の気力を失わせ、彼らをおどした。5 さらに、議官を買収して彼らに反対させ、この計画を打ちこわそうとした。このことはペルシヤの王クロスの時代からペルシヤの王ダリヨスの治世の時まで続いた。

 サマリヤ人たちに妨害され、二十年ほど神殿の建設が途絶えます。
神殿の礎が完成して喜んだのもつかの間、土地の人々から反対され、妨害が入ります。

これを読むときに、私が、イエス様を信じてしばらくすると、妨害のようなことが起きて、信仰を保つことにチャンレンジが来たことを思い出す。また、いつも、神様に従って、神様の約束の方に向かうときに、困難やチャレンジがやってくることがある。

(私の証し)
神様の声にしたがって、8年前にアメリカに渡る。神様の導きの中をすすめばすすむほど、道が開かれる。ダッグ牧師夫妻との不思議な出会い。癒し。人々が集められてくる、十分なお金を持たずにアメリカに来たが、学生を経て次のステップに進む二年と半年間、絶えず経済的な奇跡が起きた。等々。。。。そして、いざ、神様の新たな召しに従い、ミニストリーを正式に始める段になると、とたんに困難が押し寄せてきた。ビザの問題。一つ目の方法が手ひどい形で拒絶を食らう。その後、違う方法で申請。順調と思いきや、私のケースを扱っていた弁護士が急に辞める。次の弁護士になって、再度申請、その後、移民局に書類を無くされ、などなど、どうなるかと思いましたが、やっと開かれた。その後も、様々なチャレンジにあいます。
エリックも神学校に行くことにしてから、様々なチャレンジにあいます。私とエリックの車の難、また私とエリックの歯の難。。。経済的にチャレンジされます。
これは、神の御心ではないというサインではありません。

私は、これらのことを乗り越えていく度に、神が私と確かに共におられることと、奇跡と、神の導く目的地に対して確信が来るのです。
またそれだけではなく、神さまとの関係が深くなっていくのです。
それは、どんなことが周りで起ころうとも揺るがない、内側の強さとなって現れます。

★ 神様の心とは

神は、エレミヤ29で、読んだとおり、「わたしは、あなたがたのために立てている計画を良く知っている。私を求めよ。あなたは、私を見つける。あなたは、解放される。」と言っている。
私たちの心の中では、苦しみから解放されたいということばかりが先に立つであろうが、神の側では、
どんなことが起きても、民に神を求めて欲しかった。民に見出されたかった。形式だけ、宗教的に正しいと思われることのみをするのではなく、民との親密な関係を築きたかった。

私たちの主は、今日も、あなたと親しい関係を築きたいと招いておられます。
ますます、堅く主を信じ、信頼して歩んでいきましょう。

バビロン捕囚からの解放の初めは、礼拝の回復でした、また神との信頼関係のたてあげの初めでした。


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休みを得た日-プリムの祭り A day of rest – Purim

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2014年9月14日日曜日礼拝 音声は、http://youtu.be/EZvGQKevl9Q から

エステル記9章14-19節

14 そこで王が、そのようにせよ、と命令したので、法令がシュシャンで布告され、ハマンの十人の子は柱にかけられた。15 シュシャンにいるユダヤ人は、アダルの月の十四日にも集まって、シュシャンで三百人を殺したが、獲物には手をかけなかった。16 王の諸州にいるほかのユダヤ人も団結して、自分たちのいのちを守り、彼らの敵を除いて休みを得た。すなわち、自分たちを憎む者七万五千人を殺したが、獲物には手をかけなかった。17 これは、アダルの月の十三日のことであって、その十四日には彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。18 しかし、シュシャンにいるユダヤ人は、その十三日にも十四日にも集まり、その十五日に休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。19 それゆえ、城壁のない町々に住むいなかのユダヤ人は、アダルの月の十四日を喜びと祝宴の日、つまり祝日とし、互いにごちそうを贈りかわす日とした。

22-28節

自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日と定めるためであった。23 ユダヤ人は、すでに守り始めていたことを、モルデカイが彼らに書き送ったとおりに実行した。24 なぜなら、アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人を迫害する者ハマンが、ユダヤ人を滅ぼそうとたくらんで、プル、すなわちくじを投げ、彼らをかき乱し、滅ぼそうとしたが、25 そのことが、王の耳に入ると、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたからである。26 こういうわけで、ユダヤ人はプルの名を取って、これらの日をプリムと呼んだ。こうして、この書簡のすべてのことばにより、また、このことについて彼らが見たこと、また彼らに起こったことにより、27 ユダヤ人は、彼らと、その子孫、および彼らにつく者たちがその文書のとおり、毎年定まった時期に、この両日を守って、これを廃止してはならないと定め、これを実行することにした。
28 また、この両日は、代々にわたり、すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝わなければならないとし、これらのプリムの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないようにした。

今週は、エステル記7章から10章までを読みました。今日は、特に9章からお話ししたいと思います。
みなさん、プリムの祭というのをご存じですか。イスラエルのお祭りで有名です。V18に続いて、22-28節にも説明があるとおりに。
本当は、あのユダヤ人絶滅をたくらんだハマンにより、くじ(プル)が投げられ、ユダヤ人大虐殺の日にちが決められた。しかし、神様の素晴らしい計らいによって、その日は、ユダヤ人の救いの日となった。インドからエチオピアまでの広範囲にわたるペルシャの各州の全ユダヤ人が救われました。それで、プリムと呼ばれるようになった。そして、悲しみが喜びに変った日として祝宴と喜びの日とし、互いにごちそうを贈りかわす日となった。
そして、V28 にモルデカイは、これを代々にわたり祝うようにと命令している。現に、今もイスラエルでは、この祭りをちゃんと祝っている。この祭りのときには、このエステル記が読まれるそうです。神様は、必ず、ユダヤ人を守られる。神に選ばれている者は必ず神の守りがあるということを思い出すことができるように。

ロマ8:39
高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。nor height nor depth, nor any other created thing, shall be able to separate us from the love of God which is in Christ Jesus our Lord.

8章ではは、エステルの願いが王に聞き届けられ、ユダヤ人を殺せという証書decreeを取り消した。また王は、ユダヤ人を殺そうとするものたちを根絶やしに滅ぼすことを許し、彼らの家財もかすめ奪うことを許した。
そして、9章では、ユダヤ人たちが襲ってくる敵を滅ぼしたことが書かれています。
9章V15,16 を見てみましょう。16節だけ読みます。
王の諸州にいるほかのユダヤ人も団結して、自分たちのいのちを守り、彼らの敵を除いて休みを得た。すなわち、自分たちを憎む者七万五千人を殺したが、獲物には手をかけなかった。

◎獲物には手をかけなかった。  みなさん、ヨシュア記やサムエル記、最近のところでは思い出すのではないでしょうか。聖絶completely destroyedということばを思い出しますね。サムエル記では、神様はサウルに動物もみな殺せと言われました。私たちに適用するならば、これは、罪を根絶やしにするということです。すべてを神様のものとするということです。敵に関するものは、一切絶やすのです。ユダヤ人たちは、王に獲物をとっても良いといわれたが、一切それをしなかった。聖絶のコンセプトをもって、望んだのであろう。
◎敵を除いて休みを得た。 ユダヤ人は、敵を倒したので、もう命の心配をすることはありません。敵を倒すまでは、どこから敵が来て自分たちの命を狙うかわからない。私たちも、敵に脅かされていては、休みを得ることができません。

★ 私たちへの適用
私は、この箇所を読んでとても語られることがありました。

① 徹底的に、敵を滅ぼし、そして、分捕りものもとらなかったユダヤ人。
これは、私たちの罪に対する態度を神様は、示しておられる。罪に対して、敏感に、そして、完全に取り除こうという態度。
罪は、パン種のよう。小さいものだが大きく全体を膨らませる。聖霊様に敏感に、悔い改めることをすると喜びがかえってくる。罪の種というのは、ほんの小さい隙間から入ってきて。知らず知らずの内に私の心を支配するようになる。

(私の先週の証し)ふとした出来事をとおし、自分の心が罪に支配されたことを神に示され、悔い改めた。すると、神様の声がより聞こえるようになった。そして、喜びが心に戻ってきた。

☆ 心のバロメーター: 喜び
みなさん、喜びは、バロメーターです。喜びは天の御国のお金や食べ物、私たちを生かすのようなものです。

ヨハネ4:32、34
イエスは言われた、「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」。・・・イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。」

ヨハネ15:11
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。

喜びのある人は、心も身体も元気です。そして、成功的に、勝利の中を歩んでいることに、私たちは気がつきます。
喜びがないなら、きっとあなたは、神様以外のことで心がいっぱいになっています。神様のためにしていると言って何かをしていても、喜びが無ければ、きっと違うことのためにしているのです。喜びがないなら、全てをやめて、神の前に礼拝するときです。悔い改めが必要なときです。

② 敵を除いて休みを得た。
罪が入ってから、人類に休みがなくなった。またこの時代は、大人も子どもも休みの無い時代。聖書の神は、休みの神。聖書の初め所から休みについて語っている。
またイエス・キリストは、休ませてあげようと私たちを招いている。

ヘブル4:10-11

10 神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。11 ですから、私たちは、この安息に入るように力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。

新約の私たちは、イエス・キリストによって休みを得ている。私たちの敵は、罪であり、罪がもたらした死です。イエス様が十字架の上で、私たちの罪の身代わりとなって、すべての刑罰を負って死んでくださった故に、私たちにとっては、罪の力は、何の効力もなくなっているのです。そして、安息に入れられたのです。罪と格闘しなくても、いいのです。このイエス様を信じる者には、かならず、永遠の命がもらえます。天国に行ける約束がされるです。イエス様故に。何の努力もなく。何も支払わないでです。
どんなにお金持ちも、こういいます。「すべての夢がかなった。欲しいものもこれ以上ない。あとは、長寿だけだ。」と。すべての人は、永遠の命を求めている。
永遠の命を得るのに必要なのは、信仰です。
信仰とは、信じることです。自分のやり方を捨て神様に委ねることです。サレンダー。することです。自分の働きをやめることです。なぜなら、すべてはイエス様が闘って勝ち取ってくれたからです。ですから、信仰とは、安息から来ているともいえます。安息なければ、信仰はないのです。

しかし、私たちは、一向に自分の働き、自分のやり方、自分の考え、自分で何とかしようとするその働きから離れられない性分がしみついています。
新約の私たちは、休みからすべてが始まることをもう一度思い出しましょう。イエス・キリストによって。戦いは、すでに勝利。勝利から始まっていると。

★忘れないように。。 Awareness, 私たちの意識
敵を除いて休みを得た。
この休みを得た日を祝うのがプリムです。そして、これを忘れないように。覚えているようにというのが、ユダや人への命令でした。

私たちの意識がどこにあるかによって、私たちが天にアクセスできるかが決まってくる。
私たちの神は、あなたの口を大きく開けよ、私はそれを満たそうと言う神。また、求めるものに与えられる。また、探すものに見つけられる神。

ビル・ジョンソン師の聖霊の描写。はとのようにというが、実際自分の肩にはとをのせて歩いていることを想像するなら、どのくらい、聖霊さまを意識して行動しなければならないかが分かるだろう。
私たちの意識のあるところから、神様の天の国のアクセスがある。
このアクセスがあるなら、私たちの行動においても休みがある。
自分で、自分を打ちたたいて、何かに到達しようと躍起にならなくても、単純な神の霊への従順があれば、神の国の目的を達成できるのです。

今も、ユダヤ人は休みを得た日プリムを祝っています。忘れないためです。
私たちも、休みに入り、また安息に入れられたことを日々確認し、罪を自分から除くために絶えず敏感に聖なる神と心一つに喜びと安息の中を生きていきましょう。



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摂理の中で選ばれたものとなるTo be a chosen one in God’

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2014年9月7日日曜日礼拝 音声は、http://youtu.be/nD16Z4-NWsc

エステル記2章5-17

今週の箇所は、エステル記です。一人の若い女性が歴史の中で大きく用いられる物語。
ちょっと世界史のお話し、みなさんバビロン捕囚は良く知っていますね。聖書の中では、列王記と、歴代誌に書かれています。南ユダが捕囚され、70年後、バビロンがペルシャに破れ、ペルシャ王クロス(キュロス)は、ユダヤ人たちをエルサレムに帰しました。しかし、全員が帰ったのではなく、まだまだ多くのユダヤ人が各地に残っていたようです。聖書では、エズラが神殿建設、ネヘミヤがエルサレムの町の城壁を直しました。
この書は、ネヘミヤ記の後に書かれているが、年代的には、その事件がネヘミヤ記よりも約30年さかのぼっている。エステルは、おそらく相当な権力をもってエズラ、ネヘミヤの事業を支援しただろう。彼女の王との結婚はユダヤ人たちに非常な信仰と希望を与えたことだろう。

この書には、神と言う言葉は出てこないが、神様の不思議な摂理と守りと救いを見ることができる素晴らしい書です。

摂理とは…キリスト教で、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。神はこれによって被造物をそれぞれの目標に導く。1.(often initial capital letter) the foreseeing care and guidance of God or nature over the creatures of the earth. 2.(initial capital letter) God, especially when conceived as omnisciently directing the universe and the affairs of humankind with wise benevolence. 3. a manifestation of divine care or direction.

摂理とは、振り返るときに、それは、聖なる、永遠の神様の御手であったと気づく。その時は、分からない。

私の証し。英語に興味もなく、習う気もない。しかし、大学受験の失敗を期に、英語を専攻し。そのまま、英語を使う会社に入り、英語を習うために教会に行き、そこでクリスチャンとなり、それ以来、教会で英語の奉仕をし、まさか、アメリカに宣教師として働くとは思わなかった。インドネシアにいくと思っていた。それも、バーンアウトをする経緯があって、アメリカに来ることに。自分からは、決してアメリカに移住しようと思わなかった。自分で選ばなかったことや、自分には、ネガティブに思えることがすべて、今の生活とミニストリーに繋がっている。そして、ここまで来るのに、神様の奇跡、み業をたくさん経験させていただいた。経済の問題、ビザの問題等々。。。

● 選ばれたエステル

退けられた王妃ワシュティの変わりに、新しく王妃の候補者を募ることになりました。ペルシャ全ての州から美しい娘たちがやってきました。私は、ふと思いました。はたして、エステルは、自分から進んで、ペルシャ王の妻になりたかったのでしょうかと。ユダヤ人は、昔から、外国人との結婚は良くないこととされていました。ましてや、異教の神を信じている王との結婚です。どんな、異教との関わりを持たされるか分かりませんし、清くない食べ物も口にしなければならないかもしれません。このストーリーは、なんだか、ビューティコンテストのような、シンデレラストーリーのように表面上は聞こえますが、エステルが自分から喜んでこの道を選んだとは思えないのです。
たとえ、自分で選んではいない道であっても、エステルは、その特質ゆえに頂点へと選ばれて行きます。

V7 モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわち、エステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。このおとめは、姿も顔だちも美しかった。彼女の父と母が死んだとき、モルデカイは彼女を引き取って自分の娘としたのである。And Mordecai had brought up Hadassah, that is, Esther, his uncle’s daughter, for she had neither father nor mother. The young woman was lovely and beautiful. When her father and mother died, Mordecai took her as his own daughter.

〇外見の美しさ
彼女には、もって生まれた特質、神が与えられた外見の美しさがあった。それが故に、白羽の矢がたったとも言えよう。これも、彼女の予期せぬ、摂理である。
昨日は、賜物セミナーであったが、私たちは、生まれながらに持っている性質をあまりにも自然なため大したことと思わないが、神があなたにその賜物・特質を与えたには、理由が必ずあることを忘れてはならない。あなたの神の目的は何でしょうか?

〇内面の美しさ…砕かれた魂(柔和)、癒された魂
エステルは、若くして両親を失っていました。外国に捕囚された身であり、両親をなくし、いろいろと不自由があったことでしょう。しかし、外面の美しさゆえに彼女は、王妃候補として宮殿に行くことになるのです。彼女は、また内面の美しさも供えていたと思われます。

人は、皆傷つきながら生きています。そして、その傷に振り回されて生きるのか、乗り越えて生きるのかでは大きな違いがあります。過去の傷に振り回されている人は、言葉の端々に苦々しさがで、また物の見方が歪んでいまするしかし、傷から癒され、乗り越えた人は、かえって、ひどいことが過去にあったとは、人に思わせないほどのすがすがしさがあります。
また、苦しみを乗り越えた人は、柔和であります。これは、イエス様に現されている素晴らしい特質です。

エステルは、王妃となるコンテストの前に、すでに神様にあって、試され、精錬された金のようであったのです。

★Ⅰ 摂理の中で、神に選ばれる人は、神によって試された人である。

〇従順と敬意

V10エステルは自分の民族をも、自分の生まれをも明かさなかった。モルデカイが、明かしてはならないと彼女に命じておいたからである。Esther had not revealed her nationality and family background, because Mordecai had forbidden her to do so.
V15 さて、モルデカイが引き取って、自分の娘とした彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。 When the turn came for Esther (the young woman Mordecai had adopted, the daughter of his uncle Abihail) to go to the king, she asked for nothing other than what Hegai, the king’s eunuch who was in charge of the harem, suggested. And Esther won the favor of everyone who saw her.

イエス様も、父のしていることを見て物事をしていると言われました。従順さのない人は、神様の時にも従順になれません。

★Ⅱ 摂理の中で神に選ばれる人は、従順と敬意のある人である

〇人格についてくる好意

V8 王の命令、すなわちその法令が伝えられて、多くのおとめたちがシュシャンの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた。 So it was, when the king’s command and decree were heard, and when many young women were gathered at Shushan the citadel, under the custody of Hegai, that Esther also was taken to the king’s palace, into the care of Hegai the custodian of the women.

〇王の愛と、王の信頼
V17 王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。 Now the king was attracted to Esther more than to any of the other women, and she won his favor and approval more than any of the other virgins. So he set a royal crown on her head and made her queen instead of Vashti.

★Ⅲ 摂理の中で神に選ばれる人には、神の目的に向かえば向かうほど、好意が付いて回る。

私たちは、みな神や人に選ばれ、さまざまな役割を似ない、様々な場所にいます。しかし、本当に神様の摂理の中で用いられる人には、その資質が伴うのです。

● 神の摂理と私たちの信仰が交わるとき

エステル4章13-16

13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。
14 もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。
16 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」And Mordecai told them to answer Esther: “Do not think in your heart that you will escape in the king’s palace any more than all the other Jews. 14 For if you remain completely silent at this time, relief and deliverance will arise for the Jews from another place, but you and your father’s house will perish. Yet who knows whether you have come to the kingdom for such a time as this?”
15 Then Esther told them to reply to Mordecai: 16 “Go, gather all the Jews who are present in Shushan, and fast for me; neither eat nor drink for three days, night or day. My maids and I will fast likewise. And so I will go to the king, which is against the law; and if I perish, I perish!”

〇神に選ばれている理由を悟る 

 神は、エステルをただ異国の王妃にするために王妃に成り上がらせたのではない。

〇神に第一の信頼を置く 「死ななければいけなのなら、死にます」

信仰とリスクは隣り合わせ。神の摂理の中で、自分の役割を悟り、それでも、私は神に信頼します。と、自分より、神を一番にする時に、神の目的が完成される。
イエス様もこういわれました。

ヨハネ12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。 Very truly I tell you, unless a kernel of wheat falls to the ground and dies, it remains only a single seed. But if it dies, it produces many seeds.

私たちも、みんな、神の摂理の中にいます。好まざると好もうと、今歩んでいる道に神様の配慮があります。私たち一人人が、摂理の中で、神に選ばれる人となり、神に自分をおいても従える人となることができましように。アーメン


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