みなさん、こんにちは。
お元気ですか。
昨年から今年にかけて、心の癒やしと解放のセミナー、エンパワーセミナーを行いました。クリスチャンとして解放されるだけでなく、神様の力を着せられて他人のためにも働けるようになるという素晴らしいコンセプトです。
大変好評につき、Youtube に録音版をアップすることとなりました。そして、レジメをこのブログ上に載せるようにしたいと思います。レジメの初めにYoutube のリンクを貼りたいと思います。貼れるのかな?やってみますね。
内容は次のとおりです。
心の癒やしと解放セミナー Empower Seminar
クリスチャンになったけれど、心の弱さがあまり変わっていない。いつも同じ恐れに縛られている。いつも職場でいじめられる。親子関係に問題がある。自分の子どもが問題を持っている。自分の問題が何かは漠然としていて分からないが、神様に変えられたい。なかなか霊的に成長できない。などという方はおられませんか。
このセミナーでは、心の傷と束縛のメカニズムを知り、どのようにキリストと御言葉の真理によって癒やしと解放にあずかれるかを教え、癒やしに導き、自分が癒やしを体験することによって、他者の癒やしを助けることができるようにするセミナーです。
聖霊様がきっと様々なことを語ってくださいます。祈り心で参加してください。
第一課 心の傷のメカニズム 2013年9月14日録音
SECTION 1.1 なぜカウンセリングが必要か
SECTION 1.2 心の傷のメカニズム
SECTION 1.3 聖書の原理原則/ 癒やしの鍵のみ言葉
第二課 言葉の力・あなたが真に信じていることは何?2013年10月12日録音
SECTION 2.1 マインドの役割
SECTION 2.2 真理とUNGODLY BELIEF 自分の経験からくる真理
SECTION 2.3 マインドのフィルターを掃除しましょう 祈りの実践
第三課 トラウマ・心の傷の癒やし 2014年1月11日録音
SECTION 3.1 イエス様と心の傷の癒やし
SECTION 3.2 心の傷が引き起こす問題
SECTION 3.3 心の傷の癒やしのプロセス
第四課 家系に住み着いている傷 2014年2月8日録音
SECTION 4.1 世代にわたる罪の呪い
SECTION 4.2 罪のアクティベーション
SECTION 4.3 解放と千代にいたる祝福へ
第五課 成長の鍵 2014年3月8日録音
SECTION 5.1 三位一体の神との関係
SECTION 5.2 クリスチャンの権威
SECTION 5.3 さあ、今度は、あなたの番です!
聖霊様がきっと語られます。祈り心で聞いて下さい。
ぼ
2014年3月23日日曜日礼拝
聖書箇所
1サムエル21章 詩篇34 詩篇56 ヨハネ15:1-5
20章では、ダビデとサウルの息子ヨナタンとの契約。また、サウルが本当にダビデを殺そうとしていることが分かった。賞賛と王の婿となる華やかな一面から手のひらを返したように一変する。そして、21章からダビデの逃亡生活が始まる。ダビデは、サウルが死ぬまで、逃亡生活が続くことになる。ダビデにとっては、今まで経験したことのない質の試練であった。Unknown problem to him. 敬っている王であるサウル、また義理の父であるサウル、親友の父でもあるサウルに命を狙われている。わけが分からない状態ではなかったでしょうか。Confusion. そして、分からないからこそ、不安だったことだろう。私たちも、このような混沌とした、何が起きているか分からない、理解しきれないことが人生のうちにはあるものです。今まで経験も想像もしたこともない試練にあるダビデの初めはどうだったのでしょうか。
ダビデがまずしたのは、
1. 祭司アヒメレクのところへ行った
v1ダビデはノブの祭司アヒメレクのところに行った。アヒメレクはダビデを迎え、恐る恐る彼に言った。「なぜ、おひとりで、だれもお供がいないのですか。」Now David came to Nob, to Ahimelech the priest. And Ahimelech was afraid when he met David, and said to him, “Why are you alone, and no one is with you?”
ここでも、主を第一にしているダビデの姿勢がうかがえる。困難のときこそ、主を礼拝する。また神の人のところに行く。
主の守りがあった。エドム人ドエグもきていた。v7―その日、そこにはサウルのしもべのひとりが主の前に引き止められていた。その名はドエグといって、エドム人であり、サウルの牧者たちの中のつわものであった―Now a certain man of the servants of Saul was there that day, detained before the Lord. And his name was Doeg, an Edomite, the chief of the herdsmen who belonged to Saul.
私たちは、何かあったとき、人のところではなく神のところに行くべきだ。
2. 混沌が不安を、不安が恐れを生んだ
v8-9 ダビデはアヒメレクに言った。「ここに、あなたの手もとに、槍か、剣はありませんか。私は自分の剣も武器も持って来なかったのです。王の命令があまり急だったので。」1. 9 祭司は言った。「あなたがエラの谷で打ち殺したペリシテ人ゴリヤテの剣が、ご覧なさい、エポデのうしろに布に包んであります。よろしければ、持って行ってください。ここには、それしかありませんから。」ダビデは言った。「それは何よりです。私に下さい。」
And David said to Ahimelech, “Is there not here on hand a spear or a sword? For I have brought neither my sword nor my weapons with me, because the king’s business required haste.”
9 So the priest said, “The sword of Goliath the Philistine, whom you killed in the Valley of Elah, there it is, wrapped in a cloth behind the ephod. If you will take that, take it. For there is no other except that one here.” And David said, “There is none like it; give it to me.”
恐れから出たもの
① うその証言 アヒメレクにサウルの急な命令だと言った
ダビデなりの人間的な配慮だったのかも知れない。サウルの評判を守るためか。
これは、次の章で恐ろしい惨事となる。ドエグによって、祭司と家族、家畜までが全て殺されることとなる。神に信頼しての透明なコミュニケーションというものがいかに大切であるか。
② 目に見えるものを頼みとする ゴリヤテの剣
しかし、勝利の思い出、証しとしては、ゴリヤテの剣は役に立つ。守りを与えるのは神である。ダビデは、石一つでゴリヤテに勝ったのではなかったのか。
Oppression makes a wise man do foolishly.
恐れと言うものは、目に見えるものに頼らせる。信仰の反対だ。信仰は、目に見えないものを保証するものだ。私たちが目に見えるものに頼るときに、信仰よりも恐れが勝っているのかもしれない。目に見える、お金、地位、持ち物にしがみついているならば、あなたは、恐れによって歩んでいるといえるだろう。
3. 敵の領内に逃亡 ペリシテのガデの王アキシュのところへ
v11-13するとアキシュの家来たちがアキシュに言った。「この人は、あの国の王ダビデではありませんか。みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」12 ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。13 それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。And the servants of Achish said to him, “Is this not David the king of the land? Did they not sing of him to one another in dances, saying: ‘Saul has slain his thousands,
And David his ten thousands’?” 12 Now David took these words to heart, and was very much afraid of Achish the king of Gath. 13 So he changed his behavior before them, pretended madness in their hands, scratched on the doors of the gate, and let his saliva fall down on his beard.
恐れから出たもの v12アキシュを非常に恐れた。
恐れと言うものは、まるでパンダねのようにどんどんふくらみ、大きくなる。ダビデの恐れは、非常に大きくなった。
自分を偽り、敵の領内にいたら安全だと思ったが、隠すことができなかった。
自分のプランが壊れると、恐れが入る。神のプランだと確信していると恐れはない。
ダビデは、気違いを装う。
4. ダビデの逃亡の中での証し
しかし、ダビデは、この絶体絶命の苦しみの中で多くを学んだ。
神の刈り込み、掘り出し作業の証し God’s pruning / “curving –treasure – out” work
私たちは、思いがけない試練のときこそ、大きな宝を得る。それは、農夫がぶどうの木を刈り込むようだ。実を結ぶために、いらない枝を切り落とす。また、鉱山で働く工夫のようだ。岩を切り砕き、宝石だけを取り出していくかのよう。この枝の結ぶ実は、朽ちない。この掘り出された宝石は、朽ちない。試練の中、刈り込みによって得るものは、大きい。決して普段の生活からは理解できないことを理解するようになる。私たちの命の永遠の目的eternal purposeを知るようになる。
ダビデは、恐れを持ちながらも、神様に立ち返り、多くを学んだ。
私たちもこの姿勢をもちたいものです。
ヨハネ15:1-5
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。“I am the true vine, and My Father is the vinedresser. 2 Every branch in Me that does not bear fruit He takes away;[a] and every branch that bears fruit He prunes, that it may bear more fruit. 3 You are already clean because of the word which I have spoken to you. 4 Abide in Me, and I in you. As the branch cannot bear fruit of itself, unless it abides in the vine, neither can you, unless you abide in Me.5 “I am the vine, you are the branches. He who abides in Me, and I in him, bears much fruit; for without Me you can do nothing.
ダビデは、この試練の痛みの中、混乱し、恐れたが、しっかりと主の木につながれた。神から得たもの、学んだことがあった。それが、詩篇34,56に書かれてある。
詩篇34:1-3
1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。I will bless the Lord at all times; His praise shall continually be in my mouth. 2 My soul shall make its boast in the Lord; The humble shall hear of it and be glad. 3 Oh, magnify the Lord with me,And let us exalt His name together.
詩篇34:15,16 義人の守り/義とされたクリスチャンの完全な守り
主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。16 主の御顔は悪をなす者からそむけられ、彼らの記憶を地から消される。The eyes of the Lord are on the righteous, And His ears are open to their cry.
16 The face of the Lord is against those who do evil, To cut off the remembrance of them from the earth.
詩篇56:3
恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。Whenever I am afraid,
I will trust in You.
詩篇56:8 神に知られている。私たちの最大の慰めである。
8あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。
You number my wanderings; Put my tears into Your bottle; Are they not in Your book?
詩篇56:12
神の約束、召しは変わらない。旧約の誓いは、現在の献身、召しに従うという感覚に近い。
神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。私は、感謝のいけにえを、あなたにささげます。Vows made to You are binding upon me, O God;I will render praises to You,
〇主に道が知られている
〇いかなる時にも主を褒め称える
〇義人の守り/義人の受ける分
〇それでも主の約束/召命は堅く立つ
私たちの中に、混乱の中にいる人がいるでしょうか。移行期にあって、何が起こるかわからないという漠然とした不安の中にいる人がいるでしょうか。
あなたの道は、神に知られています。またキリストの義に常に隠されています。あなたは、弱いようだが、強く。敵が攻撃しても、つぶされることは決してないのです。
刈り込みのときに、私たちも永遠の宝を得ましょう。あなたの永遠の目的があなたの霊と魂の中に明らかにされ、刻まれますように。
ぼ
Ⅰサムエル18章から
Ⅰサムエル記は、二人の王、ダビデとサウルが非常に対照的です。
サウル王は、ねたみと恐れにとらわれた肉の人でした。ダビデのあげた手柄を喜ぶことができず、かえって不安になり、ダビデを恐れるようになりました。
☆神の御国の法則は、Honorと愛です。
本来ならば、ともに喜ぶべきであるし、もしも、部下に不満があるなら、神に任せるべきである。人殺しをしようとした。神の国の法則は、Honorと愛です。互いに尊敬し愛し合うことでハーモニーができる。すなわち、一致ができる。
★信仰の性質 ダビデ
信仰というのは、目に見えない神を信じること。(ヘブル11:1信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen. 2 For by it the elders obtained a good testimony.)
先週のダビデの大勝利のお話しにも見られます。ダビデは、自分の信じている神様ならきっと勝たせてくれる。という信仰にたっているのです。神の心を知っているから信仰にたてる。自分のしていることは、神の心にそっているとはっきり言える。
V12, 主はダビデとともにおられbecause the Lord was with him V14ダビデはその行く所、どこででも勝利を収めた。主が彼とともにおられた。And David behaved wisely in all his ways, and the Lord was with him.
☆信仰と行いについて
v16 イスラエルとユダの人々はみな、ダビデを愛した。彼が彼らの先に立って行動していたからである。But all Israel and Judah loved David, because he went out and came in before them.
ヤコブ2:26魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。For as the body without the spirit is dead, so faith without works is dead also.
ダビデは、行いのある人でした。人々は、その人が何を言うかに注目し、また、その人が何をするかに注目しています。ダビデは、誰よりも先頭にたって、戦った人です。率先して、物事をする。そういう人に人々は信頼を寄せます。ダビデは、イスラエルとユダの人はみな、ダビデを愛したとあるほどに愛され信頼されていました。彼の心にあることがそのまま行動にでていたのです。
私たちクリスチャンはどうでしょうか。私たちは、心で信じているとおりに行動しているでしようか?世の人々がついてくる人となっているでしょうか。
★恵みと犠牲について
V27 ダビデは立って、彼と部下とで、出て行き、ペリシテ人二百人を打ち殺し、その陽の皮を持ち帰り、王の婿になるためのことを、王に果たした。そこでサウルは娘ミカルを妻としてダビデに与えた。therefore David arose and went, he and his men, and killed two hundred men of the Philistines. And David brought their foreskins, and they gave them in full count to the king, that he might become the king’s son-in-law. Then Saul gave him Michal his daughter as a wife.
ダビデは、陽の皮100枚と言われたのに、200を取って来た。彼は、神の恵みによって、神に選ばれ、恵みによって、王の婿になることを許されたことを知っている。そして、神の恵みによって戦い100のところを200とって来るようになった。ダビデは、恵みを無駄にしない人であった。また、犠牲を払うことを知っている人であった。
犠牲を払える人は、神の豊かさを理解している人。神の気前の良さ。一マイルいけといわれたら、その人とともに二マイルいけ。And whoever compels you to go one mile, go with him two.マタイ5:41
私たちは、犠牲を払うから、恵みをいただけるのではない。恵みに感動しているので、犠牲が払える。また、私たちのために犠牲を払って下った、イエス様を知っているから、犠牲を払いたい。
なぜなら、私たちが神を愛して犠牲を払うとき、神がその行為によって、敬意をお受けになる。神が高められるからである。
証し:
私たちクリスチャンは、恵み、恵みといい。強調し、犠牲を払うことを忘れてはいないか??
★神とのヒストリー
先週、まきおくんのお話にも出ましたが、ダビデは、羊飼いしている時も神様により頼み、きっと自分が任されている羊たちを神様は守ってくださると信じて、猛獣と戦っていた。また、神様と交わっていた。ハープ奏者。祈りの賛美をしていた。神の臨在のある人というのは、一晩では、出来上がらない。神様と自分との歴史がないと、神がともにおられると人が見て取れるひととはならない。ヨセフの上にも神様がともにおられました。その時も同じことを言いましたが。皆さん、どんな立派な牧師先生についていったって、神様との歴史は、きずきあげられません。自分がもがいて、悩んで、それを神様に聞いて、解決策を与えられたり、神様に救われたり、そういう中で、神様と自分との歴史ができるのです。他人がかわりに作ってくれないのです。
あなたには、神様との関係がありますか。また神様とのヒストリーがありますか?
★まとめ
信仰は、行いをうみ、その行いは、神に敬意を表し、神を高めるために犠牲を払うにいたる。
私たちの信仰は、生きているでしょうか?
みなさん、いかがお過ごしでしょうか。さて、なかなか終わらないシリーズも最後から二番目になりました。
妻が愛されていると思う時
忠誠心:夫から忠誠心を感じるとき。(妻への完全な献身)
・ 違う女性に目もくれない時
男性は、無意識に道を歩く女性を目で追いかけたりします。そして、男性は無意識なので、自分では自然すぎて気がついていないときもあります。しかーし! 女性はばっちり気がついています。また、「自分の妻が世の中で一番綺麗」と日ごろから態度で示し、口でも表現することをお勧めします。
・ 家族や友達にわたしについて肯定的なことのみ話す; 彼らに自分たちの関係で困っていることをぶちまけない。
これは、お互いに言えることですが、家族が集まるようなときには、妻に関して良い事を話すととても関係が良くなります。ぜったいに、「うちのは料理がへただから」「うちの嫁は掃除をしない」なんて言ってはいけません。日本人は、妻を愚妻などと呼ぶ文化があり、謙遜のつもりで外で妻のことを悪く言うことがありますが、これは、夫婦間の信頼関係を壊すことになります。もし、ダメだしをする必要があるなら、家の外で他人に言うのでなく、本人に家の中でお願いします。
・ 死が二人を分かつまで決して離婚という言葉を持ち出さない。
これは、両方に言えることですが、いくら激しくけんかしていても、離婚の二文字は決して持ち出すべきではありません。これを言ってはおしまいです。本当に深く相手を傷つけてしまいます。
余談
男性の言葉には力があります。夫が妻を誉めれば誉めるほど、彼女の美を賞賛すればするほど、妻は美しく変革していきます。ぜひ、夫のみなさん、妻をほめてください。
夫が尊敬されていると感じる時
関係: 妻がわたしのパートナーシップと楽しみ仲間であることを評価してくれるとき。(肩と肩を並べてすごす友人関係を持ちたいとの願い)
・ 妻がわたしを好きだと言う時。
逆によく聞く言葉ですが、「あなたのこと愛してはいるけど、好きじゃない。」との妻の言葉。これは、男性をひどく傷つけます。男性は、このシリーズの始めの方で話したとおり、肩と肩をならべるパートナーとしての関係を好みます。女性は、顔と顔を向き合わせる関係、もっと親密さを好みます。夫にとって、バディとしての妻に嫌いといわれるほどいやなことはありません。
・ リクリエーションをわたしと一緒にする時、もしくは、わたしがしているのを横で見てくれている時。
夫は、どこか行く時、あなたについて来て欲しがりませんか。妻にとって何もすることのないひまな時間になるのに、どうして。などと不思議に思うこともあると思います。皆さん、男同士のリクリエーションは、肩と肩をならべて無言で互いに釣りをするなどといったものが多いのです。それと同じように、自分の趣味をしている間、妻に隣にただいて欲しいのが、夫の願いなんです。妻のみなさん。時間の無駄と決して思わないでください。ぜひ、夫に付き合ってあげてください。きっと、夫は、大満足でこういうでしょう。「いやー、今日は久しぶりに二人っきりのとても充実したデートだったね。僕は幸せだよ。」と。妻にしては、おしゃべりもせず、ただ、一緒にいただけなのに、どうしてデートと解釈するのかと思いますよね。これが、男女の違いです。理解してあげてください!!!!
・ 妻がわたし個人の時間を過ごすように励ましてくれるとき。これがあとで妻ともう一度つながることへの活性剤となる。
妻は、親密さを求めますので、夫が帰宅すると、べったりくっついて、おしゃべりをしたくなります。しかし、男性には、個人の時間がとても大切です。家の外で、世間の荒波にもまれ、家族を食べさせるために戦ってくるのですから、ゆっくりと自分の頭と身体をすこし休める時間が必要になります。
私のことあまり興味ないのかな、と変に気を回さず、個人の時間が必要なときは、そっとしておいて上げてください。そうすると、必ず、気がすむと妻に向かって心を向けてきますよ。お試しください!!
次でシリーズ最後となります!
なかなか続けてアップできませんでしたが、お楽しみいただけましたでしょうか。次の回もお楽しみに。
ぼ
みなさん、こんにちは。
過去三ヶ月いや、六ヶ月、いろいろーーんなことがありました。
そして、その一つに、夫が神学校に入学するという出来事がありました。
私は、今まで、独身のときから、女性献身者として一人で神様に仕えてきましたし、献身者の方となかなか結婚にも導かれなかったということで、
牧師、宣教師とは関係ない主人に導かれたとき、あまり、夫婦でがっつり献身者として生きるということをイメージせずにいました。
ミニストリーして帰ってきたら、家で夫が私をねぎらってくれたり、いろいろな世間の荒波から守ってくれたらいい程度に考えていました。
確かに、夫は、私の一番のチアリーダーで、つねに励まし、立てあげ、笑わし、また私を守ってきてくれました。
感謝です。
けれど、今年に入って、自分も神学校に行きたいといいだしたのです。
仕事もあるし、どうやって、スケジュールや金銭面をやりくりできるのだろうかと、あまり、真剣に考えていなかったのですが。
仕事の時間を減らして授業に出ることになりました。
すごいっ。
神学校に行きだすと、本当に授業が面白いらしく、今まで行った学校やクラスの中で一番楽しいのだそうです。
また、日々神様に成長させられ、変えられていく夫を見ることは、なによりの祝福です。毎日成長ぶりに感動させられています。
私たちは、一つ霊となることを神様にゆるされているのは、私たちと神の間柄以外には、男女の結婚関係のみです。
ここに、深遠なまでの神様のご計画を体験できるようになっているのです。
日ごろから、私の苦手なところは、主人が補ってくれていて、主人の苦手なところは、私が補ってうまく、二人一組でやっていますが、これも、すごいことだなと思いますが、今回のことを通して、全身全霊をもって、ひとつの目的ゴールに向かって、二人で一組で神様に召され、働けることの素晴らしさ、光栄さを感じさせていただきました。
これからも、互いに成長するにしたがって、さらに二人で一組の献身者として成熟したミニストリーができるようになるのかと思うと、本当に将来が楽しみです。
神様は、私たちの想像をはるかに超えて良い方、また神様のご計画は、私たちの思いや願いを超えて完全で素晴らしいものですね!
感謝
ぼ
みなさん、こんにちは。
ご無沙汰しています。
先日ある方に、出会って、「プログ読んでました」とのこと。
まさか、楽しみに読んでくださっている方がいるとは、知らず、
忙しさにかまけて、書くことをすっかりやめてしまっていました。
読んでくださっていた方々。すみませんでした。
また再会させようと思います。
教会の行事としては、9月から、心の癒やしセミナーEmpower Seminar を始めます。
月に一度の集まりで、ホリデーシーズンを除いて5回のセッション、3月に終了予定です。場所は、レドモンドと、レントンに別れます。土曜日はレドモンド、金曜日はレントンです。また、心の癒やしについても、ブログに載せられればと思います。
セミナーで話す内容は、次のとおり
① 心の傷のメカニズム
② 言葉の力
③ トラウマ・心の傷(感情)の癒やし
④ 家系に住み着いている傷
⑤ 成長の鍵、父、御子、御霊との関係
興味のある方は、ご連絡ください。
当面は、とりあえず、夫婦のシリーズを終了させることに集中します!!!
これからもよろしくお願いします。
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