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ダビデの逃亡生活の始まりDavid’s Life on the lam

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2014年3月23日日曜日礼拝

聖書箇所

1サムエル21章  詩篇34  詩篇56 ヨハネ15:1-5

20章では、ダビデとサウルの息子ヨナタンとの契約。また、サウルが本当にダビデを殺そうとしていることが分かった。賞賛と王の婿となる華やかな一面から手のひらを返したように一変する。そして、21章からダビデの逃亡生活が始まる。ダビデは、サウルが死ぬまで、逃亡生活が続くことになる。ダビデにとっては、今まで経験したことのない質の試練であった。Unknown problem to him. 敬っている王であるサウル、また義理の父であるサウル、親友の父でもあるサウルに命を狙われている。わけが分からない状態ではなかったでしょうか。Confusion. そして、分からないからこそ、不安だったことだろう。私たちも、このような混沌とした、何が起きているか分からない、理解しきれないことが人生のうちにはあるものです。今まで経験も想像もしたこともない試練にあるダビデの初めはどうだったのでしょうか。

ダビデがまずしたのは、

1. 祭司アヒメレクのところへ行った 

  v1ダビデはノブの祭司アヒメレクのところに行った。アヒメレクはダビデを迎え、恐る恐る彼に言った。「なぜ、おひとりで、だれもお供がいないのですか。」Now David came to Nob, to Ahimelech the priest. And Ahimelech was afraid when he met David, and said to him, “Why are you alone, and no one is with you?”
ここでも、主を第一にしているダビデの姿勢がうかがえる。困難のときこそ、主を礼拝する。また神の人のところに行く。
主の守りがあった。エドム人ドエグもきていた。v7―その日、そこにはサウルのしもべのひとりが主の前に引き止められていた。その名はドエグといって、エドム人であり、サウルの牧者たちの中のつわものであった―Now a certain man of the servants of Saul was there that day, detained before the Lord. And his name was Doeg, an Edomite, the chief of the herdsmen who belonged to Saul.

私たちは、何かあったとき、人のところではなく神のところに行くべきだ。

2. 混沌が不安を、不安が恐れを生んだ 

v8-9 ダビデはアヒメレクに言った。「ここに、あなたの手もとに、槍か、剣はありませんか。私は自分の剣も武器も持って来なかったのです。王の命令があまり急だったので。」1. 9 祭司は言った。「あなたがエラの谷で打ち殺したペリシテ人ゴリヤテの剣が、ご覧なさい、エポデのうしろに布に包んであります。よろしければ、持って行ってください。ここには、それしかありませんから。」ダビデは言った。「それは何よりです。私に下さい。」
And David said to Ahimelech, “Is there not here on hand a spear or a sword? For I have brought neither my sword nor my weapons with me, because the king’s business required haste.”
9 So the priest said, “The sword of Goliath the Philistine, whom you killed in the Valley of Elah, there it is, wrapped in a cloth behind the ephod. If you will take that, take it. For there is no other except that one here.” And David said, “There is none like it; give it to me.”

恐れから出たもの  

① うその証言 アヒメレクにサウルの急な命令だと言った

ダビデなりの人間的な配慮だったのかも知れない。サウルの評判を守るためか。
これは、次の章で恐ろしい惨事となる。ドエグによって、祭司と家族、家畜までが全て殺されることとなる。神に信頼しての透明なコミュニケーションというものがいかに大切であるか。

②  目に見えるものを頼みとする ゴリヤテの剣
しかし、勝利の思い出、証しとしては、ゴリヤテの剣は役に立つ。守りを与えるのは神である。ダビデは、石一つでゴリヤテに勝ったのではなかったのか。
Oppression makes a wise man do foolishly.
恐れと言うものは、目に見えるものに頼らせる。信仰の反対だ。信仰は、目に見えないものを保証するものだ。私たちが目に見えるものに頼るときに、信仰よりも恐れが勝っているのかもしれない。目に見える、お金、地位、持ち物にしがみついているならば、あなたは、恐れによって歩んでいるといえるだろう。

3. 敵の領内に逃亡          ペリシテのガデの王アキシュのところへ
v11-13するとアキシュの家来たちがアキシュに言った。「この人は、あの国の王ダビデではありませんか。みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」12 ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。13 それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。And the servants of Achish said to him, “Is this not David the king of the land? Did they not sing of him to one another in dances, saying: ‘Saul has slain his thousands,
And David his ten thousands’?” 12 Now David took these words to heart, and was very much afraid of Achish the king of Gath. 13 So he changed his behavior before them, pretended madness in their hands, scratched on the doors of the gate, and let his saliva fall down on his beard.

恐れから出たもの v12アキシュを非常に恐れた。 
恐れと言うものは、まるでパンダねのようにどんどんふくらみ、大きくなる。ダビデの恐れは、非常に大きくなった。
自分を偽り、敵の領内にいたら安全だと思ったが、隠すことができなかった。
自分のプランが壊れると、恐れが入る。神のプランだと確信していると恐れはない。
ダビデは、気違いを装う。

4. ダビデの逃亡の中での証し
しかし、ダビデは、この絶体絶命の苦しみの中で多くを学んだ。

神の刈り込み、掘り出し作業の証し God’s pruning / “curving –treasure – out” work
私たちは、思いがけない試練のときこそ、大きな宝を得る。それは、農夫がぶどうの木を刈り込むようだ。実を結ぶために、いらない枝を切り落とす。また、鉱山で働く工夫のようだ。岩を切り砕き、宝石だけを取り出していくかのよう。この枝の結ぶ実は、朽ちない。この掘り出された宝石は、朽ちない。試練の中、刈り込みによって得るものは、大きい。決して普段の生活からは理解できないことを理解するようになる。私たちの命の永遠の目的eternal purposeを知るようになる。
ダビデは、恐れを持ちながらも、神様に立ち返り、多くを学んだ。
私たちもこの姿勢をもちたいものです。

ヨハネ15:1-5
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。“I am the true vine, and My Father is the vinedresser. 2 Every branch in Me that does not bear fruit He takes away;[a] and every branch that bears fruit He prunes, that it may bear more fruit. 3 You are already clean because of the word which I have spoken to you. 4 Abide in Me, and I in you. As the branch cannot bear fruit of itself, unless it abides in the vine, neither can you, unless you abide in Me.5 “I am the vine, you are the branches. He who abides in Me, and I in him, bears much fruit; for without Me you can do nothing.

ダビデは、この試練の痛みの中、混乱し、恐れたが、しっかりと主の木につながれた。神から得たもの、学んだことがあった。それが、詩篇34,56に書かれてある。

詩篇34:1-3 
1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。2 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。I will bless the Lord at all times; His praise shall continually be in my mouth. 2 My soul shall make its boast in the Lord; The humble shall hear of it and be glad. 3 Oh, magnify the Lord with me,And let us exalt His name together.

詩篇34:15,16 義人の守り/義とされたクリスチャンの完全な守り
主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。16 主の御顔は悪をなす者からそむけられ、彼らの記憶を地から消される。The eyes of the Lord are on the righteous, And His ears are open to their cry.
16 The face of the Lord is against those who do evil, To cut off the remembrance of them from the earth.

詩篇56:3
恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。Whenever I am afraid,
I will trust in You.

詩篇56:8 神に知られている。私たちの最大の慰めである。
8あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。 
You number my wanderings; Put my tears into Your bottle; Are they not in Your book?

詩篇56:12 
神の約束、召しは変わらない。旧約の誓いは、現在の献身、召しに従うという感覚に近い。
神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。私は、感謝のいけにえを、あなたにささげます。Vows made to You are binding upon me, O God;I will render praises to You,

〇主に道が知られている
〇いかなる時にも主を褒め称える
〇義人の守り/義人の受ける分
〇それでも主の約束/召命は堅く立つ

私たちの中に、混乱の中にいる人がいるでしょうか。移行期にあって、何が起こるかわからないという漠然とした不安の中にいる人がいるでしょうか。
あなたの道は、神に知られています。またキリストの義に常に隠されています。あなたは、弱いようだが、強く。敵が攻撃しても、つぶされることは決してないのです。
刈り込みのときに、私たちも永遠の宝を得ましょう。あなたの永遠の目的があなたの霊と魂の中に明らかにされ、刻まれますように。


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