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  • 回復のはじめ At the beginning of the restorati

回復のはじめ At the beginning of the restorati

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2014年9月21日日曜日礼拝 音声は、http://youtu.be/gfUjubTz2LM

エズラ記1-4章より

エズラ1:1-4
ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。2 「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。3 あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。4 残る者はみな、その者を援助するようにせよ。どこに寄留しているにしても、その所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んでささげるささげ物のほか、銀、金、財貨、家畜をもって援助せよ。』」

★ バビロン捕囚の終わり The end of the exile

罪ゆえのバビロン捕囚 
神様の教えを無視し、神様に背いたことによって。
七十年にも渡った。世代も変わり、バビロンの名前を持つものが多くなってきた。

★ 神の絶対的な導き

一方、絶対的な神の御手が、イスラエルの民の上にあった。
預言者を様々な場所に起こし、神の言葉を解き明かした。
 ダニエル エレミヤ エゼキエル 他  また、様々なリーダーを通して絶妙なタイミングで神様の計画がすすんで行きました。エズラ ネヘミヤ エステル
バビロン時代、預言者ダニエルが、壁に書かれた文字を王のために解き明かし、次の日にバビロンは、ペルシャに倒される。ペルシャの王になって、ユダヤ人帰還が赦された。

◎ エレミヤの預言の通りとなる。

エレミヤ29:10-13
まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。12 あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。14 わたしはあなたがたに見つけられる。―主の御告げ―わたしは、あなたがたの繁栄を元どおりにし、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。―主の御告げ―わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」

みなさん、神様は、良いお方です。私たちが失敗しても、神様に背いても、私たちを良い心で、私たちを憐れんで導いてくださっています。神の言葉は、一つもむなしく地に落ちることがありません。必ず成就します。歴史上で、それは、もう確認済みです。あなたの上にも同じです。神の約束は、必ず成就します。もしも、あなたが失敗しても、神は、あなたを教え、矯正し、慰め、建てあげながら、約束の地まで導いてくださいます。そのことを信じますか?

★ 礼拝の回復へ

エズラ3:1-2 祭壇を築いた。

イスラエル人は自分たちの町々にいたが、第七の月が近づくと、民はいっせいにエルサレムに集まって来た。2 そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおり、全焼のいけにえをささげるために、こぞってイスラエルの神の祭壇を築いた。

70年もの苦悩の後、解放と回復が始まった。
私たちも、試練、苦悩から回復の兆しが見えるとき、一番に何をするでしょうか。
新しい場所に移されたとき。環境的に、霊的に。神の導きによって、新しい仕事に移された、新しいことを始めた。
人間関係、仕事、環境いろいろなアジャストメントがあります。それらに終始することもできるでしょう。しかし、私たちは、神に選ばれた人たち、礼拝する人たちです。神の民です。
まず、第一に祭壇を築きましょう。
祭壇とは、礼拝の中心。罪のための犠牲の動物を捧げる場所。罪ゆえに隔たりができた関係に和解をもたらす場。感謝を捧げる場。すすんで心からの愛を表現する場。
新約の私たちにとっての祭壇は、イエス・キリストそのものであり、キリストへの献身です。

私たちにとっては、神の祭壇とは礼拝。それも、形式の礼拝だけでなく、生きた供え物として自分をそのまま捧げること。生きている状態の捧げ物です。ロマ書12:1
神様が試練から解放させてくださる時に、まず、礼拝を確立しましょう。キリストとの関係を確立しましょう。

★ 妨げと神を求め続けることのチャレンジ

エズラ4:4-5
すると、その地の民は、建てさせまいとして、ユダの民の気力を失わせ、彼らをおどした。5 さらに、議官を買収して彼らに反対させ、この計画を打ちこわそうとした。このことはペルシヤの王クロスの時代からペルシヤの王ダリヨスの治世の時まで続いた。

 サマリヤ人たちに妨害され、二十年ほど神殿の建設が途絶えます。
神殿の礎が完成して喜んだのもつかの間、土地の人々から反対され、妨害が入ります。

これを読むときに、私が、イエス様を信じてしばらくすると、妨害のようなことが起きて、信仰を保つことにチャンレンジが来たことを思い出す。また、いつも、神様に従って、神様の約束の方に向かうときに、困難やチャレンジがやってくることがある。

(私の証し)
神様の声にしたがって、8年前にアメリカに渡る。神様の導きの中をすすめばすすむほど、道が開かれる。ダッグ牧師夫妻との不思議な出会い。癒し。人々が集められてくる、十分なお金を持たずにアメリカに来たが、学生を経て次のステップに進む二年と半年間、絶えず経済的な奇跡が起きた。等々。。。。そして、いざ、神様の新たな召しに従い、ミニストリーを正式に始める段になると、とたんに困難が押し寄せてきた。ビザの問題。一つ目の方法が手ひどい形で拒絶を食らう。その後、違う方法で申請。順調と思いきや、私のケースを扱っていた弁護士が急に辞める。次の弁護士になって、再度申請、その後、移民局に書類を無くされ、などなど、どうなるかと思いましたが、やっと開かれた。その後も、様々なチャレンジにあいます。
エリックも神学校に行くことにしてから、様々なチャレンジにあいます。私とエリックの車の難、また私とエリックの歯の難。。。経済的にチャレンジされます。
これは、神の御心ではないというサインではありません。

私は、これらのことを乗り越えていく度に、神が私と確かに共におられることと、奇跡と、神の導く目的地に対して確信が来るのです。
またそれだけではなく、神さまとの関係が深くなっていくのです。
それは、どんなことが周りで起ころうとも揺るがない、内側の強さとなって現れます。

★ 神様の心とは

神は、エレミヤ29で、読んだとおり、「わたしは、あなたがたのために立てている計画を良く知っている。私を求めよ。あなたは、私を見つける。あなたは、解放される。」と言っている。
私たちの心の中では、苦しみから解放されたいということばかりが先に立つであろうが、神の側では、
どんなことが起きても、民に神を求めて欲しかった。民に見出されたかった。形式だけ、宗教的に正しいと思われることのみをするのではなく、民との親密な関係を築きたかった。

私たちの主は、今日も、あなたと親しい関係を築きたいと招いておられます。
ますます、堅く主を信じ、信頼して歩んでいきましょう。

バビロン捕囚からの解放の初めは、礼拝の回復でした、また神との信頼関係のたてあげの初めでした。


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