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ロマ12章④ キリスト者の生き方 ii

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大学院のお友達たちと集まりまし... 大学院のお友達たちと集まりました。土曜日、とても楽しく祝福された時を持ちました。みなさん、素敵な方々です。年齢やバッググラウンドは全く違うけど、神様にあってとってもよい姉妹たちです。 木曜日、ロバの子クラス、この日... 木曜日、ロバの子クラス、この日は、子供たちが六人。とても楽しかったです。一緒に遊んでいる姿は微笑しいです。。。 子供たちがぶれずに正面を向いて... 子供たちがぶれずに正面を向いて写真におさまりました。奇跡だー! あまりにも嬉しかったのでつい、載せてしまいました。。。こんなことってある??
2017年2月19日日曜日礼拝メッセージ音声



ロマ12:14-21

12:14あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。 12:15喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。 12:16互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。 12:17だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。 12:18あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。 12:19愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」 12:20もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。 12:21悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

★ 世を祝福する Bless the world
12:14あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。Bless those who persecute you, bless and do not curse.
なぜでしょう? 私たちは、神に似せられた話す霊です。ですから、私たちの言葉に力があるからです。呪いは、命と関係を断ち切ります。呪いのあるところには、祝福が届きません。たとい、誰かがあなたを信仰の故に迫害しても、後にその人が神に出会うかもしれません。神様というお方の本質は、裁きよりも憐れみが勝るお方です。麦の中に生えている毒麦を収穫の時まで育てておく方です。悔い改めのチャンスを与えられる方です。
神は、私たちを呪い専門ではなく、祝福専門にされました。私たちの口が祝福するところから、命が溢れ、神の好意が望むのです。日々、呪うことよりも、祝福することを選ぶようにしましょう。
★ 感情の共有 Sharing your emotions
12:15喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。15 Rejoice with those who rejoice, weep with those who weep.
みなさん、イエス様は完全な人であり完全な神でありました。イエス様は、泣かれたり、怒られたり、喜ばれたりしました。私たちは、感情的になることは良くないような印象をいつしか植え付けられてきたように思います。感情は、私たちが全人的に健康でいられる一つの印です。感情を押し殺してしまえば、心の癒しも起こりません。感情には理由があります。また、感情を隠すことなく出すことは、ボルナラボルなことでもあります。
感じる心は私たちを一つにする。感情は、私たちに何らかのメッセージを送っている。シグナルであり、媒体。エンパシーは、相手の身になって物事を感じること。先日不思議な体験をしました。オーセンティック、純粋な人間関係は、組織に属することからは来ない。既定の枠組みでない。一人一人の心と心のつながりである。ここで、先月話した、vulnerability が大切になってきます。あなたの感情を表すには、vulnerability が必要ですし、また自分をリスペクトし、愛していなければなかなかできないものでもあります。

私の証し;

コミュニティが感情を共有するところに癒しがあり、解放があり、和解がある。

★ 一つの思い One mind

12:16互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。Live in harmony with one another; do not be haughty but associate with the lowly. Do not be conceited.

一つの心になるには、自分の思いを相手の思いよりも優れていると思っていては一つになれません。むしろ、自分の方が正しいと思っている人こそ、低くなることを学ばなければならないのかもしれません。イエス様は、高く天にいらっしゃった、全ての造り主、全てをご存知の方であるのに、私たちのようになってくださいました。罪は犯されませんでしたが、赤ちゃんになって生まれてくださったのです。全てできるのに、言葉も親に教えてもらい、文字を書くことや読むことも教えてもらったことでしょう。バプテスマのヨハネから洗礼も受けました。ヨハネは、私こそしていただかないといけない立場なのに。。。と言いましたが、今はそうされてくれ、と洗礼を受けました。私たちの神、イエス・キリストが低い私たちに合わせてその目線にまで降りてくださったことを思い出しましょう。私たちは、何目線で生きているでしょうか。

★ 善をもって悪に打ち勝つこと Overcome the evil with goodness

善、goodness について一緒に考えてみましょう。

12:17だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。Do not repay anyone evil for evil; consider what is good before all people.
12:18あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。If possible, so far as it depends on you, live peaceably with all people.
12:19愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」19 Do not avenge yourselves, dear friends, but give place to God’s wrath, for it is written, “Vengeance is mine, I will repay,” says the Lord.
12:20もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。 12:21悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。20 Rather, if your enemy is hungry, feed him; if he is thirsty, give him a drink; for in doing this you will be heaping burning coals on his head. 21 Do not be overcome by evil, but overcome evil with good.

① 自分の中で善の意識を育てる V17
すべての人にとって良いこととは何か。自分にとって良いことを考えるとそこにはわがまましかなく、また一方的な考えになりがちですが、違う人のニードを思いやり、違った心の傷を持っている人の必要を考えるときに、善の意識も深められていくのです。人は、一人で独立して存在するものではないからです。

② ピースメイカーとなる V18
これはなかなか難しいことです。よく志がある人、また初めて教会に来た人で祈りの課題はと聞かれたら、世界平和と言われる方がおられますが、世界平和の実現は、私から始まることも忘れてはいけません。けれども、聖書は「自分に関する限り」と書いてありますね。平和を作るには、ただ、みなの意見を完全に取り入れて、妥協によってコンフリクト、摩擦のなか状態を作ることではないのです。コンフリクトはあって当たり前です。ただ、重要になってくるのは、互いに愛があるのか、互いに赦しあえるのか、ということです。ピースメイカーは、和解の方法を知っている人であると言えます。あなたは、問題解決を求めますか、二人でなる夫婦であっても互いに満足のいく百点の問題解決などありえません。ですが、互いに愛し合い、赦しあうなら、問題は問題ではなくなります。本当の和解はそういうものではないでしょうか。イエス様も、この世に来られたことで、摩擦があり、分裂も起きました。しかし、和解という道を十字架の上でお示しくださったのです。

③  復讐より愛で V19,20
旧約聖書では、目には目で、歯には歯でと、律法によって自分がやられた分は取り返すことが認められており、ただそれ以上のことはしてはいけないという決りがありました。新約では、復讐は神のすることである。というのも、イエス様が私たちのすべての罪を赦してくださった、私の罪も、あの人の罪も。私は、赦されたのですから、今や、赦す人に変えられたのです。聖書の大きな借金を主人に赦してもらった人のようですね。ですから、私たちに委ねられているのは、イエス様によって赦すことであり、復讐は、神様の手に渡ったのです。そして、本当に、神様は、そうなさいます。私も、何度も、私に危害を及ぼす人が神様から叱られているのを見ました。そして、私は、とりなして祈ります。いつも必ず、最後には和解か、相手が未信者の場合には、神様に興味を持ってくれるというように変えられます。
私たちには生きている神様、王の王がいらっしゃることを忘れないでください。
むしろ、v20では、当時の風習で、種火がなくなって暖もとれず、料理さえできない、大事な火種だったんですね。ですから、例えいやな隣人にでも、大変に良いことをするならば、(持っている種火をもらうその器に炭火のおすそ分けをしてあげる)、復讐するなんてことよりも、はるかにいい解決に導くのですよ。と聖書は教えているのです。世は、悪で満ちているようですが、善を持って悪に打ち勝ちましょう。


#キリスト教 #ブログ #教会 #礼拝メッセージ

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A Called Life 主の召命のある人生

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木曜日はいつも日本人教会を助け... 木曜日はいつも日本人教会を助けてくれているケニーさんのお誕生日でした。ホライズンカレッジのクラスの中でお祝い。 木曜日のロバの子クラス。なんだ... 木曜日のロバの子クラス。なんだろう、走りまくって急に疲れる遊びだそうです。今、疲れている図。笑 日曜日の朝は、英語礼拝に出ます... 日曜日の朝は、英語礼拝に出ます。日本人は午後から。祈りの時。 日本人教会ランチタイム。小さい... 日本人教会ランチタイム。小さいちゃんは、オレオプリンを食べて、美味しいお顔を作っています。口には、白いクリームのおひげーー。食べながら、まだ、まだ。と言います。もっと食べるってことかな?
今日の日曜日は、エリックがメッセージでした。下記のものは、聖書箇所だけです。簡単なノートです。

Prov. 箴言14:12
“There is a way which seemeth right unto a man, but the end thereof are the ways of death.”人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。

I. Jonah’s Calling ヨナの召命

Jonah ヨナ書1: 1-2
“Now the word of the Lord came unto Jonah the son of Amittai, saying, Arise, go to Nineveh, that great city, and cry against it; for their wickedness is come up before me.” アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」

II. Jonah’s Disobedience ヨナの不従順

Jonah ヨナ書1:8
“...tell us, we pray thee, for whose cause this evil is upon us; What is thine occupation? What is thy country? And of what people art thou?” そこで彼らはヨナに言った。「だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、告げてくれ。あなたの仕事はなにか。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。いったいどこの民か。」 

Jonah ヨナ書1:10
.“...what shall we do unto thee, that the sea may be calm unto us?” それで人々は非常に恐れて、彼に言った。「何でそんなことをしたのか。」人々は、彼が主の御顔を避けてのがれようとしていることを知っていた。ヨナが先に、これを彼らに告げていたからである。

Jonahヨナ書 1:12
“...take me up, and cast me forth into the sea; so shall the sea be calm unto you: for I know that for my sake this great tempest is upon you.” ヨナは彼らに言った。「私を捕らえて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」

Jonahヨナ書 1:14
“Wherefore they cried unto the Lord, and said, We beseech thee, O Lord, we beseech thee, let us not perish for this man’s life, and lay not upon us innocent blood:...” そこで彼らは主に願って言った。「ああ、主よ。どうか、この男のいのちのために、私たちを滅ぼさないでください。主よ。あなたはみこころにかなったことをなさるからです。」




III. Jonah’s Near Death Experience – Tribulation ヨナの臨死体験- 罪の刈り取りの患難


Jonahヨナ2:9 “...I will sacrifice unto thee with the voice of thanksgiving; I will pay that I have vowed. Salvation is of the Lord.”  しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。


IV. Jonah Obeys - Nineveh and Jonah are redeemed ヨナの従順—ニネべとヨナの命の贖い
Jonahヨナ書 3:4-5
“...Yet forty days, and Nineveh shall be overthrown. So the people of Nineveh believed God, and proclaimed a fast, and put on sackcloth, from the greatest of them even to the least of them.” ヨナはその町に入って、まず一日目の道のりを歩き回って叫び、「もう四十日もうると、ニネベは滅ぼされる」と言った。5 そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。

Jonahヨナ書 3:8-9
“...let them turn every one from his evil way, and from the violence that is in their hands. Who can tell if God will turn and repent, and turn away from his fierce anger, that we perish not?” 人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。9 もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないで済むかもしれない。」

V. My Jonah Story 私のヨナ体験

Prov. 箴言14:12
“There is a way which seemeth right unto a man, but the end thereof are the ways of death.” So my way which seemed right led to death. 人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である


“We desire to be in a perfect relationship with God and others, to be free of hurt and pain, but none of this will happen in this life on a level that will completely satisfy us. So we have to groan and wait, looking with hope toward that day when all tears will be wiped away. In that hope, we will not be disappointed.” 私たちは神と人との痛みや傷のない完璧な関係を求めます。しかし、完全に私たちが満足するレベルには生きている間では到達しないでしょう。ですから、私たちはうめき、いつか流したすべての涙がぬぐわれる日を希望をもって待ち望むのです。その希望だけは、私たちを失望させることはないのです。
False Intimacy偽の親密さ, Dr. Harry W. Schaumburg 本からの抜粋

#キリスト教 #クリスチャン #信仰 #教会 #礼拝 #聖書

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ロマ12章③ キリスト者の生き方 ⅰ

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木曜日のママと子供たちの集い、... 木曜日のママと子供たちの集い、ロバの子クラスにて。J くんはこんなにも大きくなりました。今、いやいや期真っ最中で、面白いです。。。 日曜日の礼拝後、お仕事のように... 日曜日の礼拝後、お仕事のように、礼拝メッセージ、ワーシップリードの練習をするちびっ子たち。よし、そのまま育って将来、ついでくれよ! (笑) 礼拝の後、車を走らせて20分、... 礼拝の後、車を走らせて20分、友人のおうちで、スーパーボール観戦。男性陣は、一階の大きなテレビで満喫。奥さんたちは、二階のダイニングでスナックを食べながらおしゃべり。えーーーー。ファルコンズいつの間に負けちゃったのー!! という結果に。。。。
2017年2月5日日曜日礼拝バイリンガルメッセージ



ロマ12:9-21

12:9愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。 12:10兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 12:11勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 12:12望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。 12:13聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。

続けてロマ12章を読んでいますが。先週の真のコミュニティであるキリストの身体、キリストの共同体を受けて、今週は、その共同体のあり方、キリスト者の生き方について語られています。

パウロは、冒頭第一声、
12:9愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。Love must be without hypocrisy. Abhor what is evil, cling to what is good. と言っています。
今日の箇所全体のテーマが、「愛」となっています。「愛するということはどういうことだろうか。」ということを皆さんで考えてみたいと思います。どうぞ、黙想しながら一緒に聖書を開いてみましょう。

★ アガペーの愛 Love of Agape

12:9愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。. 9 Love must be without hypocrisy. Abhor what is evil, cling to what is goodパウロは、キリストの身体の第一は、アガペーの愛。すなわち、神の愛、一方通行の見返りを求めない愛。キリストの愛。となっています。キリストの身体の愛というのは、混じりけのない、偽善と偽りのない愛、であるのだというのです。そもそも、キリストがご自分の全身全霊をかけて十字架の死を経験されたから、救いがもたらされ教会ができたのです。私たちは、キリストの混じりけのない愛の産物であるからです。

★ 主を畏れる Fear of the Lord

続いて、悪を憎み、善に親しみなさい。キリスト者の基本の資質というのは、「主を畏れる」姿勢です。主を畏れる姿勢とは、神を信じる私たちが、神の愛していることをとことん愛し、神の憎まれることをとことん憎むことであります。その感覚を失うことは、塩が塩気を失うことであり、また、灯台が光を失うことであります。

★ フィレオーの愛 友愛 Love of Philadelphia

12:10兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。10 Be devoted to one another with mutual love, showing eagerness in honoring one another.

キリストの身体の中では、互いに愛し合う、兄弟愛を持ちなさい。そして、そのカギは、英語では、熱心に互いにオナーしなさいとあります。私たちがよくする、アフォーメーションです。互いにほめあい、良いところを見出すこと。この精神があれば、分裂や仲間割れなどすることがないのです。いつも、祈りの中ででも、あの人に良い言葉を上げるとしたら。。。という風に祈ることもおすすめです。すると、神様から超自然的にその人の好い所や、預言の言葉が与えられます。パウロは、熱心に周りの人をオナーしなさいと言っています。

★ 聖霊に満たされる Be filled with the Spirit

12:11勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。Do not lag in zeal, be enthusiastic in spirit, serve the Lord.

熱心になることを後回しにせず、霊に燃えて、神に仕えなさいとあります。私たちは、以前も話しましたが、自分の思いだけで熱心になることはできます。しかし、神の霊に満たされてなければただの肉の働きとなり、空回りたり、物事が裏目に出たりするものです。第一に、聖霊に満たされることを求めましょう。聖霊様は、歓迎されるところにおいでになります。ご自分が歓迎されていないと思うと、すーーと静かに去られます。私たちの心が開いていないのに、聖霊に満たされることはできません。私たちの心が高慢でも満たされることはできません。聖霊に満たされることを求めて、私たちが失敗することはありません。満たされ続けるように、求めること。ここから主に使える原動力が来ます。
勤勉さ、また本当の熱心さというのは、聖霊様への従順からくるものです。聖霊様を求め続けましょう。

★ 希望 Hope

12:12望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。Rejoice in hope, endure in suffering, persist in prayer.

希望というのは、患難と切り離せません。また喜びも患難と切り離すことができません。希望とは、やがて来る良きことに思いをはせることであり、自分の苦しみにしっかりと向き合わなければ、決して持つことができません。本当に自分を神が愛するように愛するのならば、苦しみ、あるいは、自分の弱さにも向き合います。自分を愛さないならば、ほかのことで忙しくて向き合うことをしません。その場合には、希望を持つことはないでしょう。

キリストは、ご自分前に置かれた喜びの故に十字架の苦しみをもろともしなかったと聖書にあります。喜びというのは、このように、苦しみがあるから、努力があるから、失敗があってこそ、与えられるものなのです。みなさん、創造のはじめ、エデンで、アダムは何をしたのでしょうか。何もせずに毎日ぶらぶらして、ただで木の実を食べて、だらだらしていたのでしょうか。違います。神様は、彼に、すべての被造物に名前を付けることを命じられました。これは、大変な仕事です。ある意味、神との共同創造でありました。一つ一つのものに、アイデンティティを与えて行ったのです。仕事が任されているから、生きがいがあり、喜びがありました。

あなたの神様からの目的は何でしょうか。召命は何でしょうか。ぜひ、神様に祈り、求め、聞いてみてください。あなたの喜びは、従うごとにうんと増し加わることでしょう。また神の召命に生きることは、神に私たちをますます近づけます。
「絶えず祈りに励みなさい」とあるように、祈らざるを得ないのです。アダムが神と共同創造人となったように、私たちも召命に生きるときに、神の同労者となるからです。

★ ホスピタリティ Hospitality

12:13聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。Contribute to the needs of the saints, pursue hospitality.

キリスト教の特徴は、ホスピタリティにあるといえます。私たちの神は、良い人にも悪い人にも平等に雨を降らせる方。イエス様が浜辺で、弟子たちのために朝食を作って待ってたシーン。ヨハネ21章。また、イエス様は、貧しい人たちに施した人に対して、感謝を表し、「この最も小さいものにしたことは、私にしたのです」と言われました。それほどに、ホスピタプル、他人に気前よくもてなすことをイエス様は、神様の心として示しておられました。聖徒の入用に協力し、旅人をもてなす。私たちも金曜日にともに祈りましたが、私たちの周りにも、必要のある方々がおられます。もてなしの心を忘れずにしたいものです。


今日は、途中ですが、ここで区切りたいと思います。また続きは、さ来週。
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ロマ書12章 ②心の一新とキリストの体-- Vulnerability

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礼拝後の風景。。。子供たちは思... 礼拝後の風景。。。子供たちは思い思いに遊んでいます かわいいちゃんは、飛行機を作る... かわいいちゃんは、飛行機を作るのがお気に入りのようです。
Jan. 29, 2017
音声は、


ロマ書 12:1-8

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分(たち)を変えなさい。3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。
先々週、心の一新について黙想しましょうということで終わりましたが、この二週間考えてくださったでしょうか。

★ 心の一新 私たちの考えが変わるとき

私たちの考えが変わる時とは、どのようなときでしょうか。失敗は最大の教師とも言いますが、私たちが自分のしでかした悪いことに気が付くとき、痛く反省し、もう二度とするまいと肝に命じる時ではないでしょうか。第一に悔い改めによって、私たちの考えが変わります。もちろん神の前に悔い改めるわけですから、悔い改めたのちの行動は、神のみこころに沿った、神に喜ばれるものであります。

★ あなた方の考えとギリシャ語では複数になっている。

このロマ書12:2 のrenewing your mind のユアは、ギリシャ語では、二人称のあなたではなく、あなた方すべての考えという風になっています。どういうことでしょうか。そして、その後、すぐに、一人ひとりはキリストの身体の一員であるということが書かれています。誰でもキリストを信じる者は、一つの身体であり、一つの共同体に属するものとなっているのです。さて、一人ひとりが存分にその賜物らしく発揮するには、まず、その考えが刷新されないといけない、そして謙遜さだというのです。

★ The first community 世界ではじめの共同体

私たちは、共同体の中で生きるようにデザインされています。私たちを造られた神も三位一体の神であり、共同体の神であります。神は、われわれを神の似姿に、女と男に造られました。男女で共同体として神のイメージです。 人間が堕落する前は、その神と人間のコミュニティに、親密さがあり、connectedness, openness, joy, no hidden message, everything was in the light. There is freedom, excitement. Creativity がありました。

創世記Gen 2:25 The man and his wife were both naked, but they were not ashamed. アダムとエバは裸であったが恥ずかしくなかった (no shame in nakedness, vulnerability) と書かれてあります。裸という最もボルナボルな状態でありなが、そこに恥がなかったのです。

★ We are made to be known 私たちは誰かに知られるために造られた

To know =love  知る=愛する

聖書は、アダムがイブを知ったと書いてありますが、これは、最も深いレベルで個人を知ったすなわち、性交渉をしたという意味です。
知ること、知られることが愛し愛されることであるというのは、実に聖書的であり、また脳科学的にも言えることであります。

人に知られることを拒むようになることは、人間として大変な問題です。自分の周りに壁を作ることであり、自分で自分を孤立させ、そして、共同体から分離するものです。

「知ろうとすることは、愛することです。」先学期、エピストモロジーというのを少しだけやりましたが、ミーク博士が言うには、「愛はすべての中心にある。」Love is core of everything. To know is to love.

もし、大切な友達とミスコミュニケーションがあったら、なんとか話をして解決しようとします。しかし、普段から嫌いな人には私たちは決してそうしないのです。本当はどう思ってるなんて、知るのが怖い。知りたくもない。のです。知ることは、愛することです。
私たちの脳も、誰かに知られるために造られています。自分が知るだけではなくです。また、何かを知るから自分を知るようにもできています。生まれたときから、母の脳と赤ちゃんの脳は見えない線でつながっています。絶えず、交信し、共鳴することによって、赤ちゃんの心拍数や体温が守られます。また、母親が、自分が泣いている時に、かわいそうにという泣き顔をして、笑っていると笑ってくれる、こういった感情と表情のやり取りからも子供たちは、相手を思いやる能力を育てます。こういった一連の当たり前の触れ合いがなかった子は、精神的な病気になってしまうか、身体的な障害さえもおってしまいます。

私たちの脳は、絶えず、愛と好奇心で接せられ、知られる=愛されるためにデザインされています。

Let’s go back to Genesis 3.

★ Shame destroys the community 恥が共同体を壊す

創世記3:7-13 the fall

罪が入り、恥が入った。二人は、裸であることに気が付き、身をイチジクの葉で隠した。隠れたくなった。
恥は、私たちを引きこもらせる。私たちの脳もそうする。 私たちの脳も、右と左が行き来しなくなり、あらゆる指令を出すはずが偏って出す、あるいは、ほかの情報とつなげる、またデータを探すなどということを一切しなくなるのです。脳というのは、恥によって、機能をシャットダウンされてしまうのです。

Shame = I am wrong.

恥が入ったアダムとエバは、神から身を隠した。知られたくなくなった。コミュニケーションを断った。またそれだけではなく、互いに対しても心を閉ざした。この人のせいだ。もう、一体、一つ心ではなくなった。恥は、私たちに孤立と断絶をもたらす。
「恥」がキリストの身体の中に一番の問題であるといえます。ロマ12:2 だからこそ、互いにへりくだって。ディフェンシブにならずに、とあるのです。

★ What we lost is vulnerability 共同体回復に必要なものは、vulnerability

イエス様は赤ちゃんになって生まれて来てくださった、その意味。たくさんのケアがいる。人の助けがなければ生きていけないような状態でこの世に来てくださった。また、イエス様は、死ぬ時も、真っ裸でたくさんのむち打ちの傷だらけのよれよれになってしまった裸を人前にさらしながら死なれました。本当なら、とても恥ずかしい。見られたくない。 ここに、私たちにとって深い意味があります。イエス様は、私たちにも、vulnerable であることは、Insecure であることではないとおっしゃっているようです。私たちにも招いておられるようです。

★ Renew Your mind…. Integration needed, getting rid of the shame
     心の一新のために恥を除く

私たちの脳が書き換えられことができます。恥によって、詰まっているところを直すことができます。ただし、一人ではできません。あなたの恥の話を誰かに心からの関心と共感をもって親身になって聞いてもらえた時に、あなたの脳の回路は変わっていくのです。そして、あなたの話し事態も変わり、もはや、自分を孤立させたり、心を閉ざしたりしなくてもよくなるのです。

今、さあ、恥について話しましょうとすすめているのではありません。
心を開く準備をしましょう。
あなたにとって、誰かを知るとは、誰かに知られるとはどういう意味でしょうか。
どうして、心を開くことが難しいのでしょうか。そこから始めましょう。



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今日の教会の風景

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礼拝後、日本訪問された方のおみ... 礼拝後、日本訪問された方のおみやげのちんすこう。
美味しかった。今、いろいろな種類があって楽しいですね。
楽譜をどこかから手に入れて、歌... 楽譜をどこかから手に入れて、歌っております。。。え? けろっけろって書いてないはずなんだけど。。。楽しく二人で歌ってます。 小さいちゃんは、もうすぐ二歳。... 小さいちゃんは、もうすぐ二歳。いやいやいうことも時期的に多いけど、最近は、「どーぞ」、とお手伝いをするのが大好きです。これは、白板消しを渡しに走ってきたところ。。。成長が早いです。 ある日の教会の事務所にて。 神... ある日の教会の事務所にて。
神様にお仕えする姉妹たちと。
信仰の友はいいですねー。
今日は、インターンのケニーさんのメッセージでした。

アウトラインだけ下記に

The Lost Sheep失われた羊

Luke 15: 1-7 (ESV)
1Now the tax collectors and sinners were all drawing near to hear him.
2And the Pharisees and the scribes grumbled, saying, “This man receives sinners and eats with them.” 3So he told them this parable: 4“What man of you, having a hundred sheep, if he has lost one of them, does not leave the ninety-nine in the open country, and go after the one that is lost, until he finds it? 5 And when he has found it, he lays it on his shoulders, rejoicing. 6 And when he comes home, he calls together his friends and his neighbors, saying to them, ‘Rejoice with me, for I have found my sheep that was lost.’ 7 Just so, I tell you, there will be more joy in heaven over one sinner who repents than over ninety-nine righteous persons who need no repentance.

ルカ 15: 1-7
1さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。 2すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」 3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。 4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。 5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、 6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。 7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

1. Background 背景
    Who are the Pharisees and the Scribes?

2. What the world is looking for. 世が求めているもの

3. Jesus is looking for intimacy. イエス様は親密さを求めている

4. God’s persistent love. 神のしつこいまでの愛

Kenny’s testimonyケニーの証し

Psalm詩編139:7-10
Where shall I go from your Spirit? Or where shall I flee from your presence?
8 If I ascend to heaven, you are there! If I make my bed in Sheol, you are there!  9 If I take the wings of the morning and dwell in the uttermost parts of the sea,10 even there your hand shall lead me, and your right hand shall hold me.
私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。8 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。9 私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、10 そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます。

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ロマ12章①生きた供え物としてAs a living sacrifice

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英語の礼拝。。 I AM はシ... 英語の礼拝。。 I AM はシアトルの山々をイメージして塗り替えられました。今日の礼拝で、一人一人の冠をイエス様の足元に置きました。
2017年1月15日日曜日礼拝メッセージ


先週は、ロマ書11章から、神の憐れみということでお話ししました。ユダヤ人にしても、私たち異邦人にしても、神の計り知れない知恵と愛と憐れみによって、私たちは、救いに導かれている。神の備えられた召命に生かされているということを話しましたね。今週は、「そういうわけですから、だから」こういう風に生きてくださいね。とパウロは、キリスト者のあるべき姿について語っています。これは、この章にとどまらず、15章最後まで続きます。

★生きた供え物

ロマ12:1,2
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。I beseech you therefore, brethren, by the mercies of God, that you present your bodies a living sacrifice, holy, acceptable to God, which is your reasonable service. 2 And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.

今や、動物の捧げ物もいらない、たった一度、私たちの救い主が私たちの罪のために自らを供え物となってくださったのですから。私たちの礼拝というのは、宮で動物を捧げることではなくなりました。そして、救い主を待ち続ける生活ではなく、救われた生活に変えられたのです。私たちの礼拝とはどうあるべきでしょうか。

◎ 神に受け入れられる、聖い、生きた供え物

旧約の時代には、しみもきずもない、完璧な動物を捧げなければなりませんでした。そして、それをほふって神に捧げました。今は、しみも傷もないイエス様がほふられたので、あなた、私は、このままで、聖く、完璧な捧げ物となりました。
私の体験談…

◎ 礼拝に含まれる意味とは
・伏し拝む。。。ひれ伏して拝むことです。
・Service =主に対する奉仕である。英語では、礼拝は、Service といいます。

礼拝とは、主を拝み、主に仕えることです。パウロは、生きた供え物として神に自分を捧げる生き方をしなさい、と言っています。つまり、24時間週7日すべて神様のものとして生きたままの自分を差し出しなさいというものです。そうです、もはや、自分の罪のためにいろいろとしなくても良くなったのです。自由に神に直接お仕えしたらいいのです!

礼拝は、「受ける」ものではなく、「捧げる」ものである。

◎ 霊的な礼拝

霊的な礼拝という言葉がありますが、英語ではyour reasonable service となっています。理にかなっている、ふさわしい礼拝というのです。また、当然の礼拝とも訳すことができます。

すなわち、旧約の時代には、細かいルールが詳しく決められていて、聖なる神に肉である私たちが礼拝するのに、非常に手間がかかりました。そして、少しでも間違って礼拝をおこなうことは許されていません。傷のある動物は、捧げられないし、祭司たちは、きちっと身を清めてからでないと奉仕はできないし、奥の聖所には、年に一度、選ばれた一人の祭司しか入ることはできないですし、神様に仕えるということは大事でした。理に適う、ということは、非常に労力のいることでした。また、理にかなっていなければ、神に受け入れられる礼拝とはなりませんでした。

また、これは、霊的な礼拝である。とパウロは語っています。私たちが新約の礼拝に移ったのは、霊的な変革があったからです。

イエス様の十字架に継ぎ合わされ、自分の罪がイエス様の十字架に一緒にかかり、罪赦され、そして、天国に行ける約束をもらい、そして、永遠の命を神からいただき、神の子として養子縁組されたのです。これらすべて、地上の書類の手続きではなく、目に見えない、霊的な世界で行われたのです。私たちは、滅びの子から神の子に霊的に変革したのです。

そして、霊的な礼拝というのは、生きながらにして、自らの存在、行動すべてを神の前に捧げるということである。というのです。

礼拝というのは、もはや、宮で罪ための贖いの捧げ物をすることでもなく、日曜日の数時間教会に行くことではないのです。あなたの存在自体が礼拝なのです。

自覚して生活したいですね。

続いて二節をもう一度見てみましょう。

ローマ12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 2 And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.
① 頭につながることの土台として
パウロは、三節以降からキリストの身体としてどうあるべきかと語りだしますが、キリストの身体であるまず第一の基盤として、この二節があるわけです。

◎ この世と調子を合わせてはいけません

この意味は、現代的な文化的なことをしてはいけないということではありません。テレビを持つなとも、車を持つなということでもないです。to conform one's self (i.e. one's mind and character) to another's pattern.
この世の考え方、性質、心の問題です、心の中が感化されないようにと注意をしています。

よく、この世のやり方を教会に持ち込もうとすることがありますが、よく吟味する必要があります。この世は、マモン、富を中心化に物事を考えています。教会は、愛です。世のやり方を持ち込んだことによって、世の考え方が教会に入り込むことがあります。

Ex) Seeker sensitive movement

具体的に。。。私たちが、世の影響を受けるのではなく、世に影響を与える。身近なところでは。。嘘をつかない、不正をしない。悪口を言わない。偶像礼拝をしない、などと言うことからも、職場や家族から一目置かれるはずです。聖書に従う、イエス様に従うならば、必ず、世の光、地の塩となるのです。

◎ 何が良いことで、神の御心か

興味深いことに、12:1,2 は、これまでのロマ書の集約のように感じますね。私たちは、以前6、7章で、神様をよろこばせるために、何をしたらいいか、良かれと思いすることがことごとく裏目にでるようなことがある。自己義というものが邪魔をしているという話をしましたね。
私たちの生まれながらの肉の人には、神様の御心は理解できないのです。
そこで、肉に従えば、世の方が理解しやすので、世に流され、世に心を売ってしまうようになるのです。ですから、パウロは、続いてこういっています。

◎ 心の一新によって自分を変えなさい

Renewing your mindと、英語では書かれています。自分の頭の、考えのフィルターが何に影響されているか知る必要があります。
私たちは、考えが変わったことがあるでしょうか? 皆さん、いろいろな経験があると思います。一番変わったのは、もちろん、イエス様に出会ったときでしょう。救われた時、ものの見方が変わり、世の中にあるものがすべてキラキラして見えたものでした。
一番私たちの考えを変える瞬間というのは、自分が間違っていたと気が付いた時ではないでしょうか。そして、大反省して、二度と同じ間違いはしない、と心に誓うようなとき。。。
そういうことがあれば、行動も違ってきますよね。
考えが一新したのです。
「悔い改め」が、私たちの考えを一新します。

私の体験) 最近のリサーチの経験

私は、体験を通して、み言葉が私の心に突き刺さり、イエス様の生き方が心に突き刺さりました。古い生き方、考え方を捨て、み言葉の真理、イエス様の真理に従うときに、私たちの考えは一新されるのです。

考えが一新されるなら、それは、神の御心に従っているのですから、何が神の御心であるのかと迷う必要はないのです。

ロマ書12章1節、2節は、今までのお話しの集約のようであり、そして、三節から15章の終わりまで、クリスチャンの生き方について語っています。12章は、「神のデザインの通りに仕える」、「偽りのない愛が奉仕の鍵となる」というお話しが続いて行きます。
キリストの身体、愛ということになりますが、頭であるキリストに繋がるためには、どうしても個々人の心の一新が必要なのです。




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ローマ11章 神の憐れみ

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小さくて見えにくいですが、空に... 小さくて見えにくいですが、空に、飛行機が12の旗を羽ばたかせていました。土曜日は、シーホークスの試合でしたー。もちろん! 勝ちましたーーー。がんばれーシーホークス!!! スーパーボール行こう! チェリーちゃん、英語の教会学校... チェリーちゃん、英語の教会学校で頑張ったので、景品をもらいました。手の形のくっつく、ぴよんびよんするやつです。二つの手が重なると、欠かさず「ないすちゅーみーちゅー」というのが、かわいくて。。。思わずパチリ。。。礼拝後の風景でしたーーー。

2017年1月8日日曜日礼拝

前回、ずいぶん前になりますが、ローマ10章では、「伝統から確信へ」という題で、イスラエル人がいかに伝統にこだわるのではなく、確信が無くては救われない。ということを話しました。今週も引き続き、パウロは、イスラエルの救いについて話しています。
この章を一言で言い表せば、ロマ11:29に集約されているといえます。

V29 神の賜物と召命とは変わることがありません。For the gifts and the calling of God are irrevocable.

これは、神様の道の不思議であります。みなさん、これは、この章ではイスラエルのことを話しているという文脈ですが、私たちの人生に置き換えてみてもそうなのです。

★イスラエルは神に拒絶されたのか?

パウロは、なかなかイエス様を受け入れないイスラエルに対して、神に拒絶されているのではない。と訴えています。

V1-2, すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか。絶対にそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫に属し、ベニヤミン族の出身です。2 神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けてしまわれたのではありません。.

V7-8, では、どうなるのでしょう。イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、かたくなにされたのです。8 こう書かれているとおりです。「神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。」 

○私たちも、なかなか祈りが聞かれない時に、自分の思いがかなわない時に、神に拒絶されているのではないか。。。と結論付けるところがあります。それは、自分の歩みの歴史を無視して世の霊に惑わされているのです。アブラハム、イサク、ヤコブ、神の選びの中でどんな時も神がともにいて導かれてきたこのイスラエル人が、今救われていないからと言って拒絶されているのではない。

心がかたくなにされている者もいる。でも、そのかたくなさをも、全世界の救いのために、神は、用いているのだ。と続きます。。。。

★イスラエルの役割

V11-12 では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。12 もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。

イスラエルは、以前にも言いましたが、神に背を向けても、落ちぶれても、神の裁きを受けても、順風満帆の時でも、どんな時でも、神の民として、全世界に神を指し示しながら生きているもの。イスラエルの失敗でさえ、神は、異邦人のために用いられている。

★接ぎ木の例え

V17-25
パウロは、オリーブの木の接ぎ木の例えで、一つの霊的なイスラエル(神を信じる人たち)について話している。ユダヤ人は台木であり、異邦人は、野生のオリーブの木だ。

① 根が聖ければ、枝も聖いv16 if the root is holy, so are the branches
アブラハムはじめ、信仰の父たち、偉人たちの故に、ユダヤ人は神様に愛されている。目をかけられている。私たちも、たとえ家族にクリスチャンが一人であったとしても、あなたのキリストにある聖さは、家系、世代にわたる祝福であることを覚えていてください。呪いは四代、祝福は千代です!

② 根が枝を支えているのだから、誇ってはならないv18 if you do boast, remember that you do not support the root, but the root supports you.
この初めの信仰の偉人たちが信仰を届けたからこその、今のキリスト者たちなのだから、信じないユダヤ人を見て、自分を誇ってはいけない。それでも、なお、私たちは継れたものであり、土台は、起源はユダヤ人たちだからです。

③ 神は台木の枝を惜しんだ。イスラエルについて心を痛めている。V21 For if God did not spare the natural branches, He may not spare you either.
神は、イスラエルについて心を痛めている。

④ 不信仰が無ければ、枝はもう一度容易に継がれる v23 if they do not continue in unbelief, will be grafted in, for God is able to graft them in again.
信仰さえあれば、心の確信さえあれば、イスラエル、ユダヤ人たちは、容易に接ぎ木される、元の木に戻ることができる。

⑤ 野生種を栽培種に接ぎ木するのは本来は難しいが、神にはおできになること。V24 how much more will these, who are natural branches, be grafted into their own olive tree?

★神の憐れみと不思議

ロマ11:33-36
ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

すぐに、神に拒絶されているなどと、結論付ける私たちですが、神には、私たちに計り知れない知恵と知識をもって私たちと私たちの周りの人たちを導いておられるのです。ネガティブなことを想うときに、少し立ち止まりましょう。静まり、神に信頼しましょう。

★私の体験

私は、思い出します。もう、ミニストリーができないほどに疲れ、もうやめよう、向いてない。と思った時がありました。鬱になり、自暴自棄になり、自殺願望さえありました。もう、こんな汚れた自分が神の働きをすることができるはずがないと思いました。そうなると、ますます自暴自棄となりました。
ちょうどその時、アメリカへ導かれたので、もうアメリカに行って、ミニストリーはやめようと思いました。もう、私の名前を働き人のリストから取り除いてくださいと、主任牧師に頼んだところ、彼は、「神様からの賜物と召命は変わらないから、人間の私がそうすることはできない」と言うのです。まあ、アメリカに来たら、自然消滅できるかな、野垂れ死にするかもしれないし。。。とも思ってアメリカに疲れた精神できました。すると、初め一、二か月で、日本人留学生が私のドームの部屋で救われたのです。また、人が集まりだし、一年後、聖書の学びのグループが始まりました。すべて自然発生的でした。私は、神様を畏れました。”私”ではない。私は、神様にこのように用いられるように造られているのだ、と確信したのです。
皆さんの、人生の上にも神様がこのように働いているのです。皆さん方は、特別な神様の器です。私が、神様の計画をむちゃくちゃにできないのです。自分に与えられた召命を壊すことすらできないのです。神様は、試練の時も、苦しみの時も、罪の中で自暴自棄の時にもともにいらっしゃるのです。


#キリスト教 #クリスチャン #信仰 #教会 #礼拝 #聖書

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あけましておめでとうございます

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毎年二日くらいかけて、最低限の... 毎年二日くらいかけて、最低限のお節を用意します。
みなさんも、持ち寄りでサイドディッシュを作ってくださいました。
今年の伊達巻は、卵を多めにして、甘さを控えめにして、大正解でしたーー
お雑煮。 いつも、おもちの湯で... お雑煮。
いつも、おもちの湯で加減が微妙で。。。。難しいです。大勢にだすにはどうしたらいいんでしょうねーー。いつもさめちゃいます。
家族で 家族で イェーイ。子供たちは、お友達が... イェーイ。子供たちは、お友達がたくさんでとても楽しくすごしました 今年は、王様の食事会をイメージ... 今年は、王様の食事会をイメージして、ながーーいテーブルにしました。
が、出入りがしずらかった。。。笑
書初めタイム! 書初めタイム! ママと一緒に。... ママと一緒に。
みなさん真剣。 大人は、久々の... みなさん真剣。
大人は、久々の書道で、心が平安に。。。
アメリカ人の方々は、何を書こう... アメリカ人の方々は、何を書こうか、どんな漢字なのか、インターネットでチェック! 大学生の留学生のお兄ちゃん。 ... 大学生の留学生のお兄ちゃん。
お兄ちゃん大好きの、小さいねずみさんでした。笑
麗し、キッチンヘルパーたち。 ... 麗し、キッチンヘルパーたち。
エンジェル一号、二号。
こんなに上手にできました。 み... こんなに上手にできました。
みなさんの夢が神様によって成就しますように。
私たちのへたっぴの作品 エリッ... 私たちのへたっぴの作品
エリックは上手にできたな。


あけましておめでとうございます。

今年も、教会でたくさんの人をお迎えしてお正月をお祝いしました。

毎年、今年の夢を書初めで書いて写真を撮ります。

なかなか、自分の夢を公に現すのは恥ずかしい気もするものですが、
みなさんよく書かれました!

私は、大学院の学びの中で、さらに神様と近い関係に、そして、夫との近い関係を築いて行きたいと思います。

みなさん、今年もよろしくお願いします!

#お正月 #お節 #キリスト教 #ブログ #子供たち #教会 #書初め

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クリスマス会

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土曜日、日曜日と、日本から吉田... 土曜日、日曜日と、日本から吉田宣教師夫妻がいらしてご奉仕してくださいました。
素晴らしい歌声とフルートの演奏に子供たちも聞き入っていました。また、お話しの時間も子供たちもちゃーんとお利口にしていて、びっくり。きっと、吉田先生たちの歌声に感動したんだろうなー。。。
こちらの作品ーー。とてもよくで... こちらの作品ーー。とてもよくできていますねー 女子は、何やらおしゃべりしなが... 女子は、何やらおしゃべりしながら楽しそう。。。年齢かかわらず、なんだか、女子は女子ですね! (笑) 最後は、交換プレゼントをして、... 最後は、交換プレゼントをして、記念撮影。みなさん、よいクリスマスをお過ごしください。 クリスマス会の後半は、みんなで... クリスマス会の後半は、みんなで、クッキーデコレーションをしました。子供たちも一生懸命やりました。
今週は、土曜日、特別集会、吉田先生ご夫妻をお招きしてのクリスマス会でした。

新しい方々も来られ、和やかにクリスマスをお祝いすることができました。

手作りデザートの数々もとてもおいしかったです。
#キリスト #クリスマス #ブログ #子供 #教会

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ローマ10章 Romans10 救いは近くにある

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礼拝後、クリスマスの歌の練習も... 礼拝後、クリスマスの歌の練習も終わったころ、もっと遊びたくなって、おもちゃをひろげたちびっこのみなさん。。。。
かわいいっ
ボーイズは用事があって早く帰りました。17日の本番がんばろうね!

このビデオは、英語礼拝中に見ました。有名なミュージシャンでも、路上で演奏していても、誰も気が付かない。。。まるで、イエス様みたい。。。。と。。。

2016年12月11日日曜日礼拝メッセージ音声は、https://youtu.be/y0p7u5lKH9M

この間、youtube で、クリスチャンではない人がイスラエルにいるユダヤ人にイエス様のことをどう思っているかと聞いて回るというドキュメンタリーを見ました。とても、興味深かったです。みなさんだいたい「イエスは預言者の一人だ、いい人だった。神ではない。人間だ。私たちは、救い主を待っている。」よく知っている人は、こんな答えをし、良く知らない人たちは、「伝統と違うからイエスを信じていないのよ。あれは、クリスチャンが信じてるだけ。伝統だから、ユダヤ教をやっているのだよ。」と、たくさん伝統という言葉を聞きました。私が感じたのは、まるで、日本の仏教や神道のようだと。「私は日本人だから、仏教徒です。」とよく聞きます。では、仏教とは何かと聞かれても、分からず、「伝統だから。。。」とか、「うちは、代々仏教だから」という答えが返る。パウロは、次のように10章をはじめています。

★どうして信じているのか? Why do you believe in Jesus?

ローマRomans 10:2,3
私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。3 というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。For I bear them witness that they have a zeal for God, but not according to knowledge. 3 For they being ignorant of God’s righteousness, and seeking to establish their own righteousness, have not submitted to the righteousness of God.
ユダヤ人たちは、熱心だが、知識に基ずく熱心さではない。というのです。ただ伝統に従っているということです。

★伝統から確信へ Tradition? Or Conviction?

ローマRomans10:8-13

○神様は遠くない God is not far away

8では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。But what does it say? “The word is near you, in your mouth and in your heart” (that is, the word of faith which we preach):

パウロは、み言葉はあなたの近くに、もう口にある。というのです。神様は遠くない。あなたが福音を自分の物にしようと思うならいつでもできるというのです。日本でも、クリスマスは祝います。ただ、意味を知らずに祝っています。なんと、お寺の子供会でもクリスマス会をしたりしています。ケーキを食べ、プレゼント交換なんかをしています。クリスマスはサンタクロースの日とも考えられています。でも、ふと立ち止まって、クリスマスって本当は何の日かと、グーグルしてみれば、すぐに出てくるものでもあります。近年、インターネットによって、み言葉は、もっともっとすべての人に近くあります。何も、神様が遠くにいるわけではないのです。
どのようにして、福音を自分のものにするのか、といえば、パウロは次のように言っています

○口で告白して救われる You are saved by your confession

9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。9 that if you confess with your mouth the Lord Jesus and believe in your heart that God has raised Him from the dead, you will be saved. 10 For with the heart one believes unto righteousness, and with the mouth confession is made unto salvation.

パウロは、伝統によらず、あなたの身近にあるみ言葉を自分のものとするなら、心で信じて、口で告白したら救われるというのです。

i) 私の体験談 Takako’s Testimony;

二十歳の夏にイエス様を受け入れました。私は、何の知識もありませんでした。ただ、教会で聞くお話が心に響き、そして、地獄ではなく罪が赦されて天国に行きたいとそう思いました。牧師夫人に個人的にお話しを聞いて、信じませんか? ということで、信じるのはただやし、別になんてこともないかと思い、信じます。と言いました。そして、牧師夫人に導かれて、口で告白しました。別に聖書をよく知っている訳でもない、そして、知識があるわけでもなかった。しかし、神様がいるなら、信じたい。罪が赦されたい。そして、天国に行きたい。それだけの信仰でした。が、口で告白した時から私の人生がまったく変わってしまいました。素晴らしく変えられました。

私たちの口の言葉で私たちは救われるのです。なんと私たちの発する言葉に力があるのでしょうか。

ii) 言葉の力 the power of speaking   告白の力

悪霊に憑かれた人が集会の中にいて、バーバラ・ヨーダ師が「あなたの口でイエスは私の主」と言いなさい。と言った。その人が、苦しみながら言うと、悪霊に解放された。このようなことを度々目撃しました。私たちの口の告白は、霊的なものなのです。話すということ自体が霊的なことであるのです。

 Speaking Spiritとなった私たち。

創世記2章7節に、「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」And the Lord God formed man of the dust of the ground, and breathed into his nostrils the breath of life; and man became a living being. と、ありますが、神様に似せられて創造された私たちは、神の霊である息を受けて、生きたものになるわけですが、この意味は、私たちもまた話す霊となったということです。Speaking Spirit となりました。神のように話すことにどんな力があるのでしょうか。

 言葉による創造の力 Creative power of word

「光よあれ」と世界を言葉で創造された神様のように、私たちの言葉で物事ができていくことを忘れてはなりません。私たちの言葉にもそのような力が秘められているのです。先週のエリックのお話のように、言葉によって私たちも形作られてくということを覚えていますか。パウロは、「人は、心で信じて、口で告白して救われる」と語っています。不思議ですが、あなたが心に信じることを口にする時に、救いが来るのです。霊的な出来事、地獄から天国への道が開かれるのです。目には見えないですが、霊的な世界で起きるのです。

○血筋や伝統によらず、すべての人に Not based on tradition, but for everyone

11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。11 For the Scripture says, “Whoever believes on Him will not be put to shame.”12 For there is no distinction between Jew and Greek, for the same Lord over all is rich to all who call upon Him. 13 For “whoever calls on the name of the Lord shall be saved.”

ユダヤ人だけにではなく、全世界、全民族のためにこれが開かれています。ですから、ユダヤ人や伝統に縛られて、そのマインドセットから抜けられずに繰り返し伝統を行っていても、救い主を伝統的にいつまでも待っていても、救いはないのです。しかし、主の御名を呼び求めるものは必ず救われる、誰でも救われるのです。

★宣べ伝える人がいなくては Without you who preach Gospel

ローマRomans10:14,15

14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」How then shall they call on Him in whom they have not believed? And how shall they believe in Him of whom they have not heard? And how shall they hear without a preacher? 15 And how shall they preach unless they are sent? As it is written: “How beautiful are the feet of those who preach the gospel of peace, Who bring glad tidings of good things!”

イスラエルに住んでいるユダヤ人でさえ、イエス様のことを知らず、伝統に基づいて生きているのですから、誰かが、語らなければならないわけです。パウロは、福音宣教、伝道の必要性についてうったえています。

V17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。So then faith comes by hearing, and hearing by the word of God.

信仰は聞くことから始まる。とあります。伝統からではないのです。

今日は、神様は近くにいる。伝統ではなく、心の確信を持つこと。私たちの口から出る言葉の霊的な力。そして、聞いたことのない人に、イエス様を伝えることをお話しました。今週一週間心に覚えましょう。




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