一年に二回(春先と秋口)、湘南から見ゆる富士嶽に陽が沈む。 富士嶽が我々に何かを暗示してくれているようにも見える。 昨年の東北大震災に刺激され??大震災の4日後に静岡県東部で起きたマグニチュード(M)6・4の地震。過去の例から近々、噴火あるやもしれない、と防災科学技術研究所(茨城県つくば市)などのチームが発表している。 更には、首都圏直下・東海沖等の地下断層、状態によってらしいが、これまた、大地震の可能性があるらしい。いつ地震が起こるかわからない。のんきにしていてはいけないのだろうが、実感がわかない。 美しい夕空を眺めていると・・・いつまでもこの平穏が続いてほしいと思ってやまない。 今年の夏は、個人的には、暑く・・・辛い季節だった。 好きな自転車サイクリングを3ヶ月以上もしていない(出来ない)。 先は、少し明るさが見えてきたが。。。 自転車レースの世界、国内では・ツールド北海道が今、行われている。 そして、今日からオランダでロードレース世界選手権大会(国対抗戦といえる)が始まる。結構・・・日本も上位に上がってくる可能性ある。 こんな期待感が持てる日が・・・こんなに早く来るとは!!感慨もある。 そして、いまひとつ願いたいのは、オリンピックにパラリンピックを組み入れてほしい。 今や・・・福祉的要素ではなく、競技者として同等にすべきときに至ったとおもうから。 アスリートの皆さん、個々にはそれぞれが輝いている。パラリンピックは使命を終えたのではなかろうか!?! 南の海上には・・とてつもない大きさの台風が来ている。通り道に遭遇されるみなさん。お大事に。。。
一寸離れた商店街に「大判」ほどある「ぼたもち」を売っている和菓子屋さんがある。 その「ぼたもち」を頂いた。普通の大きさからすると四個分以上あるかもしれない。 喜び勇んで昼食代わりに食してから・・・写真を撮っておくべきだった、と後悔!?! 春だから「牡丹餅」秋だから「「御萩」なのだろうが・・つぶし餡のぼたもちの方が好きだ。 食べ終わって画像を探したが見つからない。代わりに萩の花画像が出てきた。 万 葉の 歌に、 草枕 旅行く人も 行き触れば にほひぬべくも 咲ける萩かも( 笠 金 村 ) 小さな花に目線高を合わせてみると一輪の花だけが 輝きを見せてくれる。 花探しの妙とでもいえようか。 そんな花画像を懐古しながら、PCのスポーツサイトを覗いてみると・・・!?! パラリンピックの報道・記事が少ない。 盛り上がったオリンピック? それは報道姿勢なのか、一般人の要望なのか?? はたまた、経済効果ありきなのか??? 4年ごとに・・・疑問に思うことだ。 健常者??障害者??・・・関係ないでしょう!! 国を代表して頑張っている競技者でしょ? 「福祉社会」って何でしょう!?! 障害者・・この表現自体が嫌いだが・・・、 ハンデを背負った競技者の努力は、言語に絶する。 パラリンピックのメダリスト、否、参加競技者・・・もっともっと高く評価・・そして支援をするべきが、為政者・財界人の務めではなかろうか!?! パラリンピックで活躍していた自転車競技人を見ていても活動は、驚異的。 身近で見ているから云うわけではないが、福祉国家を云うならば、、、、! しっかりせえェ・・・為政者よ・・・、と申し上げたい。 同様に、東北の大震災被災地、ここも縦割り行政で・・・報道紹介もされない小さな村は、支援ボランティアも行こうとしない。一局集中・・・NPO法人・・・ボランティア!! 災害を統括する政府のリーダーシップが、まったくない。 そんななか・・・ブログル主宰者の方々が、被災者のお子さんたちを米国に招待してくださった。僕自身被災者でもなんでもないが、嬉しかった。 被災地を少し知っているものとして感謝に耐えないことでした。 BLOGURU・・・なればこそ・・・と、感慨ある。 いよいよ、もの思う秋になりつつあるが、身体が付いていかない。 脳幹の改善は出来ようもないが・・せめて行動だけでもと・・少し健気になりつつある。
早朝にさわやかな風を感じるようになったが、山間では・・未だ遅咲きの紫陽花を見ることが出来る・・・などと思い出しついでに散策に出かけた。 丹沢山地、表丹沢と呼ばれている周辺は、古くより山岳信仰・厚き場所だ。 大山寺修験(大山寺)・八菅修験(光勝寺)・日向修験(霊山寺)という修験集団が存在した。 今、登山道として人気ある丹沢の尾根道、それらは、数百年の歴史を持つ行者道でもある。 行者岳・経ケ岳とか仏果山・・・まさに山岳信仰ゆえに付いた名前の山々である。 山岳修験道場として道を辿ると滝あるところを通っている。 かつては、人里はなれた奥地であったところも今や林道としてまた幹線道路として車の往来が激しくなった。 神奈川県内の林道と名の付く道は、ほとんどが舗装されて・・・何ゆえの舗装なのか一寸疑問をもつが??? 自転車のりとしては、こんなところまで自転車でこれる・・・と複雑境地!?! それはさておき、かつては修験道場の場でもあった「塩川の滝」、今では滝のすぐそばまで車で行ける。 そして、滝近くのアジサイを思い出した。山アジサイは、すでに終わっているだろうが確か玉紫陽花が・・・。 そんな思いで・・・出かけてみると・・・以前より株数は、少なくなっているが、かわいく顔を見せてくれた。 ゆっくりと観察してみると・・・「玉紫陽花・ 羅背板玉紫陽花(ラセイタタマアジサイ)」であることが分った。 伊豆諸島に分布し、学名は Hydrangea involucrata Siebold var. idzuensis Hayashi いつ頃から、ここに???ちょっとロマンを感じる。 おそらく僕が目にする今年最後の紫陽花だろう・・・と、楽しく観察できた。
盛夏から徐々に「涼」を感じる頃、朝夕、海辺を歩くと綺麗な光景にぶつかる。 何となく柔らかい・・・ちょっと涼しげな色に感じる海辺。 画像の返す波と同時に砂利が海に引きずられて流れていく。 何処でも見れる光景だ。。が。! 画像では分からないが、この砂利・小石の流れに反して真横に移動するものがある。 まるで・・・サーフィンでもしているように見える。 ほんの数秒のことだが、横に移動して砂浜に潜る。 「すなほり蟹」の仲間が生息している。 返す波間で・・・何を補食しているのだろうか!?! 相模湾・茅ヶ崎~鎌倉の海岸、波打ち際に生息しているヤドカリに近い原始的な蟹。 Hippa sagamiensis(相模スナホリガニ)と呼ばれている。
この夏、僕のブログで西欧のお菓子を少し紹介しました。今や、世界中のお菓子が日本国内で頂ける。色々な国・地方の郷土菓子を作る菓子職人が増えた、と言うことだと思います。 そんなお菓子(タルト)の中に、お米を使ったタルトが、フランス北部・ベルギーで今でも作られている。 ”トゥールグール ”とか”タルト・オ・リ”なんて云う、伝統ある郷土菓子が。。。 こうしたものを、自転車愛好者は、レースで・・ツーリングで多用している。それぞれ好みのタルトを注文して仲間と分けたりしながら背中のポケットに入れたり、ザックに忍ばせたり。。。タルトの中でも、お米のタルトは人気があった。メールで友達に聞いてみたが、今でもそのようだ。 お米“ riz”・・・我々にとって主食の米だが、西欧人では野菜のひとつ。茹でて料理のつけ合わせにしたり、野菜と混ぜてサラダにしたりする。ノルマンディを中心とするフランス北部や、地中海沿岸のカマルグはお米と親しい地域。リ・ロン(riz rond=円いお米)と呼ばれる日本風の米が食される。米タルトっておいしい。 焼きたてのタルトの表面はプックリとふくれ、「タルトの花」と呼ばれる表面にできる茶色の模様、なんともいえません。厚い米の層をじっくり焼かないとこの花は咲かず、花の咲かないものは本物ではないのだとか!! 先日、サコッシュの中身のことを書きましたが、こうしたタルト、好みで選んで携帯するのです。走行途中、コンビニで捕食するのは、手っ取り早いのですが、準備するのも楽しみの一つです。
精霊花(ショウリョウバナ)、盆花(ボンバナ)、水掛花(ミズカケバナ)等と呼ばれる花。 「ミソハギ(溝萩とか禊萩と書く)」は、古くからお盆の飾り花・お墓に供える花として用いられている花。なんとも難しい名前の花。 いまどき、禊(みそぎ)・・等という漢字は出てこない!?! お盆(休)も終わって普段通りの生活になりつつあるだろうが、わが身は、親の新盆法要と例年の菩提寺の大施餓鬼が、13日・17日とあり親の友達等の応対で少々疲れた。 知人に頂いた香を焚き、植物が好きだった両親、仏壇の前に女郎花、桔梗、山百合、鬼灯をお供えした。 お香ってなんともさわやかな「かおり」がする。西欧の香水と同様な使い道だが、 香を焚くって・・風情があるって・・一人悦に入っている。 「焼香」はよく使われる言葉だが、「塗香(ずこう)」と言う言葉、余り聴かなくなった。 施餓鬼を待つ間、寺の奥竹林に行ってみると、子供時代、そこで遊んだことを思い出す。 竹林を静かに通り抜ける「風」これを「細香(ほそか)」と呼ぶが、なんとも趣きある言葉だ。こんなことばもわが子たちには伝えたい。 最近、座禅をしていないが、一人で座禅をするとき、普段使う線香を前に置き座禅に入る。線香一本の燃え尽きる時間が凡そ五十分。これを「いちゅう」と呼んでいるがどんな漢字を用いるのだろう?? 一坐禅の時間に使っている^^)。 香水<こうすい>のことを仏教では「こうずい」と発音する。 普段、思い出さないことが・・・ここに来ると、竹林の中にいると自然と思い出される。 大施餓鬼・僕の年中行事の一つだが、忘れかけていることを思い出させてくれる機会でもある。 野に咲く野草はすがすがしい。園芸に関心持てないのは、歩き回るのがすき故か?
子供時代に奥日光周辺(戦場ヶ原湿原、古峰ヶ原湿原)に幾度か連れて行ってもらった記憶がある。病弱で小学生高学年の半分以上は、病院にいた。そんな小学生時代、親の趣味もあったろうが植物を観に時々旅に連れて行ってもらった。 たまたま、訪れた時期が7月の終わりだった(毎回)。未だに強く印象に残っている花「穂咲下野」、今や絶滅危惧II類(VU)に位置付けられ、野生の自生地は本当に少なくなった。 落葉低木(樹高:1~2メートル)日当たりの良い山地の湿地に生える。円錐花序が密集して8~15センチの長い花穂。5~8ミリの小さな花は淡紅色で、花びらは5枚、雄しべは花びらより長い。円錐花序…花茎が枝分かれして円錐形になる。 久し振りに、この花と出会えた。 病弱から一転、元気に陸上競技に・・登山・登攀に没頭できた青春時代。 そのきっかけを作ってくれた自転車、未だにお付き合い願っている。 青春をぶっつけた登攀で怪我をして!?!おかげで生き延びているのだが、若い頃の・・山での事故の後遺症が出て・・ここ数ヶ月、必死のリハビリ??生活を送っている。 気晴らしに・・と連れて行っていただいた山で・・・穂咲下野と再会!?!出来た。 花の一つ一つも可愛く可憐だが、集まって「穂」のようになると華燭に映る。 人間界^^)を見ると、オリンピックに一喜一憂している。 スポーツの世界は、結果が全ての様に報道されるのは致し方ない。がしかし参加している全ての競技者、一人一人に歴史・・・ドラマがある。 今やオリンピックは、本質よりも経済効果・国益等々、何か違った方向に向かっているようにも見える(潜在・背景で)。 レスリング女子48キロ級、ウイナーの小原日登美さんの戦歴、なんとも壮絶。 その一方、浜口京子さんを思うと忍びない。これも競技ゆえの結果だが。。 浜口さん・・胸を張って帰国してほしい。
野の花・・とりわけ花の名前を見分ける・・・覚えるのは大変だ。 同属の植物でもまったく乖離する花の名前。然るに面白いこともある。 先日散歩に連れ出してくれた御仁は、この季節だからと少し高所につれていってくださった。 そこで見つけたのが題名の“「顎無し」アギナシ”日本列島と朝鮮半島に分布する多年草、湿地に生えると資料にあります。オモダカによく似ています。それもそのはず、オモダカ科オモダカ属(Sagittaria aginashi)ですから。 花のめいめい等は、色々な資料にありますので省くとして。。。 この花は、湖岸、沼、放置水田等の湿地に分布する。でも野生のアギナシは、減少の一途である由。首都圏・・・土地開発が進み宅地化された環境では中々見られなくなった。 同時に昆虫等も少なくなっている。今住まい居るところは、比較的良い自然環境があるのかもしれない。未だに“すずめ”の飛び交う姿、うるさいくらいの夕暮れの鳴き声が聞かれる。自然生態系が崩れて、一番困るのが人間であることを真摯に思う感覚がないですね。気づいていないのかもしれない。 更には、単に天災で済まされないのが、原発問題だろうと思います。 自然界のそれぞれの生き物は、復元能力を有している。その中で動物・とりわけ人間と言う高等動物は、もっとも弱い立場であることを認識したいものだ。謙虚に真摯に己を見ないといけないと花々を見ていて感じた。
オリンピック・日本選手、悲喜交々ですが、選手の心中は壮絶と・・・。 国別対抗的でそれぞれ国民性がみえて。 「簡素」と言う表現に日本的って思うのは、個人的感情ですが・・・?? 花言葉に・・いじらしい、とか不滅とある「うめばちそう」。 うめばちそう(梅鉢草)か? やくしまうめばちそう(屋久島梅鉢草)か?? どちらにしても可憐に咲いてる花と出会えた。 最近、「和」「日本人的」と言う表現の潜在背景はなんだろう、と思う日々。