ちょっと難しいお話ですが、 仏教・禅の世界で「坐亡(ざぼう)」と呼ばれる言葉があります。 修行を積んだ僧侶が、座ったままで逝くことを言います。 己を知り、自らを無の状態にし、静かに逝く。 とても凡人では出来ないことです。鎌倉の、否、日本の生活環境・歴史的環境保全の原点、 鎌倉鶴岡八幡宮裏の「御谷」と呼ばれるそこが、原点です。 仔細は、下記HPをみていただくとして、その御谷を、 命がけで守った代表者に天野 久弥氏がおられた。 禅を修行した在家修行者で、禅の世界で、 最上の逝き方とされる「坐亡」を見せてくれた御仁です。 氏の夫人は、開発反対運動を影で支えた賢婦の手本でした。 共に禅の思想を学び・修行をされながら、生涯をまっとうされた。20年も前に久弥氏は逝去されたが、 夫人は、去る12月23日夜半に静かに逝かれた。人間としての生き方を、僕たちに見せてくださった御仁。 僕にとっては、「心の師」と言わせて頂きたいご夫妻でした。 淋しい・・寂しい。 生き様・・・この世とは、死出に向かう旅路。 悲しむ以上に、活力を頂いた。ありがとう、と申し上げたい。暗雲あるとき、きっと後光の如く見守ってくださる事だろう。荘子(そうじ)の言葉に 坐忘(ざぼう)がある。 「坐忘」とは、五体から力を抜き去り、 いっさいの感覚をなくし、 身も心も虚になりきった状態、虚心・無心の境地。禅の境地を表わしている。合掌拙い我がHP、関心あらば見ていただきたい「御谷」の文面を。http://www12.plala.or.jp/redhupa/tc/onegai11.html
今年のイブは、ミサにも参加せず、一人で思いに耽った。 昼間、お願いしてあったX'masに飾るべくケーキを受け取りに街に出た。 昔ながらの・・ドイツの片田舎で食したものをイメージしてお願いしてあった。 デコレーションは、生クリームではなく、バタークリーム。 日本では、もみの木をツリーに使うが、西欧では、ドイツトウヒ(独逸唐檜)を用いる。 若い頃、憧れの師に会うべく渡独し、初めてのクリスマスを過ごしたときを思い出して、師の夫人が作ってくださったケーキを忠実に再現しようと、ケーキ屋さんに依頼した(このご主人・ドイツを熟知されてる方)。素朴な、可愛いものを作ってくださった。 今年は、僕にとって区切りの年であった。 街中で僕のイメージにピッタリの雰囲気を見つけた。 2006年、色々とあった、感慨深い1年。 頭を切り替え、来年から人生の第二段階にはいろう。 クリスマスイブ。
クリスマスを迎えようとしている時、 わが身の周りに、心の病!?! 「うつ病」「総合失調症」の若者・中年が・・・!?! あの人・・・あの子が・・・と絶句だ。社会自体も、どこかおかしい。 そんなことを感じているとき故、 それらのしらせを痛く受け止めた。昨今の子供のいじめと同様に大人社会でも存在している。例えが悪いかもしれないが、 化粧をしている人間が、多いのか?? 二面・三面性をもった人々が増えているのか。 他人の痛みをわからない、 己の言動が、他人に如何に影響を及ぼしているか、 全く考えない大人たちがふえているのだろう。着飾り・仮面を被っている他人を見抜く、動物的直感欠如、 更には、如何なることにも屈することなく立ち向かえる 心の余裕がもてない。短絡的だが、機関車の・・・あの鋼鉄美。 素地のままの強くもある、あの美を・・・思って、 ひるむこと無い、心・精神を持ってほしく 希して止まない。東京・新橋駅まえ広場に鎮座する、SL C11 ごたぶんにもれず、クリスマスの飾りつけが施されていた。 眺めながら、思ったこと。 人の心・感性・・・ 進化した新幹線車輛のような複雑なものより 強くたくましい蒸気機関車の如く 素地そのものが見える、人間でありたい。
先ほどから冷たい粒が落ちてきた。これで今年の紅葉・黄葉も落ち葉と化すことだろう。湘南周辺の深まり行く秋を満喫できないまま、2006年のイメージを残像することが出来ないまま冬季を迎えている。しかしながら、感慨深いときをもてたのは事実。きどって見れば、人間・・己の存在を想うことが出来た、2006年11月。雑務に紛しながら、今、在る自分を想うとき、遠き異国の人々と瞬時に対話できる凄さ、インターネットを通して自己表現できる凄さ、紙の重さを気にすることなく膨大な資料を容易に探し出せる。これらの「凄さ」をひしひしと実感している。地元の秋を満喫できなかったが、ある会合の後、その地の公園で紅葉・黄葉 を楽しむ機会があった。今、そのときの会合のレジメを書いていた。レジメを書くのも楽になったものだ。かつてのテープ起しが、パソコンで簡単に文字化できる。完璧ではないが、実に楽々と・・・。レジメを書き終えて、一枚の画像を見ながら、新しい年を思い、計画立てた今年の処理事項が殆ど進んでいない事等、居直って、来年やれば、いいさ・・・。複雑な年の瀬である。
今ある己を思った二週間。知人の老女を車椅子で銀ブラ!!62階から眺めた横浜。観光客でごった返していた鎌倉大仏。三日間で、車椅子生活の大変さを知った。たった・・・2cmの段差が・・・。道路整備の大変さ、を思い知らされた。鉄道では、車椅子を保護してくれた鉄道員。だが、車椅子に乗り一人で出歩く、そんな環境には、程遠い現況。人的環境、健常者の驕り、を思うことが出来た。 人生って、人それぞれだろう。精神的病で、晩年を過ごした義姉。精神的病を持った者同士の結婚生活。福祉の加護の一端を実感してきた。やまい・・・精神的な、そんな夫婦の難しさをも思い知らされた。健常者から見れば不安いっぱいな事、禁治産者同士の結婚生活は、僕には、判らない、計り知れない。昨今、社会を取り巻く事象に複雑な思いを持つ。義姉の人生 ”彼女自身は幸せだったろう”と思いたい。叢雲さん、shuさん、 浬さん、maxdiveさん、プランのママさん、コメントありがとう存じました。個々にレスしないこと、お許しください。 枯れ行く、葉っぱ一枚、幹より伸びる葉脈反り返る葉先に、、、終焉を感じる。人生恨むことなかれ 人しるなきを 幽谷深山 華おのずから紅なり ・・・三浦 梅園・・・我が人生も、かく ありたい。コメントを頂いた皆さん、ほんとうにありがとう。zakka
仏紀によると今年は、2550年になると言う。今年も後わずか・・・月の異名、師走は良く聞く名 称だが、古い異名に「窮月(きゅうげつ)」という表現がある。僕にとっては、当に窮月になりそうだ(・_・、)。10日ほど前の深夜、居眠り・・・目覚めてPCを覗くと、メールボックスが開かない??己の知る限りの手立てを講じてみたが??八方ふさがりで、ついにOSの初期化をする羽目に陥った。バックアップ・・パスワードの再チェック等々。。。ライフワークのデータ交信にも使っていることからGmailに登録した。その連絡を電話で100件余りして、色々な方から助言を頂いたが、結局、初期化を昨夜から断行。何とも疲れる作業、先ほど再構築を終了した。便利だが、PCは・・・こわぁ〜〜〜い!!WINDOWSが、ニューヴァージョンになる時世だが、未だに98を愛用してる。老年代のへそ曲がりか??ブルグル等、他所様のスレッドを拝見していると紅葉・黄葉の画像が沢山あった。身辺の環境では、紅葉の里山は、散策者でいっぱい。同じ紅葉期にこんな風情も良いと・・・散策した。窮する己と・・枯れた虫食い!?!の葉に季節を感じる。
烈風、吹き下ろす独立峰・・富士山。 当地から拝す姿、雪煙、舞い上がる情景を感じとれる。 「人間の存在など砂ひと粒にも満たない。生かされている、小さな命と感じる。」 突風に被災された、報道を聞きながら 先日、散歩で見かけた花を思い出していた。 道端に人知れず咲く「やくしそう」 この地では今の季節に黄色い花を付ける。 静かに咲く風情は無意識にも人の心を和ませてくれる。 だが雑然と人間にじゃけんに扱われている。 野草の美、慎ましくも強い、可憐な美をいとおしくも感じる人間でありたい。人間は、自然に対して、驕り高ぶってはいないか??人間社会でも「いじめ」問題等、考えさせられることが、 いっぱい。。。 法治国家・・・法治・・・とは!?! 己に課した命題だが、先が見えない。画像は、散歩に同道した方に頂いた。災害で亡くなった方々のご冥福を祈り希します。
最近、遠出をしていない。 唯一の健康維持手段、「散歩」 浜辺で長らく立ち話をして、 帰宅途中で綺麗な夕焼けにであった。 知人との会話の中での「拉致問題」 夕暮れを見ていると 望郷の念・・・ こんな夕焼けを見ているかもしれない。 心痛む、被害者の心中は、凄惨をきわむる。 一刻も早い解決を祈るばかりだ。